11 / 11
決着
しおりを挟む
本能寺、常の間。
寝所から広縁に出てきた信長は、塀の外の光景を目にする。
桔梗紋の軍旗にびっしりと取り囲まれている。
信長は脱出できないことをすぐに悟り、険しい顔つき。
「ぬう、光秀め。よもや京市中に軍勢を繰り出してこようとは。見事にわしの隙を突きおったな……!」
「上様、いかがいたしましょう」
と乱丸。
「是非に及ばず。番衆らを主殿の前に集めい! しばし相手してやる!」
表門前の通りでは、明智勢の鉄砲隊が水堀を越えて土塀の上にのぼり、さかんに発砲を繰り返している。空気は騒然とし、城攻めの合戦と呼んでさしつかえない。
そこに即席造りの陣所が設けてある。
光秀は床机には腰掛けず、立ったまま必死の形相で指揮をとっている。
「囲みを崩すな! 蟻一匹逃してはならん!」
「今日より光秀様が天下の主じゃ! 皆の者、勇み悦んで働け!」
そばにいる秀満は、すべての明智兵にむかって盛んにアピールしている。
水堀に渡された小橋を走り渡り、表門から突入していく兵士たちの姿が見える。
光秀はかれらにむかって、
「信長の首を上げよ! 褒美は望みのままじゃ!」
友伯の家の板葺き屋根。その板が一枚、内側から押し外される。そこから、友伯がぬっと出てくる。続いて五郎も姿をあらわす。
鬨の声と銃声が間断なく響いてくる。
友伯と五郎は、屋根の上で立ち、騒ぎのする方角を眺める。三百メートルほど先だ。
五千もの大軍勢に、本能寺が完全に取り囲まれている光景。
「織田の明智勢か…!」五郎はにわかには信じられない様子である。「信長の下知で備中にむかっておったはずじゃが……」
「謀反! これは信長が一の家臣明智光秀が、天下をかすめとらんとして起こした謀反にござるぞ!」
友伯は沸きあがる興奮が隠しきれない。
「明智勢は五千、信長方は百にも満たぬ小勢……」
「援軍が参じるまで、とうていもちこたえられるまい。一刻…いや半刻で落ちような。あやつめ、雑兵にでも首を獲られてしまえばよいのじゃ!」
「怨敵信長の命運、もはやここまで……」
五郎は操り人形の糸が切れたように、ストンとそのばにへたりこんでしまう。
「五郎殿!?」
「大事ない、腰が抜けただけじゃ……」
緊張の糸が切れ、すっかり以前の温和な若者の顔にもどっている。
本能寺の小橋の手前では、十人ほどの小部隊が槍を構え、臨戦態勢で待機している。
「行け!」
隊長らしき侍の殺気だった号令で、小部隊は突入を開始する。
足軽姿の明智兵が一人、少し遅れてそれに加わる。
他の兵と同様に、その明智兵も決死の覚悟で小橋を走り渡っているように見えるが、実は大柄な明智兵の背後にちゃっかりと身を隠している。
境内から表門にむかって、鉄砲がいっせいに撃ちかけられる。
次々と銃弾に倒れていく突入兵たち。
表門をくぐった直後に、盾としていた大柄な明智兵も銃弾に倒れる。
それとほぼ同時に、その明智兵は槍を捨てて横っ飛びに飛びのき、境内の植え込みの陰にすべりこむ。
だが待ち構えていた織田兵二人が、雄叫びとともに刀を抜いて斬りかかってくる。
その明智兵は、植え込みに身を伏せたままだ。
織田兵二人は、植え込みに足を踏み入れた途端、瞬時に引き倒されてしまう。
草木が激しく揺れ、二人の断末魔の悲鳴が響く。激しく暴れて抵抗しているらしいが、植え込みに隠れて何も見えない。ただ血煙りが二度ほど激しく吹きあがった。
やがて静かになる。
その明智兵は、身を低くしたまま植え込みから顔を出す。
正体は、城戸弥左衛門である。
だが以前とは別人のような、鬼面のごとき顔つきに変貌している。頬には返り血がべったりと張りついている。
弥左衛門は周囲の状況を確認する。
広い境内の左右に、家臣の宿舎として利用されている塔頭が林立している。目標である主殿はさらに奥にある。
塔頭の陰には、火縄銃を手にした織田兵が潜んでいるが、たいした数ではなさそうだ。
織田兵たちは表門より突入してくる明智兵にむかって、再びいっせいに銃弾を放つ。
銃声が鳴り止んだと同時に、弥左衛門は奥にむかって疾風のように駆けていく。
主殿前の広場。
明智勢と信長の家臣たちによる激しい戦闘が繰り広げられている。
矢と銃弾が飛び交い、そこかしこで刀や槍が火花を散らす。明智勢は鎧武者、織田方は素肌武者だ。
織田方の必死の奮戦により、いまだ主殿は守られているが、それも時間の問題だろう。南側の塀を乗り越えて、明智勢の新手は次々と現れてくるのだ。
それらにまぎれて、足軽姿の弥左衛門も広場に姿を現す。
「!」
すぐに目に飛び込んできた。
白い小袖姿の信長が、主殿の広縁で勇猛に矢を放っているのだ。
だが付き従っている乱丸に何事か諭されて、信長一人が中に姿を消してしまう。
「信長を討て! 追うんじゃ!」
激しい下知が飛び交う。だが織田方の激しい抵抗のせいで、明智兵は誰も主殿に近づくことすらできない。
弥左衛門は主殿にむかって駆け出す。
足を使って巧みに戦闘を避けていくが、あとわずかというところで、小姓の一人が刀で斬り込んでくる。
弥左衛門は袖から棒手裏剣を取り出し、放つ。
首根っこに命中し、小姓は苦悶しながら倒れる。
主殿の広縁に飛びあがり、弥左衛門は屋内に侵入する。
広場とは打って変わって、主殿の廊下は人影もなく静まり返っている。
弥左衛門は陣笠を脱ぎ捨てて腰の刀を抜き、周囲を警戒しながら奥へむかう。
突然、廊下に面した三の間の障子が勢いよく開く。
振りむく間もなく、猛烈なタックルが襲ってくる。
伴正林である。
両腕で胴体をつかまれ、猛烈な勢いのまま柱に叩きつけられる。
頭と背中を強打し、衝撃で刀を落とす。
さらにそのまま頭上まで抱えあげられ、力まかせに床に投げつけられる。
弥左衛門は苦痛でうめく。
正林は倒れている弥左衛門の顔面めがけて、踏みつけキックを連打する。
丈夫な木の床が割れるほどの破壊力だ。
弥左衛門は身をかわしたり、両腕で防御したりするも、ダメージのせいで動きは鈍い。
ついに踏みつけキックを顔面にまともに喰らってしまい、失神する。
正林は腰の脇差を抜き、弥左衛門の首級を獲ろうと身を屈める。
すでに意識が回復していた弥左衛門は、一瞬で正林の右腕に両足を絡みつかせる。
腕挫十字固である。
正林は驚きながらも反射的に右腕に力を込め、さらに脇差を捨てて両手を組み、靭帯を伸ばされないように踏ん張る。一本の腕に弥左衛門の体重がかかっているが、立ったままこらえている。
弥左衛門は正林の右腕を伸ばしきろうと、両腕に渾身の力を込める。
命がけの力くらべ。
ついに正林の両手のロックが外れ、腕挫十字固が完成する。正林の巨体がバタンと仰向けに倒れ込む。
さらに力を込め、正林の右腕を反り返らせる。間接がきしむ音。
短いうめき声をあげる正林。
弥左衛門はサッと技を外し、素早く脇差を拾って正林の首に突き刺す。
刀身を引き抜くと、血が勢いよく飛び散り、壁を真紅に染める。
正林は静かに絶命する。
弥左衛門はその様を見つめながら立ちあがり、大きく肩で呼吸する。
主殿の裏手は、広場とは打って変わってひっそりとしている。
「駄目じゃ、駄目じゃ」
太郎左衛門は、人目を忍んで足軽の胴丸を身に着けているところだ。胴丸には明智方の紋章が入っている。
「こりゃあ、わし一人落ち延びるだけで精いっぱいじゃな」
足元には、討ち取った明智兵の死体が横たわっている。
「よもや、こんな事になるとは。人の命運なぞ、わからんもんじゃ」
死体から陣笠も剥ぎ取り、被る。変装完了である。
主殿前の広場では、なおも激しい戦闘が続いている。
明智勢の数は倍増し、逆に織田方は半数以上の者が力尽きて横たわっている。
乱丸は刀を振るって複数の敵と切り結んでいる。だが体力の消耗は著しく、もはや気力だけで戦っているようだ。
「おのれ…!」
ついに敵の槍に突かれ、事切れる。
裏手から、明智兵姿の太郎左衛門が目立たぬように現れ、戦闘中の明智勢に巧みにまぎれ込む。
「おのれ卑怯な明智めが!」
残り僅かな織田兵たちが、必死覚悟で明智勢に突っ込んでくる。
太郎左衛門は、刀を抜いて敵兵の槍先をなんなく弾いてかわす。
と次の瞬間、南側の塀越しに、明智勢の鉄砲隊が一斉に発砲してくる。
その銃弾は生き残りの織田兵たちに命中し、太郎左衛門の目の前でバタバタと倒れていく。
「どこを狙っておる…!」
太郎左衛門は右手で首の横を押さえている。
やがて手指の間から大量の血が噴き出し、前のめりにくずおれ、絶命する。完璧に明智兵に妖けていながら、運のないことに流れ弾を喰らってしまったのだ。
弥左衛門は刀を手にし、警戒しながら主殿の廊下を奥へむかっていた。胴丸などの防具を脱ぎ捨て、身軽な格好になっている。
廊下の先は二手に分かれている。右手は閉ざされた障子、左手は隣りの建物とを結ぶ細い廊下に繋がっている。
弥左衛門は立ち止まり、右手の障子を開ける。
その先は、一の間になっている。
ガランとしており、人の姿はない。
部屋の中に足を踏み入れ、奥にある閉ざされた襖へとむかっていく。
そこには、豪壮な龍が描かれている。
寝所にて、信長は一人で静かにたたずみ、悟ったような面持ちで感慨に耽っている。
「!」
突然、隣りの一の間で凄まじい爆発音が鳴り響き、その爆風で襖が部屋の中に倒れ込んでくる。
信長は一の間のほうを睨みつける。
爆発のせいで、濃い白煙に包まれている。
その白煙の中、一つの人影がゆっくりと近づいてくる。
「何奴じゃ?」
白煙の中から姿を現したのは、刀を手にした弥左衛門である。
「おぬしは……!」
驚きの色を隠せない。
弥左衛門は、信長が手にしている豪奢な脇差に目をやり、
「自害なぞさせぬ」
「…やはり伊賀者は魔物であったか。冥土の土産に成敗してくれよう」
脇差しを捨て、壁にかけてある槍を手にして構える。
弥左衛門も、手にしている刀を構える。
両者、無言で対峙する。
明智勢の鉄砲隊は、北側の土塀の上にのぼって火縄銃を構えている。
目標は、主殿前の広場にいる敵の残存兵だ。
「放てぇーっ!」
足軽大将の号令で、いっせいに発砲する。
とたんに主殿の一角が、巨大な火柱を上げて大爆発する。
「なんじゃ、あれは!?」
「雷でも落ちたのか!?」
表門前にいる明智勢は誰もが仰天している。
陣所の光秀は、炎上する主殿を見つめながら、
「煙硝蔵に火がついたか……」
主殿前の広場は明智勢でごった返し、騒乱状態だ。
織田方は全滅し、死体が累々と横たわっている。
主殿全体に炎が広がり、勢いよく燃えあがっている。
寺内からあわただしく退避してきた明智兵たちが、表門の小橋を渡って通りになだれ出てくる。
「信長の首はどうした!? だれぞ獲っておらぬのかっ!?」
陣所の光秀が半狂乱で叫ぶ。声は裏返り、天下人の貫禄はまるでない。
部下からの報告を受けた秀満は、興奮気味に光秀に伝える。
「主殿はすでに炎に包まれておるとのこと。信長は生きておりますまい!」
「まことか!? まことに死んだのか!?」
「まことにございます。今より上様が天下の主にございます!」
光秀は自分の勝利が信じられず、呆然となる。
主殿の寝所は、辺り一面火の海となっている。
大爆発を起こしたのは光秀の見立て通り、寝所の隣室の地下にある煙硝蔵であった。部屋の床は抜け、寝所とを仕切る襖は跡形もなく吹き飛んでしまっている。
寝所の壁に、信長とわかる死体がもたれかかるようにして横たわっている。全身を、激しく燃え盛る炎に包まれて。
床に横たわっている弥左衛門の右手には刀が握られ、その刃は血で真っ赤に染まっている。
だがその右手以外は、弥左衛門もまた、燃え盛る炎に全身を包まれていた。
終
寝所から広縁に出てきた信長は、塀の外の光景を目にする。
桔梗紋の軍旗にびっしりと取り囲まれている。
信長は脱出できないことをすぐに悟り、険しい顔つき。
「ぬう、光秀め。よもや京市中に軍勢を繰り出してこようとは。見事にわしの隙を突きおったな……!」
「上様、いかがいたしましょう」
と乱丸。
「是非に及ばず。番衆らを主殿の前に集めい! しばし相手してやる!」
表門前の通りでは、明智勢の鉄砲隊が水堀を越えて土塀の上にのぼり、さかんに発砲を繰り返している。空気は騒然とし、城攻めの合戦と呼んでさしつかえない。
そこに即席造りの陣所が設けてある。
光秀は床机には腰掛けず、立ったまま必死の形相で指揮をとっている。
「囲みを崩すな! 蟻一匹逃してはならん!」
「今日より光秀様が天下の主じゃ! 皆の者、勇み悦んで働け!」
そばにいる秀満は、すべての明智兵にむかって盛んにアピールしている。
水堀に渡された小橋を走り渡り、表門から突入していく兵士たちの姿が見える。
光秀はかれらにむかって、
「信長の首を上げよ! 褒美は望みのままじゃ!」
友伯の家の板葺き屋根。その板が一枚、内側から押し外される。そこから、友伯がぬっと出てくる。続いて五郎も姿をあらわす。
鬨の声と銃声が間断なく響いてくる。
友伯と五郎は、屋根の上で立ち、騒ぎのする方角を眺める。三百メートルほど先だ。
五千もの大軍勢に、本能寺が完全に取り囲まれている光景。
「織田の明智勢か…!」五郎はにわかには信じられない様子である。「信長の下知で備中にむかっておったはずじゃが……」
「謀反! これは信長が一の家臣明智光秀が、天下をかすめとらんとして起こした謀反にござるぞ!」
友伯は沸きあがる興奮が隠しきれない。
「明智勢は五千、信長方は百にも満たぬ小勢……」
「援軍が参じるまで、とうていもちこたえられるまい。一刻…いや半刻で落ちような。あやつめ、雑兵にでも首を獲られてしまえばよいのじゃ!」
「怨敵信長の命運、もはやここまで……」
五郎は操り人形の糸が切れたように、ストンとそのばにへたりこんでしまう。
「五郎殿!?」
「大事ない、腰が抜けただけじゃ……」
緊張の糸が切れ、すっかり以前の温和な若者の顔にもどっている。
本能寺の小橋の手前では、十人ほどの小部隊が槍を構え、臨戦態勢で待機している。
「行け!」
隊長らしき侍の殺気だった号令で、小部隊は突入を開始する。
足軽姿の明智兵が一人、少し遅れてそれに加わる。
他の兵と同様に、その明智兵も決死の覚悟で小橋を走り渡っているように見えるが、実は大柄な明智兵の背後にちゃっかりと身を隠している。
境内から表門にむかって、鉄砲がいっせいに撃ちかけられる。
次々と銃弾に倒れていく突入兵たち。
表門をくぐった直後に、盾としていた大柄な明智兵も銃弾に倒れる。
それとほぼ同時に、その明智兵は槍を捨てて横っ飛びに飛びのき、境内の植え込みの陰にすべりこむ。
だが待ち構えていた織田兵二人が、雄叫びとともに刀を抜いて斬りかかってくる。
その明智兵は、植え込みに身を伏せたままだ。
織田兵二人は、植え込みに足を踏み入れた途端、瞬時に引き倒されてしまう。
草木が激しく揺れ、二人の断末魔の悲鳴が響く。激しく暴れて抵抗しているらしいが、植え込みに隠れて何も見えない。ただ血煙りが二度ほど激しく吹きあがった。
やがて静かになる。
その明智兵は、身を低くしたまま植え込みから顔を出す。
正体は、城戸弥左衛門である。
だが以前とは別人のような、鬼面のごとき顔つきに変貌している。頬には返り血がべったりと張りついている。
弥左衛門は周囲の状況を確認する。
広い境内の左右に、家臣の宿舎として利用されている塔頭が林立している。目標である主殿はさらに奥にある。
塔頭の陰には、火縄銃を手にした織田兵が潜んでいるが、たいした数ではなさそうだ。
織田兵たちは表門より突入してくる明智兵にむかって、再びいっせいに銃弾を放つ。
銃声が鳴り止んだと同時に、弥左衛門は奥にむかって疾風のように駆けていく。
主殿前の広場。
明智勢と信長の家臣たちによる激しい戦闘が繰り広げられている。
矢と銃弾が飛び交い、そこかしこで刀や槍が火花を散らす。明智勢は鎧武者、織田方は素肌武者だ。
織田方の必死の奮戦により、いまだ主殿は守られているが、それも時間の問題だろう。南側の塀を乗り越えて、明智勢の新手は次々と現れてくるのだ。
それらにまぎれて、足軽姿の弥左衛門も広場に姿を現す。
「!」
すぐに目に飛び込んできた。
白い小袖姿の信長が、主殿の広縁で勇猛に矢を放っているのだ。
だが付き従っている乱丸に何事か諭されて、信長一人が中に姿を消してしまう。
「信長を討て! 追うんじゃ!」
激しい下知が飛び交う。だが織田方の激しい抵抗のせいで、明智兵は誰も主殿に近づくことすらできない。
弥左衛門は主殿にむかって駆け出す。
足を使って巧みに戦闘を避けていくが、あとわずかというところで、小姓の一人が刀で斬り込んでくる。
弥左衛門は袖から棒手裏剣を取り出し、放つ。
首根っこに命中し、小姓は苦悶しながら倒れる。
主殿の広縁に飛びあがり、弥左衛門は屋内に侵入する。
広場とは打って変わって、主殿の廊下は人影もなく静まり返っている。
弥左衛門は陣笠を脱ぎ捨てて腰の刀を抜き、周囲を警戒しながら奥へむかう。
突然、廊下に面した三の間の障子が勢いよく開く。
振りむく間もなく、猛烈なタックルが襲ってくる。
伴正林である。
両腕で胴体をつかまれ、猛烈な勢いのまま柱に叩きつけられる。
頭と背中を強打し、衝撃で刀を落とす。
さらにそのまま頭上まで抱えあげられ、力まかせに床に投げつけられる。
弥左衛門は苦痛でうめく。
正林は倒れている弥左衛門の顔面めがけて、踏みつけキックを連打する。
丈夫な木の床が割れるほどの破壊力だ。
弥左衛門は身をかわしたり、両腕で防御したりするも、ダメージのせいで動きは鈍い。
ついに踏みつけキックを顔面にまともに喰らってしまい、失神する。
正林は腰の脇差を抜き、弥左衛門の首級を獲ろうと身を屈める。
すでに意識が回復していた弥左衛門は、一瞬で正林の右腕に両足を絡みつかせる。
腕挫十字固である。
正林は驚きながらも反射的に右腕に力を込め、さらに脇差を捨てて両手を組み、靭帯を伸ばされないように踏ん張る。一本の腕に弥左衛門の体重がかかっているが、立ったままこらえている。
弥左衛門は正林の右腕を伸ばしきろうと、両腕に渾身の力を込める。
命がけの力くらべ。
ついに正林の両手のロックが外れ、腕挫十字固が完成する。正林の巨体がバタンと仰向けに倒れ込む。
さらに力を込め、正林の右腕を反り返らせる。間接がきしむ音。
短いうめき声をあげる正林。
弥左衛門はサッと技を外し、素早く脇差を拾って正林の首に突き刺す。
刀身を引き抜くと、血が勢いよく飛び散り、壁を真紅に染める。
正林は静かに絶命する。
弥左衛門はその様を見つめながら立ちあがり、大きく肩で呼吸する。
主殿の裏手は、広場とは打って変わってひっそりとしている。
「駄目じゃ、駄目じゃ」
太郎左衛門は、人目を忍んで足軽の胴丸を身に着けているところだ。胴丸には明智方の紋章が入っている。
「こりゃあ、わし一人落ち延びるだけで精いっぱいじゃな」
足元には、討ち取った明智兵の死体が横たわっている。
「よもや、こんな事になるとは。人の命運なぞ、わからんもんじゃ」
死体から陣笠も剥ぎ取り、被る。変装完了である。
主殿前の広場では、なおも激しい戦闘が続いている。
明智勢の数は倍増し、逆に織田方は半数以上の者が力尽きて横たわっている。
乱丸は刀を振るって複数の敵と切り結んでいる。だが体力の消耗は著しく、もはや気力だけで戦っているようだ。
「おのれ…!」
ついに敵の槍に突かれ、事切れる。
裏手から、明智兵姿の太郎左衛門が目立たぬように現れ、戦闘中の明智勢に巧みにまぎれ込む。
「おのれ卑怯な明智めが!」
残り僅かな織田兵たちが、必死覚悟で明智勢に突っ込んでくる。
太郎左衛門は、刀を抜いて敵兵の槍先をなんなく弾いてかわす。
と次の瞬間、南側の塀越しに、明智勢の鉄砲隊が一斉に発砲してくる。
その銃弾は生き残りの織田兵たちに命中し、太郎左衛門の目の前でバタバタと倒れていく。
「どこを狙っておる…!」
太郎左衛門は右手で首の横を押さえている。
やがて手指の間から大量の血が噴き出し、前のめりにくずおれ、絶命する。完璧に明智兵に妖けていながら、運のないことに流れ弾を喰らってしまったのだ。
弥左衛門は刀を手にし、警戒しながら主殿の廊下を奥へむかっていた。胴丸などの防具を脱ぎ捨て、身軽な格好になっている。
廊下の先は二手に分かれている。右手は閉ざされた障子、左手は隣りの建物とを結ぶ細い廊下に繋がっている。
弥左衛門は立ち止まり、右手の障子を開ける。
その先は、一の間になっている。
ガランとしており、人の姿はない。
部屋の中に足を踏み入れ、奥にある閉ざされた襖へとむかっていく。
そこには、豪壮な龍が描かれている。
寝所にて、信長は一人で静かにたたずみ、悟ったような面持ちで感慨に耽っている。
「!」
突然、隣りの一の間で凄まじい爆発音が鳴り響き、その爆風で襖が部屋の中に倒れ込んでくる。
信長は一の間のほうを睨みつける。
爆発のせいで、濃い白煙に包まれている。
その白煙の中、一つの人影がゆっくりと近づいてくる。
「何奴じゃ?」
白煙の中から姿を現したのは、刀を手にした弥左衛門である。
「おぬしは……!」
驚きの色を隠せない。
弥左衛門は、信長が手にしている豪奢な脇差に目をやり、
「自害なぞさせぬ」
「…やはり伊賀者は魔物であったか。冥土の土産に成敗してくれよう」
脇差しを捨て、壁にかけてある槍を手にして構える。
弥左衛門も、手にしている刀を構える。
両者、無言で対峙する。
明智勢の鉄砲隊は、北側の土塀の上にのぼって火縄銃を構えている。
目標は、主殿前の広場にいる敵の残存兵だ。
「放てぇーっ!」
足軽大将の号令で、いっせいに発砲する。
とたんに主殿の一角が、巨大な火柱を上げて大爆発する。
「なんじゃ、あれは!?」
「雷でも落ちたのか!?」
表門前にいる明智勢は誰もが仰天している。
陣所の光秀は、炎上する主殿を見つめながら、
「煙硝蔵に火がついたか……」
主殿前の広場は明智勢でごった返し、騒乱状態だ。
織田方は全滅し、死体が累々と横たわっている。
主殿全体に炎が広がり、勢いよく燃えあがっている。
寺内からあわただしく退避してきた明智兵たちが、表門の小橋を渡って通りになだれ出てくる。
「信長の首はどうした!? だれぞ獲っておらぬのかっ!?」
陣所の光秀が半狂乱で叫ぶ。声は裏返り、天下人の貫禄はまるでない。
部下からの報告を受けた秀満は、興奮気味に光秀に伝える。
「主殿はすでに炎に包まれておるとのこと。信長は生きておりますまい!」
「まことか!? まことに死んだのか!?」
「まことにございます。今より上様が天下の主にございます!」
光秀は自分の勝利が信じられず、呆然となる。
主殿の寝所は、辺り一面火の海となっている。
大爆発を起こしたのは光秀の見立て通り、寝所の隣室の地下にある煙硝蔵であった。部屋の床は抜け、寝所とを仕切る襖は跡形もなく吹き飛んでしまっている。
寝所の壁に、信長とわかる死体がもたれかかるようにして横たわっている。全身を、激しく燃え盛る炎に包まれて。
床に横たわっている弥左衛門の右手には刀が握られ、その刃は血で真っ赤に染まっている。
だがその右手以外は、弥左衛門もまた、燃え盛る炎に全身を包まれていた。
終
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
対米戦、準備せよ!
湖灯
歴史・時代
大本営から特命を受けてサイパン島に視察に訪れた柏原総一郎大尉は、絶体絶命の危機に過去に移動する。
そして21世紀からタイムリーㇷ゚して過去の世界にやって来た、柳生義正と結城薫出会う。
3人は協力して悲惨な負け方をした太平洋戦争に勝つために様々な施策を試みる。
小説家になろうで、先行配信中!
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
戦国終わらず ~家康、夏の陣で討死~
川野遥
歴史・時代
長きに渡る戦国時代も大坂・夏の陣をもって終わりを告げる
…はずだった。
まさかの大逆転、豊臣勢が真田の活躍もありまさかの逆襲で徳川家康と秀忠を討ち果たし、大坂の陣の勝者に。果たして彼らは新たな秩序を作ることができるのか?
敗北した徳川勢も何とか巻き返しを図ろうとするが、徳川に臣従したはずの大名達が新たな野心を抱き始める。
文治系藩主は頼りなし?
暴れん坊藩主がまさかの活躍?
参考情報一切なし、全てゼロから切り開く戦国ifストーリーが始まる。
更新は週5~6予定です。
※ノベルアップ+とカクヨムにも掲載しています。
セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。
日露戦争の真実
蔵屋
歴史・時代
私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。
日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。
日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。
帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。
日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。
ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。
ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。
深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。
この物語の始まりです。
『神知りて 人の幸せ 祈るのみ
神の伝えし 愛善の道』
この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。
作家 蔵屋日唱
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
小日本帝国
ypaaaaaaa
歴史・時代
日露戦争で判定勝ちを得た日本は韓国などを併合することなく独立させ経済的な植民地とした。これは直接的な併合を主張した大日本主義の対局であるから小日本主義と呼称された。
大日本帝国ならぬ小日本帝国はこうして経済を盤石としてさらなる高みを目指していく…
戦線拡大が甚だしいですが、何卒!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる