ブラッディ・チェイサー

猫山はる

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第1章 吸血鬼編

第16話 記憶の断片④

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これは夢だ。とすぐに分かった。
ノエルとの数カ月前の記憶。
また、過去の記憶を夢で思い出している。



その日、喫茶店の空気はいつも通り静かだった。
コーヒーの薫りが立ち込め、環はカウンター席でカプチーノを飲みながら、座っていた。
ノエルは、カウンターに立ち、洗い物をしたり、料理の仕込みをしたりしていた。
ほかに客はおらず、ノエルと環の二人だけ。
ふたりで他愛のない話をしていた。

「そう言えば、さっき店の近くに大きい猫がいたよ」
「ああ、ミケ猫だよね。この辺に住んでるみたい。僕も見かけたらおやつをあげてるよ」
「なんだ、知ってる猫なんだ」
「あ、噂をすれば…」
ノエルが窓の外に顔を向け、植え込みの方を指さす。
「え、どこ――」
ふいに環が立ち上がって窓に近寄ろうとしたとき、手がカップに当たった。

──ガシャンッ!

「わっ!ごめんなさい」

カップがテーブルから落ち、床に砕け散った。
「環ちゃん、大丈夫?」
ノエルは心配そうな顔でカウンターから出てくる。
「ごめん、割れちゃった…」
環はとっさに手を伸ばし、割れた陶器を拾おうとした──その瞬間。

「環ちゃん、待って!」

ノエルの声と同時に、指先に痛みが走った。
細かい破片で、人差し指を切ってしまっていた。

「いたっ……」

赤い血が、指先からつうっと垂れる。
結構深く切ってしまった。

「指、切れた――」

言いかけた言葉が、喉で止まった。

ノエルが、立ち尽くしていた。

まるで何かに怯えるように、環を見ないようにしていた。
いや──正確には、環の流れる血から目を逸らしていた。

「……ノエル?」
ノエルは、はっとしてぎこちなく笑いながら環に言う。
「あ、怪我しちゃったね。絆創膏持ってくる」
と慌てて店の奥に消えてしまった。


「傷、見せて」
戻ってきたノエルは、絆創膏を片手に持ち、もう一方の手で環の手を取る。
「う、うん」
その目は環の指の傷口を凝視しながら、どことなく熱を持っているようだった。
環の手をゆっくりと自分のほうに引き寄せる。
ぼうっと環の指を見つめている。
その異様な雰囲気に、環は思わず声をかける。
「ノエル、…どうしたの?」
ノエルは我に返り、「何でもない!」と手早く傷口を消毒し、絆創膏を巻いた。


「あとは、僕が片付けるから」

「え? でも私も──」

「いいから! 触らないで」

環は、びくりと肩をはねさせた。
ノエルが初めて声を荒らげたところを見た。
しかしその声は、どこか震えていた。

環は、恐る恐るノエルの顔を伺った。
その顔色は明らかに悪く、まるで体調を崩したかのように青白かった。

「……ねえ、本当に、大丈夫?」

「……ごめん。ちょっと……血が、苦手なんだ」

「えっ……そうなんだ。でも顔色すごく――」

「……大丈夫だから。ほんとに、もう大丈夫だから」

いつもなら、軽く笑って茶化してくれるはずのノエルが──
その時ばかりは笑わなかった。
環の注意不足で気分を害してしまったのだろうか?

環の血が、床に染みのように落ちていた。
ノエルはそれに視線を向けようとせず、ふきんとちりとりと箒で手早く片してしまった。
そして、ぐったりした様子で椅子に腰掛けた。
そして手で顔を覆い隠すと、
「ごめん…やっぱり今日は体調が良くないみたい。…帰ってもらってもいい?」
と弱々しい声で言った。
「う、うん。ごめんね。お大事に」

(……ノエルに、初めて怒られた…)

環の胸の奥に、小さな棘のような違和感が刺さった。

優しくて、穏やかで、ずっと変わらない笑顔だったノエル。
だけど、初めてこんな姿を見た。


数日後。
例の出来事があってから、環は少しだけ足が重くなっていた。
だけど、やっぱり喫茶店の前まで来てしまっていた。

(やっぱり、行くのやめようかな……)

そう思った、その時。

「!」

扉が開いて、ノエルが笑顔で顔を出した。

「よかった。また来てくれて。この間はごめんね」

(……いつもと、全然変わらない)

「今日はカフェラテを用意してあるよ。どうぞ」

「……あ、うん」

環は、思わず店の中へと足を踏み入れていた。

ふわっと香る甘くやわらかなコーヒーの匂い。
流れる音楽も、ノエルの穏やかな口調も──全部、いつもと同じだった。

けれど、環の中には消えないひっかかりがあった。

(ほんとに……“血が苦手”ってだけだったのかな?)

カフェラテの入ったカップを両手で包み込むようにしながら、環はそっとノエルの顔を見た。
傷口を見ていたノエルの表情を思い出す。
あれは、苦手というよりも、もっと何か…。

目の前にいるノエルを見る。
変わらない笑顔。やさしい目元。
でも、今日は表情が少し曇っていた。
(あの時、私の血を……見て、何を思ったんだろう)
ノエルは遠慮がちに、私に話しかけてきた。

「ねえ、環ちゃん。…僕のこと怖い?」

「え…。この前のこと?びっくりはしたけど別に怖くはない。むしろ、私の方こそ嫌われたかと思った。」

「僕が環ちゃんを嫌いになることなんかないよ」
ノエルの顔が近づいてくる。
その日のノエルは少し様子がおかしかった。
「環ちゃんは、急にいなくなったりしないでね」 
「え?う、うん」
ノエルはそっと手を環の頬に添えた。
「もし、僕とずっと一緒にいてって言ったら困る?」
環はノエルの言葉に一瞬頭が真っ白になった。
そして意味を理解した途端、一気に顔が火照る。
心臓がバクバクして、頭の中が混乱していた。
「そ、それってどういう…?」
しかしノエルは深刻そうな顔で俯いていた。
「ごめん、急にこんな事言われても困るよね!」
ノエルは環から離れ、慌てて振った。


「環ちゃん、今日さ、この前話してた漫画の続き読んだから感想を聞いて欲しかったんだ」
(やっぱり、何事もなかったように振る舞ってる)
環はカフェラテの入ったカップに視線を落とす。
(あれは──ほんの一瞬、私の知らないノエルの一面を見た瞬間だったんじゃないかって……思う)
ノエルが、何気ない調子で笑いながらカウンターの奥へと消えていく。
足取りは軽く、声のトーンもいつも通り。

だけどその背中を見つめる環の中には、言葉にできないざわめきが静かに渦を巻いていた。

ラジオで、ニュースが流れていた。
首に傷跡があり、失血死。何者かの犯行によるものと思われる。場所は……
この近辺だ、と環は思った。


ノエルはその後何もなかったように振る舞い、帰宅時間になった。
帰る途中に、めずらしく他の客とすれ違った。
30代くらいの、男性だった。
環はなぜかその客のことが気になり、物陰に隠れていた。
その客はカウンターに座るとノエルと話し始めた。
環は二人の会話を聞いた。
噛み跡、殺人、血を抜かれた
物騒なワードが聞こえてきた。
なんだか、さっきラジオから聞こえてきたニュースの話と似ているような。
ノエルの雰囲気は環といるときとは全く違う、鋭い目つきになっていた。いつもの笑顔は消え、声は低く、冷たい印象があった。
「生きていたのか」
そう呟いたノエルは、金色の懐中時計を握りしめていた。

環は足早にその場を去った。
盗み聞きなんて、良くない。
先ほど聞いた店内の会話を忘れようとした。
しかし、忘れられそうにない。
なぜか胸騒ぎがした。


そして、その姿をとある影が見ていた。
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