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第一章
66話:HALTE
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日曜日20時。
『HALTE』の扉を出て、夜の空気を肺いっぱいに吸い込む。昼間より少し冷たくて、霧島の料理で満たされたお腹と、アルコールが抜けかけた身体には心地いい。
「ごめん久遠、ちょっと電話」
「あ、うん!待ってる」
凌也が電話を耳に当てながら、向こうの路地まで歩いていくのを見送ってから、久遠は振り返る。
「霧島さん。しつこいかもしれないですけど……今日本当に美味しかったです」
今日は、凌也と一緒に『HALTE』を訪問し、今度こそ色々な種類の異国情緒溢れる料理をいただいていた。
料理を食べている間、久遠の口からは美味しいしか出てこなくて、霧島に呆れられていた。『他に感想がないから試食係下ろすぞ』なんて冗談も言われて、隣で凌也も笑っていた。
店を出て改めて言いたくなるくらいには絶品だらけだった。しかし、いい加減しつこい自覚はあるので久遠も苦笑しながら言う。
「よかった。またたくさん食べに来いよ。あのよく食う同期も連れて」
「はい」
腕を組んだ霧島が、満足そうに口角を上げた。"よく食う同期"こと凌也は、まだ向こうの方で電話をしている。
凌也は、霧島の料理に惚れて次々と注文し、久遠が食べきれない分は全て凌也がさらってくれていた。そこまで大柄な体型ではないのにと、男性の代謝の良さが羨ましくなるくらいだった。
「あの、お店戻っていただいて大丈夫です。もう帰るので」
「ん、大丈夫大丈夫。今オーダー入ってないし。ちょっと休憩」
腰にかけたエプロンの紐を結び直している霧島はなんてことない顔をしているけれど、今の今までワンオペで料理を作り続け、複数の卓に運んでいたのだ。どうしてそんなに余裕な顔をしていられるのか、不思議でならない。
「昨日、ちゃんと寝れた?今日体調悪くなってないか」
霧島の問いかけに、久遠は頷く。
「はい。もう全然大丈夫です」
凌也に聞かれて、さっきまで昨日あった一件について話していた。久遠と凌也が座っていたのはカウンター席だったため、中にいた霧島からはところどころ聞こえていたのかもしれない。久遠たちの会話に口を挟むことはなかったが、霧島が黙って聞いていたのは久遠も感じていた。
「そっか。ならよかった。大変だったな」
この夜の空気が、昨夜の恐怖を思い出させないわけじゃない。けれど、昨夜は神永が救済してくれて、今は霧島がそばにいる。だから、久遠の身体は強ばってはいなかった。
「ありすには俺からも灸を据えておく。……にしても、神永に来てもらえてよかったな」
霧島は穏やかな口調になってそう言ったが、久遠はすぐに同意することはできなかった。
「……おや、まだ申し訳ないって思ってる?あいつが謝るなって言ってたんだろ?」
久遠の陰った表情を見た霧島が、久遠の顔を覗き込む。整った顔が近くに来て思わず仰け反るが、霧島は肩をすくめてそのまま扉にもたれた。
「なぁ久遠」
改まって名前を呼ばれて、久遠は姿勢を正した。次の言葉を待ったが、霧島にしては珍しく言い淀んでいるみたいだ。
「……霧島さん?」
久遠が窺うと、霧島は思い切ったように一つ息を吐く。
「久遠のこと、いい子だと思ってて好きだから、久遠のためにちょっと厳しいってこと言ってもいい?……や、久遠のためにとか恩着せがましいな……。俺のため。もどかしくなっちゃってる俺のために」
何を言われているのかよくわからなくて、久遠は曖昧に頷く。
……厳しいこと?
「前もここで話聞いてて思ったんだけど、久遠の話って全然神永出てこないよな」
……。
さらに理解ができず、久遠は眉根を寄せる。
前回来店した日のことを思い出してみても、トラックからバーの中まで、久遠は基本的に神永の話しかしていなかったはず……。
久遠の顔に"理解不能"がありありと表れているのを見て、霧島はかぶりを振った。
「2人の関係ってさ、2人の話じゃん。……なのに、久遠の話聞いてると、"久遠が決めた"神永の気持ち、しか出てこない。あいつの気持ち、実際に聞いて確かめたことある?今まで」
霧島はそう言って、真っ直ぐに久遠の目を見た。その目に射止められ、久遠は目を見開く。
『あいつの気持ち、実際に聞いて確かめたことある?今まで』
たった今言われた言葉が、頭の中でこだまする。どういう意味か、まだ完全には分からない。けれど、とても大事なことを言われているような気がする。
「俺もあんままとまってないから、何言ってるか分かんねーかもなんだけど」
そう一つ前置きされる。また大事なことを言われるのだろうと久遠も身構えた。
「久遠が、ずっと後悔して、あいつに申し訳ないって思い続けてるのは分かってる。何年も自責してきたのも、想像はつく。けどそれが、本当にあいつのためになってんのかは定かじゃねぇなーと思ってる」
「……どういうことですか?」
「んー……。簡単に言えば、勝手に人の気持ち決めつけんなって話。久遠は、今のあいつが久遠を嫌ってると思ってるだろ。またしかに、ワンチャン、それが真実かもしんない。けど、人の気持ちってもっと複雑なもんだろ?神永から久遠への気持ちが、それだけで語れる感情だとは思えない」
「……でも……」
高校2年生の時の、2人の関係を壊すことになった久遠の失言の後、彼は約束の場所に来なかった。『話すことはないと思うから』と。
それに、オフィスで再開した時には、彼は開口一番『はじめまして』と言ったのだ。それらが答えだ。
口を噤む久遠を見て、霧島は片方の口角を僅かに上げた。
「ガンコちゃんだな~久遠は。あのな、あいつに対して本当に申し訳ないと思ってんなら、自分が傷つく勇気を持て。ずっと自分の考えの中だけで自分守ってないで、体当たりしな」
そう言って霧島は、軽く久遠の二の腕を小突いた。
体当たり……。
「そんなに自分責めてるってことは、傷つけられてもいいってことじゃねぇの?自分はそういう立場だ、って。もしそうなんだったら、一発当たって砕けてみりゃいいじゃん。どうせ久遠的には、あいつとの関係既にオワってんだろ。ここで砕けたとて同じじゃん」
わらわらと耳に集まってくる言葉は、分かりそうで分からない。聞きたい、待って、私が理解するまで……。
「久遠があいつのこと好きなら。幸せになってほしいとか思ってんなら。……もう人の気持ちを勝手に決定するな。久遠の推測が正解かどうか決めるのは、本人に聞いてみてからでもいいだろ?」
そう言われて、久遠の心にまず出てきたのは反発だった。
霧島は簡単に言ってのけるけれど、そんなことが出来るならもうやっている。もしも、私のことをどう思ってるか、だなんてそんなことを直接神永に聞いてしまったら……お前のことを憎み嫌っていると返されて、久遠の心は粉々になってしまうだろう。
――と、そう思っている時点で、霧島が言う『自分が傷つく勇気』を持てていなかったことに気がつく。
……本当だ。霧島さんの言う通りだ。
ずっと、相手の迷惑にならないために縮こまっているつもりでいた。けれど本当は、傷つく勇気がなくて自分を守っていただけだったのか。
「あいつのこと好きなのに、毎回自分から離れてるじゃん」
そう言われて脳裏に蘇ったのは、退院した時の自分と、高校で再会した時にひとまず無視した自分の姿だ。
「なんかこう……自分が一番恐れてる痛みがあって、それを受けるのが怖いからって先に相手に与えちゃおうとするのは……好きな人相手にそれは、かなり自分勝手なことしちゃってないですか?相手が大嫌いなクソ野郎ならまだしもよ」
そこまで言うと、霧島はまた「んー……」と言葉を選び出した。けれど、久遠はもう聞く準備が出来ていた。もう甘えたくなかった。だから、「言ってください」と促した。
久遠の真剣な目に、霧島はまた少しだけニヤリと笑って、優しい声で続けた。
「自分が寂しい思いをする前に、相手にさせる。久遠は、そのやり方でこれまで自分を守ってきたんだと思うし、それで本当に久遠を守ることが出来てんなら、俺は、否定しない。可愛い試食係にわざわざつらい思いなんかしてほしくねーからね。……けど、もしそのやり方だと最終的に久遠の痛みになっちゃうってんなら、思い切って違う方法選んでみれば?って思う」
霧島の丁寧なメッセージが、久遠の胸を打つ。
この人は、どうしてこんなに人のためを思えるんだろう。飄々としているように見えて、本当は、人の問題も自分事のように想像してくれていて、こうして親身になってアドバイスをくれる。
霧島は、厳しいことを言ってしまっているという自負からか、目を細め少し気まずそうな顔をしていた。けれど久遠は、傷ついてはいなかった。
たしかに、自分が見ていなかった自分のマイナス面との直面化のショックは、当然ある。自分を美化して、罪悪感を背負った悲劇のヒロインのように見なしていたことを指摘されて恥ずかしいという気持ちも。
けれど、 それ以上に、久遠のためにこの言葉を伝えようと思ってくれた霧島の温かさを感じて、胸がいっぱいになり、久遠は何をどう伝えたらいいのか分からなくなった。
「うお、泣く?ごめん。ただでさえ自分責めてる久遠を責めたかったわけじゃ……」
「分かってます」
瞳が涙の膜に覆われてしまった久遠を見て霧島はあたふたするが、久遠はきっぱりと気丈な声を出した。
視界が滲むが、霧島の目をしっかり見るために思いっきり涙を拭う。「アイライン崩れたぞ」と指摘をくれるが、気にしない。
「ごめんなさい、傷ついたわけじゃないんです。霧島さんが温かくてびっくりしちゃって」
またじわりと目が熱くなったが、ここで悲劇のヒロインぶっているようになるのはなんとしても避けたいので、また目を擦る。
「言いにくいこと、言ってくれてありがとうございます。もっと……今言ってくださったご指摘について、自分でも考えてみます」
霧島は少しだけ目を見開いた。けれどすぐにニヤリと口を緩めると、久遠の頭の上に手を載せた。
「いい子だ。こんなこと言って、最終的に久遠がズタボロに傷つくことになったらごめんな。でもその時は、俺が美味しいもん食べさせてやるよ」
そう言って背後にある『HALTE』の看板を親指で指すので、そのかっこよさに久遠はつい吹き出してしまった。
そこへ、凌也が戻ってきた。「悪い悪いお待たせ……」と言いかけて、久遠の顔を見てややギョッとする。
「えなに、何事?」
そうだ……。今アイラインが滲んでいるから汚い目元に……。
「ごめん俺が泣かした」
悪びれもなく、それどころか若干笑いながら言う霧島に、凌也がまたギョッとする。
「何してるんすか!……えっ……え?久遠も何笑ってんだよ」
凌也が一人で困惑しているのを見て、久遠と霧島は一度目を見合わせ、一緒に笑い出す。
凌也は引き続き「おい、置いてくなよ!なに!?なに!?」と久遠と霧島を交互に見るので、それがおかしくて、笑いが止まらなくなってしまった。
日曜日20時。
『HALTE』の扉を出て、夜の空気を肺いっぱいに吸い込む。昼間より少し冷たくて、霧島の料理で満たされたお腹と、アルコールが抜けかけた身体には心地いい。
「ごめん久遠、ちょっと電話」
「あ、うん!待ってる」
凌也が電話を耳に当てながら、向こうの路地まで歩いていくのを見送ってから、久遠は振り返る。
「霧島さん。しつこいかもしれないですけど……今日本当に美味しかったです」
今日は、凌也と一緒に『HALTE』を訪問し、今度こそ色々な種類の異国情緒溢れる料理をいただいていた。
料理を食べている間、久遠の口からは美味しいしか出てこなくて、霧島に呆れられていた。『他に感想がないから試食係下ろすぞ』なんて冗談も言われて、隣で凌也も笑っていた。
店を出て改めて言いたくなるくらいには絶品だらけだった。しかし、いい加減しつこい自覚はあるので久遠も苦笑しながら言う。
「よかった。またたくさん食べに来いよ。あのよく食う同期も連れて」
「はい」
腕を組んだ霧島が、満足そうに口角を上げた。"よく食う同期"こと凌也は、まだ向こうの方で電話をしている。
凌也は、霧島の料理に惚れて次々と注文し、久遠が食べきれない分は全て凌也がさらってくれていた。そこまで大柄な体型ではないのにと、男性の代謝の良さが羨ましくなるくらいだった。
「あの、お店戻っていただいて大丈夫です。もう帰るので」
「ん、大丈夫大丈夫。今オーダー入ってないし。ちょっと休憩」
腰にかけたエプロンの紐を結び直している霧島はなんてことない顔をしているけれど、今の今までワンオペで料理を作り続け、複数の卓に運んでいたのだ。どうしてそんなに余裕な顔をしていられるのか、不思議でならない。
「昨日、ちゃんと寝れた?今日体調悪くなってないか」
霧島の問いかけに、久遠は頷く。
「はい。もう全然大丈夫です」
凌也に聞かれて、さっきまで昨日あった一件について話していた。久遠と凌也が座っていたのはカウンター席だったため、中にいた霧島からはところどころ聞こえていたのかもしれない。久遠たちの会話に口を挟むことはなかったが、霧島が黙って聞いていたのは久遠も感じていた。
「そっか。ならよかった。大変だったな」
この夜の空気が、昨夜の恐怖を思い出させないわけじゃない。けれど、昨夜は神永が救済してくれて、今は霧島がそばにいる。だから、久遠の身体は強ばってはいなかった。
「ありすには俺からも灸を据えておく。……にしても、神永に来てもらえてよかったな」
霧島は穏やかな口調になってそう言ったが、久遠はすぐに同意することはできなかった。
「……おや、まだ申し訳ないって思ってる?あいつが謝るなって言ってたんだろ?」
久遠の陰った表情を見た霧島が、久遠の顔を覗き込む。整った顔が近くに来て思わず仰け反るが、霧島は肩をすくめてそのまま扉にもたれた。
「なぁ久遠」
改まって名前を呼ばれて、久遠は姿勢を正した。次の言葉を待ったが、霧島にしては珍しく言い淀んでいるみたいだ。
「……霧島さん?」
久遠が窺うと、霧島は思い切ったように一つ息を吐く。
「久遠のこと、いい子だと思ってて好きだから、久遠のためにちょっと厳しいってこと言ってもいい?……や、久遠のためにとか恩着せがましいな……。俺のため。もどかしくなっちゃってる俺のために」
何を言われているのかよくわからなくて、久遠は曖昧に頷く。
……厳しいこと?
「前もここで話聞いてて思ったんだけど、久遠の話って全然神永出てこないよな」
……。
さらに理解ができず、久遠は眉根を寄せる。
前回来店した日のことを思い出してみても、トラックからバーの中まで、久遠は基本的に神永の話しかしていなかったはず……。
久遠の顔に"理解不能"がありありと表れているのを見て、霧島はかぶりを振った。
「2人の関係ってさ、2人の話じゃん。……なのに、久遠の話聞いてると、"久遠が決めた"神永の気持ち、しか出てこない。あいつの気持ち、実際に聞いて確かめたことある?今まで」
霧島はそう言って、真っ直ぐに久遠の目を見た。その目に射止められ、久遠は目を見開く。
『あいつの気持ち、実際に聞いて確かめたことある?今まで』
たった今言われた言葉が、頭の中でこだまする。どういう意味か、まだ完全には分からない。けれど、とても大事なことを言われているような気がする。
「俺もあんままとまってないから、何言ってるか分かんねーかもなんだけど」
そう一つ前置きされる。また大事なことを言われるのだろうと久遠も身構えた。
「久遠が、ずっと後悔して、あいつに申し訳ないって思い続けてるのは分かってる。何年も自責してきたのも、想像はつく。けどそれが、本当にあいつのためになってんのかは定かじゃねぇなーと思ってる」
「……どういうことですか?」
「んー……。簡単に言えば、勝手に人の気持ち決めつけんなって話。久遠は、今のあいつが久遠を嫌ってると思ってるだろ。またしかに、ワンチャン、それが真実かもしんない。けど、人の気持ちってもっと複雑なもんだろ?神永から久遠への気持ちが、それだけで語れる感情だとは思えない」
「……でも……」
高校2年生の時の、2人の関係を壊すことになった久遠の失言の後、彼は約束の場所に来なかった。『話すことはないと思うから』と。
それに、オフィスで再開した時には、彼は開口一番『はじめまして』と言ったのだ。それらが答えだ。
口を噤む久遠を見て、霧島は片方の口角を僅かに上げた。
「ガンコちゃんだな~久遠は。あのな、あいつに対して本当に申し訳ないと思ってんなら、自分が傷つく勇気を持て。ずっと自分の考えの中だけで自分守ってないで、体当たりしな」
そう言って霧島は、軽く久遠の二の腕を小突いた。
体当たり……。
「そんなに自分責めてるってことは、傷つけられてもいいってことじゃねぇの?自分はそういう立場だ、って。もしそうなんだったら、一発当たって砕けてみりゃいいじゃん。どうせ久遠的には、あいつとの関係既にオワってんだろ。ここで砕けたとて同じじゃん」
わらわらと耳に集まってくる言葉は、分かりそうで分からない。聞きたい、待って、私が理解するまで……。
「久遠があいつのこと好きなら。幸せになってほしいとか思ってんなら。……もう人の気持ちを勝手に決定するな。久遠の推測が正解かどうか決めるのは、本人に聞いてみてからでもいいだろ?」
そう言われて、久遠の心にまず出てきたのは反発だった。
霧島は簡単に言ってのけるけれど、そんなことが出来るならもうやっている。もしも、私のことをどう思ってるか、だなんてそんなことを直接神永に聞いてしまったら……お前のことを憎み嫌っていると返されて、久遠の心は粉々になってしまうだろう。
――と、そう思っている時点で、霧島が言う『自分が傷つく勇気』を持てていなかったことに気がつく。
……本当だ。霧島さんの言う通りだ。
ずっと、相手の迷惑にならないために縮こまっているつもりでいた。けれど本当は、傷つく勇気がなくて自分を守っていただけだったのか。
「あいつのこと好きなのに、毎回自分から離れてるじゃん」
そう言われて脳裏に蘇ったのは、退院した時の自分と、高校で再会した時にひとまず無視した自分の姿だ。
「なんかこう……自分が一番恐れてる痛みがあって、それを受けるのが怖いからって先に相手に与えちゃおうとするのは……好きな人相手にそれは、かなり自分勝手なことしちゃってないですか?相手が大嫌いなクソ野郎ならまだしもよ」
そこまで言うと、霧島はまた「んー……」と言葉を選び出した。けれど、久遠はもう聞く準備が出来ていた。もう甘えたくなかった。だから、「言ってください」と促した。
久遠の真剣な目に、霧島はまた少しだけニヤリと笑って、優しい声で続けた。
「自分が寂しい思いをする前に、相手にさせる。久遠は、そのやり方でこれまで自分を守ってきたんだと思うし、それで本当に久遠を守ることが出来てんなら、俺は、否定しない。可愛い試食係にわざわざつらい思いなんかしてほしくねーからね。……けど、もしそのやり方だと最終的に久遠の痛みになっちゃうってんなら、思い切って違う方法選んでみれば?って思う」
霧島の丁寧なメッセージが、久遠の胸を打つ。
この人は、どうしてこんなに人のためを思えるんだろう。飄々としているように見えて、本当は、人の問題も自分事のように想像してくれていて、こうして親身になってアドバイスをくれる。
霧島は、厳しいことを言ってしまっているという自負からか、目を細め少し気まずそうな顔をしていた。けれど久遠は、傷ついてはいなかった。
たしかに、自分が見ていなかった自分のマイナス面との直面化のショックは、当然ある。自分を美化して、罪悪感を背負った悲劇のヒロインのように見なしていたことを指摘されて恥ずかしいという気持ちも。
けれど、 それ以上に、久遠のためにこの言葉を伝えようと思ってくれた霧島の温かさを感じて、胸がいっぱいになり、久遠は何をどう伝えたらいいのか分からなくなった。
「うお、泣く?ごめん。ただでさえ自分責めてる久遠を責めたかったわけじゃ……」
「分かってます」
瞳が涙の膜に覆われてしまった久遠を見て霧島はあたふたするが、久遠はきっぱりと気丈な声を出した。
視界が滲むが、霧島の目をしっかり見るために思いっきり涙を拭う。「アイライン崩れたぞ」と指摘をくれるが、気にしない。
「ごめんなさい、傷ついたわけじゃないんです。霧島さんが温かくてびっくりしちゃって」
またじわりと目が熱くなったが、ここで悲劇のヒロインぶっているようになるのはなんとしても避けたいので、また目を擦る。
「言いにくいこと、言ってくれてありがとうございます。もっと……今言ってくださったご指摘について、自分でも考えてみます」
霧島は少しだけ目を見開いた。けれどすぐにニヤリと口を緩めると、久遠の頭の上に手を載せた。
「いい子だ。こんなこと言って、最終的に久遠がズタボロに傷つくことになったらごめんな。でもその時は、俺が美味しいもん食べさせてやるよ」
そう言って背後にある『HALTE』の看板を親指で指すので、そのかっこよさに久遠はつい吹き出してしまった。
そこへ、凌也が戻ってきた。「悪い悪いお待たせ……」と言いかけて、久遠の顔を見てややギョッとする。
「えなに、何事?」
そうだ……。今アイラインが滲んでいるから汚い目元に……。
「ごめん俺が泣かした」
悪びれもなく、それどころか若干笑いながら言う霧島に、凌也がまたギョッとする。
「何してるんすか!……えっ……え?久遠も何笑ってんだよ」
凌也が一人で困惑しているのを見て、久遠と霧島は一度目を見合わせ、一緒に笑い出す。
凌也は引き続き「おい、置いてくなよ!なに!?なに!?」と久遠と霧島を交互に見るので、それがおかしくて、笑いが止まらなくなってしまった。
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