上 下
6 / 18

都の天女

しおりを挟む
 太郎太と善吉は、息を切らしながらへいこらと山道をのぼっている。
 地元民が、その名も兵馬山ひょうまやまとよんでいる山だ。
 旅の疲れのせいで二人の外見はすっかり薄汚れてしまい、いまや乞食同然のありさまである。
 ようやく山頂に到着し、
「おおっ……!」
 太郎太は、眼下に広がる壮大な城下町の景色に目を見張る。
「さすが兵馬ひょうまは都じゃ。町屋があんなにひしめいて…!」

 町屋とは、町人が暮らす板葺いたぶき屋根の住居兼店舗のことである。
 それらが集合している町人地のほかにも、武家屋敷が立ちならぶ侍町さむらいまち、荘厳な造りの寺院が集まる寺町てらまち、商業の中心地区である市場などが確認できる。いずれもきれいに区画整理されており、高度な都市計画がおこなわれていることがわかる。城下町全体を囲むような塀などはなく、軍事都市というより、開かれた経済都市という印象だ。

「やっと着いたか……」
 善吉はぐったりと安堵のため息をつく。
「ここがわしらの栄光の地じゃ!」
 太郎太は両腕を天に突きあげ、気の早すぎる勝利宣言をする。
 善吉は、川を挟んで城下町の先にそびえる平山城に目をむける。
 丘陵地に築かれ、ものものしい惣構そうこうで守られた大城郭だいじょうかくだ。距離があるのでわかりづらいが、手前に見える侍町を丸ごと飲み込んでしまうほどの大きさだ。もっとも高い場所に設けられた本丸には、三重の天守がシンボリックに輝いている。
「あれが兵馬城……!」
 善吉は息を飲む。
 そして、
(あれにくらべたら甲賀の城なんて、小山にやぐらが生えてるだけの代物だ)
 と絶望してしまう。
 さらに、
(田舎者の自分みたいな者が、あんな立派な町や城に近づいていいんだろうか?)
 などと自虐的な気分になる。
 そういう細かい神経のない太郎太は、
「まずは腹ごしらえと休息じゃ! 旅の疲れを癒して英気を養わんとな」
 と元気いっぱいである。
 二人は、城下町にむかって山道をくだっていく。
 そんなかれらの様子を、林の中でキノコ採りをしている海老のように腰の曲がった老夫が、秘かに横目で注視している。二人の姿が見えなくなると、懐から矢立やたて(携帯用の筆と墨のセット)と紙を取り出し、文字をつづっていく。
 〝巳の刻 若輩二人城下に入る 阿呆の如し 警めの要なし〟

 
 ワイワイ、ガヤガヤ──
 物売りと客との景気のいいやりとりや、行き交う人たちの陽気な世間話。
 城下の市場の通りは、人々でにぎわっている。
 さすが、今もっとも波にノッている国の都という感じだ。
 そんな通りの脇で、太郎太と善吉は腑抜ふぬけのようにへたりこんでいた。
 二人とも、空腹でグーグーとうるさいほどに腹を鳴らしている。
「…腹がへった。もう一歩も歩けん」
 太郎太は、腰の巾着袋を逆さにして上下に振る。
「無一文なのを忘れておったな…」
 落ちてくるのは綿ぼこりくらいだ。唯一金目のものだった忍者刀も、とっくに具足屋に売り飛ばして飯代に消えていた。
「おぬしが茶店で贅沢しすぎたせいだろう。だからあれほど──」
「まんじゅう~! まんじゅう~!」
 天秤棒をかついだ饅頭まんじゅうの行商人が、目の前を通りすぎる。
 ゴクリ……!
 生つばを飲んで、それを目で追う太郎太。
「背に腹は代えられん。あのまんじゅう、〝土遁どとんの術〟でかすめ盗ろう!」
「バカ! 地獄逝じごくゆきになるぞ!」

 忍びの術と盗人ぬすっとの手口というものはかなり近いもので、かつては〈忍び〉の文字に〝盗み〟を意味する〈竊盗〉という字を当てていたくらいだ。事実、失業した忍びが大泥棒化した例はいくつもある。
 そのため里の老忍びたちは、忍び全体の信用をなくさぬために、「盗人に堕ちた忍びは、八大地獄のうちの一つ〈黒縄地獄こくじょうじごく〉に必ず落ちる」とくりかえし、おのれの子弟たちを脅さねばならなかった。
 ただし太郎太は、そんな説教話のときはたいてい居眠りしていたが…。

「嫌ならわし一人でやる! 〝四足のならいの術〟でな」
 太郎太は四つん這いになり、行商人に喰いかからんばかりに獣のように後ろ足を上げてかまえる。
 ちなみに〝四足のならいの術〟は実在の忍術で、動物の習性を参考にするという極意である。とはいえ、四つん這いで人を襲う術などあろうはずはない。太郎太は空腹のあまり、気がおかしくなっているのだ。
「ガルルルッ!」
 しまいには唸り声まであげはじめる。
「太郎太、やめろ! 往来だぞ!」
 善吉は太郎太の太い胴にしがみついて、懸命に止めようとする。
「あの、もし…」
「え?」
 みっともなくもみあっている二人の姿を、すぐそばで誰かがジッと見つめている。
 落ち着いたたたずまいだが、まだ顔立ちに幼さを残しており、年の頃は一五、六だろうか。目を見張るような清楚な美少女だ。まだ紅などはさしておらず自然な感じだが、顔から首にかけてすぐには気づかないていどにうっすらと白粉おしろいを塗ってある。
 腰までの長さの垂髪すべらかしを首の後ろあたりで元結いで束ねているので庶民階級のようだが、美麗な辻が花の朱色の小袖を着ているところから、富裕な上流町人のお嬢様であるらしいことがうかがえる。
「………」
 善吉は少女の美しさに見惚みほれている。
「おなかがお空きではございませんか?」
 少女が、小脇に抱えている大きめの弁当籠のフタを開ける。中にはにぎり飯がたくさん詰まっている。
「よろしければこちらをどうぞ」
「!」
 とたんに太郎太は正気にもどり、ガツガツと一心不乱に食らいはじめる。
「ど、どうも」
 善吉ははじめこそ遠慮していたものの、一口食べたとたんに我慢できなくなり、夢中でがっつきはじめる。
 その姿を、少女は微笑ましく見守っている。
 善吉は数個ほど平らげたところで満足するが、太郎太は籠のにぎり飯をすべて食いつくしかねない勢いだ。
「おい、もう食うな」
 善吉にたしなめられて、なんとか太郎太も落ち着きを取りもどして手と口を止める。
 二人は立ち上がって、
「すまんですなあ。すっかり御馳走になっちまって」
「ど、どなたか存じませんが、ありがとうございます」
 あまりにまばゆくて、善吉は目の前にある少女の顔をまともに見られず目を伏せ、どぎまぎしてしまう。
「いえいえ、困ったときはお互い様でございますから。それより今宵の宿はお困りではございませんか?」
 太郎太と善吉は、そういわれてもすぐにはピンとこず、お互いに顔を見合わせる。
 というのも、甲賀を出奔しゅっぽんして以来ずっと野宿続きだったせいで、宿などという贅沢なものは考えの端にもなくなっていたのだ。
「実はわしらは無一文で…」
「いえ、お代などはけっして」
「しかし見ず知らずの方にそこまでしてもらっては……」
 遠慮する善吉のことを、太郎太が余計なことを言うなとキッと目くばせする。
「申し遅れました。わたくしはこの町の商家の娘で、手鞠てまりと申します。どうか御遠慮なさらないでください。ほんとうに雨露をしのぐだけの粗末な場所ですので」



 *    *    *



 手鞠に案内されてやってきたのは、どうやら小さな廃寺はいでららしかった。
 城下のはずれにあり、あたりは民家もなく草藪ばかりで寂しい雰囲気。
「ここでございます。粗末ですが…」
 太郎太と善吉は、開けっぱなしになっている門をくぐる。
 崩れかけた手水舎ちょうずやに鐘突き堂。倒れて苔の生えた灯籠とうろう。境内はすっかりさびれてしまっている。だが雑草などは伸びておらず、荒れ果てているというわけではない。幽玄ゆうげんな雰囲気さえ漂っている。とくに本堂などは、屋根瓦までまだしっかりと残っている。
「屋根のある寝床はひさしぶりだな」
 善吉の口元は自然とほころぶ。
 バタン、と本堂の扉が開き、中から乞食のような汚い風体の男たちがぞろぞろと七人ほども出てくる。
「高貴な友達もおるようじゃし…」
 太郎太は露骨に嫌そうな顔をする。
「おう、手鞠殿。おいでじゃったか」
「今日もべっぴんじゃのう」
 男たちは、わいわいと手鞠の周囲に寄り集まってくる。彼女のことをアイドルのように慕っているようだ。
「みなさん、息災そうでございますね」
 手鞠は、弁当籠の中のにぎり飯を一人一人に手わたしていく。
「いつもすまんのう」
 ありがたそうに手鞠を拝む者までいる。
 つるっぱげの痩せた男は、太郎太と善吉の姿を目にして、
「お若いの、町では見ぬ顔じゃな?」
大戦おおいくさで故郷を追われ、身一つで流れ流れてこの地にいたったばかりでな」
「それは苦労しなすったなあ」
 太郎太は例によって、口から出まかせのホラで納得させる。
 善吉は……さっきからずっとそうなのだが、美しい手鞠の姿から目が離せない。
「あの……あの方はどうしてみなに馳走を?」
「〈福屋〉っちゅう、呉服の大店の娘さんじゃが、ほんに憐れみ深いことよ」
 と鼠顔の小柄な男が感嘆する。
「わしらだけじゃねえ。この町の貧乏人すべてにああして施しをしてくださる」
 と猿顔の大柄な男が感慨深そうにつづける。
 この廃寺は、手鞠が領主の許可をもらって浮浪者むけの住居として提供しているボランティア施設だったのだ。
「まるで天女か観音様よのう…!」
 これは廃寺の男たち全員の意見だ。
 善吉も賛同し、うっとりとうなずく。
 そして、
(甲賀の里の女子どもとはえらいちがいだな)
 としみじみ思う。
 さらに、
(はねっ返りで田臭くさくて身持ちが悪い。とにかく粗雑で、心の生地の編み目が粗いんだ)
 と恨みすら込めてクソミソにけなす。
「たしかに美人だが、腰のふくよかさが少し足りんな」
 と太郎太。
「女は上品すぎてもいかん。なんというかもっとこう、あだっぽい感じで」
 などと上から目線で批評しながら、弁当籠の中に一個だけ残っているにぎり飯に手をのばし、ガツガツと食らう。
 善吉は呆れて、
「おぬしはさっきも食っただろ」
「人数は数えた。この一個は余りなんじゃ」
 太郎太は例によって根拠のない自信を顔に浮かべて、
「なあに、かような汚い場所ですごすのは今宵だけよ。明日の今頃は、城の中でもっといいものを食っとるはずじゃからな」
しおりを挟む

処理中です...