浦和探偵事務所帖 ぱぁとちゅ♡ 萬屋マイク

揚羽(ageha)

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TATTOO

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 昔、俺が埼玉に来たばかりの頃、近所のおっちゃんたちに世話になった。その縁で、大学に通った時期がある。ある日、その頃のゼミの先生が事務所を訪ねてきた。景子先生だ。まだ定年じゃなかったんですか、と言いかけてやめた。俺もまた、丁寧に年を取っている最中だからな。ゼミ生のひとりが、消えかけているという相談だった。名前は果耶。水の仕事を経て、風俗に流れた。大学は休みがちで、ゼミにもほとんど顔を出していない。このままじゃ卒論も出せず、卒業もできないらしい。
「警察じゃなくて、あなたに頼むのは筋が違うって、分かってるわ」
分かっていて来る人間は、たいてい切れない。店の名前も、裏の人間も、想像どおりだった。
「先生、こいつ借りんぜ」
「頼みましたよ、マイク」
「果耶行こうか」
少し揉めそうにはなったが、例の弁護士の名前を出したら話は早い。風俗側にとっても、若い女を縛り続ける時代じゃない。ただ、それだけの話だ。果耶は自由になった、って顔はしなかった。現実が、まだ自分のものになっていない。そんな目だった。
「果耶。そのズボン、尻が半分出てる。腰のタトゥーもな」
「いま売ってるの、だいたいこうなんすよ」
「股上が深いのを履け」
「……はいっす」
安易な考えでキャバクラを始め、流されるままここまで来た話を、果耶はぽつぽつと語った。一件落着だろう。先生は果耶を抱きしめて、ひとまず帰っていった。

 数日後、景子先生がまた事務所を訪ねてきた。
「前回の件、後片付けは?」
「心配すんな。終わってるぜ」
果耶は壁際の椅子に座り、黙って床を見ている。もう現場には戻っていない。だが、次がまだ見えない顔だ。
「果耶」
俺は声をかけた。
「世界の不幸を全部背負ったみたいなツラはやめろ。お前の未来は、ここからだ」
果耶は小さくうなずいた。先生はコーヒーをひと口飲んで、俺を見た。
「ねえ、マイク。聞いてもいいかしら」
「説教は勘弁してくださいよ」
「教育って、まず何の話だと思う? ゼミ生の頃に戻って」
俺は煙草を消し、ひとつ咳払いをした。
「なんなんですか? 教育ですか。生き方の話だな。点数の話じゃ、腹は減らねぇ」
「成績じゃない?」
「それで人が立ち直ったのは、見たことがねぇ」
「規則でもない?」
「守れる人間だけを残す仕組みだ」
「じゃあ、何を一番に置くの?」
「生きてる本人だ」

 先生は少し間を置いた。
「それ、誰の考えに近い?」
「東井義雄」
「どういう意味で?」
「人間に、くずはないって言い切った。救う前に、見捨てなかった人だ」
果耶の指先が、わずかに動いた。
「じゃあ、毎日の現場は?」
「大村はま」
「実践の人ね」
「やっ。派手な理論はねぇ。でも、毎日逃げなかった」
「何をした人?」
「言葉だ。殴らずに、人を立たせる言葉」
「技術?」
「……やっ、ううん。半分だ。使うためじゃなく、立つための言葉だ」
先生は視線を外さず、続けた。
「最後に聞くわ。それを、どうやって判断にするの?」
俺はすぐには答えなかった。天井を一度だけ見上げてから言った。
「中村清」
「道徳教育論?」
「やっ。価値は教えられない、って前提に立った人だ」
「正解を与えない?」
「その代わり、選んだあとの責任から逃がさねぇ」
「厳しいわね」
「優しいだろうよ」
「どうして?」
「人間を、判断できる存在として扱ってるからだ」
果耶が、そこで初めて顔を上げた。
「中村の道徳はな、いい人間になれとは言わねぇ。自分で決めろ。その代わり、考え抜けって言う」
先生は静かにうなずいた。

 沈黙が落ちた。気まずさじゃない。考えるための時間だった。話が終わったあと、果耶は腰に手を当てた。そこにあるものを確かめる、というより、これから無くなるかもしれないものを想像する仕草だった。
「……タトゥー、消すの、正直怖いっす」
俺はすぐに答えた。
「怖くていい。怖くねぇ決断なんて、だいたい偽物だ」
果耶は、俺を見た。
「消すかどうかも、判断だ。選び直す権利は、誰にも奪えねぇ」
果耶は、はっきりとうなずいた。先生と果耶は、何度も頭を下げて帰っていった。果耶はその後、中村清で卒論を書くことにしたらしい。俺は景子先生に一杯食わされたんだろう。人は、簡単には救われねぇ。だが、見捨てられなかった記憶だけは、あとから効いてくる。今日も、正解は売っていない。問いだけが、ここに残っている。
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