8 / 21
ゴールデンウィークの学校へ行こう
朝川学園の英語教師であり、明の担任教師。一宮朝霞み。それが彼女の名前だった。
年齢は朝霞先生が言うには二十後半らしいが、見た目の身長と顔の幼さから、かなり若く見える。小学生と言ってもばれないんじゃないだろうか。
そんなことを朝霞先生に言ったならば、朝霞先生から鉄拳が飛んでくるのは間違いないだろう。
彼女は祓千拳という見たことも聞いたこともない拳法の熟練者らしく、彼女の放つ拳の一撃はとてつもなく強大である。
身体はまるで人形のようで、彼女は関西弁という新東京ではめったに見ることのない言語を使い、性格も面白く頼りになる人だ。だから、生徒からの評判も悪くはない。
たが、彼女の欠点を彼女を慕う生徒はみな思っていた。
「なんで俺を呼んだんですか、イッチー?」
猛暑の熱を窓から教室へと降り注ぐなか、制服を少し緩く着崩した明が訊く。教室にいる生徒は彼一人。ゴールデン・ウィークの連休で学校に来るのは部活動をしに来る生徒だけだろう。
なので時折、吹奏楽部の演奏の音や、運動部のかけ声が開かれた窓から風と共に入ってくる。明は女子小学生にしか見えない担任教師の前の机に座らせられている。
「ウチをイッチーなんて呼ぶなと言っとるやろ」
教室の教壇の中央。椅子にもたれ、朝霞先生特製スポーツドリンクを飲みながら、朝霞先生が毅然とした声で答えてくる。
彼女がいま着ているのは青のジャージである。と言うより、いつもこの青のジャージを身に付けている。彼女がジャージ以外の服を着たのを見たことが一度もなかった。いったい何着持っているんだ。
一宮朝霞の欠点とは。服のセンスがほぼ皆無と言うこと。ジャージを悪く言う気はない。彼女も女性なのだからファッションセンスに気を使うとかした方がいいのではないのではないか、と言うのが生徒が思っている朝霞先生への意見だった。
朝霞先生は暑いなと呟き、ジャージのファスナーを下におろしながら、
「昨日、ゲームセンターの前でナンパにあったそうやね、明くん」
「宿題はちゃんとやってますよ……え!? なんでそれを知っているんだよ、イッチー! 昨日の嫌な出来事を……」
頬杖をついていた顔を離し、なんでそれを知っている、と明は驚嘆する。
「ん、ウチの情報網を舐めたらアカンで。明くんの黒歴史なんてまるわかりやで」
「あんたは俺の何を知っているんですか」
「にゃはは、ウチは眼に見えないことでも知っとるよ。でも、未来は知れへんよ。今と過去だけや」
朝霞先生はさんざんやったなー、と笑った。
笑いごとじゃない、と呟きながら明は楽しそうに笑う朝霞先生を眺めた。
明よりも若そうに見えるこの担任教師は、明よりもたくさんの知識を知っていて、摩訶不思議な拳法も使える。普段イッチーとあだ名で彼女を呼んでいるが、明は朝霞先生を尊敬していた。
「ほんと明くんは可愛いからな、ウチの嫁にしたいぐらいやで」
「イッチーはちゃんと婿を探した方がいいですよ」
朝霞先生のふざけた話しも軽く長し、明はまた頬杖をついた。
「じゃー、明くんを婿にしたいぐらいやわ」
「……冗談ですよね」
「どうだろな? 明くんといたら飽きなさそうだしね」
「……本音を言ったらどうですか」
「いや、ごめんなさい。よく考えたら担任教師と生徒というのは、よくありそうなのでなかったことで」
睨み続けた結果、朝霞先生から本音を吐き出せたので少しだけ満足感が明にはあった。断る理由がよくありそうなのでって。いや、断られたもなにもなってないけど。
「で、今から話すのは昨日の夜の話しなんだが」
朝霞先生は特製スポーツドリンクの入ったペットボトルを傾けながら、明を眺めていた。
「美少年の明くんをナンパした許せん男三人組が昨夜死んだらしいんだが、明くんがナンパされた仕返しになんかしたんじゃないかと、ウチは心配してるんやけど。明くんは昨夜何してたん?」
「え?」
担任教師の唐突な質問に、明は思わず視線をずらし窓の外を眺めた。
昨夜に何があったか、それは明自信よく知らない。化物が現れて、亜矢と朝川学園の後輩が明とメルを化物から助けた、ということしか理解していない。亜矢たちはなんで化物と戦っているのか、化物はなんなのか知らないことばかりだった。朝霞先生に訊いたら解るかもしれないが、亜矢や化物のことはさすがに知らないだろう判断した。
明と夏奈をナンパしゆうとした連中が死んだのに明は少なからず衝撃を受けていた。まだ若い人たちだったのに。
「なんで男三人組は死んだんですか。交通事故にでもあったんですか?」
「いや、彼らの死因は焼死なんや。身体全身を火炎に焼かれてな。でな、回りには火を発生させるようなものはなかったんや。謎やろ」
回りに火を発生させるようなものがなかったのに、彼らは焼死した。普通に考えるなら、
「彼らを焼死させた犯人が、火を発生させた証拠品を持ち帰ったんじゃないですか」
うむ、と朝霞先生はうなずき、しかしな、と続けた。
「彼らを焼死させるような火炎を発生させられるようなものが、簡単に手に入ると思うか」
「油やガソリンを使えばいけるんじゃないですか」
ちっちっち、と彼女は指を振り、違うんやで、と言う。
「彼らにガソリンを撒いたんなら、辺りにもガソリンがあるはずや。でもな、焼けたのは彼らだけなんや。面白いやろ」
「すごいトリックだな」
「これがトリックやったら、ウチらもまだ楽にできるんやけどな」
明は朝霞先生の言葉を不思議がりながら言った。
「とりあえず、犯人は俺じゃないですからね。絶対に人を殺すなんてしませんよ、女に間違われナンパされたぐらいじゃ」
「そうやな、明くんは優しいからな。なにかあったら、ウチにいいな、相談に乗ったるで。だって、ウチは明くんの先生やからな」
そう言って朝霞先生は、なんかあるんやろ、と言いたげな瞳で俺を見る。まるで見て来て知っているから話しても大丈夫だ、みたいな口振りだった。
彼女は明がナンパにあったことも知っていて、ちゃんと自分の教え子のことを心配しているのだ。
英語教師である一宮朝霞は、他に仕事をしているらしく、よくその愚痴を聞かされる。彼女がなにをしているかは知らないが、大変なことは解っていた。
「……あぁ、そうだ、イッチーなら知ってるかな」
明は、ふと思い出して顔を上げる。朝霞先生はなになにと期待ありげな目つきで明を見返す。
「ん、なんだ言ってみんさい」
「天界退魔組織、エンジェルリング……って知ってますか?」
明の問いかけに朝霞先生は沈黙し、ため息を吐いて不機嫌そうな表情を浮かべ立ち上がった。
「どうして明くんが、その名前を知っとるん? どこでそれを聞いたんや?」
「いや、知っているっていうか、ちょっと耳に挟んだぐらいで。詳しくは知らないんで、知りたいな」
「ほう。そうな、なんで明くんが知っているか聞きたいな。ちょっと耳に挟んだ耳に聞くとするかね、ほれほれ」
そう言って朝霞先生は、明の耳を容赦なく引っ張る。痛てて、と明は悲鳴を上げる。
「なんか怒ってませんか?」
「ちょっと衝撃を受けてな、苛めてしまっただけださ」
荒々しく息を吐いて、朝霞先生は明の耳を離した。暴力反対と思いながら、明は耳に手を当てて、
「やっぱ、なんか知ってるんすか?」
「まずウチの質問に答えるんや。どこでその名を聞いたんや」
明は言われて昨夜の記憶を呼び覚ます。さすがに亜矢の名を出すと、話が面倒になりそうので控えて口にした。
「昨夜、化物から俺を守ってくれた少女が言ったんですよ」
「……あの馬鹿……明くんは昨夜なにをしてたんや、化物ってなんや変質者か。またナンパされたんか」
朝霞先生は明に聞こえないように呟いてから、質問攻めにした。
「いやほんと、この世のものと思えない感じだったんだよ。なんというか、危険な奴らってのはすぐにわかった」
「危険な奴らってわかっとるんなら、これ以上首突っ込むんは止めろな。明くんが危険な目に遭うんはウチも嫌や、明くんも危険な目に遭うんは嫌やろ」
朝霞先生が、明を見下ろして冷ややかに警告をする。
「ウチはその化物のことも天界退魔組織のことも知っとる。けどな、それを明くんに話そうとは思わへんよ」
「なんでなんだ?」
明が怪訝な顔で訊き返す。
「知ってもうたら、絶対に明くんは危険だとわかっていても、動いちゃいそうやからな。明くんは馬鹿だからな」
朝霞先生の言うことに、うっ、と明は息を詰まらせた。たしかに明自身、馬鹿なほうかもしれないと思いつつあるが、自分から火に飛び込むような真似はしないだろう。
だって、死ぬのは恐いから。
「いや、でも、知ってるんだったら、なにか教えてくれよ」
明が諦めずに訊くと、朝霞先生は喋りすぎたな、というふうに舌打ちして、それ以上、なにも言おうとはしなかった。
結局、天界退魔組織と化物には関わるな近づくな、というのが朝霞先生の答えらしい。
だからといって、諦められるわけはなかった。
「そうだ、イッチー。中等部って今日も部活しているところありますよね?」
教室から出て行こうとする朝霞先生を呼び止めて、明が再び質問する。朝霞先生は怪訝そうに眉を寄せて、
「中等部になにか用なのか、明くん?」
「えーと、ね。妹の様子でも見に行こうかなぁって思いまして」
「ウチは知らんよ、中等部のことなんて。自分で行ってこい」
「……そうですか」
明は正直に朝霞先生の言葉に従うことにした。ここで下手を打つと、なにかを言われるのは明白だからだ。
「それからな、明くん」
「はい?」
なにを言われるのかと思っていたが、注意されるよりめんどくさいことを言われた。
「今日明くんを呼んだんは宿題の追加を渡すためなんや。取ってくるからちょっと待っててな」
朝霞先生はそう言って職員室のほうへ立ち去っていく。
「暴力を受けるより、酷いぜ」
宿題の追加に明は、ゴールデン・ウィークを心から楽しめるか不安になりつつあった。
※
朝川学園は、中高一貫の共学校である。生徒数は合計で二千人弱だろう。朝川市にある中学と高校が朝川学園しかないため、この学園にはたくさんの生徒が在籍することになる。
だからか朝川学園の規模は大きかった。第一第二第三まで体育館とグラウンドが用意されており、プールも中学用と高校用もある。さらには屋内プールもついている。食堂は中等部と高等部で共用だが、そのぶん規模が大きく昼食を食堂で住ませる生徒が中等部も高等部でもたくさんいる。
しかし、高等部の生徒が中等部の校舎に足を踏み入れるのは稀のことだった。理由はシンプル、踏み入れる必要が普通はないからだ。
だから、明はどことなく懐かしいような、居心地が悪いような気分を感じながら、久しぶりに足を踏み入れた中等部の校舎を歩いていた。
明が中等部の校舎を歩く理由も至ってシンプルだった。昨夜、亜矢と一緒にいた中等部の少女に会うためだ。部活に入っていれば会えないのは明白だが、そうネガティブな思考になる前に部活をしているかもしれないという希望を胸に中等部の校舎をさ迷い歩いていた。
特徴はたしか、大きな青い瞳と熱帯の海のような透明な水色のロングの垂らした髪だ。槍さえ握っていなければ、普通に可愛いほうの女子だと明は思っていた。
ずいぶんとさまよって、朝霞先生から渡された宿題の入ったバックを背負い直すと、不意に後ろから明の名前を呼ぶ声が、
「立花先輩、中等部の校舎でなにをしているんですか? ほんと、あなたは何者なんですか?」
聞こえたのは聞き覚えのある声で、明は振り返り確かめた。
「……沙希……さん?」
そこに立っていたのは、手首に小さな槍をブレスレットみたいにチェーンで繋げたように着けてあった中等部の制服姿の女子だった。少し大人びた雰囲気と顔立ちの女子中学生が、蔑むような変に思うような目つきで明を見ていた。
「はい、なんでしょうか?」
沙希は表情を変えないまま、冷ややかな口調で訊き返してくる。
「なにしてるんだ?」
「すいません、わたしもその台詞を立花先輩に言います。中等部の校舎でなにをしているんですか?」
「……う」
年下の少女に言われて、なにも言い返せない。
年齢は朝霞先生が言うには二十後半らしいが、見た目の身長と顔の幼さから、かなり若く見える。小学生と言ってもばれないんじゃないだろうか。
そんなことを朝霞先生に言ったならば、朝霞先生から鉄拳が飛んでくるのは間違いないだろう。
彼女は祓千拳という見たことも聞いたこともない拳法の熟練者らしく、彼女の放つ拳の一撃はとてつもなく強大である。
身体はまるで人形のようで、彼女は関西弁という新東京ではめったに見ることのない言語を使い、性格も面白く頼りになる人だ。だから、生徒からの評判も悪くはない。
たが、彼女の欠点を彼女を慕う生徒はみな思っていた。
「なんで俺を呼んだんですか、イッチー?」
猛暑の熱を窓から教室へと降り注ぐなか、制服を少し緩く着崩した明が訊く。教室にいる生徒は彼一人。ゴールデン・ウィークの連休で学校に来るのは部活動をしに来る生徒だけだろう。
なので時折、吹奏楽部の演奏の音や、運動部のかけ声が開かれた窓から風と共に入ってくる。明は女子小学生にしか見えない担任教師の前の机に座らせられている。
「ウチをイッチーなんて呼ぶなと言っとるやろ」
教室の教壇の中央。椅子にもたれ、朝霞先生特製スポーツドリンクを飲みながら、朝霞先生が毅然とした声で答えてくる。
彼女がいま着ているのは青のジャージである。と言うより、いつもこの青のジャージを身に付けている。彼女がジャージ以外の服を着たのを見たことが一度もなかった。いったい何着持っているんだ。
一宮朝霞の欠点とは。服のセンスがほぼ皆無と言うこと。ジャージを悪く言う気はない。彼女も女性なのだからファッションセンスに気を使うとかした方がいいのではないのではないか、と言うのが生徒が思っている朝霞先生への意見だった。
朝霞先生は暑いなと呟き、ジャージのファスナーを下におろしながら、
「昨日、ゲームセンターの前でナンパにあったそうやね、明くん」
「宿題はちゃんとやってますよ……え!? なんでそれを知っているんだよ、イッチー! 昨日の嫌な出来事を……」
頬杖をついていた顔を離し、なんでそれを知っている、と明は驚嘆する。
「ん、ウチの情報網を舐めたらアカンで。明くんの黒歴史なんてまるわかりやで」
「あんたは俺の何を知っているんですか」
「にゃはは、ウチは眼に見えないことでも知っとるよ。でも、未来は知れへんよ。今と過去だけや」
朝霞先生はさんざんやったなー、と笑った。
笑いごとじゃない、と呟きながら明は楽しそうに笑う朝霞先生を眺めた。
明よりも若そうに見えるこの担任教師は、明よりもたくさんの知識を知っていて、摩訶不思議な拳法も使える。普段イッチーとあだ名で彼女を呼んでいるが、明は朝霞先生を尊敬していた。
「ほんと明くんは可愛いからな、ウチの嫁にしたいぐらいやで」
「イッチーはちゃんと婿を探した方がいいですよ」
朝霞先生のふざけた話しも軽く長し、明はまた頬杖をついた。
「じゃー、明くんを婿にしたいぐらいやわ」
「……冗談ですよね」
「どうだろな? 明くんといたら飽きなさそうだしね」
「……本音を言ったらどうですか」
「いや、ごめんなさい。よく考えたら担任教師と生徒というのは、よくありそうなのでなかったことで」
睨み続けた結果、朝霞先生から本音を吐き出せたので少しだけ満足感が明にはあった。断る理由がよくありそうなのでって。いや、断られたもなにもなってないけど。
「で、今から話すのは昨日の夜の話しなんだが」
朝霞先生は特製スポーツドリンクの入ったペットボトルを傾けながら、明を眺めていた。
「美少年の明くんをナンパした許せん男三人組が昨夜死んだらしいんだが、明くんがナンパされた仕返しになんかしたんじゃないかと、ウチは心配してるんやけど。明くんは昨夜何してたん?」
「え?」
担任教師の唐突な質問に、明は思わず視線をずらし窓の外を眺めた。
昨夜に何があったか、それは明自信よく知らない。化物が現れて、亜矢と朝川学園の後輩が明とメルを化物から助けた、ということしか理解していない。亜矢たちはなんで化物と戦っているのか、化物はなんなのか知らないことばかりだった。朝霞先生に訊いたら解るかもしれないが、亜矢や化物のことはさすがに知らないだろう判断した。
明と夏奈をナンパしゆうとした連中が死んだのに明は少なからず衝撃を受けていた。まだ若い人たちだったのに。
「なんで男三人組は死んだんですか。交通事故にでもあったんですか?」
「いや、彼らの死因は焼死なんや。身体全身を火炎に焼かれてな。でな、回りには火を発生させるようなものはなかったんや。謎やろ」
回りに火を発生させるようなものがなかったのに、彼らは焼死した。普通に考えるなら、
「彼らを焼死させた犯人が、火を発生させた証拠品を持ち帰ったんじゃないですか」
うむ、と朝霞先生はうなずき、しかしな、と続けた。
「彼らを焼死させるような火炎を発生させられるようなものが、簡単に手に入ると思うか」
「油やガソリンを使えばいけるんじゃないですか」
ちっちっち、と彼女は指を振り、違うんやで、と言う。
「彼らにガソリンを撒いたんなら、辺りにもガソリンがあるはずや。でもな、焼けたのは彼らだけなんや。面白いやろ」
「すごいトリックだな」
「これがトリックやったら、ウチらもまだ楽にできるんやけどな」
明は朝霞先生の言葉を不思議がりながら言った。
「とりあえず、犯人は俺じゃないですからね。絶対に人を殺すなんてしませんよ、女に間違われナンパされたぐらいじゃ」
「そうやな、明くんは優しいからな。なにかあったら、ウチにいいな、相談に乗ったるで。だって、ウチは明くんの先生やからな」
そう言って朝霞先生は、なんかあるんやろ、と言いたげな瞳で俺を見る。まるで見て来て知っているから話しても大丈夫だ、みたいな口振りだった。
彼女は明がナンパにあったことも知っていて、ちゃんと自分の教え子のことを心配しているのだ。
英語教師である一宮朝霞は、他に仕事をしているらしく、よくその愚痴を聞かされる。彼女がなにをしているかは知らないが、大変なことは解っていた。
「……あぁ、そうだ、イッチーなら知ってるかな」
明は、ふと思い出して顔を上げる。朝霞先生はなになにと期待ありげな目つきで明を見返す。
「ん、なんだ言ってみんさい」
「天界退魔組織、エンジェルリング……って知ってますか?」
明の問いかけに朝霞先生は沈黙し、ため息を吐いて不機嫌そうな表情を浮かべ立ち上がった。
「どうして明くんが、その名前を知っとるん? どこでそれを聞いたんや?」
「いや、知っているっていうか、ちょっと耳に挟んだぐらいで。詳しくは知らないんで、知りたいな」
「ほう。そうな、なんで明くんが知っているか聞きたいな。ちょっと耳に挟んだ耳に聞くとするかね、ほれほれ」
そう言って朝霞先生は、明の耳を容赦なく引っ張る。痛てて、と明は悲鳴を上げる。
「なんか怒ってませんか?」
「ちょっと衝撃を受けてな、苛めてしまっただけださ」
荒々しく息を吐いて、朝霞先生は明の耳を離した。暴力反対と思いながら、明は耳に手を当てて、
「やっぱ、なんか知ってるんすか?」
「まずウチの質問に答えるんや。どこでその名を聞いたんや」
明は言われて昨夜の記憶を呼び覚ます。さすがに亜矢の名を出すと、話が面倒になりそうので控えて口にした。
「昨夜、化物から俺を守ってくれた少女が言ったんですよ」
「……あの馬鹿……明くんは昨夜なにをしてたんや、化物ってなんや変質者か。またナンパされたんか」
朝霞先生は明に聞こえないように呟いてから、質問攻めにした。
「いやほんと、この世のものと思えない感じだったんだよ。なんというか、危険な奴らってのはすぐにわかった」
「危険な奴らってわかっとるんなら、これ以上首突っ込むんは止めろな。明くんが危険な目に遭うんはウチも嫌や、明くんも危険な目に遭うんは嫌やろ」
朝霞先生が、明を見下ろして冷ややかに警告をする。
「ウチはその化物のことも天界退魔組織のことも知っとる。けどな、それを明くんに話そうとは思わへんよ」
「なんでなんだ?」
明が怪訝な顔で訊き返す。
「知ってもうたら、絶対に明くんは危険だとわかっていても、動いちゃいそうやからな。明くんは馬鹿だからな」
朝霞先生の言うことに、うっ、と明は息を詰まらせた。たしかに明自身、馬鹿なほうかもしれないと思いつつあるが、自分から火に飛び込むような真似はしないだろう。
だって、死ぬのは恐いから。
「いや、でも、知ってるんだったら、なにか教えてくれよ」
明が諦めずに訊くと、朝霞先生は喋りすぎたな、というふうに舌打ちして、それ以上、なにも言おうとはしなかった。
結局、天界退魔組織と化物には関わるな近づくな、というのが朝霞先生の答えらしい。
だからといって、諦められるわけはなかった。
「そうだ、イッチー。中等部って今日も部活しているところありますよね?」
教室から出て行こうとする朝霞先生を呼び止めて、明が再び質問する。朝霞先生は怪訝そうに眉を寄せて、
「中等部になにか用なのか、明くん?」
「えーと、ね。妹の様子でも見に行こうかなぁって思いまして」
「ウチは知らんよ、中等部のことなんて。自分で行ってこい」
「……そうですか」
明は正直に朝霞先生の言葉に従うことにした。ここで下手を打つと、なにかを言われるのは明白だからだ。
「それからな、明くん」
「はい?」
なにを言われるのかと思っていたが、注意されるよりめんどくさいことを言われた。
「今日明くんを呼んだんは宿題の追加を渡すためなんや。取ってくるからちょっと待っててな」
朝霞先生はそう言って職員室のほうへ立ち去っていく。
「暴力を受けるより、酷いぜ」
宿題の追加に明は、ゴールデン・ウィークを心から楽しめるか不安になりつつあった。
※
朝川学園は、中高一貫の共学校である。生徒数は合計で二千人弱だろう。朝川市にある中学と高校が朝川学園しかないため、この学園にはたくさんの生徒が在籍することになる。
だからか朝川学園の規模は大きかった。第一第二第三まで体育館とグラウンドが用意されており、プールも中学用と高校用もある。さらには屋内プールもついている。食堂は中等部と高等部で共用だが、そのぶん規模が大きく昼食を食堂で住ませる生徒が中等部も高等部でもたくさんいる。
しかし、高等部の生徒が中等部の校舎に足を踏み入れるのは稀のことだった。理由はシンプル、踏み入れる必要が普通はないからだ。
だから、明はどことなく懐かしいような、居心地が悪いような気分を感じながら、久しぶりに足を踏み入れた中等部の校舎を歩いていた。
明が中等部の校舎を歩く理由も至ってシンプルだった。昨夜、亜矢と一緒にいた中等部の少女に会うためだ。部活に入っていれば会えないのは明白だが、そうネガティブな思考になる前に部活をしているかもしれないという希望を胸に中等部の校舎をさ迷い歩いていた。
特徴はたしか、大きな青い瞳と熱帯の海のような透明な水色のロングの垂らした髪だ。槍さえ握っていなければ、普通に可愛いほうの女子だと明は思っていた。
ずいぶんとさまよって、朝霞先生から渡された宿題の入ったバックを背負い直すと、不意に後ろから明の名前を呼ぶ声が、
「立花先輩、中等部の校舎でなにをしているんですか? ほんと、あなたは何者なんですか?」
聞こえたのは聞き覚えのある声で、明は振り返り確かめた。
「……沙希……さん?」
そこに立っていたのは、手首に小さな槍をブレスレットみたいにチェーンで繋げたように着けてあった中等部の制服姿の女子だった。少し大人びた雰囲気と顔立ちの女子中学生が、蔑むような変に思うような目つきで明を見ていた。
「はい、なんでしょうか?」
沙希は表情を変えないまま、冷ややかな口調で訊き返してくる。
「なにしてるんだ?」
「すいません、わたしもその台詞を立花先輩に言います。中等部の校舎でなにをしているんですか?」
「……う」
年下の少女に言われて、なにも言い返せない。
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
私も処刑されたことですし、どうか皆さま地獄へ落ちてくださいね。
火野村志紀
恋愛
あなた方が訪れるその時をお待ちしております。
王宮医官長のエステルは、流行り病の特効薬を第四王子に服用させた。すると王子は高熱で苦しみ出し、エステルを含めた王宮医官たちは罪人として投獄されてしまう。
そしてエステルの婚約者であり大臣の息子のブノワは、エステルを口汚く罵り婚約破棄をすると、王女ナデージュとの婚約を果たす。ブノワにとって、優秀すぎるエステルは以前から邪魔な存在だったのだ。
エステルは貴族や平民からも悪女、魔女と罵られながら処刑された。
それがこの国の終わりの始まりだった。
『お前の針仕事など誰でもできる』——なら社交界のドレスの裏地を、めくってごらんなさい
歩人
ファンタジー
「地味な針仕事しかできない令嬢は要らない」——公爵家の嫡男にそう言い渡された伯爵令嬢ティナは、
裁縫道具だけを持って屋敷を出た。その翌週、社交界が凍りつく。王妃の夜会服も、公爵令嬢の舞踏会
ドレスも、第一王女の外交用ローブも——仕立てた職人が消えたのだ。しかもティナが十年かけて縫った
全てのドレスの裏地には、二重縫いで隠された署名が残されていて——。
辺境の小さな仕立て屋で穏やかに暮らすティナの元に、王都から使者がやってくる。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
「お前は妹の身代わりにすぎなかった」と捨てられた養女——でも領民が選んだのは、血の繋がらない姉の方だった
歩人
ファンタジー
孤児のフィーネは伯爵家に引き取られた。
病弱な令嬢エーデルの「代役」として。社交も、領地管理も、使用人の采配も——
全て「エーデル様」の名前で、完璧にこなしてきた。
十一年後。健康を取り戻したエーデルが屋敷に帰還した日、伯爵は言った。
「もう用済みだ、出ていけ」
フィーネは静かに屋敷を去った。
それから一月もしないうちに、領民たちが伯爵に詰め寄った。
「前のお嬢様を返してください」
「通訳など辞書で足りる」と追放された令嬢——三国会談で、婚約者は一言も話せなくなった
歩人
ファンタジー
宮廷通訳官エレノーラは五つの言語を操り、婚約者クラウスの外交を陰で支えてきた。
だがクラウスは言った。「通訳など辞書で足りる。お前は要らない」
追放されたエレノーラは隣国で新たな道を歩み始める。
一方、クラウスは三国会談の場で辞書片手に立ち往生。
誤訳が外交問題に発展し、窮地に陥ったその場に、隣国の通訳官として現れたのは——。
「その言葉は、もう翻訳できません」