元最強呪術師、転生したらダンジョン全階層制覇してしまった件

Y.

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第12話:理(ロゴス)の食い潰し、あるいは禁忌の再構築

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 第28階層の隅、幾何学的な結晶世界に穿たれた「傷跡」のような場所。

 埃の積もった旧書庫の空気は、外の冷徹な世界とは対照的に、古びた紙と微かな魔力の残り香で満たされていた。

「……主、右腕の神経接続、および魔力回路の暫定的修復を完了。ですが、出力は依然として平常時の四割に留まります」

 銀色の装甲の至る所を焼き切られたグリムが、火花を散らしながら報告する。リィネは、カイの傍らに跪き、必死に癒やしの呪術を施していた。

「カイ様……お願い、無茶はしないでください。あの人の『理』は、私たちの知る力とはあまりに違いすぎます」

 カイは答えなかった。

 彼は、書庫の中央に鎮座する、半ば崩れかけた石碑を凝視していた。

 そこには、かつて前世の摩天が切り捨てた「魔術」を、彼の弟子たちが師に代わって研鑽し、遺した禁忌の記録があった。

(私は、世界を半分しか見ていなかったのか――)

 カイは自嘲気味に口角を上げた。

 前世、彼は最強への最短距離を求めた。感情を糧とし、因果を歪める「呪術」こそが、静的な法則を積み上げるだけの「魔術」を凌駕すると信じた。確かにそれは正しかった。だが、管理局が磨き上げたソロモンという「理」は、その不確かさそのものを「エラー」として処理する、呪術の天敵であった。

「理(ロゴス)の食い潰し……」

 石碑に刻まれた文字が、カイの黄金の瞳に映る。

 それは、術式を壊すのではなく、呪力という「不純物」を魔術の「論理(ルール)」の中に滑り込ませ、内側からすべてを飲み込むという、極めて邪悪で緻密な再構築の理論だった。

「リィネ、グリム。下がっていろ。……少し、自分の中の『ゴミ』と向き合ってくる」

 カイは目を閉じ、深い瞑想に入った。

 カイの内面世界。

 そこは、漆黒の海と、天を覆う無数の金色の数式が交差する、静寂の極致だった。

 目の前に、取り戻した「左腕」が浮かんでいる。

『……求メルカ。理ヲ、飲み込ムチカラヲ』

 左腕に残された摩天の残留思念が、直接脳内に響く。

「ああ。ソロモンは私が捨てた『善性』や『秩序』の欠片から作られた木偶だ。奴が完璧な算式を解くというなら、私はその問いそのものを汚し、私の色に染める必要がある」

 カイは躊躇なく、左腕の呪印を自らの右腕に、そして全身へと伝播させた。

「ガ、アアアアアッ!!」

 精神世界の中で、カイの絶叫が轟く。

 それは、肉体という「器」を無理やり書き換える激痛だった。呪力をただ放つのではなく、魔術の「算式」を受け入れるための回路を、呪力で無理やり神経に彫り込んでいく。

 秩序を混沌に、混沌を秩序に。

 相容れぬ二つの極を、カイは力ずくで自身の魂の中に統合していく。

「壊すのではない。……飲み込み、我が一部とするのだ!」

 その時、隠し書庫の入り口が、眼を焼くような純白の光によって分解され始めた。

「見つけたよ、不合理な変数たち」

 ソロモンの声が、回廊全体に響き渡る。

 彼は玉座に座ったまま、その意志だけで階層全体の「再定義(フォーマット)」を開始していた。

 書庫の壁が、天井が、床が。すべてが金色の数式に変換され、ソロモンの「絶対算式」に従って消去されていく。

「カイ様! 空間が……消えていきます!」

 リィネが叫び、黒い茨を放つが、その茨も空中で数字の羅列に変わり、霧散した。

「無駄だよ。この階層のすべては私の計算下にある。君たちの存在も、この古い記憶も、すべては『解』を導くためのノイズだ。消去(デリート)する」

 ソロモンの眼鏡が冷たく光り、巨大な消去プログラムが書庫の心臓部へと迫る。

 その崩壊する空間の中から、一人の男がゆっくりと立ち上がった。

 黒いオーラを纏いながらも、その輪郭は驚くほど鋭利で、静謐。

 カイの左腕は、もはや禍々しい闇を垂れ流してはいなかった。それは光さえも内側に閉じ込めたような、深淵の「虚無の黒」へと変質していた。

「……ホーゥ? 出力が安定したか。だが、数式を伴わない力に意味はない」

 ソロモンが指を弾く。

「定理:存在の否定。空間座標28-Xにおける全質量の抹消」

 ソロモンの放った最強の消去算式が、カイの胸元に突き刺さる。

 しかし、起きたのは消去ではなかった。

 カイが突き出した指先に、ソロモンの放った金色の数式が触れた瞬間――その数式が、ドロリとした黒い色に染まった。

「――呪術・魔術融合術式:『理食(ロゴス・イーター)』」

 カイの低い声と共に、ソロモンの展開した計算式が「逆流」を始めた。

 カイはソロモンの放った攻撃を「食べて」いた。魔術の論理を自身の呪力で汚染し、そのエネルギーを自らの糧として再構築し、右腕から黒い雷光として放出したのだ。

「な……ッ!? 私の計算式が……エラーを吐いている!? バカな、論理が……汚染されているだと!?」

 ソロモンが初めて、玉座から立ち上がった。

 彼の周囲に浮かぶ完璧な数式たちが、黒い染みが広がったように歪み、意味をなさない文字列へと崩れていく。

「ソロモン。お前は正しい『解』を求めた。だが、私はその『問い』そのものを呪うことにした」

 カイが一歩踏み出す。

 彼が歩くたび、消去されかけていた書庫の空間が、黒い光を伴って再構築されていく。それはソロモンの理ではなく、カイが支配する「新たな法則」だった。

「世界という計算式に、私が『毒』を混ぜてやった。お前の解く算数は、もう一歩先へは進めない」

 カイの全身から、魔術の緻密さと呪術の凶悪さが融合した、見たこともないほど濃密な圧力が放たれた。

「……主、主の魔力波形に新系統を確認。……これこそが、かつての摩天様すら到達し得なかった、真の全能への第一歩」

 グリムのセンサーが、歓喜するように激しく明滅する。

「……カイ様……」

 リィネは、目の前の背中に神々しささえ感じていた。それは光でも闇でもない。すべてを統べる「理の王」の姿だった。

「……不快だ。実に不快なノイズだ」

 ソロモンが眼鏡を歪ませ、顔を怒りに染める。論理を至上とする彼にとって、計算できない存在の出現は、魂の否定に等しかった。

「いいだろう。ならば、計算など不要なほどの圧倒的な質量で、その歪みを押し潰してあげよう」

 ソロモンの背後に、第28階層すべてのリソースを注ぎ込んだ、巨大な「終焉の魔導陣」が展開される。

「算数は終わりだ、ソロモン。ここからは……私がお前に、『毒物混じりの魔術』の本当の怖さを教えてやる」

 カイは右腕を突き出し、不敵に笑った。

 敗北を糧とし、自らの限界を超えた元最強呪術師。

 自分自身との決戦は、いよいよ互いの存在を賭けた、最終計算(ラスト・シークエンス)へと突入する。
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