ブラック企業でポイントを極めた俺、異世界で最強の農民になります

はぶさん

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第二百四十三話:年の瀬。年越しそばと、除夜の鐘(物理)

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 魔導コタツという名の、人間をダメにする「温かい泥沼」に沈んでから数週間。
 リーフ村は、一年で最も空気が澄み渡り、そして静寂に包まれる特別な日――「大晦日」を迎えていた。

 まだ夜が明けきらぬ早朝。俺、ルークス・グルトは、鋼の意志でコタツの重たい布団を跳ね除けた。
 肌を刺すような鋭利な冷気。吐く息は白く、窓の外は銀世界だ。
 だが、今日のこの寒さは、いつもの底冷えとは違う。身を引き締め、背筋を伸ばさせるような、神聖な清々しさがある。

「……起きろ、みんな。今日は一年の締めくくりだ。アレを食わなきゃ、俺たちの年は越せないぞ。……蕎麦の時間だ」

 俺の声に、フィオナとフェンが不満げにモゾモゾと動くが、俺は容赦なくリビングの窓を全開にした。
 流れ込む、凍てつくような、しかし肺の中を洗浄してくれる清浄な空気。
 さあ、日本の魂(ソウル)を取り戻す儀式の始まりだ。

 ◇

 村の広場の中央に設置したのは、重厚な御影石の石臼と、畳一畳分はある巨大な檜(ひのき)の「麺台」。
 俺は、秋に収穫し、寒風に晒して甘みを極限まで凝縮させた「玄そば(殻付きの蕎麦の実)」を石臼で挽き、篩(ふるい)にかけたばかりの、薄緑色を帯びた「挽きたてそば粉」を麺台の上に山盛りにした。

 顔を近づければ、穀物特有の素朴で力強い、大地の香りが漂う。

「……まずは『水回し』だ。ここが命だ」

 俺はキンキンに冷えた井戸水を、霧のように粉全体に行き渡らせる。
 指先で素早く、しかし繊細に、粉の一粒一粒に水をまとわせるように撹拌する。粉が小さな粒子となり、やがて「おから」のような状態を経て、一つの艶やかな塊へとまとまっていく。
 菊練り。へそ出し。
 掌底を使って空気を抜き、赤ちゃんの肌のような艶を持った円盤状の生地に仕上げる。

 そして、麺棒を転がす。
 四角く、薄く、均一に。生地が伸びるたびに、蕎麦の香りが広場に拡散する。
 折り畳まれた生地に対し、専用の、鋼(はがね)のように研ぎ澄まされた「そば切り包丁」を構える。

 ――トン、トン、トン、トン……。

 静まり返ったリーフ村の朝に、小気味よいリズムが響き渡り始めた。
 包丁がまな板(こま板)に当たり、板を送る。その硬質で正確なリズム音。
 それは、過ぎ去った一年の一日一日を惜しみ、来るべき新年を迎えるための、厳かなBGMだ。
 切り出された麺は、角(カド)がピンと立ち、美しい灰色の線を描いている。

「……いい匂いだ。主よ、この粉っぽい匂い、なぜか落ち着くぞ。肉ではないのに、食欲をそそる」

 フェンが鼻をヒクつかせ、尻尾を振って見上げている。
 俺は切り揃えた蕎麦を、グラグラと煮えたぎる大釜の熱湯に躍らせた。
 麺が対流に乗って泳ぐ。数分後、少し透明感が出た瞬間を見極め、ザルですくい上げ、直後に氷を張った冷水で一気に締めた。

 キュッ!
 麺が引き締まり、表面のぬめりが取れ、透明感のある艶を纏う。
 一本食べてみる。
 コシがある。噛めば香りが鼻に抜ける。完璧だ。

「よし、蕎麦は完璧だ。……だが、これだけじゃ祝いの席には寂しいな」

 俺は隣のコンロで、巨大な揚げ鍋にたっぷりの純正胡麻油を熱した。
 用意したのは、以前「竜宮城支部(海洋牧場)」から届いた、子供の腕ほどもある特大の『皇帝車海老』。
 冷水で溶いた衣をたっぷりと纏わせ、高温の油へ――投入。

 ――ジュワァァァァァァァァ……ッ!!

 激しい音と共に、衣が花のように開き、水分が抜ける「パチパチ」という軽快な高音が響く。
 立ち上る、胡麻油の香ばしい匂いと、海老の殻が熱されて放つ濃厚な甘い香り。
 キツネ色に揚がった巨大な海老天が、次々とバットに積み上げられ、黄金の塔(タワー)を形成していく。

「ぬおおおおっ! なんだその黄金の棒はぁぁぁ! そしてこの、脳髄を痺れさせる香ばしい匂いは!」

 その匂いを嗅ぎつけ、やはりと言うべきか、ガルド公爵が馬車から転げ落ちるように現れた。
 王都から雪道を飛ばし、わざわざ「年越しそば」のためだけに来たのだ。この男の食への執念は、もはや恐怖すら感じる。

「待ちくたびれたぞ、ルークス殿! さあ、食わせろ! その黄金を私の胃袋へ! 金なら払う! 言い値でいい!」

「はいはい、座ってください。……今、最高の『年越しそば』を出しますから」

 ◇

 夕暮れ時。
 広場に並べられた長机には、村人全員と、公爵、エルフたちがずらりと着席していた。
 全員の目の前には、湯気を立てる漆塗りの丼。

 琥珀色に透き通る、枕崎産カツオ節と利尻昆布の合わせ出汁に、カエシ(熟成醤油と味醂と砂糖)を合わせた、関東風の濃いめの「つゆ」。
 その中に沈む、挽きたて打ちたての二八蕎麦。
 そして、丼からはみ出すサイズで鎮座する、揚げたての海老天。
 薬味は、白ネギの小口切りと、香り高い柚子(ゆず)の皮を一片。

「……美しい。琥珀色のスープに浮かぶ、黄金の海老……。だが、どうやって食うのだ? フォークでは切れそうだが……」

 公爵が困惑する。
 俺は自分の丼を持ち上げ、割り箸をパチンと割った。

「いいですか、皆さん。蕎麦というのは、行儀悪く食うのが『最大のマナー』であり『作法』なんです。……音を立てて、空気と一緒に一気に吸い込む! こうだ!」

 俺は息を吸い込み、勢いよく麺をすすった。

 ――ズズッ、ズズズズズズッ!!

 盛大な音が静寂に響く。
 公爵やエルフたちが「ヒッ!」と引くが、俺は構わず咀嚼し、飲み込んだ。
 鼻から抜ける蕎麦の鮮烈な香り。出汁の旨味。そして喉越し。

「……ふぅ。……こうやって音を立てて吸い込むことで、香りが口の中で爆発(エアレーション)するんです。ワインのテイスティングと同じですよ。さあ、やってみてください! 恥ずかしがるな! 今日は無礼講だ!」

 俺の言葉に、恐る恐る箸を伸ばす公爵。
 海老天を避け、麺を持ち上げる。

「……ええい、ままよ! 郷に入っては郷に従えだ! ……ズ、ズズ……ズズズッ!!」

 公爵が、初めてにしては器用に、勢いよくすする。
 その瞬間、彼の目がカッ! と見開かれ、背筋が反った。

「……むぐっ! ……なんだこの香りは! 噛んでいないのに、喉を通り過ぎる瞬間に、穀物の力強い香りが鼻を突き抜けたぞ! そしてこの出汁! カツオの風味が……柚子の香りが……一年の疲れを溶かしていくようだ……!」

 サクッ。ジュワッ。
 つゆを吸って少しふやけた海老天の衣を齧る音。

「衣が出汁を吸って……ジュワッと旨味が溢れる! 中の海老はプリプリで甘い! たまらん! これは……食事ではない、喉で味わう『快楽』だ!」

 一度誰かがやれば、堰を切ったように全員が続く。
 ズズッ、ズルズルッ、ハフハフッ!
 静寂だった広場に、数百人が麺をすする「大合唱」が響き渡る。
 エルフも、ドワーフも、人間も。
 それは、種族や身分を超えた異文化が、「食欲」という共通言語で融合した瞬間だった。

 ◇

 そして、深夜0時前。
 蕎麦で腹を満たし、少し酔いが回った俺たちは、広場の隅に設置された「新たな建造物」の前に集まっていた。
 俺が錬金術で、ミスリルと真鍮、そして微量のオリハルコンを合成して作り上げた、高さ三メートルほどの巨大な「釣り鐘」。
 『除夜の鐘・改』だ。

「……ルークス殿。これはなんだ? 新しい調理器具か? 巨大なプリンの型か?」
「いいえ。これは『煩悩』を払う鐘です。……人間には108つの煩悩(欲望)があると言われています。特に俺たちの周りには『食欲』という業が深すぎる」

 俺は丸太のような、極太の撞木(しゅもく)を構えた。

「行くぞ! 今年一年の感謝と、来年への願いを込めて! 全ての食欲と業を、音に乗せて空へ還すんだ! ……打てぇぇぇ!」

 俺は全身全霊で、撞木を鐘に叩きつけた。

 ――ゴォォォォォォォォォォン…………。

 腹の底、いや魂の底に響く重低音。
 空気が物理的に震え、その波動が身体を突き抜けていく。
 ただうるさいだけではない。心の澱(おり)を震わせ、洗い流すような、どこまでも澄んだ清浄な響き。
 シン……とした静寂が、音の余韻と共に広がる。

「……うぅっ!? な、なんだ……? 鐘の音を聞いた瞬間、私の脳内を占拠していた『おかわりしたい』『次はカツ丼が食いたい』『デザートはプリンだ』という邪念が、スッと消えた……?」

 公爵が胸を押さえて驚愕する。
 いわゆる「賢者タイム」だ。物理的な音圧と特殊合金の共鳴周波数で、一時的に脳の欲望中枢をリセットしたのだ。

「……いや、消えてませんよ公爵。……ほら」

 俺はニヤリと笑って、公爵の目の前に「おかわり」の小ぶりの蕎麦(とろろ&うずら卵付き)を差し出した。

「……っ!! く、食う! やはり食うぞ! 煩悩など知ったことか! 美味いものは美味いのだ! 胃袋に隙間ができた気がする!」

 公爵が鐘の余韻も消えぬうちに箸を伸ばす。
 やはり、食欲という煩悩は、鐘一つでは消せないらしい。むしろ、健全な証拠だ。

 俺は苦笑しながら、二発目の鐘をついた。

 ゴォォォォォン…………。

 その音は、雪の降るリーフ村の夜空に吸い込まれていく。
 蕎麦のように細く、長く。
 俺たちのスローライフは、来年も、再来年も、美味いものを食って続いていくのだ。

「……あけまして、おめでとう。……今年も、美味いもん作って生き延びようぜ」

 新たな年が、出汁の香りと鐘の音、そしてズルズルという幸せな音と共に、静かに幕を開けた。

---


**【読者へのメッセージ】**
いつもご愛読ありがとうございます!
第二百四十三話、いかがでしたでしょうか?
年越しそば。一年の締めくくりに、あの喉越しと出汁の香りは欠かせません。
公爵も「ズズッ」という音の快感と、鼻に抜ける香りの爆発(レトロネーザル)に目覚めたようです。
そして除夜の鐘。煩悩は消えませんでしたが、食欲があるというのは、生きる力が強い証拠です。
読者の皆様も、良いお年を(作中時間ですが)お迎えください。
さて、年が明ければ、当然「あのおせち料理」と「お餅」の出番です。
「お蕎麦食べたくなった!」「海老天の音が聞こえた!」と思ってくださった方は、ぜひ【評価・感想・ブックマーク】をお願いします!
皆様の応援が、ルークスの出汁の濃さを決めます!
次回、第二百四十四話――「新年。おせち料理と、伸びる餅の恐怖」。お楽しみに!
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