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マリー・アントワネット
20話
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「負けるくらいならってことで、自分が後世まで語り継がれるほどの反則をしてチームを救った、ウルグアイのスアレスというサッカー選手を知ってる?」
その話をジェイドは知っている。二〇一〇年のワールドカップ準々決勝、負けたら終わりのトーナメント。延長後半アディショナルタイムで、確実に入ってしまうであろう相手のシュートを、スアレスは手を使って止めた。彼はキーパーではない。もちろん一発退場、相手にはPKを結局与えることになったが、これを外し、PK戦へと持ち込み、そしてウルグアイは勝利した。
これには対戦相手のガーナやウルグアイのみならず、世界で論争を巻き起こしたが、恥などかなぐり捨て、勝利のために自分ができうることをやってのけたと、賞賛する声は多い。その後、悪質だったとして出場停止処分を追加で受けたが、彼の執念は見習うべきところが多いと、参考にするプロが多いのも事実だ。絶対褒められることではないけど。
「僕は、この話が好きなんだよね。まだ自分にやれることはあるんじゃないか、って最後の確認にスアレスを思い出す。それが自分以外の人の助けを必要とすることになっても、恥だとは思わない。ピアノが最高の状態で弾かれる、という結果さえ出せれば」
結果。プロの世界ではそれが全て。レダはプロの意識を常に保つ。そのために、使える手は全て使う。ミスをするほうがダメ。
そう考えたら、腑に落ちる部分がある。自分もプロだ、とジェイドは自覚した。お客様からしたら、オーナーであろうと店長であろうと自分であろうと、お金をいただいている以上、プロであり続けなければならない。甘えがなかったか、と言われれば、ないとはジェイドは言い切れなかった。少し俯き、そして笑う。
「……なんか、話が変な方向に行っちゃいましたけど、ありがとうございます。少し、掴んだような気がします」
掴んだものが雲かもしれないが、掌には水滴という、なにかしらが残る。なにもしなければ乾いたままだった。自分に足りないものを試してみたい。ここに来て正解だった。
ジェイドの目から意志の強さを感じ、満足したレダは、こっちこそ役に立ててよかった、と安堵する。
「ならよかった。もし、職人というもので気になることがあるなら、この学校にウチで働いている子がいるから、聞いてみるといいよ。お菓子が好きだから、持っていけば話してくれるはず」
調律先の家の食糧を勝手に漁るヤツだけど、というのは隠しておく。
「餌付けみたいですね。まだ見習いなんですか?」
自分と同じようなものかな、と予想したジェイドだが、レダは否定しつつ語気を強める。
「いや、バリバリ調律してるよ。正直、彼女の才能はリミッターが外れていてね。世界最高に近いかもしれない。そのぶんかなり気難しいところがあって、選り好みをするから見習いみたいな位置にいるけど」
世界。その単語を聞き、ジェイドは背筋がゾクっとした。
「天才、ってやつですか」
どの世界にもいるものだ、と冷や汗が流れた。それもこんなすぐ近くに。会ってみたいような、会ってしまったらなにかが終わってしまうような。そんなグラグラとしたバランスの上で、ジェイドは唇を噛んだ。
その話をジェイドは知っている。二〇一〇年のワールドカップ準々決勝、負けたら終わりのトーナメント。延長後半アディショナルタイムで、確実に入ってしまうであろう相手のシュートを、スアレスは手を使って止めた。彼はキーパーではない。もちろん一発退場、相手にはPKを結局与えることになったが、これを外し、PK戦へと持ち込み、そしてウルグアイは勝利した。
これには対戦相手のガーナやウルグアイのみならず、世界で論争を巻き起こしたが、恥などかなぐり捨て、勝利のために自分ができうることをやってのけたと、賞賛する声は多い。その後、悪質だったとして出場停止処分を追加で受けたが、彼の執念は見習うべきところが多いと、参考にするプロが多いのも事実だ。絶対褒められることではないけど。
「僕は、この話が好きなんだよね。まだ自分にやれることはあるんじゃないか、って最後の確認にスアレスを思い出す。それが自分以外の人の助けを必要とすることになっても、恥だとは思わない。ピアノが最高の状態で弾かれる、という結果さえ出せれば」
結果。プロの世界ではそれが全て。レダはプロの意識を常に保つ。そのために、使える手は全て使う。ミスをするほうがダメ。
そう考えたら、腑に落ちる部分がある。自分もプロだ、とジェイドは自覚した。お客様からしたら、オーナーであろうと店長であろうと自分であろうと、お金をいただいている以上、プロであり続けなければならない。甘えがなかったか、と言われれば、ないとはジェイドは言い切れなかった。少し俯き、そして笑う。
「……なんか、話が変な方向に行っちゃいましたけど、ありがとうございます。少し、掴んだような気がします」
掴んだものが雲かもしれないが、掌には水滴という、なにかしらが残る。なにもしなければ乾いたままだった。自分に足りないものを試してみたい。ここに来て正解だった。
ジェイドの目から意志の強さを感じ、満足したレダは、こっちこそ役に立ててよかった、と安堵する。
「ならよかった。もし、職人というもので気になることがあるなら、この学校にウチで働いている子がいるから、聞いてみるといいよ。お菓子が好きだから、持っていけば話してくれるはず」
調律先の家の食糧を勝手に漁るヤツだけど、というのは隠しておく。
「餌付けみたいですね。まだ見習いなんですか?」
自分と同じようなものかな、と予想したジェイドだが、レダは否定しつつ語気を強める。
「いや、バリバリ調律してるよ。正直、彼女の才能はリミッターが外れていてね。世界最高に近いかもしれない。そのぶんかなり気難しいところがあって、選り好みをするから見習いみたいな位置にいるけど」
世界。その単語を聞き、ジェイドは背筋がゾクっとした。
「天才、ってやつですか」
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