ブラッディ・チェイサー

猫山はる

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第2章 犬神編

第40話 夏樹と虎徹

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10年前。
犬飼夏樹が小学生の時。
学校から帰ると、彼はいつも浮かない顔で家の扉を開ける。

「…ただいま」

玄関では一匹の黒い柴犬が、夏樹の帰りを待ち構えていた。
夏樹はその姿を見ると安堵したように名を呼んだ。

「虎徹!」
「ワン!」

黒い柴犬もそれに応える。

***

虎徹は昔飼っていた柴犬の名前だ。

何年か前に拾って、その時に死にかけていた影響か、足が悪く、右前脚を引きずるように歩く。
愛嬌のあるやつで、俺が小学校から帰ると、尻尾をぶんぶん振りながら、決まって一番に出迎えてくれた。

「また学校の奴らに仲間外れにされた…」
当時、チビで馬鹿だった俺は馬鹿正直に霊が見えることを吹聴し、周りから気味悪がられていた。

玄関でいじけていると、すかさず虎徹に顔を舐め回される。

「あはは!や、やめろって」

顔がよだれまみれになり、大体のことはどうでもよくなってくる。

母方が犬神の家系で、代々依頼を受けては人を呪ったり、逆に呪いを払ったりといった仕事を請け負っていたらしい。

だが、父さんと母さんは、犬神の力を使いこなせない。
そもそも、その姿すら見えていない。

普通の父親と母親だった。

だけど、たまたま隔世遺伝で、視る力がある俺が生まれたせいで、両親は要らぬ期待をしてしまった。

「おかえり、夏樹。学校は楽しかった?」
母親は毎日同じことを聞いてくる。
楽しいわけが無い。
俺は台本を読むように、思ってもいないことを答える。

「まあまあかな。それより、新しいゲームほしいんだけど」
「いいわよ。今度は何が欲しいの?」

俺は恵まれていた。
欲しいと思ったものはだいたい買ってもらえた。父と母は俺を甘やかした。親戚にも可愛がられた。

でも、誰も俺自身を見ていなかった。
みんなが可愛がっていたのは、犬神が見えるガキだった。

代々伝わる犬神は、すでに力を失いかけていた。
白くて大きな狼のような姿で、祭壇の中で、四六時中眠っている。
その姿は半透明になり、今にも消えてしまいそうだ。

両親は犬神の姿が見えもしないのに、熱心に祭壇に祈りを捧げた。
俺も毎日毎日つきあわされた。

両親が祈るとき、彼らの声はまるで別人みたいだった。
「お願いします、犬神さま……どうか、この子を導いてください」
俺は、盲目的に他者に縋ろうとするその声が嫌いだった。

犬神は俺たちを一瞥すると、またすぐ眠ってしまう。

***

ある日、学校のウサギが誰かに殺されているのが見つかった。

犯人はクラスで一番目立つやつだった。
そいつに兎の霊がついていた。

俺はみんなの前でそれを言った。

誰も信じてくれなかった。
そいつは、こともあろうに俺が犯人だと言い始めた。

みんなそれを信じた。
両親が呼び出された。
俺はやっていないと言った。兎の霊のことも両親に話した。
両親は俺を信じ、証拠を出せと担任に怒鳴り散らした。

両親は帰り道に俺を慰めたが、俺は言いようのない虚しさを抱えていた。

***

別の日、俺はとぼとぼと虎徹の散歩をしていた。
クラスの奴らが、5人ほど前からやってきた。
「おい、あいつ…」
ヒソヒソと俺を見て何かを囁いている。
俺を取り囲む。
肩を押され、倒れ込む。
上に乗られ、蹴られ、もみくちゃにされた。
それを見た虎徹は、俺を庇おうとした。
クラスの奴に噛み付いた。

そいつはみっともなく逃げ出した。
他のやつも散り散りに逃げた。

翌日、また両親が呼び出された。
クラスのやつらの親が集まり、両親に声を荒らげている。

両親も金切り声をあげていた。
お互いを罵り合い、殴り合いになりかけたところで担任に止められた。

もうたくさんだ。
何も聞きたくない。

人間は醜い。
虎徹だけが、俺の心の支えだった。

次の日、家に帰ると虎徹が出迎えに来なかった。


「あれ、虎徹は…?」

「虎徹はしばらく親戚の家に預かってもらうことになったから」

両親は白々しく言った。

その日から、俺は一人きりになった。

しばらくして、母方の親戚がよくうちへ来るようになった。
何やら呪いまじないをしているのか、大人数で儀式めいた事をしていた。

俺と同じで、見える人たちだ。
祭壇を見て、
「あと少しだ…」
と呟いていた。
何故かそこにはもう、眠っている犬神の姿はなかった。

***

親戚と両親が、新しい犬神を迎えたという。
俺に対面するよう促してきた。
俺は正直興味がなかった。
それより、早く虎徹と会わせてほしかった。

新しい犬神が俺の前に座る。

白い、巨大な犬だった。
尻尾を振って俺の顔をベロベロと舐めた。

そして、そいつは

その時、俺は察した。
可哀想な虎徹が犠牲になったのだ。

黒柴だった外見は大きく変わり、白い長毛の狼のような見た目になった。
俺の膝くらいだった大きさは俺の背と同じくらいになっている。
牙は口からはみ出すほどに巨大で、爪は禍々しいほどに鋭かった。
でも、何故か虎徹だとわかる。
その仕草が、俺を見つめる目が、あいつと同じだったから。

俺はその場に膝から崩れ落ちた。
化け物を見る目で、両親や親戚の顔を見る。
吐き気がした。
今まで見たどんな化け物より、こいつらのほうがずっと怖かった。

俺はその時から両親を憎んでいる。

犬神の造り方は知っていた。
虎徹は、とてつもない恐怖と苦痛を味わったはずだ。
この家はイカれている。この世界は狂っている。
あんなひどいことをされたのに虎徹はまだ俺に懐いている。

虎徹は帰ってきた。
だが、もう昔の姿ではなかった。

俺は、姿が変わってしまった虎徹にしがみつき、大声で泣いた。

「お前は馬鹿だよ…」
でも、それ以上に俺が一番馬鹿だ。
もっと早く虎徹を探してやればよかった。
虎徹を連れてどこまでも逃げればよかった。

両親は、
「よかったねえ、夏樹」
と涙を流しながら言った。

ぷつん、と、俺の中で何かの糸が切れた。

***

翌日、懲りずに絡んできた同じクラスの奴らを虎徹に命じて、懲らしめた。
そいつらには、もちろん虎徹が見えない。
だから俺が疑われることはなかった。

特に、ウサギを殺した罪をなすりつけてきたやつは階段から突き落としたり、死なない程度に徹底的に痛めつけてやった。
親戚から教わった呪いをかけ、兎の幻覚を見せたりした。そいつはついに罪を白状し、そのまま転校していった。

しばらくすると、俺をからかうと怪我をするという噂が出回り、誰も絡んでこなくなった。
みんな俺の顔を見ると怯える始末だ。
気分が良かった。

中学に入り、私立の学校に通うようになると今までの噂を知っている奴が周りにいなくなった。
俺は普通なふりをして、周囲に溶け込んだ。
そのうち、ガラの悪い奴らとつるむようになった。
そいつらの一人から裏バイトを紹介された。
中には俺のように、見えるやつ向けのバイトもあった。
俺は虎徹と稼ぎまくった。
でも、どれだけ金があっても、高い服やモノを手に入れても満たされなかった。

そんな折、俺はある人物に出会った。
その人は、俺のような境遇の人間が生きやすい世の中にしたいと言っていた。

何となく面白そうだと思った。
俺はその人についていくことにした。
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