追放された精霊の愛し子は運命の番をその腕に掻き抱く

濘-NEI-

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(9)医師の診断

 宿屋のエリオットに、この町に腕のいい信頼のおける医者は居ないか相談したところ、宿屋のすぐそばに診療所を構えるヘンゼルの名前が出た。

 パメラはその名をどこかで聞いた気がしたが、よくある名前なので気のせいだろうと、あまり気に留めなかった。

「いいかいパメラ。あんたは体調崩してて、あくまで病気の様子を診て貰うために病院に行くんだ。いいね」

「分かってる、大丈夫よ。それにアイルーンも一緒なんだもの、平気よ」

「いいや分かっちゃいない。オメガと知られることがどれだけ危険なことか。ただでさえアルファに充てられて強制的にヒートを起こされかけたんだ。いつなにが起こるか分からないんだよ」

 アイルーンは怖い顔でそう釘を刺すが、パメラはどこか楽観的だ。

 それも仕方のないことだった。パメラにとっては、身近なオメガはアイルーンだけで、ヒートに苦しんだり、虐げられているオメガに出会ったことがない。

 アイルーンは離れて暮らしているとは云え、番を持つオメガだ。ヒートが起こらない訳ではないが、番がいる場合は番以外にヒートが影響することはない。

 だからパメラはどんなに厳しく諭されても、ヒートが引き起こす惨状を想像出来ないのだ。

「売られそうになって怖い思いをしただろう。もう忘れちまったのかい」

「そんなことないわ!」

 アイルーンは他人を信用するなと言う。そしてパメラがオメガであることは、アイルーンとパメラ二人だけの秘密なのだと、ことあるごとに釘を刺してくる。

 パメラ自身、あんなにも優しかった乳児院の院長に売られそうになった経験から、人の心は簡単にお金で寝返るものだと知っている。

 けれど五年もの間、仲間として家族のように過ごしている、こんなにも温かいグルーノ一座の皆を騙しているようで、パメラはいつも居心地が悪くて堪らなかった。

「とにかく抑制剤が手に入るまでは、あたし以外、誰が来ても部屋を開けちゃいけないよ。いいね」

「エッカでもダメなの?あの子は寂しがりだし、それに無害なベータよ」

「それが命取りになるんだ。あたし以外は絶対にダメだ」

「分かったわ。約束する」

 そう答えると、パメラはいつものように目元から下の口元を布で隠し、編み込んだ髪を器用にまとめて頭巾の中に仕舞い込んだ。

 部屋を出て階段を降り、咳き込むようなそぶりを見せて、アイルーンに付き添われながらパメラは宿屋を出る。エリオットに聞いた診療所は、通りをしばらく歩いたところにあった。

「ごめんください」

「はい。どうかしましたか」

 診察所の中に入って、アイルーンが声を掛けると、中から義足の男が顔を出した。

「失礼だけど、医者先生はベータかい?」

「……なるほど。抑制剤が必要なんだね」

 アイルーンの不躾な質問に、ヘンゼルは優しい笑顔で私はベータだよと答えて、奥の方がいいだろうと二人を連れて診察室に入る。

「念のために鍵を掛けるかい?」

「助かるよ。正直、いつヒートが来てもおかしくない状態でなんでね」

 アイルーンは声を抑えて、パメラの肩を強く抱いた。

「不安だったね。少しだけ様子を診てもいいかな」

 ヘンゼルは机に向かって座ると、パメラに向かい合う椅子に座るよう指示して触診を始めた。

「君は、この子のお姉さんかい」

「いいや、行き掛かりで面倒を見てるだけで、血の繋がりはないよ」

 ヘンゼルが尋ねるとアイルーンはそう答え、宿屋で起こった一件を含めて、これまでの細かい事情を話し始める。

 ヘンゼルはパメラの胸元やお腹を触診しながら、アイルーンの話に耳を傾け、なるほどと相槌を打っては気になったことを書き留めている。

「じゃあ君は、今までにヒートを起こしたことはないんだね」

 ヘンゼルの問い掛けにパメラが逡巡していると、アイルーンがこの先生なら大丈夫だよと安心させるように呟く。

「……はい。もうすぐ十八になりますが、今まで一度もヒートを起こしたことがありません」

「そうか、随分と不安で辛かっただろうね。さて、細かいことはもっと詳しく調べないと分からないけど、確かにヒートの兆候が見られるね。初めてのことだから、段階的に症状が強まる可能性が高いかな」

 ヘンゼルは、パメラとアイルーンを交互に見てそう答えると、確実なのは内診が一番だけどねと、確認するようにアイルーンの顔を見る。

「抑制剤を出して貰えるなら、この診察だけで充分だよ」

 アイルーンが答えるが、パメラはその意味がよく分からずにヘンゼルを見つめる。

「赤ちゃんのための部屋を、直接調べた方が早いんだ。だけど君には恥ずかしいことだろう?」

 ヘンゼルが苦笑いしながら噛み砕いて答えると、パメラはようやく理解して羞恥で顔を真っ赤にする。

 そんなパメラをよそに、アイルーンはどうして急にヒートが来たのか、ヘンゼルに改めて質問した。

「やっぱり、あのアルファがなにか関係あるのかい、医者先生」

「そうだね。話を聞いた限りおそらく危惧してるように、そのアルファの色香に充てられたことで、ヒートを起こすのが早まった可能性は高いかも知れないね」

「じゃあ今まで、この子にヒートが起こらなかったのは、なんでなんだい」

「心が原因かも知れないね。小さな時にそんな怖い思いをしたのなら尚更だ。オメガであることを受け入れられずに、体の成長が滞ることは実はよくあることなんだよ」

 ヘンゼルはそう答えると、医者にすぐ掛かれるかどうかアイルーンに確認する。

「あたしらは旅巡業して、国のあちこち回ってるんだ。そう簡単にお医者のところには行けないよ。なにより身内ですら、この子がオメガだってバレるのは避けたいしね」

「そうか。分かった」

 ヘンゼルは頷くと、なにかを紙に書き込んでその用紙をアイルーンに手渡す。

「失礼だけど、文字は読めるかい?ここに僕の知ってる医師の名前と、どの町に行けばいいか書いてある。不安はあるだろうけど、ここに書いた先生たちなら信頼して大丈夫だよ」

「本当かい?金で裏切らないって、本当に信じていい連中だろうね」

「ああ本当だよ。ここに書いたのは、数少ない番持ちのアルファの先生ばかりだ。本当なら僕がついて行ってやれれば良いんだけど、この町にも沢山の患者さんが居るんだ。すまないね」

 ヘンゼルは申し訳なさそうに呟くと、立ち上がって部屋の隅の扉がついた棚を探り、その手に袋を持って戻ってくる。

「君は初めてだから説明するね。抑制剤についてだけど、ヒートが来てから飲まないと効き目がない。抑制剤は予防薬じゃないから、ヒートを起こさせない薬ではないんだ」

「そうなんですね」

「ああそうだよ。それと抑制剤を飲んでいいのは一日に一粒だけ。一粒以上飲んでしまうと錯乱してしまうから気を付けて」

 ヘンゼルは薬の入った袋にも一日に一粒だけと書き込んでから、おおよそヒート三回分に該当する三十粒が入ったそれをパメラに差し出した。

「こんなにも買えるほど、お代を持ってはいません」

 慌ててパメラが袋を突き返すと、ヘンゼルは笑って大丈夫と言いながら、お金持ちから沢山治療費を貰ったばかりだと言って、アイルーンから申し訳程度に銅貨を一枚だけ受け取った。

 何度も頭を下げて診察所を出て行くパメラとアイルーンを見送りながら、ヘンゼルはパメラが充てられたアルファに思い当たって僅かに困惑していた。

 二人は滞在先の宿屋の亭主エリオットから、ここを教わって診察に来たと言っていた。ヘンゼルがあの夜、デルザリオたちに紹介したのもその宿だ。

「そこまで強いアルファか。どう考えてもデルザリオ殿下だろうな」
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