【完結】僕ら二度目のはじめまして ~オフィスで再会した、心に残ったままの初恋~

葉影

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第一章

68話:キス目撃

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 会社の最寄り駅からオフィスまでを、いつもより少し早歩きで歩く。

 彼に話しかけようと予定しているのは昼休みだ。だから、早く出勤したって何も意味はない。けれど、気持ちが急いでしまって悠長に移動していられなかった。

 ただ、会社のビルが見えてきた途端、少しだけスピードダウンする。恐怖がないわけじゃないからだ。

 もし、なにも勘違いではなくて、神永一織が久遠を死ぬほど恨んでいたら?

 そんな不安が頭をもたげてくる。けれど、その想定を準備していないと、無防備な状態で刺されてしまうことになるだろう。だから、ある程度ネガティブな考えを用意しておくことは必要だった。

「よ」

 決意をこめてビルを見上げていると、不意に声をかけられた。

「霧島さん……」

 振り向くと、そこにいたのは、トラックの準備をしている霧島だった。

「おはようございます……。どうしてこんな朝から?早いですね」

 久遠の到着時間すら普段より少し早いくらいなのに、霧島がこの時間にトラックを準備しているのは異常だった。

 久遠が驚いた顔を見て、霧島はにやりと口角を上げる。

「びっくりしたろー。今日は特別。朝からコーヒー販売だけでもしないかって、管理会社に言われてさ」

 トラックの壁には、普段の料理の写真は取り払われていて、シンプルなコーヒーのイラストだけが貼られていた。

「でもまじ今日だけ。俺朝からこんな店出せない」

 そう言ってあくびを噛み殺している霧島は、とても眠たそうで、よく見ると毛先が跳ねていた。彼が朝弱いタイプなのは納得だ。

「久遠こそどしたの。立ち止まってビル睨んでたけど」

「あっ、あの!そう、実は、実は神永さんのことで、 えっと、手紙があって」

 意味のわからない滑り出しになってしまった。しかし今朝の手紙のことを、霧島に伝えたくってしょうがない。

「高校の時の人が好きだって書いてあって、 神永さんが。わからないんですけど、その……やっぱり霧島さんにアドバイスいただいたみたいに、 ちゃんと話してみようと思っていて」

 全く意味が分からない。我ながら焦りすぎた。

 これじゃだめだ。深呼吸して改めて説明し直そうと思ったが、霧島は久遠の肩をぽんと叩いた。

「偉い。頑張れ」

 それだけだった。

 霧島からしたら、久遠の言っていることはほとんどわけが分からなかっただろう。そんな中できっと、神永と話してみることにしたという中核だけ抽出し、久遠の宣言を受け取ってくれたのだ。

 久遠の胸の奥で何かがポッと灯った気がした。久遠の短所を見つけてくれて伝えてくれたのも、今日こうして踏み出す勇気をくれるのも、紛れもなく霧島で、それが嬉しかった。

「とか言って、もしかしたら今日は話せる時間がないかもしれないですし、分かんないんですけど……」

 ここまで応援してもらって、今日何も実行できなかったら霧島に合わせる顔がなくなってしまうので、保険をかけてしまう。すると、霧島は快活に笑った。

「どう転んだっていんだよ。とりあえず、踏み出してみるって決めたのが偉いっつってんの」

 久遠が微笑んで頷くと、トラックの前に人影が現れた。この時間からコーヒーを販売していることに気づいて、来店したみたいだ。
 霧島もそれに気がつき、久遠に向かって「じゃあな」と軽く手を振る。久遠も小さく手を挙げ、霧島の背中を見送りながら、胸の奥で小さく気合を入れる。

 ――行こう。

 そうして久遠は、オフィスに向かって足を踏み出した。

 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 10階に到着しても、フロアにはまだほとんどひとけがなく、静かだった。久遠のパンプスの音だけが響く。

 いつもは誰より早く出勤しているチーム長も、まださすがに着いてはいないだろう。実際、神永チームのエリアには誰もいなかった。

 久遠が、神永と向き合う日を今日とすることにここまで熱意を持っているのには、理由があった。霧島からの指摘が背中を押してくれた勢いを絶やす前に、というのもある。けれどそれだけではなくて、今日を逃すと、しばらく神永に会えなくなるという事情があった。

 神永は、明日火曜日から出張に出てしまう。オフィスで会えるのは、今週は今日が最後なのだ。

 そのスケジュールを、オフィスまで歩いている時に思い出した。俄然、今日でなければならなくなった。

 ――あれ。

 神永のデスクをよく見ると、人影はないものの、カバンが置かれていた。こんなに早い時間から、既に出社はしているらしい。

 席を外して、今どこに行っているのだろう。いつ現れてもおかしくないのだと思うと緊張してしまう。

 デスクで鉢合わせて2人きりになる時間があるのは避けたかった。久遠もバッグを下ろして再び部屋を出て、お手洗いに向かう。

 けれど、途中で足を止めた。

 廊下の先に、そこにいるはずのない人間が見えたような気がしたのだ。ピンクブラウンの髪の毛が、普段あまり使われていない会議室に消えていくのが見えたような気がした。

 そちらへ引き寄せられるように、久遠はつい方向転換してしまう。

 ――まさか、まさかね。このフロアにありすさんがいるわけない……。

 髪色や巻き方が似ていただけだ。受付嬢の人が、ネクサイユの中にいることは有り得ない。――誰かが呼んだということでもなければ。

 胸の奥に、嫌な予感が広がる。

 誰もいないオフィスでは、ささいな靴音さえ響く。久遠はそっと歩いて会議室の前まで行き、ドアの隙間から中を覗き見た。

 そして、確証してしまう。

 やっぱり、そこにいたのは、ありすと神永だった。

 低く抑えた声で話していて、何を話しているかまでは分からなかった。けれど、声を抑えている分距離が近く、遠目で見ても親密な空気が漂っているのがわかる。

 久遠の心臓が早鐘を打ち始める。

 やっぱり……。

 神永の表情はどこか真剣で、ありすは時折、彼の腕にそっと触れる。

 見てはいけないものを見ている感覚だけがはっきりあるのに、久遠は目を奪われたように視線を逸らすことができない。見れば見るほど傷つくのに、見ないではいられない。

 次の瞬間、2人の距離が、一気に縮まった。

 ――え?

 部屋の外から見ている外野の久遠からも、はっきり分かった。2人の唇が重なったのだ。

 膝が震え出す。

 音が消えたみたいに、世界が遠のく。視界に額縁がついたみたいに、自分を遠くから見ているような離人感に陥った。
 頭の中が、真っ白になる。さっきまであったはずの決意も、勇気も、一瞬で離れていった。

 視界が滲む前に、久遠は踵を返した。

 ここにいたらだめだ。これ以上見たら、立っていられない。今日の勤務なんて、もっと不可能だ。

 自分の頭や体がまだ使い物になるうちに、事件現場から離れないといけなかった。

 足早にその場を離れながら、背後でドアが開く音がした気がした。
 けれど、振り返らなかった。振り返ったら、決定的に壊れてしまいそうだったから。




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