平成サナトリウムコウタ

ハラ キキ

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第一話 平成のサナトリウム

第一話 平成のサナトリウム

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 宝物を失った。それは世界にたった一つの宝物。俺は宝物を失った。二〇〇九年四月。俺、水谷幸喜(ミズタニコウキ)は、写真の前で呆然としていた。目の前には、ぎこちなく笑っている赤井沙希(アカイサキ)の姿がある。俺たちは小さい頃からいつも一緒で、いつも二人で笑っていた。初めて、彼女を異性であると意識したのは15歳の時。海辺でみた彼女の笑顔に心を奪われ、俺は勢いで彼女に告白した。彼女は俺の気持ちを受け入れてくれた。異性への情愛を纏った人生は、景色の解像度がまるで違った。毎日が楽しくて痛くて、体がはちきれそうだった。このままずっとこんな幸せが続くと信じていた。
しかし。二〇〇七年のクリスマス。俺たちは24歳。その幸せは突然終わりを告げた。場所は駅の書店前。二人で本を買い、帰ろうとしたその時。突然水色の乗用車が視界に入り、車がこちらに向かってきた。切り裂くような悲鳴があがる。避ける余地も、抗う暇も無く、俺の目の前で彼女ははねられた。頭の中に救急車のサイレンが鳴り響く。俺は何もできなかった。今でも夢に出てくる映像だ。事故後には、最悪の知らせが待ち受けていた。沙希は大事な物を失っていたのだ。背中を強く打った結果、彼女の両足は動かなくなっていた。病室で呆然としている沙希は、見たことがない表情をしていた。俺は口をつぐみ、人生の不条理を悟った。母親のまどかさんが、気丈に笑っているのをよく覚えている。その光景は、ホラー映画のようだった。
車を運転していたのは、少し運転が下手な、いたって普通の50代の女性だった。彼女は、毎日夫を連れ病院に来て、沙希の前で泣きながら土下座をした。沙希は力なく首を横に振る。無間地獄のようだった。あっという間に、数ヶ月の月日が経った。俺は復讐のシナリオを妄想し、おかしなことをずっと考え続けていた。でも。その思いが刃として身に宿るには、加害者のキャラクターがあまりにも弱すぎた。そのうち、土下座していた二人は、いつの間にか病院に来なくなった。運転していた女性は、交通刑務所に入ったと聞いた。
 季節は春。俺は毎日毎日、沙希のいる病室へ通い、身の周りで起きた事を報告した。彼女は俺の話す事を聞くと頷き、何故か決まって自宅周りの桜の様子を俺に聞いた。写真に撮ろうかという俺の申し出を、何故か頑なに彼女が拒むので、俺は考えた挙句、桜の蕾が開きはじめる様子から、花弁が満開に咲き始めた様子。そして微妙な桜の葉の色の変化を、知りうる限りの語彙で毎日彼女に伝えにきた。彼女は俺の報告を聞きながら、寂しそうに窓の外を見ていた。彼女も年頃の桜の花だったのだ。
 俺は覚悟を決めていた。家にいても会社にいても、ずっと考えるのは沙希の事ばかりだった。もしこのまま彼女の足が動かないままなのであれば、自分が彼女の足になれば良いと思った。彼女の無念も悲しさも、自分が全て包むことができれば。意を決めたその足で、人生で初めてジュエリーショップに行き、目の前の小さなダイヤがついた指輪を買った。指のサイズなんてわからない。だから普通の女性用のもので良いという言葉で店員を困らせた。望みの品を手に入れた俺は、病院に着き、沙希の病室のドアを開け、結婚してほしいと言った。しかし、その言葉を聞いた彼女は複雑な表情を浮かべていた。
「幸喜。ありがとう。でも私、足を動かす為にこれから一人で生活しようと思うの。怪我自体は既に治っているし、もうここにいる意味は無いわ。病院にいれば先生や看護婦さん達に頼ってしまうでしょうし、家にいれば気持ちのどこかでお母さんに甘えてしまう。多分、そういう気持ちが一番この足を動かす為に良くないと思うの。だから、お母さんに言って、ある場所を借りてもらったの。」
「え?」
 プロポーズに対しての回答はなかった。彼女は続けた。
「そこは小さな一軒家で、周りは何もない世間から隔離されたような場所。庭には大きな桜の木が一本だけ生えてるの。私、そこで足が動くようになる為に、リハビリと、トレーニングを兼ねて、来年の四月までの一年間、一人だけで生活しようと思ってる。」
 驚いた。
「まどかさんはなんて?」
「うん。一人で全部やりたいから。お母さんも来ないことになってるの。たまに、病院の人が様子を見に来るぐらいかな。ふふ。お母さん。まるで平成のサナトリウムねって呆れてた。」
 状況を受け止められず困惑していると、彼女は察したのか、俺の顔を覗き込む様に見てこう続けた。
「幸喜。一年だけだから。一年間。絶対に頑張って足が動くようになってみせるから。だから、それまで辛抱して?一年後、私。きっと戻ってくる。そして、私が自分の足で立てるようになり、桜の花が咲く頃。プロポーズに返事をします。それまで一年、返事は待ってほしいの。」
 沙希の視線に心が焼かれる。俺に選択権は無い。強く頷き、そしてその後、今度は強く首を横に振ったことを覚えている。精一杯の気持ちを込めて、沙希に何かをいったような気はするが、その時の言葉はよく覚えていない。恐らくその時の自分の笑顔は、彼女のあの時の笑顔に良く似ていたのかもしれなかった。
 しかし。この時の彼女の約束は果たされる事は無かった。一年後の今日。二〇〇九年四月一日。彼女はここ、平成のサナトリウムのベッドの上で息を引き取っているのが発見された。死因は、痛み止めの麻酔注射によるショック死。彼女は、数日分の分量を一度に注射していたという。警察、鑑定医によると自殺の可能性が非常に高いという事だった。彼女は突然この世から去ってしまった。なんで。この現世のありきたりな町並みでは、既に桜が満開に咲き誇っているというのに。状況を受け止めることができなかった。俺の愛した桜の花が、無残に散ってしまった。
しかし、落ち着くにつれ、自分のやるべき事がうっすらと見えてきた。俺には、沙希と過ごしたかけがえの無い時間がある。彼女を愛していた。一度、彼女がああして言った言葉。約束を反故にして、自殺という選択を彼女がとったとは信じられなかった。そうだ。事故かもしれない。ましてや、他殺の可能性はないのか。彼女が自殺をするわけがない。俺は彼女の名誉のために、死の真相を明らかにする。愛の証明。そうだ。俺は沙希に対する愛情を証明しなければならない。
心は決まった。今日から俺は彼女の死の理由を考えるため、沙希がずっと生活していたその場所で、自分も生活しようと決めたのだ。まどかさんに電話をすると、了承の返事と、一つの条件が返ってきた。条件は、沙希がそこで飼っていた犬がいるから、犬の面倒を見て欲しいという事。まどかさんは、沙希からの電話でその存在を知り、沙希の死に立ち会う時、初めて実物の犬を確認したそうだ。犬の名前はコウタという名前のゴールデンリトリバー。電話を切る前、まどかさんは声を詰まらせながら、俺にごめんねと何度も涙声で謝った。俺は胸が苦しくて返事が出来なかった。 
俺は現場に向かった。そこは平成のサナトリウム。沙希とずっと一緒に生活していたのであろうその犬と、今度は自分が一緒に生活をして、沙希の気持ちに少しでも近づいてみせる。そして彼女の死の真相を。こうして、水谷幸喜と犬一匹の、この平成のサナトリウムでの奇妙な共同生活が始まった。
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