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しおりを挟む暑さがおさまる夏の終わり。
オリアーナの聖女の任命式が大聖堂で行われ、大神官から冠を授けられた。美しい聖女の装いをしたオリアーナが跪き冠を被せられる姿に、参集者たちは息を飲んだ。
厳かな雰囲気の式が終わったあとは、上位貴族たちとの顔合わせのために夜会が開かれる。
「ねぇ、やっぱりこれ、似合わないんじゃない……かな?」
控え室でオリアーナはジュリエットに尋ねる。彼女はぶんぶんと顔を横に振った。
「いいえ、いいえっ、最っ高~~~~ですわ!」
ジュリエットは瞳をきらきらと輝かせ、両手を祈るように組んで顔を近づけて来た。
今日のオリアーナは、美しく着飾っている。
ドレスは藍色を基調としていて、花柄のレースが幾つも重ねられている。胸元はVネックでデコルテが覗き、背中も肌が晒されている。ウエスト部分には宝石のビーズで華やかに装飾が施されている。
オリアーナには珍しい、女性らしいデザインのドレスだ。久しぶりのスカートやヒールが慣れない。
(足元がなんだかすーすーする……)
上品なドレスに身を包んだオリアーナは、まるで絵画の女神のようだと支度を手伝った使用人たちにも賞賛された。
ガチャりと扉が開き、セナが入ってくる。
「…………!」
ドレスを着たオリアーナを見るやいなや、セナは目を見開いて固まった。
「変……かな」
お世辞のひとつでも言ってくれるかと思いきや、沈黙するセナ。気まずそうに尋ねれば、彼は口元に手を添えて言った。
「いや、綺麗すぎて……びっくりした」
「……! あ、ありがとう……」
セナの手がオリアーナの髪に伸びてくる。一束すくい上げるようにして撫でる彼。
「……髪、長くした?」
「セナが長い方が好きって言ってたから」
「何それ、可愛い」
今日は、髪を一時的に伸ばす魔法をかけてもらっている。赤面して目を伏せると、ジュリエットが微笑ましそうにこちらを見ていた。
「さ、行こうか。皆広間で君が来るのを待ってる」
「……うん」
オリアーナはセナの腕に手をかけて、控え室を出た。今日は彼にエスコートしてもらうことになっている。――新しい婚約者として。この夏の間、二人は改めて婚約を結んだのだった。
長い回廊を歩き、夜会の会場の広間に着く。待機している衛兵が扉を開き、広間から盛れるシャンデリアの光に目を眇めた。
「あのお方が、新しい聖女様……」
「おお、なんと美しい……」
「アーネル公爵家でひどい仕打ちを受けていたそうよ。出来損ないと言われていたとか」
「両親と縁を切るために、親戚の養子になったらしいわ」
「苦労人なのねぇ」
ひそひそと噂をする声を聞きながら、広間の中を歩く。
オーケストラがゆったりとしたワルツを演奏している。踊りを楽しんでいた人も、ソファで談笑していた人も、誰もがオリアーナの洗練された美貌とオーラに圧倒されている。
オリアーナは堂々とした所作で、片足を引き、スカートを摘んで一礼した。
「今日は私のためにお集まりいただきありがとうございます。オリアーナ・ガードルです。聖女として、皆様とともにこの国の民のために貢献したいと思っております。どうぞよろしく」
にこりと微笑みを浮かべれば、おお……と感嘆の息がそこかしこから漏れた。オリアーナをうっとりと眺める者の中には、元婚約者のレックスの姿があった。
彼はまっすぐにオリアーナの前にやって来た。
「やぁ、久しぶり。オリアーナ」
「……レックス様」
「すごく綺麗だ。見違えるようだ」
「えっと……どうも」
彼の目は熱を帯びていて、一歩後ずさる。
「照れなくていい。僕のために綺麗にしてくれたんだろう?」
「……は?」
突拍子もない発言に、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をするオリアーナ。なぜレックスのために? 頭の中が疑問符でいっぱいになる。
「僕とやり直したいから、女らしさを勉強したんだろう。分かってるよ」
この人は一体、何を言っているのだろう。話があまりにも飛躍していて、返す言葉が見つからない。未練どころか、端から彼に対する愛情はなかったのに。
セナの方を見上げれば、彼も呆れた顔をしている。セナはオリアーナの腰をわざとらしく抱き寄せて、レックスを牽制した。
「まだ自分のものかのように思っているようだけど、今のオリアーナの婚約者は俺だ」
「立場はそうでしょう。でも、彼女の気持ちはどうかな?」
どうかなも何も、少なくともレックスにだけはないことは確かである。含みのある表情でこちらをちらちら見てくるが、勘弁してほしい。
(参ったな……)
すると、レックスがオリアーナの腕を掴んできた。
「お前が両親からひどい仕打ちを受けていたこと、ずっと不憫に思っていた。僕も夫妻が怖くてお前と別れるしかなかったんだ。……後悔してる。あっちで少し話そう。オリアーナ」
「いや、それはちょっと……」
露骨に怪訝そうな顔をしてみるが、全く通用しない。レックスはオリアーナを社交界で散々小馬鹿にしてきた。しかし、彼女が聖女に選ばれてから、世間はレックスの方を非難するようになり立場を失ってしまったのだ。だからオリアーナと寄りを戻して、自分の名誉を挽回しようという魂胆なのだろう。
腹が立つを通り越して呆れ果てていたら、また面倒な人が登場した。
「姉さんからその汚らわしい手を離していただけますか。人間のクズが」
「人間のクズ」
ストレートすぎる悪口にぎょっとするレックス。レイモンドはこほんと咳払いして続けた。
「おっと失礼。つい心の声が漏れてしまいました。人間のクズ、ではなく人間のゴミに訂正させていただきます」
「いやそれ……変わらない気が」
レイモンドはレックスの手をオリアーナから引き剥がし、人好きのする笑顔を貼り付けたままぐちぐちと嫌味を言う。
「今更何のつもりです? 婚約者だったとき、散々姉さんのことを小馬鹿にしていたくせに、聖女になった途端手のひら返しですか……。気持ちが悪いので、姉さんの視界の半径五百メートル以内に近づかないでいただけます? というか同じ空間で呼吸しないでいただけますか? あなたが吐いた空気を姉さんが吸っていると思うだけで虫唾が走るので」
「痛だだだっ、痛いっ、手、離し――」
「次に姉さんに無礼を働いたらこの手、へし折りますよ」
しかし、すでにレイモンドが握るレックスの腕はギチギチと音を立てていて、今にも折れてしまいそうな勢いだ。レイモンドは姉のことになると周りが見えなくなるところがある。
「おいおい、そこまでにしろよシスコン。そんな腕、折る価値もないんだからさ!」
そこに割り込んで来たのは、リヒャルドだった。リヒャルドはオリアーナを一旦上から下までチラ見したあと、「綺麗だ……」と呟いた。しかし、すぐに首を横にぶんぶんと振って、決まりよく笑った。
「こいつらのことは俺に任せてくれ! ほら、行くぞ。レックスにレイモンド!」
リヒャルドは二人と肩を組み、強引にどこかに連れて行った。
残されたオリアーナとセナは顔を見合せて苦笑する。
「なんだか……忙しないね」
「本当に」
◇◇◇
一通り参集者たちとの挨拶を終えたあと、オリアーナとセナはバルコニーに出た。二人が座ってもまだ余裕がある大きなソファに腰を下ろして、飲み物を飲みながら休憩する。
白亜の手すりの向こうで、夜の虫が鳴いている。冷たい風が優しく頬を撫でていき、真っ暗な夜空には、大きな月が浮かんでいる。
「……セナ」
「何?」
手持ち無沙汰にグラスを触りながら、口を開く。
「いつも……味方でいてくれてありがとう。セナがいてくれたから、今の私がいるんだと思う。私さ、ジュリエットみたいに女の子らしくはないし、無鉄砲で意外と頑固だったり……悪いところいっぱいあるけど……。それでも――いいの?」
少しだけ不安な眼差しでセナを見つめる。セナはオリアーナの頬を撫でながら、「何を今更」と優しく囁いた。
「全部ひっくるめてお前が大好きだよ。オリアーナ。お前以外は――考えられない」
「…………」
「リアは俺にとって、ヒーローなんだ」
「ヒーロー?」
「そう。小さいころからずっと憧れていた存在。でも今は……愛おしいって思うよ。リアは皆の頼りになる存在かもしれないけど、俺はお前を支えられる存在になりたい」
目の奥が熱くなって、視界がぼやける。指先で熱いものを拭いながら、微笑んだ。
「もう十分……なってくれてるよ」
その直後、額に優しく口付けをされた。バルコニーの壁に映る二人の影が重なる……。
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