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第89話:眠れる創造主と、守護者の誓い
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アークが、世界の理を書き換え、永い眠りについてから、三ヶ月の時が流れた。
領主の館、その一番陽当たりの良い一室。雪のように真っ白な髪を持つアークは、穏やかな寝息を立てていた。その胸の上では、以前よりも一回り大きく、神々しいオーラを放つ相棒ウルが、主の心音に耳を澄ますように丸くなっている。彼は、決して主の傍を離れようとはしなかった。ただ、主が再びその目を開く日を待つ、聖なる番人として。
ライナス男爵領には、奇跡のように穏やかな日々が訪れていた。
陰の世界樹の再生に呼応し、母なる陽の世界樹もまた、その力を取り戻し始めた。森は浄化され、大地は肥え、聖浄樹の苗床から収穫される作物は、以前にも増して生命力に満ち溢れている。
エルフの隠れ里では、月光樹の輝きを取り戻したことで、水晶の眠りについていたエルフたちが、一人、また一人と、数千年の眠りから目覚め、村との交流も始まっていた。
全てが、順調だった。
全てが、幸福に満ちていた。
だからこそ、アルフォンス・ライナスは、焦燥に胸を焼かれていた。
「――アル兄ちゃん、すげぇ!」
「今の剣、風が見えたよ!」
村の訓練場で、アルフォンスが汗みずくになって木剣を振るうたび、それを取り囲む村の子供たちから、純粋な憧憬に満ちた歓声が上がる。
あの日、命がけで魔物と戦い、弟と共に村へ帰還した彼は、今や、フィンを始めとした子供たちの、絶対的な英雄だった。
(俺は、英雄なんかじゃない)
子供たちの無邪気な歓声が、彼の心を針のように刺した。
その声援が大きければ大きいほど、胸の奥底に巣食う、どうしようもない無力感が、より色濃く、彼の心を蝕んでいく。
(あの日、俺はただアークの背中に守られていただけだ。今もそうだ。弟が命を削って創り出したこの陽だまりの中で、その温もりに甘え、ただ木剣を振ることしかできない……! この剣は、一体、誰のためにあるんだ!)
込み上げる無力感と焦燥を振り払うように、彼は、さらに激しく、ただひたすらに木剣を振るった。
「……その剣筋では、弟君は守れんぞ、若君」
静かだが、射抜くような声が、背後からかけられた。
いつの間にか、彼の背後に、一人のエルフが立っていた。しなやかな体躯に、月光を編んだかのような銀色の髪。その瞳には、千年の時を生きる者だけが持つ、深い叡智と、森の静寂が宿っている。目覚めたエルフの中で、最も優れた弓の射手にして、戦術家でもある、弓兵長リオンだった。
「リオン殿……!」
「お前の剣には、力がある。だが、魂に迷いがある。その迷いが、いざという時、お前の刃を、コンマ一秒、鈍らせるだろう。その一瞬の鈍りが、守るべき者の命を奪うことになる」
リオンの言葉は、アルフォンスが目を背けていた真実を、容赦なく抉った。
「……どうすれば、俺は、強くなれる。アークを……この村を守れるだけの、本当の力を手に入れられるんだ」
「答えは、お前自身の中にしかない。お前が、その剣で、何を成したいのか。誰を、守りたいのか。その『理』を、魂に刻み込め。さすれば、剣は、自ずと応えるだろう」
その日の午後。
領主の書斎には、父とローラン、そして、目覚めたばかりの、白髪のエルフの長老が、向かい合っていた。
長老は、アークが眠る部屋の方角に向かって、深く、深く、頭を下げた。
「ライナス卿。我らエルフ一同、森の救い主、アーク様が、再びその瞳を開かれる、その日まで。この聖地を、あらゆる脅威から守り抜く、揺るぎなき『盾』となることを、古の月に誓いましょう」
それは、数千年の時を超えた、森の民からの、絶対的な忠誠の誓いだった。
その夜、ザターラにいるディアナから、『契約の木』を通じて、父の元へ、緊急の報告が届けられた。
書斎に集った一同の前に、ディアナの、いつもより数段、冷たい声が響く。
『――王都の『奇跡の聖庭園』崩壊事件は、教会によって、公式には「原因不明の魔力暴走」として処理されました。ですが、水面下では、教会内の過激派が「異端者による神への冒涜である」として勢力を増し、ついに本枢機卿会議を動かした模様です。……そして、最も懸念すべき情報が一つ。教会は、表向きは「聖地の調査」を名目に、実際にはその武力制圧と完全支配を目的とした、若き天才聖騎士を長とする、大規模な騎士団の派遣を決定した模様。その聖騎士の名は、『熾天使(セラフィム)』ミカエラ。純粋な信仰心故に、一切の妥協も慈悲も持たぬ、教会最強の『剣』との噂ですわ』
書斎の空気が、一気に凍りついた。
その、あまりにも不穏な報告を聞いていたアルフォンスは、静かに、しかし、力強く、父の前に進み出た。
彼の瞳には、もはや、一片の迷いの色もなかった。
「父さん。もう、待っているだけではダメです」
リオンの言葉が、ディアナの凶報が、彼の魂の中で燃え盛っていた最後の迷いを、完全に焼き尽くした。
「俺に、この村の防衛の、全権をください。リオン殿たちエルフの力も借りて、民兵を再編成し、この村を、どんな脅威からも守り抜く、鉄壁の要塞へと変えてみせます。アークが創ってくれたこの陽だまりを、今度は、俺たちが、俺たちの手で、守り抜くんです!」
その瞳に宿る、揺るぎない覚悟。
それは、偉大すぎる弟への劣等感を乗り越え、兄として、そして、次期領主として、自らの成すべき『理』を、完全に見出した者の光だった。
父は、その、あまりにも逞しく成長した息子の姿に、静かに、そして、深く、頷いた。
数日後。
アルフォンスは、自らが隊長となり、村の若者たちとエルフ兵で再編成された、新たな混成部隊――『陽だまりの守り手』の、最初の部隊訓練を行っていた。人間とエルフが、互いの戦術を学び、共に汗を流す。そこには、種族を超えた、新しい絆が確かに生まれていた。
その、熱気に満ちた訓練場の空気を、突如として、甲高い警報音が引き裂いた。
村の境界に、エルフたちが張り巡らせていた、魔法結界が、侵入者の接近を告げ、激しく明滅している。
遠見台に立つエルフの斥候が、その神業的な視力で、遥か彼方の脅威を捉え、魂を震わせる声で、絶叫した。
「――敵影! 北東の街道より、多数! その数、百を超えます!」
「……あの旗印は……白地に、金色の天秤! 精霊教会、中央派遣の、神殿騎士団です! 先頭に立つのは……純白の鎧をまとった、一人の騎士……! まるで、伝説の熾天使のような……!」
アーク不在の中。
あまりにも早く、あまりにも強大な、白き脅威が、ついに、その牙を剥いた。
報告を聞いたアルフォンスは、ゴクリと、乾いた喉を鳴らす。一瞬、弟が眠る屋敷を振り返ったが、すぐに視線を前に戻した。
その瞳には、もはや恐怖も迷いもない。ただ、この村を、弟が創った世界を、命を賭して守り抜くという、守護者の揺るぎない覚悟だけが、蒼い炎のように燃え盛っていた。
彼は、抜き放った剣を天に掲げ、その、隊長としての最初の号令を、村中に響き渡らせた。
「――総員、第一戦闘配置! 『陽だまり』へようこそ、クソったれども!」
***
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領主の館、その一番陽当たりの良い一室。雪のように真っ白な髪を持つアークは、穏やかな寝息を立てていた。その胸の上では、以前よりも一回り大きく、神々しいオーラを放つ相棒ウルが、主の心音に耳を澄ますように丸くなっている。彼は、決して主の傍を離れようとはしなかった。ただ、主が再びその目を開く日を待つ、聖なる番人として。
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全てが、順調だった。
全てが、幸福に満ちていた。
だからこそ、アルフォンス・ライナスは、焦燥に胸を焼かれていた。
「――アル兄ちゃん、すげぇ!」
「今の剣、風が見えたよ!」
村の訓練場で、アルフォンスが汗みずくになって木剣を振るうたび、それを取り囲む村の子供たちから、純粋な憧憬に満ちた歓声が上がる。
あの日、命がけで魔物と戦い、弟と共に村へ帰還した彼は、今や、フィンを始めとした子供たちの、絶対的な英雄だった。
(俺は、英雄なんかじゃない)
子供たちの無邪気な歓声が、彼の心を針のように刺した。
その声援が大きければ大きいほど、胸の奥底に巣食う、どうしようもない無力感が、より色濃く、彼の心を蝕んでいく。
(あの日、俺はただアークの背中に守られていただけだ。今もそうだ。弟が命を削って創り出したこの陽だまりの中で、その温もりに甘え、ただ木剣を振ることしかできない……! この剣は、一体、誰のためにあるんだ!)
込み上げる無力感と焦燥を振り払うように、彼は、さらに激しく、ただひたすらに木剣を振るった。
「……その剣筋では、弟君は守れんぞ、若君」
静かだが、射抜くような声が、背後からかけられた。
いつの間にか、彼の背後に、一人のエルフが立っていた。しなやかな体躯に、月光を編んだかのような銀色の髪。その瞳には、千年の時を生きる者だけが持つ、深い叡智と、森の静寂が宿っている。目覚めたエルフの中で、最も優れた弓の射手にして、戦術家でもある、弓兵長リオンだった。
「リオン殿……!」
「お前の剣には、力がある。だが、魂に迷いがある。その迷いが、いざという時、お前の刃を、コンマ一秒、鈍らせるだろう。その一瞬の鈍りが、守るべき者の命を奪うことになる」
リオンの言葉は、アルフォンスが目を背けていた真実を、容赦なく抉った。
「……どうすれば、俺は、強くなれる。アークを……この村を守れるだけの、本当の力を手に入れられるんだ」
「答えは、お前自身の中にしかない。お前が、その剣で、何を成したいのか。誰を、守りたいのか。その『理』を、魂に刻み込め。さすれば、剣は、自ずと応えるだろう」
その日の午後。
領主の書斎には、父とローラン、そして、目覚めたばかりの、白髪のエルフの長老が、向かい合っていた。
長老は、アークが眠る部屋の方角に向かって、深く、深く、頭を下げた。
「ライナス卿。我らエルフ一同、森の救い主、アーク様が、再びその瞳を開かれる、その日まで。この聖地を、あらゆる脅威から守り抜く、揺るぎなき『盾』となることを、古の月に誓いましょう」
それは、数千年の時を超えた、森の民からの、絶対的な忠誠の誓いだった。
その夜、ザターラにいるディアナから、『契約の木』を通じて、父の元へ、緊急の報告が届けられた。
書斎に集った一同の前に、ディアナの、いつもより数段、冷たい声が響く。
『――王都の『奇跡の聖庭園』崩壊事件は、教会によって、公式には「原因不明の魔力暴走」として処理されました。ですが、水面下では、教会内の過激派が「異端者による神への冒涜である」として勢力を増し、ついに本枢機卿会議を動かした模様です。……そして、最も懸念すべき情報が一つ。教会は、表向きは「聖地の調査」を名目に、実際にはその武力制圧と完全支配を目的とした、若き天才聖騎士を長とする、大規模な騎士団の派遣を決定した模様。その聖騎士の名は、『熾天使(セラフィム)』ミカエラ。純粋な信仰心故に、一切の妥協も慈悲も持たぬ、教会最強の『剣』との噂ですわ』
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その、あまりにも不穏な報告を聞いていたアルフォンスは、静かに、しかし、力強く、父の前に進み出た。
彼の瞳には、もはや、一片の迷いの色もなかった。
「父さん。もう、待っているだけではダメです」
リオンの言葉が、ディアナの凶報が、彼の魂の中で燃え盛っていた最後の迷いを、完全に焼き尽くした。
「俺に、この村の防衛の、全権をください。リオン殿たちエルフの力も借りて、民兵を再編成し、この村を、どんな脅威からも守り抜く、鉄壁の要塞へと変えてみせます。アークが創ってくれたこの陽だまりを、今度は、俺たちが、俺たちの手で、守り抜くんです!」
その瞳に宿る、揺るぎない覚悟。
それは、偉大すぎる弟への劣等感を乗り越え、兄として、そして、次期領主として、自らの成すべき『理』を、完全に見出した者の光だった。
父は、その、あまりにも逞しく成長した息子の姿に、静かに、そして、深く、頷いた。
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その、熱気に満ちた訓練場の空気を、突如として、甲高い警報音が引き裂いた。
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