りんごとじゃがいも

夏笆(なつは)

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視察

視察という名の婚前旅行

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「視察、ですか?」 

 その日、私的な用事、ということで両親に呼ばれたレオンス王子は、その内容を聞いて訝しく眉を顰めた。 

 視察、ということであれば公の仕事であり、国王夫妻として呼び出すのが順当ではないのか、それとも何か特殊な任に就くような種のものなのか。 

 しかし、そう勘ぐるには両親の表情が明るすぎるのもまた事実。 

 

 こんなにも楽しそうなのは、何故だ? 

 

 そんなレオンス王子の混乱も判っている、という風に、ふたりは軽く頷いた。 

「ああ。リリアーヌと共に行って欲しい。まあ視察と言っても内密に行う小規模なものだから、そう堅苦しく考えることはない。とはいえ、街をきちんと見るのは大切なことだが」 

「街をふたりで歩いて、色々好きに見て回るの。つまり、婚前旅行のようなものよ」 

 ふふ、と微笑む王妃オレリーが楽し気に言った言葉に、レオンス王子は固まった。 

「もう、避妊の術は施したのだろう?しかしあれは、魔力や体力の消費が激しくて、施した日は思うように抱けないからな」 

 判っている、と鷹揚に父が頷けば、その隣で母も困ったように首を傾げながらも否定はしない。 

「今度は準備万端、とはいえ、ほどほどに、ね」 

 婚前交渉は当たり前、なふたりに絶句しつつも、レオンス王子はそれを頼もしくも思った。 

 婚約式の後、レオンス王子は今度こそリリアーヌの住まいを王城へと移してしまう心づもりでいたのだが、きちんと公爵家から嫁ぎたい、と願うリリアーヌの懇願の瞳に負け、週に一度は必ず王城を訪ねること、その際はあの部屋に泊まって行くことを条件にリリアーヌをシャンタル公爵家に帰した。 

 その後、リリアーヌの政務参加が週三回で始まる、と聞いてレオンス王子は失敗した、と思っていたのだが、こうして堂々と視察としてふたりで出かけられる、ということは、その間ずっとふたりで居られる、ということで。 

「報告書はきちんとあげるように」 

 最後にそう言った父の言葉さえ、レオンス王子には祝福の鐘のようにしか聞こえなかった。 

 

 

 

 

 

「大きな街ですね。それにとても活気があります」 

 馬車で、半日を掛けて移動して来た街。 

 その街の一角に降り立ったリリアーヌは、きらきらと輝く瞳でそう言って深呼吸をした。 

「この辺りでは、一番大きな街だからな。どうする?少し歩くか?疲れたのなら、このまま馬車で邸へ向かおうか?」 

「お邸までは、ここから遠いですか?」 

「いや、然程ではない。なら、邸まで街を通って歩くか?」 

「はい!」 

 街歩きが好きなリリアーヌ。 

 うきうきとしたその様子から、きっと歩きたいのだろうと察し、その元気な返事に確信を得たレオンス王子は、自分も嬉しくなりながら、リリアーヌの手を握って歩き出す。 

「いい匂い。これは、焼き立てのパンの匂いですね。この街は、パン屋さんが多いように思います」 

 大きく息を吸い、その匂いを楽しむようにしてリリアーヌが笑った。 

「パン屋が菓子屋も兼ねている、ということもあるかも知れない。王都のように店が分かれていないんだ。それに、店によっては他の肉屋や魚屋と協力してサンドイッチを作ったりもしているし、場合によっては青果業も参画している。もちろん、乳業もね。産業の中心、といったら言い過ぎかも知れないけれど、とても重要視されているんだよ」 

 数件置きにパン屋があることに驚くリリアーヌに、レオンス王子が説明した。 

「そうなのですね。勉強不足です」 

「そのための視察だ。それより、気になるものがあったら遠慮無く言うこと」 

 王都では、幾度もこうして共に街を歩いたふたりだけれど、リリアーヌが余り物を強請らないのが、レオンス王子には好ましくもあり、少々不満でもあったので、この機会に是非、と決意していることは、リリアーヌには内緒である。 

「はい。ゆっくり見て決めたいと思います。お土産も買いたいですし。明日も、歩けるのですよね?」 

「ああ。ここに居る七日の間は自由だよ。それが、今回の視察になるから」 

 それでは明日以降の買い物の為に、と色々な店の場所を確認しながら石畳の道を歩き、やがて街を抜け、ふたりは小高い丘へと出た。 

「あのお城ですか?」 

 その上には小ぶりながら、邸というより城というに相応しい建物が立っている。 

「ああ。景色はなかなかにいいから、リリアーヌも気に入ると思う」 

 城へと続く上り坂を通り城門へ着くと、既にそこはレオンス王子とリリアーヌを迎える準備が整っていた。 

「居心地のいいお城ですね」 

 城門を抜け、またしばらく歩いて辿り着いた城の入り口では、総員と思われる使用人達に出迎えられ、レオンス王子から彼等に紹介され彼等を紹介されて緊張していたリリアーヌは、自分をあたたかく迎えてくれた雰囲気に感動し、ふたりになった途端、ふう、と息を吐いて心からの安堵を笑みにしてレオンス王子を見る。 

「リリアーヌだから、だよ。嫌いな貴族を招いてみろ。あいつら、表面だけでしか笑わないから・・・さて、着いたよ」 

 まあ、それは俺もか、などと笑いながら、自らリリアーヌに城を案内していたレオンス王子が、そう言ってリリアーヌに重厚な石の扉を示した。 

「こちらは?・・・・・っ」 

 レオンス王子に問いかけたリリアーヌは、開かれたその扉の向こうの景色に息を呑む。 

 確かに城のなかを歩いて来た筈なのに、厚い石扉の向こうは外だった。 

 見えるのは、広いバルコニーのような場所と、そこから伸びる高く長い橋。 

 そして、その橋の行く先に見えるのは、堅牢な石の城塞。 

「驚いたか?この扉を開けるも、橋を渡るも自由にしていいけれど、落ちないようにな」 

 微笑み言うレオンス王子に、リリアーヌは風に流れる髪を押さえながら頷いた。 

 石造りの橋は、大抵のことでは落ちないだろう強固さを誇っているが、その遥か下には広く深い川が流れている。 

 見えるのは、高さもさることながら、あそこに落ちて無事でいられるとは到底思えない急流。 

「国境だった名残、ですか?」 

 かなりの昔にはなるが、この辺りはかつて国境の要所として、王家が特に軍備に力を入れていた場所。 

「流石、リリアーヌ。そう、ここはかつて戦場にもなった砦だ。怖いか?」 

「闘いは、恐ろしいと思います。ですが、かつてここで多くの騎士が国を護り闘ってくださったのだと思うと、頭が下がる思いがいたします」 

 英霊に敬意を。 

 その思いを込めて、リリアーヌは祈りを捧げる。 

「ありがとう。今も、あそこには騎士が常駐しているのだけれど、もう暗くもなるから行くのはまた今度にしよう。今は俺が、リリアーヌを独り占めしたいし」 

 自らも祈りを捧げたレオンスは、悪戯っぽく笑ってリリアーヌを再び居住側の城へと導く。 

 そうしてまた広い廊下を歩き、階段を下りて上って着いた先。 

「レオンスさま?」 

 その、ひとつの扉の前で立ち止まったレオンス王子に、かつてないほど真剣な瞳で見つめられ、リリアーヌは戸惑うように声をかけた。 

「この扉と、向こう側の扉。今回、俺とリリアーヌが泊まるにあたって用意させたのはその二部屋。俺と一緒の部屋に泊まるか、ひとりの部屋で泊まるか。リリアーヌに選んで欲しい」 

「っ」 

 その言葉に息を呑んだリリアーヌを、レオンス王子が静かな瞳で見つめる。 

「れ、レオンスさま」 

 どくどくと心臓が音を立てているのが聞こえ、手足が冷たく震え始める。 

「ここでいいのか、いつがいいのか。リリアーヌが決めていい」 

 初めてがこのような状況では嫌なのだ、とあの漁師小屋で訴えたのはリリアーヌ。 

 あの時と今とでは、比べようもなく。 

 時も場所もこれ以上は無いと思える。 

 そして、リリアーヌの気持ちも。 

「レオンスさまとご一緒の部屋が、いい、です」 

 意を決して言った言葉は、掠れて小さなものになってしまったけれど、それでもレオンス王子は力強く頷いた。 

「では、そのように荷物を運ばせよう」 

「はい」 

 レオンス王子が、そっとリリアーヌの肩を抱き顔を寄せて、唇を重ねる。 

 その行動に、確かに心臓が跳ねあがるのに、ぬくもりに安堵もする。 

 相反する己のなかの不思議に身を委ねるように、リリアーヌは深くなるレオンス王子のキスを受け入れていた。 

  



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