29 / 47
視察
視察という名の婚前旅行
しおりを挟む「視察、ですか?」
その日、私的な用事、ということで両親に呼ばれたレオンス王子は、その内容を聞いて訝しく眉を顰めた。
視察、ということであれば公の仕事であり、国王夫妻として呼び出すのが順当ではないのか、それとも何か特殊な任に就くような種のものなのか。
しかし、そう勘ぐるには両親の表情が明るすぎるのもまた事実。
こんなにも楽しそうなのは、何故だ?
そんなレオンス王子の混乱も判っている、という風に、ふたりは軽く頷いた。
「ああ。リリアーヌと共に行って欲しい。まあ視察と言っても内密に行う小規模なものだから、そう堅苦しく考えることはない。とはいえ、街をきちんと見るのは大切なことだが」
「街をふたりで歩いて、色々好きに見て回るの。つまり、婚前旅行のようなものよ」
ふふ、と微笑む王妃オレリーが楽し気に言った言葉に、レオンス王子は固まった。
「もう、避妊の術は施したのだろう?しかしあれは、魔力や体力の消費が激しくて、施した日は思うように抱けないからな」
判っている、と鷹揚に父が頷けば、その隣で母も困ったように首を傾げながらも否定はしない。
「今度は準備万端、とはいえ、ほどほどに、ね」
婚前交渉は当たり前、なふたりに絶句しつつも、レオンス王子はそれを頼もしくも思った。
婚約式の後、レオンス王子は今度こそリリアーヌの住まいを王城へと移してしまう心づもりでいたのだが、きちんと公爵家から嫁ぎたい、と願うリリアーヌの懇願の瞳に負け、週に一度は必ず王城を訪ねること、その際はあの部屋に泊まって行くことを条件にリリアーヌをシャンタル公爵家に帰した。
その後、リリアーヌの政務参加が週三回で始まる、と聞いてレオンス王子は失敗した、と思っていたのだが、こうして堂々と視察としてふたりで出かけられる、ということは、その間ずっとふたりで居られる、ということで。
「報告書はきちんとあげるように」
最後にそう言った父の言葉さえ、レオンス王子には祝福の鐘のようにしか聞こえなかった。
「大きな街ですね。それにとても活気があります」
馬車で、半日を掛けて移動して来た街。
その街の一角に降り立ったリリアーヌは、きらきらと輝く瞳でそう言って深呼吸をした。
「この辺りでは、一番大きな街だからな。どうする?少し歩くか?疲れたのなら、このまま馬車で邸へ向かおうか?」
「お邸までは、ここから遠いですか?」
「いや、然程ではない。なら、邸まで街を通って歩くか?」
「はい!」
街歩きが好きなリリアーヌ。
うきうきとしたその様子から、きっと歩きたいのだろうと察し、その元気な返事に確信を得たレオンス王子は、自分も嬉しくなりながら、リリアーヌの手を握って歩き出す。
「いい匂い。これは、焼き立てのパンの匂いですね。この街は、パン屋さんが多いように思います」
大きく息を吸い、その匂いを楽しむようにしてリリアーヌが笑った。
「パン屋が菓子屋も兼ねている、ということもあるかも知れない。王都のように店が分かれていないんだ。それに、店によっては他の肉屋や魚屋と協力してサンドイッチを作ったりもしているし、場合によっては青果業も参画している。もちろん、乳業もね。産業の中心、といったら言い過ぎかも知れないけれど、とても重要視されているんだよ」
数件置きにパン屋があることに驚くリリアーヌに、レオンス王子が説明した。
「そうなのですね。勉強不足です」
「そのための視察だ。それより、気になるものがあったら遠慮無く言うこと」
王都では、幾度もこうして共に街を歩いたふたりだけれど、リリアーヌが余り物を強請らないのが、レオンス王子には好ましくもあり、少々不満でもあったので、この機会に是非、と決意していることは、リリアーヌには内緒である。
「はい。ゆっくり見て決めたいと思います。お土産も買いたいですし。明日も、歩けるのですよね?」
「ああ。ここに居る七日の間は自由だよ。それが、今回の視察になるから」
それでは明日以降の買い物の為に、と色々な店の場所を確認しながら石畳の道を歩き、やがて街を抜け、ふたりは小高い丘へと出た。
「あのお城ですか?」
その上には小ぶりながら、邸というより城というに相応しい建物が立っている。
「ああ。景色はなかなかにいいから、リリアーヌも気に入ると思う」
城へと続く上り坂を通り城門へ着くと、既にそこはレオンス王子とリリアーヌを迎える準備が整っていた。
「居心地のいいお城ですね」
城門を抜け、またしばらく歩いて辿り着いた城の入り口では、総員と思われる使用人達に出迎えられ、レオンス王子から彼等に紹介され彼等を紹介されて緊張していたリリアーヌは、自分をあたたかく迎えてくれた雰囲気に感動し、ふたりになった途端、ふう、と息を吐いて心からの安堵を笑みにしてレオンス王子を見る。
「リリアーヌだから、だよ。嫌いな貴族を招いてみろ。あいつら、表面だけでしか笑わないから・・・さて、着いたよ」
まあ、それは俺もか、などと笑いながら、自らリリアーヌに城を案内していたレオンス王子が、そう言ってリリアーヌに重厚な石の扉を示した。
「こちらは?・・・・・っ」
レオンス王子に問いかけたリリアーヌは、開かれたその扉の向こうの景色に息を呑む。
確かに城のなかを歩いて来た筈なのに、厚い石扉の向こうは外だった。
見えるのは、広いバルコニーのような場所と、そこから伸びる高く長い橋。
そして、その橋の行く先に見えるのは、堅牢な石の城塞。
「驚いたか?この扉を開けるも、橋を渡るも自由にしていいけれど、落ちないようにな」
微笑み言うレオンス王子に、リリアーヌは風に流れる髪を押さえながら頷いた。
石造りの橋は、大抵のことでは落ちないだろう強固さを誇っているが、その遥か下には広く深い川が流れている。
見えるのは、高さもさることながら、あそこに落ちて無事でいられるとは到底思えない急流。
「国境だった名残、ですか?」
かなりの昔にはなるが、この辺りはかつて国境の要所として、王家が特に軍備に力を入れていた場所。
「流石、リリアーヌ。そう、ここはかつて戦場にもなった砦だ。怖いか?」
「闘いは、恐ろしいと思います。ですが、かつてここで多くの騎士が国を護り闘ってくださったのだと思うと、頭が下がる思いがいたします」
英霊に敬意を。
その思いを込めて、リリアーヌは祈りを捧げる。
「ありがとう。今も、あそこには騎士が常駐しているのだけれど、もう暗くもなるから行くのはまた今度にしよう。今は俺が、リリアーヌを独り占めしたいし」
自らも祈りを捧げたレオンスは、悪戯っぽく笑ってリリアーヌを再び居住側の城へと導く。
そうしてまた広い廊下を歩き、階段を下りて上って着いた先。
「レオンスさま?」
その、ひとつの扉の前で立ち止まったレオンス王子に、かつてないほど真剣な瞳で見つめられ、リリアーヌは戸惑うように声をかけた。
「この扉と、向こう側の扉。今回、俺とリリアーヌが泊まるにあたって用意させたのはその二部屋。俺と一緒の部屋に泊まるか、ひとりの部屋で泊まるか。リリアーヌに選んで欲しい」
「っ」
その言葉に息を呑んだリリアーヌを、レオンス王子が静かな瞳で見つめる。
「れ、レオンスさま」
どくどくと心臓が音を立てているのが聞こえ、手足が冷たく震え始める。
「ここでいいのか、いつがいいのか。リリアーヌが決めていい」
初めてがこのような状況では嫌なのだ、とあの漁師小屋で訴えたのはリリアーヌ。
あの時と今とでは、比べようもなく。
時も場所もこれ以上は無いと思える。
そして、リリアーヌの気持ちも。
「レオンスさまとご一緒の部屋が、いい、です」
意を決して言った言葉は、掠れて小さなものになってしまったけれど、それでもレオンス王子は力強く頷いた。
「では、そのように荷物を運ばせよう」
「はい」
レオンス王子が、そっとリリアーヌの肩を抱き顔を寄せて、唇を重ねる。
その行動に、確かに心臓が跳ねあがるのに、ぬくもりに安堵もする。
相反する己のなかの不思議に身を委ねるように、リリアーヌは深くなるレオンス王子のキスを受け入れていた。
19
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
〈完結〉【書籍化&コミカライズ】伯爵令嬢の責務
ごろごろみかん。
恋愛
見てしまった。聞いてしまった。
婚約者が、王女に愛を囁くところを。
だけど、彼は私との婚約を解消するつもりは無いみたい。
貴族の責務だから政略結婚に甘んじるのですって。
それなら、私は私で貴族令嬢としての責務を果たすまで。
愛しい人、あなたは王女様と幸せになってください
無憂
恋愛
クロエの婚約者は銀の髪の美貌の騎士リュシアン。彼はレティシア王女とは幼馴染で、今は護衛騎士だ。二人は愛し合い、クロエは二人を引き裂くお邪魔虫だと噂されている。王女のそばを離れないリュシアンとは、ここ数年、ろくな会話もない。愛されない日々に疲れたクロエは、婚約を破棄することを決意し、リュシアンに通告したのだが――
〖完結〗その愛、お断りします。
藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚して一年、幸せな毎日を送っていた。それが、一瞬で消え去った……
彼は突然愛人と子供を連れて来て、離れに住まわせると言った。愛する人に裏切られていたことを知り、胸が苦しくなる。
邪魔なのは、私だ。
そう思った私は離婚を決意し、邸を出て行こうとしたところを彼に見つかり部屋に閉じ込められてしまう。
「君を愛してる」と、何度も口にする彼。愛していれば、何をしても許されると思っているのだろうか。
冗談じゃない。私は、彼の思い通りになどならない!
*設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】記憶を失ったらあなたへの恋心も消えました。
ごろごろみかん。
恋愛
婚約者には、何よりも大切にしている義妹がいる、らしい。
ある日、私は階段から転がり落ち、目が覚めた時には全てを忘れていた。
対面した婚約者は、
「お前がどうしても、というからこの婚約を結んだ。そんなことも覚えていないのか」
……とても偉そう。日記を見るに、以前の私は彼を慕っていたらしいけれど。
「階段から転げ落ちた衝撃であなたへの恋心もなくなったみたいです。ですから婚約は解消していただいて構いません。今まで無理を言って申し訳ありませんでした」
今の私はあなたを愛していません。
気弱令嬢(だった)シャーロットの逆襲が始まる。
☆タイトルコロコロ変えてすみません、これで決定、のはず。
☆商業化が決定したため取り下げ予定です(完結まで更新します)
最愛の番に殺された獣王妃
望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。
彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。
手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。
聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。
哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて――
突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……?
「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」
謎の人物の言葉に、私が選択したのは――
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる