掃除屋

夏笆(なつは)

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九、


 からん。
「いらっしゃい、小鹿ちゃん」
 <はっさく>へ行けば、今日もカウベルの優しい音色がやまめを出迎え、マスターの優しい笑顔がやまめを包む。
「こんにちは、マスター」|
絵南えなを見送った後、自宅へ戻ったやまめは、まずシャワーを浴び、それからベッドにもぐりこんでゆっくり眠った。
 知らなかった絵南の姿に強い衝撃を受けようとも、それが何の障害になることもなく眠れる。
 思考の遮断、隔離は、この裏稼業をしている者なら当然。
眠れる時に眠らなければ、集中力を欠いて致命傷を負う。
 やまめは、そんな世界で生きている。
 それでも、覚醒してしまえば思考の片隅で絵南
「あれ。小鹿ちゃん。元気ないね」
「鬼畜上司のせいで、とうとう貫徹しまして。その後、病院でパートの仕事もして来たので、ちょっと疲れました」
 メニュウを見ながら、絵南のことは避けてマスターに報告すれば、何故か伺うような視線を向けられて、やまめはどきりとした。
 未だ、何を言われたわけでもない。
 けれど、雄弁に物語る目が、心底やまめを案じ、もっと違う何かがあるのではないかと聞いている。
 しかし、知らなかった絵南の姿を見、自分との違いを痛感して彼女を遠くに感じたのは事実だが、その気持ちをうまく説明できる自信は無い。

 それに。
他人からみたら『そんなこと』だろうし・・って。
 マスターは、そんな言い方しないって分かっているけど。
 
「仕事で、って・・それだけ?・・ああ、いや。そんなに働けば疲れもするね。貫徹してからパートなんて大変だ。もしかして、眠っていないの?家にも帰っていないとか?」
 マスターなら、笑わずに聞いてくれる。
その信頼はあるものの、この話題を口にしたくないとやまめが思っていると、そんな心情を察したかのように、マスターは追及することなく、やまめが説明した方にのってくれた。

 流石マスター。
 こういう気遣い出来るのが、凄い。
 無茶ぶりばかりの鬼畜上司とは大違い。
<爪の赤でも煎じて>って、こういうことね。

「いえ、病院でのパートの後、ちゃんと帰りましたし、しっかり眠りました・・あ!」
 マスターの問いにそこまで答えて、やまめは、はっとしてマスターを見る。
「あと、シャワーももちろん浴びたので大丈夫です!汚くないですよ。嫌な臭いもしませんし、清潔です」
 飲食店でもあることだし、もしや気になるのはそこかと、やまめは大急ぎでそう付け足した。

だよね。
 お客さんに、食べるものを出すお店なんだもん。
 衛生面に気を遣うのは、当たり前だよね。

「はは。そんな心配はしていないよ。小鹿ちゃん、いつも身ぎれいにしているじゃない」
 『髪もちゃんと洗ったし、耳の後ろも』と、カウンターで己の清潔さを訴え続けるやまめに、けれどマスターは益々苦笑してそう言った。
「え?そうですか?」
「うん。小鹿ちゃんは、いつも清潔さんだよ。僕が言っているのは、そこじゃなくてね。何だか、今日は寂しそうに見えるから」
 そして続けて言われた言葉に、やはりそっちだったのかとやまめは瞳を泳がせる。
「寂しそう・・ですか?」
「いつも『忙しい』とか『あの鬼』『鬼畜上司め』なんて言っている時は、張りもあるし、すごく元気なのに。小鹿ちゃん。今日は何だか、様子が違うよ」
「・・・マスター」
「言いたくないなら聞かないけど、他人に言って楽になることもあるから。言いたければ、僕にどうぞ」
 グラスを磨きながら言うマスターの笑みに心が緩み、背中を押されるよう、やまめはゆっくりと口を開く。

~・~・~・~・
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