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第七十一話:領主への直訴、見えぬ壁の先へ
しおりを挟む夕暮れの光がランドールの城壁を赤く染めていたが、俺の心には暗い影が落ちていた。トーマスさんや他の農夫たちが抱える焦り、そして見えない敵の存在が、ひまわり収穫の喜びをかき消していた。
「辺境伯様に、直接お会いしなければ」
城門を抜け、衛兵たちの訝しげな視線を受けながら、俺は隣を歩くギデオンに告げた。彼の硬い表情が、かすかに揺れた。
「謁見の時間は過ぎている。辺境伯様は軍事報告でお忙しいはずだ」
「承知しています。ですが、これも領地の未来に関わる、待ったなしの問題なんです」
俺の、年齢にそぐわぬ真剣な声と、その目に宿る覚悟を、ギデオンは読み取ったようだった。彼はしばらく俺を見つめた後、短く、しかし力強く応じた。
「分かった。取り次いでみよう。だが、保証はできん」
「覚悟の上です」
衛兵の敬礼を受け、俺たちは再び荘厳な城の中へ。静まり返った廊下に足音が響く。ギデオンは俺を待合室に残し、奥へと消えた。一人残された俺は、豪華だが冷たい椅子に腰掛け、腕の中のフェンを撫でながら、これからの対峙に備えて思考を巡らせた。
バルザックの狙いは明白だ。農民の不満を俺に向けさせ、改革を潰すこと。ならば、俺がすべきは辺境伯に事実を伝え、決断を促すこと。だが、証拠はない。下手に告発すれば、自分が窮地に陥る。訴えるべきはバルザックの悪意ではなく、計画の遅延が辺境伯自身の利益、つまり国力増強という目標を損なうという冷徹な事実のみ。彼は現実主義者だ。そこを突くしかない。
どれほど待っただろうか。扉が静かに開き、ギデオンが現れた。
「辺境伯様がお呼びだ」
彼の顔には驚きと安堵が浮かんでいた。無謀な要求が、なぜか受け入れられたのだ。
深呼吸し、俺はギデオンに続いて再び謁見の間へ。夜の闇に包まれた窓とは対照的に、無数の燭台が広間を白昼のように照らしている。玉座には辺境伯レオナルド。その隣にバルザックの姿はなく、代わりに壁際に近衛騎士たちが影のように控え、空気が張り詰めていた。
「夜分遅くに申し訳ありません」
玉座の前で深く頭を下げた。
「構わん。ギデオンから聞いた。領地の未来に関わる緊急の案件とやら。申してみよ」
レオナルドの声には疲労が滲んでいたが、その瞳は以前にも増して鋭く、俺を見据えている。
顔を上げ、俺は彼の目を真っ直ぐに見返し、語り始めた。
「はい。先日ご承認いただいた農具『疾風』の量産と配布計画、心より感謝いたします。ですが…その『疾風』が、未だ一本も農民たちの手に渡っておりません」
「ほう。それは初耳だ」
レオナルドの眉がかすかに動く。
「役所からは『手続きに時間を要す』『分配計画を調整中』との説明ですが、辺境伯様、時は待ってはくれません。春の種蒔き時期は限られています。このままでは、多くの者が種蒔きの機会を失います」
俺は言葉を続けた。
「それは今年の収穫減だけに留まりません。希望を目前にしながらそれを手にできない農民たちの心には、失望と、辺境伯様への不信感が生まれるでしょう。一度失われた信頼を取り戻すのは困難です」
「さらに、この遅延は辺境伯様が目指される国力増強をも危うくします。『疾風』による収穫増は、民を潤すだけでなく、余剰作物の売却による新たな富をもたらすはずでした。その富は騎士団や城壁の強化にも繋がり、北の脅威に対する守りを固める力となるはずだったのです」
「この遅延は、その全ての計画を狂わせかねません。…辺境伯様。これは単なる役所の怠慢ではなく、領地の未来を蝕む重大な問題です」
俺はバルザックの名を出さず、事実とその影響だけを、危機感を込めて述べた。告発ではなく、領主への進言として。
レオナルドはしばらく黙って、指で肘掛けを規則正しく叩いていた。やがて動きを止め、深いため息をつく。
「…なるほどな。道理で、バルザックが昼間から妙に機嫌を取るわけだ」
その呟きは小さかったが、俺には聞こえた。彼は全てを知っていた。バルザックの抵抗も、俺の動きも。その上で、俺がどう出るか試していたのだ。領主とは、なんと孤独で恐ろしい存在か。
レオナルドは玉座から立ち上がり、俺の目の前まで歩み寄る。
「…ルークス・グルトよ。お前は俺に、どうしろと?役人を罰しろとでも?それとも、俺自ら鋤を担げと?」
その問いは、俺の覚悟と器を試す、最後の天秤。
俺は彼の目を見返した。
「いいえ。辺境伯様にお願いしたいことは、**ただ一つ**」
深く、頭を下げる。
「どうか、このルークス・グルトに、『全権』をお与えください。『疾風』の分配に関する、全ての権限を。…さすれば、この首に懸けて、必ずや秋には、辺境伯様が蒔かれた種を、黄金色の実りとしてお返しいたします」
全権委任。あまりにも危険な賭け。だが、壁を壊すには、俺自身が力を握るしかない。
俺の大胆な要求に、レオナルドは驚きも怒りも見せず、ただ獰猛な、しかし楽しげな笑みを浮かべた。
「…面白い。面白いではないか、小僧」
彼は近衛騎士の一人に目配せした。
「…バルザックを呼べ。『救世主様が、新しい玩具の分配について面白い提案があるそうだ。知恵を貸してやれ』とな」
それは、俺への全権委任の承認であり、バルザックへの静かな宣戦布告だった。
俺は顔を上げられなかった。勝利の高揚感ではなく、これから始まる本当の戦いの重圧と、この領主の底知れない器への畏怖を感じていた。
俺のランドールでの第二章は、新たな、そしてより過酷な局面へと突入しようとしていた。
【読者へのメッセージ】
第七十一話、お読みいただきありがとうございました!
ついに始まった、バルザック派との直接対決。辺境伯への直訴という、ルークスの大胆な一手。そして、それに対する辺境伯の、底知れない反応。この息詰まる政治劇を、楽しんでいただけましたでしょうか。ご指摘いただいた点も修正いたしました。
「ルークスの交渉術、痺れる!」「辺境伯、食えない男だ…!」「全権委任!どうなるんだ!?」など、皆さんの感想や応援が、ルークスが次なる難局に立ち向かうための、何よりの力になります。下の評価(☆)やブックマークも、ぜひよろしくお願いいたします!
ついに『疾風』分配の全権を手にしたルークス。しかし、それは同時に、バルザック派からの、より直接的な妨害を招くことにもなります。彼の知恵は、この政治的な壁をも打ち破ることができるのか。次回も、どうぞお見逃しなく!
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