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第118話:風の譚詩曲と、旅立つ使徒たち
しおりを挟む#### 魂の調律
陽だまりの街は、新たなる創造の熱気に満ちていた。
その中心は、エルフたちが暮らす、月光樹の若木が穏やかな光を放つ一角。そこに、アークと、エルフの長老、そして弓兵長リオンが集まっていた。
「――歌、ですと?」
リオンは、アークの突飛な提案に、その千年の時を生きる眉をひそめた。「我らエルフの歌は、森の悠久の理を、星々の巡りを、数百年の時をかけて紡ぐもの。人の子の、短い一生で口ずさめるような、単純なものではありませぬ」
「ええ、わかっています」アークは、穏やかに頷いた。「だからこそ、教えてほしいんです。子供が、一度聞けば覚えてしまうほど単純で、それでいて、魂を震わせるほど力強い、全く新しい歌の『理』を」
それは、芸術における、あまりにも異質な文化の衝突だった。
だが、アークが求めたのは、ただの作曲ではなかった。
彼は、工房から『陽だまりの騎士の譚詩曲』の、最初の印刷紙を一枚持ってくると、それを、エルフの長老の前に広げた。
「長老。この物語に宿る『魂』を、感じてください」
アークは、その紙に、そっと手をかざした。
「**『記憶の朗詠(メモリー・リサイタル)』**」
次の瞬間、紙に描かれた挿絵が、淡い光を放って動き出し、文字が、語り部の声となって、聖域に響き渡った。
それは、ただの朗読ではない。兄アルフォンスが、絶望的な戦場で感じた恐怖、仲間を守るという揺るぎない覚悟、そして、勝利の瞬間の歓喜。その、生々しいまでの**感情そのもの**が、光と音となって、エルフたちの魂に、直接流れ込んでいったのだ。
「……なんと……」
長老の、古木の如き顔に、深い感銘の色が浮かぶ。千年の時を生き、森羅万象の理を知り尽くしたはずの彼の魂が、人の子の、あまりにも儚く、あまりにも気高い、生の輝きの前に、赤子のように打ち震えていた。
「これは、物語ではない。人の子の、魂の軌跡そのもの。……リオンよ。聞こえるか。この、若き英雄の魂が奏でる、不屈の音楽が」
リオンは、静かに目を閉じた。そして、音もなく、その手に、愛用の竪琴を構える。
彼の指が、弦を弾く。
最初は、戸惑うような、単調な音色。だが、アークが物語の感情を奏で続けるうちに、リオンの旋律は、次第に、その魂の軌跡と、完璧に共鳴していく。
恐怖には、寄り添うような優しい和音を。覚悟には、力強い、行進曲のようなリズムを。そして、勝利の歓喜には、全ての生命が祝福するかのような、高らかな旋律を。
アークの『記憶』と、リオンの『音楽』。二つの魂が、一つの完璧な芸術へと昇華されていく。
数時間後。
そこには、一つの、奇跡の歌が生まれていた。
メロディは、驚くほど単純で、誰もが口ずさめる。だが、その音色の一つ一つに、アークの木魔法によって、**英雄の『魂』そのもの**が、魔法のインクのように、深く、深く、染み込んでいた。
その歌が、初めて、街の広場で披露された時、聴いていた全ての人々の胸に、温かい、不思議な勇気が灯った。まるで、自らが、あの英雄と共に、戦場に立っているかのような、錯覚。
歌は、もはやただの歌ではない。人の心を、内側から奮い立たせる、魔法そのものだった。
#### 生きた物語の旅立ち
その、数日後の朝。
陽だまりの街の門前は、静かな、しかし、熱い決意に満ちた、旅立ちの空気に包まれていた。
三人の『使徒』が、それぞれの道を、歩み始めようとしていた。
若き学長フィンは、アカデミーの生徒たちに見送られ、西を目指す。
「フィン先生! 必ず、帰ってきてくださいね!」
「ああ、任せろ! 俺は、この陽だまりの物語を、西の国の子供たちに届けてくる。そして、彼らの物語を、この街に持ち帰ってくる。物語は、交換することで、もっと、もっと豊かになるんだ!」
彼は、もはや泣き虫の少年ではない。新たなる時代の、知の交流を担う、若き賢者の顔をしていた。
南を目指すのは、若き獅子カエラン。彼の背後には、故郷の未来を担う、逞しく成長した弟子たちが続く。
「カエラン様、お気をつけて」
「うむ。我らは、ただ技術を持ち帰るのではない。この陽だまりの『心』そのものを、持ち帰るのだ。そして、南の大地に、我らの手で、我らの陽だまりを創り上げてみせる!」
そして、王都へと続く、最も危険な道を、ただ一人、静かに歩み始めようとする、老賢者ローラン。
「……ローラン殿。本当に、一人で大丈夫なのですか」
アルフォンスの、心配そうな声に、ローランは、悪戯っぽく笑った。
「はっはっは。ご心配なく。老いぼれの、ただの物好きな旅鴉。教会の番犬どもも、まさか、このわしが『生きた物語』そのものであるとは、気づきますまい。それに……」
彼は、少しだけ声を潜めた。
「最も光が強い場所には、最も深い影が落ちるもの。枢卿様の足元で、何が起きているのか。この目で、確かめてくるのも、また一興ですな」
その目は、もはやただの賢者ではない。敵の心臓部で、静かに牙を研ぐ、老獪な獅子の目だった。
三人の使徒たちが、それぞれの決意を胸に、旅立っていく。
アークは、その三つの、あまりにも気高い後ろ姿を、静かに見送っていた。(行け、僕の最高の友人たち。君たち一人ひとりが、この世界に蒔かれる、新しい時代の、最初の種だ)
彼らは、剣も、鎧も持たない。ただ、その身一つ、その魂一つを武器として、世界に、物語の種を蒔くための、壮大なる旅へ。
#### 共犯者の暗躍と、黒き聖域の胎動
その、同じ頃。
ザターラの闇では、ディアナの影たちが、静かに、しかし、確実に動き出していた。
『移動式ミニ印刷機』の設計図は、ワイン樽の底に、あるいは、香辛料の袋の中に巧妙に隠され、銀月商会の、秘密の交易路を使い、大陸中の、信頼できる協力者たちの元へと、次々と届けられていく。
ディアナは、大陸地図の上に、新たな駒を置いていくのを、楽しんでいた。
「教会は本を燃やす。アーク様は歌を歌う。そして、わたくしは……反逆の火種を、大陸中に配って歩く。ふふ、なんと心躍る、三すくみですこと」
だが、その、光の波紋が広がる世界の裏側で。
王都、大聖堂の、最も深く、最も暗い祈りの間で。
枢機卿ベネディクトゥスは、静かに、瞑目していた。
彼の元に、異端審問官からの報告が、淡々と届けられる。
「――各地での焚書、滞りなく。ですが、枢機卿様。民衆の間で、奇妙な『歌』が、流行り始めております。『陽だまりの騎士』を讃える、反逆の歌が……」
その報告に、ベネディクトゥスは、一切の表情を変えなかった。
彼は、ゆっくりと、その古木の如き手で、目の前の、禍々しい紋様が刻まれた、一つの黒曜石の箱を、そっと撫でた。
「……民とは、愚かなものよ。甘い歌には、すぐに心を奪われる。ならば、与えてやろう。歌など、一瞬で忘れ去るほどの、絶対的な『恐怖』の物語を」
彼は、立ち上がると、その箱を、恭しく両手で掲げた。
「時は、満ちた。偽りの英雄譚の時代を終わらせ、真なる神の『奇跡』を、世界に示す時が」
彼は、静かに、しかし、世界そのものを震わせるほどの、確信を込めて、告げた。
「――目覚めよ。我が『聖遺物』。**『嘆きの人形(ドール・オブ・ソロウ)』**よ」
箱の中から、黒い瘴気と共に、幼い子供の、か細い、か細い、すすり泣くような声が、静寂の聖域に、響き渡った。
その声は、ただ耳で聞く音ではない。聞く者の魂の、最も柔らかな部分を、冷たい指で直接撫でるかのように、心の奥底へと染み渡っていく。それは、ただの悲しみではない。世界そのものへの、終わらない呪詛と、絶望そのものが、音の形をとっていた。
***
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