1 / 1
読み切り:竜狩る刃
しおりを挟む
竜。
それは、欧米圏にて共有される伝承や神話に登場する空想上にして、伝説上の生物。その姿はトカゲやヘビに類似し、巨大な翼を使い、我が物顔で大空を舞う。
そんなこの世の理に反するような生き物でも、かつては実在するとまでされていた。
「竜だ!みんな逃げろぉぉぉ!」
西暦2011年、7月11日。
ある極東の島国は、突如現れた竜の襲来によって、壊滅的な被害を被った。
たった5匹の竜を仕留めるのに、国が抱える自衛隊員の約半数が死亡し、その竜は僅か1時間と言う、非常に短い時間で、多くの街を火の海と化した。
「待て!逃げんじゃねェ……!戦え!!俺と戦えよッ!!チクショォォォォォ!!!」
当時10歳にも満たなかった俺は、燃える街の中で、飛び立つ竜に向かって吠える事しか出来なかった。
後にこの事件は『大襲来』と呼ばれ、人々の脳に消えない傷跡を残す。
そして、あの日から10年。
『本日をもちまして、あの日から約10年が経ちました。しかし、竜の襲来は今も続いております』
日本は復興を果たしたが、それでもあの日の恐怖は消えない。
『また現在、人が突然竜に変貌する竜化が頻発しており───』
だが、人類とて馬鹿じゃない。
力で敵わないのなら、知恵を絞り、交流を深め、人間の武器をフル活用すれば良い。
今度は、人類が竜を狩る番だ。
「さァ、狩りの時間だ」
世間では、竜を狩る狩師なる存在が脚光を浴びていた。
「おいおい、何だァこの店はァー!酒の一つもねェってのか!!」
穏やか───とは言い難い昼下がり。
洒落た外観とは真逆の騒がしい店内で、少年は本を読みながら休憩を取っていた。
「や、やめて下さいお客様!どうしてこんな事をするんですか!?」
「五月蝿ェぞこのアマ!俺たちを誰と思ってやがる!」
店内で騒ぎ立てるのは、西洋風の装いをした青年二人組。
女性店員の声に耳を貸さず、しかも他の客の迷惑など知らんとばかりに、好き勝手している。勿論、他の客は迷惑そうにしながらも、その意見を口に出そうとする者はいない。
まぁ、仕方ないと言えば仕方ないだろう。
何故なら、好き勝手振る舞うこの二人組は、人類の守護者とも言える存在なのだから。
「しかし、俺たち狩師に意見するとは、良い度胸してるなァお嬢ちゃん。えェ?おい?」
「まさか、俺たち無くして竜を倒せると思っちゃいないよなァ?」
「……ッ」
二人組が凄むと、女性店員は悔しそうに引き下がる。
数秒後、二人は再び馬鹿騒ぎを始めた。
「まったく、ああ言うのは夜中にして欲しいよね」
その一部始終を見ていた男性は、まるで見兼ねたように呟く。
優しげな顔付きで、中折帽を被った目の前の男だが、実はこの喫茶店のマスターである。
「ここは喫茶店であって、居酒屋では無いんだしさ」
「そもそも、喫茶店でやる事じゃあねーだろ。」
店主の呑気な言葉に、少年は小さくため息を吐く。
それを聞いたマスターは、小さく笑った。
「ハハハッ、確かに」
「確かに、じゃなくてなァ……」
少年は本を閉じると、半ば呆れたようにため息をつく。
「大体、店主のアンタが止めなくてどうすんだ?アイツら、多分ずっと続けるぞ?」
彼が能天気な性格なのは知っていたが、店内での問題を解決しないと言うのも腑に落ちない。
だが、マスターの口調はまるで、我が子を愛でるように穏やかな物だった。
「まァ、君の言いたい事は分かるよ。でも、それで暴れられたら困るだろう?大丈夫さ」
マスターは余裕そうに言うが、少年は不満げに眉を顰める。
「大丈夫って、何を根拠に───」
刹那、店内に吹き込む突風のような威圧感。
先程までの騒がしさが嘘のように、店内は粛々とした静かな空気に包まれた。
「久しぶりだな、ここに来るのも」
ドアベルを鳴らしながら入って来たのは、羽根付きの帽子を被り、カイゼル髭を生やした長身の男。
レイピアの入った鞘を腰に下げたその装いは、三銃士を彷彿とさせる。
「やァ、いらっしゃい。シラノ」
「久しいな、惣一」
シラノと呼ばれた男は、マスターに挨拶して女性店員に微笑みかけると、二人の方に目をやる。
「で?これはどう言う事だ?」
シラノは目を細め、覇気を顕にする。
件の二人組は、ヘビに睨まれた蛙のように硬直していた。
「よもや、狩師とあろう者が、公共の場でこのような狼藉を働いていようとはな」
「ヒッ───!ち、違うですシラノさん!俺は止めたのにコイツが……」
「お、おいおい待てよ!元はと言えばお前が!」
客目を憚らず、口汚く互いを罵り合う二人組。つい先程までの威勢は、一体どこへ行ったのかと問いたくなる程、二人は慌てふためき、その顔からは余裕が消え失せている。
それ程までに、あのシラノと言う男の言葉には、凪のように静かで、炎のような怒気が込められていた。
「凄いな……」
初見のインパクトもあったからか、少年も感嘆の声をポツリと溢す。
剣豪シラノ。
少年も名前は聞いていたが、本人を目にするのは今日が初めてだった。
「お前たちがここに居る価値は無い。他のお客様に謝罪し、今すぐに立ち去れッ」
「「は、はいッ!すみませんでした!」」
シラノが一喝すると、二人組は蜘蛛の子を散らすようにそそくさと店を出て行く。
もちろん、カウンターには金を払って行った。
「ウチの若い者が迷惑をかけたな」
二人の迷惑客を追い出したシラノは、柔和な笑みを浮かべながら、少年の向かい側の席に座る。一瞬二人の目が合ったが、猛禽類のように鋭く、知的な眼をしていた。
しかし、その口調にさっきまでの覇気や威圧感は感じられず、親しみ易い印象を受ける。
成る程。この男、世渡りがかなり上手い。
そして彼の姿を見るや、今度は他の客がざわめき始める。
「スゲェ……シラノさんだ……!」
「本物、だよな……!?」
「カッコイイ……」
「俺ァ、初めて見たぜ……」
「相変わらず、すごい人気だね」
「何、別に大した事じゃないさ」
マスターの褒め言葉にも顔色を変えず、シラノは微笑を浮かべる。
大人の余裕と言うやつなのか、どことなく不敵な笑みにも見えた。
「ところで惣一、隣に座る彼は?」
「あぁ、彼も狩師の一人さ。名前は───」
するとシラノが人差し指でマスターの口を塞ぎ、こちらに目線を向けて来た。
さっきとは打って変わる、猛禽類のような鋭い目。
「君も狩師なら、名前くらいは自分で名乗ったらどうだ?」
優しげな口調に再び混じる威圧感。
これがこの男の挨拶だとすると、随分な挨拶だ。
「天童一騎」
少年は本から目を離さず、淡々と名乗る。
目を見て挨拶しないと言う行為は、狩師で無くとも相手の不況を買うだろう。
しかし、シラノは懐かしい物を見るように、一騎の座る椅子に架けられた刀を見つめる。
「天童……そうか、君はリューマの孫か」
「祖父さんを、知ってんのか?」
一騎の問いに、シラノは小さく頷く。
「勿論だ。寧ろ、狩師で彼の名を知らぬ者は居ないだろう」
「何せ、10年前の『大襲来』で、最も戦果を挙げた男だからな」と、シラノはまるで自分のことのように、誇らしげに語る。
10年前の『大襲来』の主な舞台となった都市は、北海道、山形、東京、京都などだ。中でも、広島に襲来した竜は特殊な能力を有していたらしく、祖父が居なければ討伐は不可能だったと言われている。
武力に優れた東京の個体とは異なり、体内の細胞を自在に変形させる難敵だったと言う。
「リューマは、元気にしているかい?」
「……祖父さんは、3年前に竜と戦って死んだ。知ってんだろ」
一騎は素っ気ない口調で言い捨てる。
「そう、だったな……悪かった、思い出したくもない事を聞いてしまって」
シラノは申し訳なさそうにすると、顔を隠すように帽子を被り直す。
「では、そろそろ行くとしよう。邪魔したな」
席を立ったシラノは、玄関に向かって歩き出す。
そして一騎の側を通ろうとした次の瞬間
───カツン。
と、鞘同士の当たる音が、店内に響いた。
「おい」
そしてそれを聞き逃すほど、一騎は甘くなかった。
「ちょいと待てやオッサン。今、アンタの鞘と俺の鞘が当たったぞ」
シラノは自身の鞘と一騎の鞘を交互に見ると、「あぁ」と小さく呟いた。
「鞘当てか。これは失礼した、故意ではないんだ。気を悪くしてしまったようなら、謝ろう」
その事を咎められたシラノは、穏便に済ませようと謝罪する。
なんとも出来た紳士的な態度。
だが、分かる。この男は隣を通り過ぎようとした瞬間、来る時の位置から半歩ズレて歩いていた。
他者から見れば、単なる言い掛かりに聞こえるだろう。
だが───
「狩師が、間違って半歩ズレて歩いたなんて事はねェよな?」
それも、『大襲来』で多大な戦果を挙げたシラノ程ともなれば、尚更だ。
「鞘当てを知っててやった挙句、剰え『ごめんなさい』で乗り切ろうだと?」
一騎は本をテーブルの上に置き、椅子から立ち上がると、側に架けておいた刀を取る。
そして漆塗りの鞘から太刀を抜き、その切先をシラノに突き付けた。
「抜け、今し方アンタがやったのは、俺に対する果たし状に値する行為だ」
重石のような、重厚感を帯びた言葉。
やがて、シラノは観念したように眼を伏せると、レイピアを抜き放つ。
「少年、活気なのは結構だが───後悔するぞ?」
猛禽類の如し眼と、覇気を纏った声色で告げる。
予期せぬ形で始まった、狩師同士の戦い。
客や従業員が固唾を呑んで見守る中、両者は最初の位置からピクリとも動かなかった。
「(打って……来ないだと?)」
構えを取る一騎を見据え、シラノは小さく息を吐く。
あの様子なら、てっきりそこら辺のチンピラのように、感情的に打ち込んで来るものだと思っていた。
故に、直ぐに制圧出来るよう防御の構えを取ったのだが───
「(まさか、読みが外れるとはな……)」
『慧眼のシラノ』と呼ばれるように、自他共に洞察力には相当な自信がある。
だからこそ、すぐに打って来ないのが意外だった。
だが、いつまでも落ち込んでいる暇はない。
「中々やるようだが……これならどうだ?」
シラノは、今度は突きの構えを取る。
貫通力に特化したレイピアの特性を最大限活かしつつ、相手との距離を一定に空ける事で、相手の一撃を貰わず一方的に殴る事が出来る攻めの型。
対する一騎は、刀を正眼に構え、防御の構えでシラノと対峙する。
シラノは流れるように防御の型に切り替え、一騎は攻守万能の型を取る。
「……」
「……!」
緊張した空気が張り詰める店内。
両者はスムーズに、一切の隙間を見せず、次々と型を切り替えていく。
そして、珈琲の雫が滴り落ちた次の瞬間、一騎は閃光の如し一歩を踏み出した。
「ッ!」
強烈な踏み込みにより、両者の間合いを一瞬で詰めた一騎は、下段から刀を振り上げる。
シラノは一歩反応が遅れるが、護拳で頭身を殴り、辛うじて回避。隙だらけになった頭部目掛けて、全身のバネをフルに駆使した全力の刺突をお見舞いする。
「甘いッ!」
しかし、一騎は上半身を逸らせて回避し、斬りあげる。
それをシラノが迎撃しようとした刹那──
「シラノ……さん?」
か細い少女の声によって、互いの切先が互いの鼻先で止まった。
二人は揃って声の方に振り向くと、そこには一騎と同じくらいの年頃の少女が立っていた。
「君は……もしかして千紗か?」
剣を納めたシラノが、少女に尋ねる。
すると、千紗と呼ばれた少女はパッと華が咲いたような笑顔を浮かべ、シラノの胸に飛び込んだ。
「やっぱりシラノさんだ!久しぶり!」
「あぁ、久しぶりだな。千紗。元気そうで何よりだ」
シラノに頭を撫でられ、年相応の可愛らしい笑顔を浮かべる千紗。
和やかな空気の中、一騎は静かに刀を納めた。
「何故、刀を納めた?」
「興醒めだ。大体、そこの女が止めさえしなけりゃ、俺が勝ってた」
「ハハハッ、冗談が上手いな。君は」
「うっせ、つかその女誰だよ」
「君にも紹介しよう。私の娘のような子だ」
「なんだそりゃ」
もはや決闘どころではない雰囲気に呆れたのか、一騎は小さくため息をついた。
同時刻。
「くそッ、くそッ!シラノの野郎ォ!!俺たちの足下みやがって!」
店を追い出された二人組の一人が、腹いせに路地裏のゴミ箱を蹴っ飛ばす。
それを見兼ねたもう一人が、相方を諌める。
「気持ちは分かるが、俺たちだけじゃ返り討ちに遭うだけだぜ」
「じゃあどうするッてんだよォ!!」
男は頭をぐしゃぐしゃと掻き、八つ当たりするように相方に向かって怒鳴る。
だが、もう一人の男は余裕そうにしていた。
「まァ聞け、俺に策があるんだ」
相方を諌めながら、もう一人の男は凶悪な程に歪で、醜悪な笑みを浮かべる。
そして唐突にポケットを探り始めると、一つの小瓶を取り出した。
「コイツが、俺の秘策さ」
相方が取り出した、黒く澱んだ『何か』が入った小瓶。男には、興味が湧かない訳がなかった。
「なァ、コイツがあれば、シラノの野郎に一泡吹かせられるんだよな!?」
案の定、男は目を輝かせながら飛び付く。
これ程までに御し易い相手は、早々いない。
「あァ、それをお前が使えば、シラノなんざ敵じゃあねェ」
あぁ、我ながらなんて愚かな相方なのだろう。
もう一人の細身の男は、相方を嘲笑うようにクツクツと笑っていた。
「しっかし、まさか10年前の『大襲来』の生き残りがいたなんてな……」
その一方で、千紗と言う少女の仲裁(?)により、幕を閉じた決闘から数分後。
一騎は大通りを歩きながら、物思いに耽っていた。
多くの都市が壊滅し、日本と言う国に甚大な被害を与えた『大襲来』。
それも、一番被害が大きかった『広島大襲来』の生き残りともなれば、数人といないだろう。
まさか、あんな形で出会う事になるとは。
「世の中、よく分からねーもんだな」
などと考えながら歩いていると、数メートル先を見慣れた人影が歩いていた。
「(アイツは……)」
ミリタリー調の服装、そして肩に提げたマシンガン。
顔を下に向け、傲岸不遜な雰囲気こそ出ていないが、あの顔は間違いない。あの男は、シラノに喫茶店から追い出された、狩師二人組の一人だ。
たが、取り巻きのように付き添っていた片割れの方は、何処に行った?
「(てか、少し見ないうちに随分と変わったな……)」
見当たらない取り巻き以上に、この印象が大きかった。
逆立った金髪は色褪せ、頬が痩けた顔は生気を感じさせない土気色。
たった数時間で、ここまで変わる物だろうか?
まるで、危険な薬物でも摂取したような───
「おい!危ねェだろうが!!」
すると突然、大通りに怒号が響き渡る。
「!?」
声の方角に目を向けると、地面に倒れ込んだ狩師の胸ぐらを掴み上げて、カップルと思しきガラの悪そうな男が、口泡を飛ばしながら怒鳴り付けていた。
対する彼女の方は、つまらなそうな表情でスマホをいじっており、無関係アピールを貫いている。
「テメェ~~~、なに肩ぶつけてくれてんの?服がほつれちまったじゃあねェかッ」
妙な難癖をつけながら、男は狩師をなじり出す。
だが、それ以上に恐怖を感じたのは、狩師の男は項垂れたまま何も答えない所だった。
「ねー、早く行こー?映画始まっちゃうよぉ~」
女性は急かすが、なじるだけでは足りなかったのか、今度は馬乗りになった男は狩師の顔面を殴り始める。
一騎は、背中に氷嚢を押し当てられたような寒気を感じた。
これは、非常にヤバい。
「おい、そこら辺に───」
「うぐっ……ぐあぁぁぁあぁあああッ!」
刹那、狩師の男が突然首を押さえて苦しみ始める。
その声は、まるで絶命寸前の猛獣のような、得体の知れない恐ろしさを孕んでいた。
流石に恐ろしくなったのか、男は慌てて狩師から離れて後ずさる。
「な、なんなんだテメ───」
そして次の瞬間、言葉に出来ない怪音と共に、真っ赤な血が男の首から間欠泉の如く噴き出した。
「ヒッ───!」
わずか数秒にも満たない、突然の出来事。
あの日以来日常茶飯事となったその光景でも、平穏を愛する民衆の深層心理に巣食う恐怖心を煽り、駆り立てるには十分な効果を発揮した。
「みんな逃げろ───!竜化だぁぁぁ───ッ!!」
一人の男の悲鳴をきっかけに、群衆が津波の如く走り出す。
人が出してはいけない音を鳴らしながら、狩師の身体の至る所が裂け、露出した骨格が変形し、その姿を人ならざる者へとみるみる変貌させて行く。
「(こ、コイツはヤバい!!言葉には出来ないが、兎に角ヤバい事だけは分かるッ!)」
「■■■■■■──────ッ!!!」
やがて、人とも竜とも言えない歪な姿へと元狩師の男は、しゃがれた低い咆哮をあげる。
竜化現象。
人為的、または自然的な要因によって、突然人間が竜に変貌する現象。その原因は未だ解明されておらず、言うなれば、現代社会を象徴する不治の病。
「そんな、嘘……!嫌ぁぁぁぁぁあッ!!」
「どけよジジイ!逃げられねェだろッ!!」
「おい!狩師協会に連絡はしたのか!?」
「馬鹿野郎!すぐ来れる訳ねェだろうが!」
「もうダメだ……東京はまた、竜に焼き尽くされる……!」
我先に逃げようとする者を始め、あまりの絶望に打ちひしがれて膝から崩れ落ちる者など、穏やかな雰囲気だった大通りは、一瞬にして地獄絵図と化す。
一騎の脳内を過ぎったのは、幼き日の光景。
『母さん、ごめん……!』
『待ってお兄ちゃん!お母さんがまだ!』
『一騎!雫!生き延びるのよ!』
『嫌だ!お母さん!お母さぁ───ん!』
愛する母を置き去りにして、妹の手を引いて逃げるしか出来なかった10年前。
あの惨劇が、また起ころうとしている。
「(そんなの、良いわけねェだろ……!)」
一騎は荒れ狂う竜を睨みつけ、腰を落として柄を握り締め、抜刀しようとした次の瞬間───
「いやァ~、絶景絶景。やっぱいつ見ても壮観だな、竜化」
背後から、感動するような声が聞こえる。
「しかし、模造品を使うと、あんな風になっちまうのか。だが?同時に新しい発見を得ることも出来た」
一騎の背後を歩き回る男は、笑いながら喋り続ける。
この男、狂っている。
「テメェ、何を言って───!」
刹那、前方から迫り来る殺気。
「ッ!」
慌てて回避すると、先程まで一騎がいた場所を、竜の顎が通過し、道路を抉り取って行った。
「───ッ!」
その悍ましい光景に、一騎は全身の毛が逆立つのを感じる。
狩師である以上見慣れた光景ではあるが、いつ食い千切られても可笑しくない状況を考えると、常に冷静を保って動くのは案外難易度が高い。
せめてもの救いは、知能を持たない紛い物であった為、動きが直線的で分かり易い事くらいだ。
「(いつみてもおっかねェな……!)」
だが、今回の相手は竜だけではない。
「おいおい、戦いの途中でよそ見か~?」
「うおッ!?」
銃声が鳴り響き、撃ち出された真鍮色の弾丸は一騎の頬を掠め、彼方へと飛んで行く。
「へェ、避けるか」
男の上っ面の賛辞を無視し、一騎は体勢を立て直す。
銃はその構造上、散弾銃出ない限り、弾は直線上に撃ち出される。
それさえ知っていれば、躱すのは容易い。
だが───
「■■■■───ッ!」
「うッ!」
その後隙を狙うように、竜が攻撃して来る。
ぶっちゃけた話、これがかなり厄介極まりない。
何故なら、一度一方の攻撃を躱せば、もう一方に大きな隙を見せる事になるからだ。
「ほォ~ら、チェックメイトだ!」
竜に気を取られ、無防備になった一騎の背中目掛け、男は引き金に指をかける。
───確かに、その無防備な体勢は、相手にとって格好の的となるだろう。
「あばよ!クソガキ!」
「って思うじゃん!?」
だが、それはあくまで『三流』の話だ。
一騎は敢えて地面に倒れ込み、まるでブレイクダンスを踊るように、男が構えた銃を蹴り弾く。
その行動は、逆に相手の隙を作るには十分だった。
「くッ───!」
男は距離を離そうと引き下がるが、それを一騎が見逃す訳がない。
「甘いんだよッ」
シラノとの決闘でも見せた爆発的な踏み込みで、両者の距離を一瞬で詰める。
男はがむしゃらに銃を乱射するが、一騎が足を止める程ではない。
「ハァァァ──────ッ!!」
一騎は一度抜刀し、迫り来る銃弾を全て斬り落とす。
「これで終わりだッ!」
「ヒィッ!?」
そして、渾身の居合いを放とうとした次の瞬間、ガキィンッ!と甲高い金属音が響き渡る。
止められた?銃が得物の相手に?
答えは、否だ。
「なんで───」
「困るんだよ、少年。ビジネスパートナーに手を出されては」
「なんでアンタが、ここに居る!?」
一騎の一太刀を止めた人物は、他でもないシラノだった。
「まったく、末恐ろしいものだよ。君は」
シラノは服についた埃を払いながら、鬱陶しげに言う。
なぜ、シラノがここに居る?それ以前に、なぜ背後の男を庇う?
「て言うか、ビジネスパートナーって、どう言う意味だよ?」
一騎は、震える声でシラノに問いかける。
だが、シラノはその問いを鼻で笑うだけだった。
「お前が知る必要はない。それに、敵が俺たちだけだと思うなよ?」
シラノの言葉を裏打ちするように、その顎門を限界まで開けた竜が、一騎を丸呑みにせんと迫る。
「くそッ!」
一騎は辛うじて回避するが、竜は執拗に彼を追い回す。
それを見ていたシラノは、突然なんの脈絡もない事を言い出した。
「リューマもそうだったが……君の家族は、本当に愚かだよ」
「なにッ?」
竜から逃げ切った一騎は、男を斬り倒すべく、再び切って掛かる。
「死ねッ!!」
「おっとォ、ソイツはいけないなァ!」
その一撃は再びシラノに防がれ、二人は鍔迫り合いになる形で睨み合う。
鬼気迫る表情の一騎と違い、シラノの表情は余裕そのものだ。
「3年前、リューマは奥羽山で竜と死闘を繰り広げ、名誉ある死を遂げた」
「アァ!?」
甲高い金属音と共に、2人は数手打ち合う。
だが、細身の男と竜が攻めの手を休める訳もなく、防戦一方だった。
「それが、今となんの関係がある!?」
響き渡る一騎の怒号。
するとシラノは嘲笑うように目を細め、高らかに笑い出す。
「あー、そうかそうか。そうだったのか」
笑い終えると、露骨に声のトーンを高くして言った。
「はははッ、そうかそうか。じゃあ、特別に教えてやるよ。天童竜磨は、竜と戦って死んだんじゃあない。殺されたのさ、この俺になァッ!!」
「ッ!?」
突然突きつけられた衝撃の事実に、一騎の顔に明らかな動揺が浮かぶ。
一瞬にも満たない刹那の間の、致命的な隙。
目の前で斬り合う男は、それを見逃すほど優しくはなかった。
「ッハァ!」
「ぐッ!」
一騎を力任せに弾き飛ばしたシラノは、再び回避に移る一騎を見て言う。
「血は争えないとはこの事だ。10年前のあのガキもそう!俺に親を殺されたのも知らねェで、やれ恩人だのと、まるで拾われた野良猫みてェに懐いて来やがる!」
「ッ!」
「アイツほど扱い易くて、チョロい女も早々いねェさ!!あの女が居たから、俺が名誉を手にするのにそこまで時間は要さなかった!『大襲来』に遭った街を救い!全力を賭してもたった一人しか救う事ができなかった俺は、一躍悲劇の英語だ!!慕われない訳がねェってもんよ!!」
「まさかアンタは、あの子のことを利用してたのか!?」
細身の男を斬り殺し、ようやく2対1に持ち込むことができた一騎は、左手に握った鞘で竜の猛攻をいなし続けながら、残る右手でシラノと斬り合う。
「だが、これ以上ねェバカな話だろ!?お前らが尊敬して来たのは、犯罪者と手を組んで儲かってる大悪党なんだからよォ!!!」
雨が降り始めた大通りで、シラノは悪びれもせずに笑いながら叫ぶ。
きっと、あの何も知らない純粋な少女は、シラノの帰りを待っているのだろう。
無事帰って来る事を、切に願いながら。
「なのにアンタはッ!!自分を思う子を───それも女の子を利用して!悪いと思わなかったのか!?」
「思う訳がねェだろう!大体、目障りなガキを利用して何が悪い!?あのガキには、良い思いをさせて貰ったぜ!俺が飯を作れば作って来るし?股を開けと言えば、喜んで開きやがる!!夜中に啜り泣く声も聞こえたが、そんなの俺には関係ねェよなァッ!!」
「───ッ!!!」
この男は、結婚前の女の子を傷物にし、人道に反した行為をしていると言うのに、関係ないと言う。
一騎がこの男に抱いた感情は、失意や憎しみと言う、安いものでは無い。
それはもう、至極単純で、誰もが一度は抱く感情─── 『怒り』だけだった。
「儲かる儲かる!これだから悪役はやめられねェよ!テメェを殺した後は、テメェーに冤罪擦りつけて!『また』英雄の名を欲しいがままにしようじゃあねェか!!」
シラノは一騎の脇腹を蹴り、蹴られた一騎はそのまま地面を転がる。
「さァ!英雄の為に死んでくれやァ!!」
シラノが放った必殺の一突きが、無防備な一騎を貫こうとした刹那───
灰色の空に、遠雷が轟いた。
「ぱぇ?」
シラノの腑抜けた声が、静まり返った大通りに虚しく木霊する。
シラノの突きは、一騎を殺すに至らなかった。
それは何故か?
その答えは、すぐに明らかとなった。
「お、俺の腕は?」
大事な物が突然消えた感覚に、理解が追いつかないシラノは目を白黒させる。
その表情は、やがて悲痛に満ちた物へと変わった。
「ぎゃあぁぁあぁぁぁあああ!?痛ェッ!!痛ェよぉぉぉぉお!!」
「正直俺は、アンタを尊敬してた」
「はぁ!?」
「顔は知らなかったが、狩師の鏡と呼ばれてたアンタと、一度会ってみたかった」
だが、こんな下衆だとは、思いもしなかった。
「てめーには、小一時間説教しても正直無駄なんだろうな」
「(そ、そうか……)」
そこでシラノは理解する。
竜は、突如轟いた遠雷で動きを止めたんじゃない。
「(コイツに気圧されて、動けなかったんだ!!)」
ガチガチと歯を鳴らし、恐怖に満ちた目で一騎を見上げるシラノ。
そんな彼を見下ろす瞳は、非常に冷たく、無機質な物だった。
「わ、分かった!じゃあ俺の財産の半分を、お前にやろう!!あのガキも、お前にくれてやるッ!な!?それで良いだろう!?」
通り一遍の台詞を吐きながら、シラノは典型的な命乞いをする。
それを聞いた一騎は、再びため息を吐いた。
「そもそも、平気で鞘当てをして来る奴に、ロクな奴はいなかったわ」
一騎はゆっくりと詰め寄り、シラノは尻で後退りをする。
その視線に本能的恐怖を感じ取ったのか、シラノの顔に大粒の汗が滝のように浮かび上がっていた。
「アンタの死因はただ一つ……、実にシンプルな答えだ。アンタは俺を怒らせた」
一騎は鋒をシラノの鼻先に突き付ける。
そして鋒を凝視したシラノは───、罪で栄誉を勝ち取って来た偽りの英雄は、その状況に耐えられる程の精神を持ち合わせていなかった。
「ま、待て……!俺も本心でやった訳じゃあない!!悪いとは思っていたんだ!本当だッ!!」
死を悟っても尚、シラノは醜い言い訳を喚き散らす。
本当に、情けない事この上ない。
「てめーには、もう何も言う事はねェ……非常にアワレ過ぎて───何も言えねェ」
パチンッ───。
と鍔を弾く音が鳴り、シラノは仰向けに倒れ込む。
大粒の雨が降り注ぐ大通りでは、竜と一騎が向かい合っていた。
「ゴルルルル………ッ!!」
鼻息を鳴らし、一騎を威嚇する元人間の竜。この男の所業を考えれば、この仕打ちも自業自得と言ってしまえば、それで片付くだろう。
それでも、竜と言う存在になった以上、殺さなくてはいけない。
「コンビを組む相方と、出逢う人さえ間違えてなけりゃ……良い人生だったかもな」
「ゴアアァァアァァァアッ!!!」
天高く咆哮した竜は、口から炎の塊を吐き出す。
雨天時で、しかもこれだけ離れているにも関わらず、迫る炎はジリジリと一騎の身を焼き始める。
おそらく、摂氏三千度は下らないだろう。
しかし───
「それがどうした」
狩師になって約7年、この程度の炎なら、文字通り『死ぬ程』喰らっている!
「ハァッ!!」
一騎は刀を斜に構え、一閃。
刀は炎を真っ二つに斬り裂き、割れた炎塊の中央を突っ切って、一騎は竜の懐へと躍り出る。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉらぁぁぁぁぁッ!!!」
そして大きく跳躍し、その長く太い首を両断。
一騎は、暴れ狂う竜を一刀の下に斬り伏せた。
竜討伐から1時間後、見るも無惨な惨状となった大通りには、多くの人が押し寄せていた。
「まさか、シラノさんと犯人がグルだったなんてな……」
「畜生ッ、慕ってたのが恥ずかしいぜ……!」
今から30分前、駆けつけた警察官によってシラノは逮捕、連行された。目を覚ませば、狭い取調室で辛い尋問が待っているだろう。
だが、これで良い。悪人を裁くのは、司法に任せるくらいが丁度良いのだ。
そして、件の竜となった狩師の身体からは、人工物と思しき破片が見つかった。
警察は今回の事件を、人為的な物として捜査を進めるだろう。
尤も、その犯人は途中で殺してしまったのだが。
「さて、と。そろそろ行きますか」
踵を返すと、一騎は現場を後にする。
「あっ」
その途中で、千紗とばったり鉢合わせしてしまった。
「げっ」
一騎は180度回頭し、来た道を戻ろうとするが───
「待てコラ」
「ぐはッ!」
千紗にフードを掴まれ、盛大に後頭部を強打する。
「ってェな!何すんだ!」
一騎は頭をさすりながら立ち上がり、千紗を方を見るや、すぐに神妙な面持ちになった。
「……なに、泣いてんだよ」
そう一騎が問いかけると、千紗は「えっ?」と間の抜けた声を漏らし、違和感を感じたのか目尻を拭う。
彼女は、涙を流しながら笑っていた。
「あれ?可笑しいな……あの人は、私の事を利用してただけなのに……」
きっと彼女のシラノに対する恩は、紛れもない本物だったのだろう。両親をあの男に殺されたとは言え、あの男に救われた事もまた、紛れもない真実なのだから。
やがて耐えきれなくなったのか、千紗は両手で顔を覆い、声を殺して泣き始める。
それを見兼ねた一騎は、頭を掻きながら口を開いた。
「───これは俺の持論なんだけどさ、人ってのは、無意識に救いを求める生き物なんだよ」
泣きじゃくる千紗の隣に立ち、一騎は詩を読み上げる口調で言い続ける。
「人が謝るのも、他人のために謝るんじゃなくて、『自分が許される事で安堵したい』から、謝るんだと思ってる。それは良い事をするのも同じで、誰かに対する罪悪感から、善行をするって俺は考えてる。もちろん、許される事自体は、相手にも意味を与えるんだろうけどさ」
10年前、救えなかった母に報いる為に。
3年前、刀だけ残して死んでしまった祖父を忘れない為に。
人のざわめきに掻き消されてこそいるが、彼女の泣く声は、一騎の耳に届いている。
「また来るからさ、今度はお前の心の内を聞かせてくれよ」
千紗の背中を優しく叩くと、一騎はそのまま歩き出し、こっちに向かって走って来たマスターと交代するように、千紗の下から離れて行く。
少年の名を、天童一騎。
のちに、彼は狩師としてとある偉業を成し遂げるのだが、それはまた先の御話。
それは、欧米圏にて共有される伝承や神話に登場する空想上にして、伝説上の生物。その姿はトカゲやヘビに類似し、巨大な翼を使い、我が物顔で大空を舞う。
そんなこの世の理に反するような生き物でも、かつては実在するとまでされていた。
「竜だ!みんな逃げろぉぉぉ!」
西暦2011年、7月11日。
ある極東の島国は、突如現れた竜の襲来によって、壊滅的な被害を被った。
たった5匹の竜を仕留めるのに、国が抱える自衛隊員の約半数が死亡し、その竜は僅か1時間と言う、非常に短い時間で、多くの街を火の海と化した。
「待て!逃げんじゃねェ……!戦え!!俺と戦えよッ!!チクショォォォォォ!!!」
当時10歳にも満たなかった俺は、燃える街の中で、飛び立つ竜に向かって吠える事しか出来なかった。
後にこの事件は『大襲来』と呼ばれ、人々の脳に消えない傷跡を残す。
そして、あの日から10年。
『本日をもちまして、あの日から約10年が経ちました。しかし、竜の襲来は今も続いております』
日本は復興を果たしたが、それでもあの日の恐怖は消えない。
『また現在、人が突然竜に変貌する竜化が頻発しており───』
だが、人類とて馬鹿じゃない。
力で敵わないのなら、知恵を絞り、交流を深め、人間の武器をフル活用すれば良い。
今度は、人類が竜を狩る番だ。
「さァ、狩りの時間だ」
世間では、竜を狩る狩師なる存在が脚光を浴びていた。
「おいおい、何だァこの店はァー!酒の一つもねェってのか!!」
穏やか───とは言い難い昼下がり。
洒落た外観とは真逆の騒がしい店内で、少年は本を読みながら休憩を取っていた。
「や、やめて下さいお客様!どうしてこんな事をするんですか!?」
「五月蝿ェぞこのアマ!俺たちを誰と思ってやがる!」
店内で騒ぎ立てるのは、西洋風の装いをした青年二人組。
女性店員の声に耳を貸さず、しかも他の客の迷惑など知らんとばかりに、好き勝手している。勿論、他の客は迷惑そうにしながらも、その意見を口に出そうとする者はいない。
まぁ、仕方ないと言えば仕方ないだろう。
何故なら、好き勝手振る舞うこの二人組は、人類の守護者とも言える存在なのだから。
「しかし、俺たち狩師に意見するとは、良い度胸してるなァお嬢ちゃん。えェ?おい?」
「まさか、俺たち無くして竜を倒せると思っちゃいないよなァ?」
「……ッ」
二人組が凄むと、女性店員は悔しそうに引き下がる。
数秒後、二人は再び馬鹿騒ぎを始めた。
「まったく、ああ言うのは夜中にして欲しいよね」
その一部始終を見ていた男性は、まるで見兼ねたように呟く。
優しげな顔付きで、中折帽を被った目の前の男だが、実はこの喫茶店のマスターである。
「ここは喫茶店であって、居酒屋では無いんだしさ」
「そもそも、喫茶店でやる事じゃあねーだろ。」
店主の呑気な言葉に、少年は小さくため息を吐く。
それを聞いたマスターは、小さく笑った。
「ハハハッ、確かに」
「確かに、じゃなくてなァ……」
少年は本を閉じると、半ば呆れたようにため息をつく。
「大体、店主のアンタが止めなくてどうすんだ?アイツら、多分ずっと続けるぞ?」
彼が能天気な性格なのは知っていたが、店内での問題を解決しないと言うのも腑に落ちない。
だが、マスターの口調はまるで、我が子を愛でるように穏やかな物だった。
「まァ、君の言いたい事は分かるよ。でも、それで暴れられたら困るだろう?大丈夫さ」
マスターは余裕そうに言うが、少年は不満げに眉を顰める。
「大丈夫って、何を根拠に───」
刹那、店内に吹き込む突風のような威圧感。
先程までの騒がしさが嘘のように、店内は粛々とした静かな空気に包まれた。
「久しぶりだな、ここに来るのも」
ドアベルを鳴らしながら入って来たのは、羽根付きの帽子を被り、カイゼル髭を生やした長身の男。
レイピアの入った鞘を腰に下げたその装いは、三銃士を彷彿とさせる。
「やァ、いらっしゃい。シラノ」
「久しいな、惣一」
シラノと呼ばれた男は、マスターに挨拶して女性店員に微笑みかけると、二人の方に目をやる。
「で?これはどう言う事だ?」
シラノは目を細め、覇気を顕にする。
件の二人組は、ヘビに睨まれた蛙のように硬直していた。
「よもや、狩師とあろう者が、公共の場でこのような狼藉を働いていようとはな」
「ヒッ───!ち、違うですシラノさん!俺は止めたのにコイツが……」
「お、おいおい待てよ!元はと言えばお前が!」
客目を憚らず、口汚く互いを罵り合う二人組。つい先程までの威勢は、一体どこへ行ったのかと問いたくなる程、二人は慌てふためき、その顔からは余裕が消え失せている。
それ程までに、あのシラノと言う男の言葉には、凪のように静かで、炎のような怒気が込められていた。
「凄いな……」
初見のインパクトもあったからか、少年も感嘆の声をポツリと溢す。
剣豪シラノ。
少年も名前は聞いていたが、本人を目にするのは今日が初めてだった。
「お前たちがここに居る価値は無い。他のお客様に謝罪し、今すぐに立ち去れッ」
「「は、はいッ!すみませんでした!」」
シラノが一喝すると、二人組は蜘蛛の子を散らすようにそそくさと店を出て行く。
もちろん、カウンターには金を払って行った。
「ウチの若い者が迷惑をかけたな」
二人の迷惑客を追い出したシラノは、柔和な笑みを浮かべながら、少年の向かい側の席に座る。一瞬二人の目が合ったが、猛禽類のように鋭く、知的な眼をしていた。
しかし、その口調にさっきまでの覇気や威圧感は感じられず、親しみ易い印象を受ける。
成る程。この男、世渡りがかなり上手い。
そして彼の姿を見るや、今度は他の客がざわめき始める。
「スゲェ……シラノさんだ……!」
「本物、だよな……!?」
「カッコイイ……」
「俺ァ、初めて見たぜ……」
「相変わらず、すごい人気だね」
「何、別に大した事じゃないさ」
マスターの褒め言葉にも顔色を変えず、シラノは微笑を浮かべる。
大人の余裕と言うやつなのか、どことなく不敵な笑みにも見えた。
「ところで惣一、隣に座る彼は?」
「あぁ、彼も狩師の一人さ。名前は───」
するとシラノが人差し指でマスターの口を塞ぎ、こちらに目線を向けて来た。
さっきとは打って変わる、猛禽類のような鋭い目。
「君も狩師なら、名前くらいは自分で名乗ったらどうだ?」
優しげな口調に再び混じる威圧感。
これがこの男の挨拶だとすると、随分な挨拶だ。
「天童一騎」
少年は本から目を離さず、淡々と名乗る。
目を見て挨拶しないと言う行為は、狩師で無くとも相手の不況を買うだろう。
しかし、シラノは懐かしい物を見るように、一騎の座る椅子に架けられた刀を見つめる。
「天童……そうか、君はリューマの孫か」
「祖父さんを、知ってんのか?」
一騎の問いに、シラノは小さく頷く。
「勿論だ。寧ろ、狩師で彼の名を知らぬ者は居ないだろう」
「何せ、10年前の『大襲来』で、最も戦果を挙げた男だからな」と、シラノはまるで自分のことのように、誇らしげに語る。
10年前の『大襲来』の主な舞台となった都市は、北海道、山形、東京、京都などだ。中でも、広島に襲来した竜は特殊な能力を有していたらしく、祖父が居なければ討伐は不可能だったと言われている。
武力に優れた東京の個体とは異なり、体内の細胞を自在に変形させる難敵だったと言う。
「リューマは、元気にしているかい?」
「……祖父さんは、3年前に竜と戦って死んだ。知ってんだろ」
一騎は素っ気ない口調で言い捨てる。
「そう、だったな……悪かった、思い出したくもない事を聞いてしまって」
シラノは申し訳なさそうにすると、顔を隠すように帽子を被り直す。
「では、そろそろ行くとしよう。邪魔したな」
席を立ったシラノは、玄関に向かって歩き出す。
そして一騎の側を通ろうとした次の瞬間
───カツン。
と、鞘同士の当たる音が、店内に響いた。
「おい」
そしてそれを聞き逃すほど、一騎は甘くなかった。
「ちょいと待てやオッサン。今、アンタの鞘と俺の鞘が当たったぞ」
シラノは自身の鞘と一騎の鞘を交互に見ると、「あぁ」と小さく呟いた。
「鞘当てか。これは失礼した、故意ではないんだ。気を悪くしてしまったようなら、謝ろう」
その事を咎められたシラノは、穏便に済ませようと謝罪する。
なんとも出来た紳士的な態度。
だが、分かる。この男は隣を通り過ぎようとした瞬間、来る時の位置から半歩ズレて歩いていた。
他者から見れば、単なる言い掛かりに聞こえるだろう。
だが───
「狩師が、間違って半歩ズレて歩いたなんて事はねェよな?」
それも、『大襲来』で多大な戦果を挙げたシラノ程ともなれば、尚更だ。
「鞘当てを知っててやった挙句、剰え『ごめんなさい』で乗り切ろうだと?」
一騎は本をテーブルの上に置き、椅子から立ち上がると、側に架けておいた刀を取る。
そして漆塗りの鞘から太刀を抜き、その切先をシラノに突き付けた。
「抜け、今し方アンタがやったのは、俺に対する果たし状に値する行為だ」
重石のような、重厚感を帯びた言葉。
やがて、シラノは観念したように眼を伏せると、レイピアを抜き放つ。
「少年、活気なのは結構だが───後悔するぞ?」
猛禽類の如し眼と、覇気を纏った声色で告げる。
予期せぬ形で始まった、狩師同士の戦い。
客や従業員が固唾を呑んで見守る中、両者は最初の位置からピクリとも動かなかった。
「(打って……来ないだと?)」
構えを取る一騎を見据え、シラノは小さく息を吐く。
あの様子なら、てっきりそこら辺のチンピラのように、感情的に打ち込んで来るものだと思っていた。
故に、直ぐに制圧出来るよう防御の構えを取ったのだが───
「(まさか、読みが外れるとはな……)」
『慧眼のシラノ』と呼ばれるように、自他共に洞察力には相当な自信がある。
だからこそ、すぐに打って来ないのが意外だった。
だが、いつまでも落ち込んでいる暇はない。
「中々やるようだが……これならどうだ?」
シラノは、今度は突きの構えを取る。
貫通力に特化したレイピアの特性を最大限活かしつつ、相手との距離を一定に空ける事で、相手の一撃を貰わず一方的に殴る事が出来る攻めの型。
対する一騎は、刀を正眼に構え、防御の構えでシラノと対峙する。
シラノは流れるように防御の型に切り替え、一騎は攻守万能の型を取る。
「……」
「……!」
緊張した空気が張り詰める店内。
両者はスムーズに、一切の隙間を見せず、次々と型を切り替えていく。
そして、珈琲の雫が滴り落ちた次の瞬間、一騎は閃光の如し一歩を踏み出した。
「ッ!」
強烈な踏み込みにより、両者の間合いを一瞬で詰めた一騎は、下段から刀を振り上げる。
シラノは一歩反応が遅れるが、護拳で頭身を殴り、辛うじて回避。隙だらけになった頭部目掛けて、全身のバネをフルに駆使した全力の刺突をお見舞いする。
「甘いッ!」
しかし、一騎は上半身を逸らせて回避し、斬りあげる。
それをシラノが迎撃しようとした刹那──
「シラノ……さん?」
か細い少女の声によって、互いの切先が互いの鼻先で止まった。
二人は揃って声の方に振り向くと、そこには一騎と同じくらいの年頃の少女が立っていた。
「君は……もしかして千紗か?」
剣を納めたシラノが、少女に尋ねる。
すると、千紗と呼ばれた少女はパッと華が咲いたような笑顔を浮かべ、シラノの胸に飛び込んだ。
「やっぱりシラノさんだ!久しぶり!」
「あぁ、久しぶりだな。千紗。元気そうで何よりだ」
シラノに頭を撫でられ、年相応の可愛らしい笑顔を浮かべる千紗。
和やかな空気の中、一騎は静かに刀を納めた。
「何故、刀を納めた?」
「興醒めだ。大体、そこの女が止めさえしなけりゃ、俺が勝ってた」
「ハハハッ、冗談が上手いな。君は」
「うっせ、つかその女誰だよ」
「君にも紹介しよう。私の娘のような子だ」
「なんだそりゃ」
もはや決闘どころではない雰囲気に呆れたのか、一騎は小さくため息をついた。
同時刻。
「くそッ、くそッ!シラノの野郎ォ!!俺たちの足下みやがって!」
店を追い出された二人組の一人が、腹いせに路地裏のゴミ箱を蹴っ飛ばす。
それを見兼ねたもう一人が、相方を諌める。
「気持ちは分かるが、俺たちだけじゃ返り討ちに遭うだけだぜ」
「じゃあどうするッてんだよォ!!」
男は頭をぐしゃぐしゃと掻き、八つ当たりするように相方に向かって怒鳴る。
だが、もう一人の男は余裕そうにしていた。
「まァ聞け、俺に策があるんだ」
相方を諌めながら、もう一人の男は凶悪な程に歪で、醜悪な笑みを浮かべる。
そして唐突にポケットを探り始めると、一つの小瓶を取り出した。
「コイツが、俺の秘策さ」
相方が取り出した、黒く澱んだ『何か』が入った小瓶。男には、興味が湧かない訳がなかった。
「なァ、コイツがあれば、シラノの野郎に一泡吹かせられるんだよな!?」
案の定、男は目を輝かせながら飛び付く。
これ程までに御し易い相手は、早々いない。
「あァ、それをお前が使えば、シラノなんざ敵じゃあねェ」
あぁ、我ながらなんて愚かな相方なのだろう。
もう一人の細身の男は、相方を嘲笑うようにクツクツと笑っていた。
「しっかし、まさか10年前の『大襲来』の生き残りがいたなんてな……」
その一方で、千紗と言う少女の仲裁(?)により、幕を閉じた決闘から数分後。
一騎は大通りを歩きながら、物思いに耽っていた。
多くの都市が壊滅し、日本と言う国に甚大な被害を与えた『大襲来』。
それも、一番被害が大きかった『広島大襲来』の生き残りともなれば、数人といないだろう。
まさか、あんな形で出会う事になるとは。
「世の中、よく分からねーもんだな」
などと考えながら歩いていると、数メートル先を見慣れた人影が歩いていた。
「(アイツは……)」
ミリタリー調の服装、そして肩に提げたマシンガン。
顔を下に向け、傲岸不遜な雰囲気こそ出ていないが、あの顔は間違いない。あの男は、シラノに喫茶店から追い出された、狩師二人組の一人だ。
たが、取り巻きのように付き添っていた片割れの方は、何処に行った?
「(てか、少し見ないうちに随分と変わったな……)」
見当たらない取り巻き以上に、この印象が大きかった。
逆立った金髪は色褪せ、頬が痩けた顔は生気を感じさせない土気色。
たった数時間で、ここまで変わる物だろうか?
まるで、危険な薬物でも摂取したような───
「おい!危ねェだろうが!!」
すると突然、大通りに怒号が響き渡る。
「!?」
声の方角に目を向けると、地面に倒れ込んだ狩師の胸ぐらを掴み上げて、カップルと思しきガラの悪そうな男が、口泡を飛ばしながら怒鳴り付けていた。
対する彼女の方は、つまらなそうな表情でスマホをいじっており、無関係アピールを貫いている。
「テメェ~~~、なに肩ぶつけてくれてんの?服がほつれちまったじゃあねェかッ」
妙な難癖をつけながら、男は狩師をなじり出す。
だが、それ以上に恐怖を感じたのは、狩師の男は項垂れたまま何も答えない所だった。
「ねー、早く行こー?映画始まっちゃうよぉ~」
女性は急かすが、なじるだけでは足りなかったのか、今度は馬乗りになった男は狩師の顔面を殴り始める。
一騎は、背中に氷嚢を押し当てられたような寒気を感じた。
これは、非常にヤバい。
「おい、そこら辺に───」
「うぐっ……ぐあぁぁぁあぁあああッ!」
刹那、狩師の男が突然首を押さえて苦しみ始める。
その声は、まるで絶命寸前の猛獣のような、得体の知れない恐ろしさを孕んでいた。
流石に恐ろしくなったのか、男は慌てて狩師から離れて後ずさる。
「な、なんなんだテメ───」
そして次の瞬間、言葉に出来ない怪音と共に、真っ赤な血が男の首から間欠泉の如く噴き出した。
「ヒッ───!」
わずか数秒にも満たない、突然の出来事。
あの日以来日常茶飯事となったその光景でも、平穏を愛する民衆の深層心理に巣食う恐怖心を煽り、駆り立てるには十分な効果を発揮した。
「みんな逃げろ───!竜化だぁぁぁ───ッ!!」
一人の男の悲鳴をきっかけに、群衆が津波の如く走り出す。
人が出してはいけない音を鳴らしながら、狩師の身体の至る所が裂け、露出した骨格が変形し、その姿を人ならざる者へとみるみる変貌させて行く。
「(こ、コイツはヤバい!!言葉には出来ないが、兎に角ヤバい事だけは分かるッ!)」
「■■■■■■──────ッ!!!」
やがて、人とも竜とも言えない歪な姿へと元狩師の男は、しゃがれた低い咆哮をあげる。
竜化現象。
人為的、または自然的な要因によって、突然人間が竜に変貌する現象。その原因は未だ解明されておらず、言うなれば、現代社会を象徴する不治の病。
「そんな、嘘……!嫌ぁぁぁぁぁあッ!!」
「どけよジジイ!逃げられねェだろッ!!」
「おい!狩師協会に連絡はしたのか!?」
「馬鹿野郎!すぐ来れる訳ねェだろうが!」
「もうダメだ……東京はまた、竜に焼き尽くされる……!」
我先に逃げようとする者を始め、あまりの絶望に打ちひしがれて膝から崩れ落ちる者など、穏やかな雰囲気だった大通りは、一瞬にして地獄絵図と化す。
一騎の脳内を過ぎったのは、幼き日の光景。
『母さん、ごめん……!』
『待ってお兄ちゃん!お母さんがまだ!』
『一騎!雫!生き延びるのよ!』
『嫌だ!お母さん!お母さぁ───ん!』
愛する母を置き去りにして、妹の手を引いて逃げるしか出来なかった10年前。
あの惨劇が、また起ころうとしている。
「(そんなの、良いわけねェだろ……!)」
一騎は荒れ狂う竜を睨みつけ、腰を落として柄を握り締め、抜刀しようとした次の瞬間───
「いやァ~、絶景絶景。やっぱいつ見ても壮観だな、竜化」
背後から、感動するような声が聞こえる。
「しかし、模造品を使うと、あんな風になっちまうのか。だが?同時に新しい発見を得ることも出来た」
一騎の背後を歩き回る男は、笑いながら喋り続ける。
この男、狂っている。
「テメェ、何を言って───!」
刹那、前方から迫り来る殺気。
「ッ!」
慌てて回避すると、先程まで一騎がいた場所を、竜の顎が通過し、道路を抉り取って行った。
「───ッ!」
その悍ましい光景に、一騎は全身の毛が逆立つのを感じる。
狩師である以上見慣れた光景ではあるが、いつ食い千切られても可笑しくない状況を考えると、常に冷静を保って動くのは案外難易度が高い。
せめてもの救いは、知能を持たない紛い物であった為、動きが直線的で分かり易い事くらいだ。
「(いつみてもおっかねェな……!)」
だが、今回の相手は竜だけではない。
「おいおい、戦いの途中でよそ見か~?」
「うおッ!?」
銃声が鳴り響き、撃ち出された真鍮色の弾丸は一騎の頬を掠め、彼方へと飛んで行く。
「へェ、避けるか」
男の上っ面の賛辞を無視し、一騎は体勢を立て直す。
銃はその構造上、散弾銃出ない限り、弾は直線上に撃ち出される。
それさえ知っていれば、躱すのは容易い。
だが───
「■■■■───ッ!」
「うッ!」
その後隙を狙うように、竜が攻撃して来る。
ぶっちゃけた話、これがかなり厄介極まりない。
何故なら、一度一方の攻撃を躱せば、もう一方に大きな隙を見せる事になるからだ。
「ほォ~ら、チェックメイトだ!」
竜に気を取られ、無防備になった一騎の背中目掛け、男は引き金に指をかける。
───確かに、その無防備な体勢は、相手にとって格好の的となるだろう。
「あばよ!クソガキ!」
「って思うじゃん!?」
だが、それはあくまで『三流』の話だ。
一騎は敢えて地面に倒れ込み、まるでブレイクダンスを踊るように、男が構えた銃を蹴り弾く。
その行動は、逆に相手の隙を作るには十分だった。
「くッ───!」
男は距離を離そうと引き下がるが、それを一騎が見逃す訳がない。
「甘いんだよッ」
シラノとの決闘でも見せた爆発的な踏み込みで、両者の距離を一瞬で詰める。
男はがむしゃらに銃を乱射するが、一騎が足を止める程ではない。
「ハァァァ──────ッ!!」
一騎は一度抜刀し、迫り来る銃弾を全て斬り落とす。
「これで終わりだッ!」
「ヒィッ!?」
そして、渾身の居合いを放とうとした次の瞬間、ガキィンッ!と甲高い金属音が響き渡る。
止められた?銃が得物の相手に?
答えは、否だ。
「なんで───」
「困るんだよ、少年。ビジネスパートナーに手を出されては」
「なんでアンタが、ここに居る!?」
一騎の一太刀を止めた人物は、他でもないシラノだった。
「まったく、末恐ろしいものだよ。君は」
シラノは服についた埃を払いながら、鬱陶しげに言う。
なぜ、シラノがここに居る?それ以前に、なぜ背後の男を庇う?
「て言うか、ビジネスパートナーって、どう言う意味だよ?」
一騎は、震える声でシラノに問いかける。
だが、シラノはその問いを鼻で笑うだけだった。
「お前が知る必要はない。それに、敵が俺たちだけだと思うなよ?」
シラノの言葉を裏打ちするように、その顎門を限界まで開けた竜が、一騎を丸呑みにせんと迫る。
「くそッ!」
一騎は辛うじて回避するが、竜は執拗に彼を追い回す。
それを見ていたシラノは、突然なんの脈絡もない事を言い出した。
「リューマもそうだったが……君の家族は、本当に愚かだよ」
「なにッ?」
竜から逃げ切った一騎は、男を斬り倒すべく、再び切って掛かる。
「死ねッ!!」
「おっとォ、ソイツはいけないなァ!」
その一撃は再びシラノに防がれ、二人は鍔迫り合いになる形で睨み合う。
鬼気迫る表情の一騎と違い、シラノの表情は余裕そのものだ。
「3年前、リューマは奥羽山で竜と死闘を繰り広げ、名誉ある死を遂げた」
「アァ!?」
甲高い金属音と共に、2人は数手打ち合う。
だが、細身の男と竜が攻めの手を休める訳もなく、防戦一方だった。
「それが、今となんの関係がある!?」
響き渡る一騎の怒号。
するとシラノは嘲笑うように目を細め、高らかに笑い出す。
「あー、そうかそうか。そうだったのか」
笑い終えると、露骨に声のトーンを高くして言った。
「はははッ、そうかそうか。じゃあ、特別に教えてやるよ。天童竜磨は、竜と戦って死んだんじゃあない。殺されたのさ、この俺になァッ!!」
「ッ!?」
突然突きつけられた衝撃の事実に、一騎の顔に明らかな動揺が浮かぶ。
一瞬にも満たない刹那の間の、致命的な隙。
目の前で斬り合う男は、それを見逃すほど優しくはなかった。
「ッハァ!」
「ぐッ!」
一騎を力任せに弾き飛ばしたシラノは、再び回避に移る一騎を見て言う。
「血は争えないとはこの事だ。10年前のあのガキもそう!俺に親を殺されたのも知らねェで、やれ恩人だのと、まるで拾われた野良猫みてェに懐いて来やがる!」
「ッ!」
「アイツほど扱い易くて、チョロい女も早々いねェさ!!あの女が居たから、俺が名誉を手にするのにそこまで時間は要さなかった!『大襲来』に遭った街を救い!全力を賭してもたった一人しか救う事ができなかった俺は、一躍悲劇の英語だ!!慕われない訳がねェってもんよ!!」
「まさかアンタは、あの子のことを利用してたのか!?」
細身の男を斬り殺し、ようやく2対1に持ち込むことができた一騎は、左手に握った鞘で竜の猛攻をいなし続けながら、残る右手でシラノと斬り合う。
「だが、これ以上ねェバカな話だろ!?お前らが尊敬して来たのは、犯罪者と手を組んで儲かってる大悪党なんだからよォ!!!」
雨が降り始めた大通りで、シラノは悪びれもせずに笑いながら叫ぶ。
きっと、あの何も知らない純粋な少女は、シラノの帰りを待っているのだろう。
無事帰って来る事を、切に願いながら。
「なのにアンタはッ!!自分を思う子を───それも女の子を利用して!悪いと思わなかったのか!?」
「思う訳がねェだろう!大体、目障りなガキを利用して何が悪い!?あのガキには、良い思いをさせて貰ったぜ!俺が飯を作れば作って来るし?股を開けと言えば、喜んで開きやがる!!夜中に啜り泣く声も聞こえたが、そんなの俺には関係ねェよなァッ!!」
「───ッ!!!」
この男は、結婚前の女の子を傷物にし、人道に反した行為をしていると言うのに、関係ないと言う。
一騎がこの男に抱いた感情は、失意や憎しみと言う、安いものでは無い。
それはもう、至極単純で、誰もが一度は抱く感情─── 『怒り』だけだった。
「儲かる儲かる!これだから悪役はやめられねェよ!テメェを殺した後は、テメェーに冤罪擦りつけて!『また』英雄の名を欲しいがままにしようじゃあねェか!!」
シラノは一騎の脇腹を蹴り、蹴られた一騎はそのまま地面を転がる。
「さァ!英雄の為に死んでくれやァ!!」
シラノが放った必殺の一突きが、無防備な一騎を貫こうとした刹那───
灰色の空に、遠雷が轟いた。
「ぱぇ?」
シラノの腑抜けた声が、静まり返った大通りに虚しく木霊する。
シラノの突きは、一騎を殺すに至らなかった。
それは何故か?
その答えは、すぐに明らかとなった。
「お、俺の腕は?」
大事な物が突然消えた感覚に、理解が追いつかないシラノは目を白黒させる。
その表情は、やがて悲痛に満ちた物へと変わった。
「ぎゃあぁぁあぁぁぁあああ!?痛ェッ!!痛ェよぉぉぉぉお!!」
「正直俺は、アンタを尊敬してた」
「はぁ!?」
「顔は知らなかったが、狩師の鏡と呼ばれてたアンタと、一度会ってみたかった」
だが、こんな下衆だとは、思いもしなかった。
「てめーには、小一時間説教しても正直無駄なんだろうな」
「(そ、そうか……)」
そこでシラノは理解する。
竜は、突如轟いた遠雷で動きを止めたんじゃない。
「(コイツに気圧されて、動けなかったんだ!!)」
ガチガチと歯を鳴らし、恐怖に満ちた目で一騎を見上げるシラノ。
そんな彼を見下ろす瞳は、非常に冷たく、無機質な物だった。
「わ、分かった!じゃあ俺の財産の半分を、お前にやろう!!あのガキも、お前にくれてやるッ!な!?それで良いだろう!?」
通り一遍の台詞を吐きながら、シラノは典型的な命乞いをする。
それを聞いた一騎は、再びため息を吐いた。
「そもそも、平気で鞘当てをして来る奴に、ロクな奴はいなかったわ」
一騎はゆっくりと詰め寄り、シラノは尻で後退りをする。
その視線に本能的恐怖を感じ取ったのか、シラノの顔に大粒の汗が滝のように浮かび上がっていた。
「アンタの死因はただ一つ……、実にシンプルな答えだ。アンタは俺を怒らせた」
一騎は鋒をシラノの鼻先に突き付ける。
そして鋒を凝視したシラノは───、罪で栄誉を勝ち取って来た偽りの英雄は、その状況に耐えられる程の精神を持ち合わせていなかった。
「ま、待て……!俺も本心でやった訳じゃあない!!悪いとは思っていたんだ!本当だッ!!」
死を悟っても尚、シラノは醜い言い訳を喚き散らす。
本当に、情けない事この上ない。
「てめーには、もう何も言う事はねェ……非常にアワレ過ぎて───何も言えねェ」
パチンッ───。
と鍔を弾く音が鳴り、シラノは仰向けに倒れ込む。
大粒の雨が降り注ぐ大通りでは、竜と一騎が向かい合っていた。
「ゴルルルル………ッ!!」
鼻息を鳴らし、一騎を威嚇する元人間の竜。この男の所業を考えれば、この仕打ちも自業自得と言ってしまえば、それで片付くだろう。
それでも、竜と言う存在になった以上、殺さなくてはいけない。
「コンビを組む相方と、出逢う人さえ間違えてなけりゃ……良い人生だったかもな」
「ゴアアァァアァァァアッ!!!」
天高く咆哮した竜は、口から炎の塊を吐き出す。
雨天時で、しかもこれだけ離れているにも関わらず、迫る炎はジリジリと一騎の身を焼き始める。
おそらく、摂氏三千度は下らないだろう。
しかし───
「それがどうした」
狩師になって約7年、この程度の炎なら、文字通り『死ぬ程』喰らっている!
「ハァッ!!」
一騎は刀を斜に構え、一閃。
刀は炎を真っ二つに斬り裂き、割れた炎塊の中央を突っ切って、一騎は竜の懐へと躍り出る。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉらぁぁぁぁぁッ!!!」
そして大きく跳躍し、その長く太い首を両断。
一騎は、暴れ狂う竜を一刀の下に斬り伏せた。
竜討伐から1時間後、見るも無惨な惨状となった大通りには、多くの人が押し寄せていた。
「まさか、シラノさんと犯人がグルだったなんてな……」
「畜生ッ、慕ってたのが恥ずかしいぜ……!」
今から30分前、駆けつけた警察官によってシラノは逮捕、連行された。目を覚ませば、狭い取調室で辛い尋問が待っているだろう。
だが、これで良い。悪人を裁くのは、司法に任せるくらいが丁度良いのだ。
そして、件の竜となった狩師の身体からは、人工物と思しき破片が見つかった。
警察は今回の事件を、人為的な物として捜査を進めるだろう。
尤も、その犯人は途中で殺してしまったのだが。
「さて、と。そろそろ行きますか」
踵を返すと、一騎は現場を後にする。
「あっ」
その途中で、千紗とばったり鉢合わせしてしまった。
「げっ」
一騎は180度回頭し、来た道を戻ろうとするが───
「待てコラ」
「ぐはッ!」
千紗にフードを掴まれ、盛大に後頭部を強打する。
「ってェな!何すんだ!」
一騎は頭をさすりながら立ち上がり、千紗を方を見るや、すぐに神妙な面持ちになった。
「……なに、泣いてんだよ」
そう一騎が問いかけると、千紗は「えっ?」と間の抜けた声を漏らし、違和感を感じたのか目尻を拭う。
彼女は、涙を流しながら笑っていた。
「あれ?可笑しいな……あの人は、私の事を利用してただけなのに……」
きっと彼女のシラノに対する恩は、紛れもない本物だったのだろう。両親をあの男に殺されたとは言え、あの男に救われた事もまた、紛れもない真実なのだから。
やがて耐えきれなくなったのか、千紗は両手で顔を覆い、声を殺して泣き始める。
それを見兼ねた一騎は、頭を掻きながら口を開いた。
「───これは俺の持論なんだけどさ、人ってのは、無意識に救いを求める生き物なんだよ」
泣きじゃくる千紗の隣に立ち、一騎は詩を読み上げる口調で言い続ける。
「人が謝るのも、他人のために謝るんじゃなくて、『自分が許される事で安堵したい』から、謝るんだと思ってる。それは良い事をするのも同じで、誰かに対する罪悪感から、善行をするって俺は考えてる。もちろん、許される事自体は、相手にも意味を与えるんだろうけどさ」
10年前、救えなかった母に報いる為に。
3年前、刀だけ残して死んでしまった祖父を忘れない為に。
人のざわめきに掻き消されてこそいるが、彼女の泣く声は、一騎の耳に届いている。
「また来るからさ、今度はお前の心の内を聞かせてくれよ」
千紗の背中を優しく叩くと、一騎はそのまま歩き出し、こっちに向かって走って来たマスターと交代するように、千紗の下から離れて行く。
少年の名を、天童一騎。
のちに、彼は狩師としてとある偉業を成し遂げるのだが、それはまた先の御話。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
魅了が解けた貴男から私へ
砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。
彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。
そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。
しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。
男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。
元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。
しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。
三話完結です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる