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ガヴォー 『モデルT』
5話
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「やだぁ、おばあちゃん素敵ぃ!」
約四〇平米。ダブルベッド付きの寝室、家具のついたリビングにベビーグランドピアノ。そして小さめの台所。それが今回のお客様のアパートだった。防音もついており、老婆ひとりが住むには十分すぎるほどに快適だ。
「なんなんだあいつは……!」
そのリビングにピアノを査定しながら、ランベールは不満を小さく、しかし確実な怒気を込めて漏らした。こいつと一緒にやるとなにかしらストレスが溜まっている気がする。
それもそのはず、この部屋に入ってから十分ほど。ピアノの蓋を開けて鍵盤やらアクションと呼ばれる打鍵の装置などを慎重に見ながら見積もりを作るランベール。普通の調律師だ。
かたや紅茶を飲み、甘い香りのお茶菓子をつまみながら世間話をするサロメと依頼者の老婆メラニーという図になっていた。しかもリビングゆえに仕方ないのだが、ピアノから発する些細な音をきき漏らさんと耳をそば立てても、少し離れたところから笑い声やカップとソーサーのカチャカチャした音が紛れ込んでくる。
「だから俺ひとりでいいと……!」
当番を決めた社長に愚痴をもらしつつも、ランベールは作業を進める。実際には整調・調律・整音の程度を見ているだけなので修理をしているわけではないのだが、見れば見るほどに劣化がひどい。湿気によるアクションの不具合『スティック』や、鍵盤が戻らないなど、弾きづらいことこの上ない。もちろん、メラニーがリサイタルやコンクールに出るわけではないので、ある程度弾ければいいということなのだろう。
それにも関わらず依頼が来たということは、まともに弾けなくなったということだろうと予想していたランベールだったが、違和感を感じたのは、鍵盤とハンマーアクションをピアノから引き出した時のことだった。
(弾きにくいことこの上ないが……ブッシングクロスなどはある程度交換してある。フロントキーピンやバランスキーピンも、磨いてある。この整調の仕方は……)
鍵盤の深さを調整、ガタツキや戻りを調整する部分など、追加でやる必要のない部分と、そうでない部分がかなりわかれている。ホコリなどもほぼ取り除かれており、ネジの緩みなどで起きる共鳴雑音もない。
横目でメラニーを見るが、相変わらず調子の良さそうなサロメに乗せられて上機嫌だ。さっきよりもお菓子が増えている。イギリスのティータイムに出てくる二段のやつまであるじゃねーか、と悟られないようにランベールは睨んだ。
「ねぇ、まだー? まだ終わんないのー、ランちゃーん」
今までで一度もそんな呼び方したことねーだろ! と怒りを溜めつつ、ランベールは無視を決めた。しかしここまでとなると、部品に関して言えば全交換したほうがいいため、むしろ悩まない。見積りに必要事項を記入して、再度確認。
「今日は私達のこと孫だと思っていいからね! このクッキー美味しい~!」
「あらあら」
(あらあらじゃねーだろ! こっちはピアノいじってんのによぉ!)
手に持つボールペンが見積り書にめりこむ。やはり女というのはお茶とお菓子を用意して時間を与えてはいけない、とランベールは心に刻んだ。
「おばあちゃん、紅茶おかわり~、おばあちゃんなんでもできて憧れちゃう~」
もはやなにをしに来たかわからない様子で、サロメは褒めて依頼者を動かす。数年来の友人であったかのように懐に潜り込めるのは一種の才能なのかもしれない。最終的には「ここに住もうかな」なんて言い出している。そのうちお小遣いまで要求しかねない。
さすがに悪いと思ったのか、メラニーはチラチラと見積もりをしながら、またピアノをいじるランベールを見だした。
「でもいいのかい? お兄ちゃんはあぁやって見てくれてるのに」
「大丈夫大丈夫。騒音の中でも調律できるように私たち訓練してるから。そんなことより、もっとおじいちゃんとの話聞かせて~!」
「おじいさん……おじいさんか」
そう言うと、ふと、遠くを見るような目をメラニーはする。
約四〇平米。ダブルベッド付きの寝室、家具のついたリビングにベビーグランドピアノ。そして小さめの台所。それが今回のお客様のアパートだった。防音もついており、老婆ひとりが住むには十分すぎるほどに快適だ。
「なんなんだあいつは……!」
そのリビングにピアノを査定しながら、ランベールは不満を小さく、しかし確実な怒気を込めて漏らした。こいつと一緒にやるとなにかしらストレスが溜まっている気がする。
それもそのはず、この部屋に入ってから十分ほど。ピアノの蓋を開けて鍵盤やらアクションと呼ばれる打鍵の装置などを慎重に見ながら見積もりを作るランベール。普通の調律師だ。
かたや紅茶を飲み、甘い香りのお茶菓子をつまみながら世間話をするサロメと依頼者の老婆メラニーという図になっていた。しかもリビングゆえに仕方ないのだが、ピアノから発する些細な音をきき漏らさんと耳をそば立てても、少し離れたところから笑い声やカップとソーサーのカチャカチャした音が紛れ込んでくる。
「だから俺ひとりでいいと……!」
当番を決めた社長に愚痴をもらしつつも、ランベールは作業を進める。実際には整調・調律・整音の程度を見ているだけなので修理をしているわけではないのだが、見れば見るほどに劣化がひどい。湿気によるアクションの不具合『スティック』や、鍵盤が戻らないなど、弾きづらいことこの上ない。もちろん、メラニーがリサイタルやコンクールに出るわけではないので、ある程度弾ければいいということなのだろう。
それにも関わらず依頼が来たということは、まともに弾けなくなったということだろうと予想していたランベールだったが、違和感を感じたのは、鍵盤とハンマーアクションをピアノから引き出した時のことだった。
(弾きにくいことこの上ないが……ブッシングクロスなどはある程度交換してある。フロントキーピンやバランスキーピンも、磨いてある。この整調の仕方は……)
鍵盤の深さを調整、ガタツキや戻りを調整する部分など、追加でやる必要のない部分と、そうでない部分がかなりわかれている。ホコリなどもほぼ取り除かれており、ネジの緩みなどで起きる共鳴雑音もない。
横目でメラニーを見るが、相変わらず調子の良さそうなサロメに乗せられて上機嫌だ。さっきよりもお菓子が増えている。イギリスのティータイムに出てくる二段のやつまであるじゃねーか、と悟られないようにランベールは睨んだ。
「ねぇ、まだー? まだ終わんないのー、ランちゃーん」
今までで一度もそんな呼び方したことねーだろ! と怒りを溜めつつ、ランベールは無視を決めた。しかしここまでとなると、部品に関して言えば全交換したほうがいいため、むしろ悩まない。見積りに必要事項を記入して、再度確認。
「今日は私達のこと孫だと思っていいからね! このクッキー美味しい~!」
「あらあら」
(あらあらじゃねーだろ! こっちはピアノいじってんのによぉ!)
手に持つボールペンが見積り書にめりこむ。やはり女というのはお茶とお菓子を用意して時間を与えてはいけない、とランベールは心に刻んだ。
「おばあちゃん、紅茶おかわり~、おばあちゃんなんでもできて憧れちゃう~」
もはやなにをしに来たかわからない様子で、サロメは褒めて依頼者を動かす。数年来の友人であったかのように懐に潜り込めるのは一種の才能なのかもしれない。最終的には「ここに住もうかな」なんて言い出している。そのうちお小遣いまで要求しかねない。
さすがに悪いと思ったのか、メラニーはチラチラと見積もりをしながら、またピアノをいじるランベールを見だした。
「でもいいのかい? お兄ちゃんはあぁやって見てくれてるのに」
「大丈夫大丈夫。騒音の中でも調律できるように私たち訓練してるから。そんなことより、もっとおじいちゃんとの話聞かせて~!」
「おじいさん……おじいさんか」
そう言うと、ふと、遠くを見るような目をメラニーはする。
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