忍びの星 ~落ちこぼれ甲賀忍者の無謀な挑戦~

武智城太郎

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尼中弾正

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 兵馬山のふもとには、森が広がっている。
 地元民たちからは、そのまんまわかりやすく〈ふもともり〉と呼ばれて親しまれていた。
 その日のひつじの刻(午後二時)頃にも、一人の背負せお梯子ばしご姿の男が、森の中でまきを拾ってまわっていた。
 男は、城下で暮らす焼き物師の茂平もへいという者だ。
 かまの火入れに薪が多く必要なため、すでに半日も歩きまわっている。
「ふう…」
 めっきり涼しくなってきたとはいえ、さすがに汗ばんでくる。
 背負い梯子をおろし、首に巻いていた手ぬぐいで額の汗をぬぐう。
 そのとき──
 どこからか、ガサガサと草の揺れる音が聞こえてくる。
「?」
 茂平は音がしたほうに顔をむける。

 ガサリ、ガサ……

 草藪の中で何かが動いている。
 獣の気配だ。
 茂平は足元にあった石ころを拾い、草藪めがけて放り投げる。
 そのとたん、
「グァーッッ!」
 と凄まじい咆哮ほうこうをあげて、巨大な熊が出現する。
 二本足で立ち、両腕を広げて獰猛に威嚇してくる。
 不思議なことに、甲賀の里に出没した鬼熊おにぐまと瓜二つだ。胸元の、お地蔵様の前掛けのような白い模様まで酷似している。
「バ、バケモノ熊じゃーっ!」
 茂平は集めた薪もそのままに、一目散に逃げ出す。

 *    *    *

 兵馬城は丘陵地に築かれた城だが、広大な敷地面積を誇る曲輪くるわは、五の丸にいたるまで見事に平らな地面に仕上げられている。
 本丸には、三重の屋根を持つ天守のほか、城主とその家族が生活する御殿や小姓などの側近の家臣の家屋がある。それに馬好きである城主の趣味で、うまやもこの本丸に設けてあった。
 それでも建物が占める割合は四割ほどであり、それ以外の場所は広々とした庭になっている。しかし、この城の主に池や枯山水を作るような公家趣味はなく、もっぱら武芸の稽古場として使われている。
 その城主というのは、いわずと知れた尼中弾正あまなかだんじょうである。
 その弾正だんじょうは今、庭の弓場で弓を引き絞って狙いを定めていた。
 精悍な顔つき。
 片肌脱ぎで、厚みのあるたくましい胸板をあらわにしている。
 ヒュッ、
 と矢を放つと、
 ターン!
 と的のド真ん中に命中する。
「お見事!」
 平岩右近ひらいわうこんが、そばに立って見守っている。
 弾正は、〈麓の森〉のほうに目をむけ、
「森に八尺もあろうかという大熊が現れたそうだな。ぜひともわが手で仕とめてみたいものじゃ!」
「町衆の他愛ない噂にすぎませぬ」
がその真偽のほどを確かめてやる!」
 血の気多く胸を高鳴らせる。
 よわい三四となり、戦上手で名君とうたわれながらも、生まれながらの気性のせいか、弾正はいまだに無鉄砲な若者のようなところがあった。
「さような遊興ゆうきょうのために、城を出ることはまかりなりませぬ」
 右近はすげなく却下する。
 この年寄りは次席家老という尼中家の重臣であり、弾正が幼少の頃からの傅役もりやく、つまり教育係であった。こうしていさめるのが役目なわけである。
「上様は、小暮一族に命を狙われておられる身ですぞ」
 これまで幾度も繰り返してきた小言だ。
 弾正は苦々しそうに、
「ふん、姑息な連中じゃ」
「次の戦で敵の本城を落とせば、目障りな小暮一族は滅びましょう。それまでしばしの辛抱にございます」
「まだ三月みつきも先だがな……」
 心底うんざりしている。
「小暮一族にしてみれば、わずか三月にございます。あやつらも国を死守せんと、いかなる手立てを用いても、上様を生害しょうがいせしめんといたしましょう」
「上様」
 突然発せられた声に驚き、右近はサッとふりむく。
 隻眼せきがんの不穏な容貌の男が、かたわらに音もなく片膝をついて控えている。
 上下紺色の装束。野武士か盗賊のようだ。年齢は不詳。老け顔の若者にも若づくりの老人にも見える。
蔵人くらんどか。なにか怪しい動きがあったか?」
 と弾正。
「城下に……影を感じまする」
 蔵人は、洞窟の奥から響いてくるような低い声でありながら、奇妙に聞き取りやすい声でこたえる。
「影とは刺客のことか?」
「おそらく」
根来ねごろ突波とっぱ金目きんめ。今さら刺客なぞ怖るるに足るまい」
「それが……これまでにない禍々しく大きな影……。でありながら、確かなあかしはまだ何もつかめぬ有様」
「めずらしいな。おぬしが敵を見定めあぐねるとは」
「町の守備はすでに強めてあります。何者であろうと、われら〈黒太刀組くろたちぐみ〉が必ずや捕えてみせましょう」
 その名の通り、蔵人はその腰に真っ黒な鞘の太刀を差している。
「ふむ、頼んだぞ」
「それでは」
 蔵人は立ち上がって、後ろ歩きでササッと建物の影に入る。
 それきり、姿が見えなくなる。
「……?」
 不審に思った右近が、影の中に入って辺りを見回す。どこにも蔵人の姿はない。
 まるで影に溶け込んでしまったかのようだ。
「不気味な奴……」
 不快そうに眉根をひそめる。昔ながらの古武士である右近は、魑魅魍魎を思わせる忍びを蛇蝎だかつのごとく嫌っている。
 弾正は、その様子を見て愉快そうに笑んでいた。
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