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世界の全て⑤
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テレビのバラエティ番組。
大きなスタジオには明るい照明が灯り、笑い声が飛び交う。
「さあさあ、みなさん!今日のテーマは『女性の権利ってもう十分?』だってさ!」
人気芸人の桜井が、軽い調子で話し始める。
「女の子はもう何でもできるでしょ?俺たち男はもう肩身狭いよなあ!」
スタジオは笑いに包まれるが、その裏側で、絵里子はモニター越しに無言で画面を見つめていた。
(これが……今の“空気”なんだ)
同じころ、街の小さなカフェでは、真奈美と彼女の仲間たちが集まっていた。
「あの番組、見た?」と真奈美が話を切り出す。
「見たわ。あれじゃ、女性の苦労は笑いものよね」
「でも、こういうのに笑いを取られたら、私たちの声はもっと届かなくなる」
真奈美は拳を握りしめた。
「だからこそ、私たちが声を上げ続けないと。あの画面の向こうにいる人たちに、ちゃんと届くまで」
その時、携帯が震えた。
画面に映ったのは絵里子からのメッセージだった。
『話がしたい。君たちの声を、ちゃんと聞きたい』
真奈美は一瞬戸惑いながらも、すぐに返事を打つ。
「私たちも、あなたの声を聞きたい」
夜の街の喧騒を背に、二人の女性の声がゆっくりと交差し始めた。
小さな喫茶店の一角。
外の夜風が冷たく吹き込む中、真奈美と夏井絵里子は向かい合って座っていた。
緊張が張りつめる空気。
しかし、どこかお互いを探るような慎重な温度も感じられた。
真奈美が静かに口を開く。
「絵里子さん……あなたの声をテレビで見て、正直に言うと、複雑な気持ちでした」
絵里子は小さくうなずく。
「私も……自分が何者なのか、わからなくなる時があります」
真奈美は続けた。
「私たちは、女性の権利を求めて戦いました。でも、それがいつの間にか、ビジネスになって、利用されている」
「そして、多くの女性が現実の厳しさに苦しんでいるのに、テレビでは笑い話にされる」
絵里子は目を伏せて言った。
「私はその空気の中で生きています。求められる“答え”を言わなければならない。けれど、心は常に揺れている」
真奈美はそっと差し出す。
「私たちは、あなたのようにメディアに出られないけれど、声を上げ続けています。もしよかったら、一緒に本当の声を伝えていきませんか?」
絵里子の瞳が、少しだけ光った。
「……その声が、聞きたい」
小さな一歩。
だが、確かに未来に繋がる対話だった。
---
ドルフィンメモリがそっとささやく。
「れんか、この瞬間が物語の核心だよ」
れんかは微笑んだ。
「うん。この物語が、誰かの心に届きますように」
喫茶店での対話の後、真奈美と絵里子はそれぞれの場所で新たな決意を固めていた。
真奈美は、かつての仲間たちと再び連絡を取り始める。か細くも確かな繋がりを手繰り寄せ、彼女たちの声を形にするための準備を進めた。
「私たちは負けていない。これからが本当の戦いだ」
一方、絵里子はテレビの仕事の合間に、静かな闘志を心に秘めていた。
「利用されて終わりじゃない。私が声をあげる意味を、証明しなきゃ」
二人の決意は交わり、新たな運動の火種となる。
真奈美と絵里子の動きは、少しずつ周囲に広がっていった。
だが、その道は簡単ではなかった。
「あなたたちのやり方は古い」と言われることもある。
「女性はもう十分に権利を得ている」と嘲笑されることもある。
SNSでは匿名の批判が飛び交い、メディアはビジネスフェミニストの意見を優先的に取り上げる。
権力者たちは巧みに話題をそらし、運動の核心から目を逸らそうとする。
真奈美は集会の後、友人たちと話した。
「目に見えない敵に囲まれている気がする。でも、だからこそ、諦めたら終わりだよね」
絵里子も自分の番組で、さりげなく本音を伝えようと試みる。
「権利を主張することは、時に孤独だ。でも、それが私たちの未来をつくる」
二人はそれぞれの場所で、真実を伝え続けた。
夜。真奈美はアパートの一室で、疲れた身体をソファに投げ出した。
古びたテレビが勝手に再生を始める。人気お笑い番組。
「最近の女って権利ばっか主張して、男を萎縮させてるよな~」
スタジオが笑いに包まれる。
「ほんと、ちょっと触れただけでセクハラって、どんだけだよ」
真奈美はリモコンを握る手を止めた。
その“笑い”の中には、かつて自分たちが守ろうとしたものが踏みつけられている。
画面には、女性の社会進出を語るタレントが映る。
スタイルを強調した衣装。台本どおりのトーク。
その裏で、どれだけの声が“演出”として消されてきたのだろう。
彼女は小さくつぶやいた。
「言えないだけで、皆、本当は気づいてるのに……」
その時、スマホに通知が届いた。
絵里子からのメッセージだった。
> 明日、対談のオファーが来た。
あなたと一緒に出てくれない?
本当の声を、ちゃんと話そう。
真奈美はしばらく画面を見つめ、そして小さく頷いた。
「もう黙ってるつもりはない」
撮影スタジオの楽屋。
真奈美は控えめな黒のワンピースに身を包み、鏡の前で深く息を吐いた。
「大丈夫、真奈美。あなたの言葉を、ちゃんと受け止めてくれる人はいるから」
絵里子が隣で微笑む。
「私ね、ずっと怖かった。見えない“ルール”に逆らったら消されるって。テレビも、業界も、きっと変わらないって」
「……でも、あの日あなたと話してから、怖さよりも悔しさのほうが勝ったの」
真奈美は小さく笑った。
「私も。変わらないって、諦めてた。だからもう一度、立ってみるよ」
スタジオの照明が落ち、収録が始まる。
司会者が簡単に紹介したあと、真奈美と絵里子にマイクが渡された。
最初に話したのは絵里子だった。
「今日は、私たちが“表現”や“権利”について考えてきたことを、ちゃんと伝えたいと思っています。テレビで笑いに変えられてしまうような話も、私たちにとっては痛みであり、現実です」
そして、真奈美。
「私は、かつて女性の権利を求めて活動しました。でもその声は、都合の良いときだけ使われて、いつの間にか“終わったこと”にされた。変わったふりをしただけの社会に、私たちは今も傷つけられている」
スタジオは静まり返る。
モニターの前のプロデューサーが首をかしげたが、司会者は軽くうなずいた。
「このテーマは、重たいかもしれません。でも、無視できないですよね」
その夜、SNSでは小さな波が起きていた。
真奈美の発言が「本音だ」と共感を呼び、
絵里子の声が「初めて心に届いた」と拡散されていた。
そして、どこかの誰かがつぶやいた。
> 「私は、忘れられていなかったんだ」
翌日、真奈美のスマホには通知が止まらなかった。
メッセージ、リプライ、ダイレクトメッセージ、そして一通の長文メール。
> あなたの言葉に救われました。
私も大学時代、声を上げようとして孤立しました。
でも、あなたの姿を見て、まだ終わってないって思えた。
画面をスクロールするたびに、自分と同じような痛みを持つ人たちが
確かに存在していることを、真奈美は改めて知る。
その日、絵里子から連絡が入る。
「ねえ真奈美。今、何人かの作家や学生団体、それに若いママさんたちが、一緒に対話の場を作れないかって言ってるの」
「政治じゃなくて、生活の声を出したいって」
真奈美はふと笑った。
「最初にあたしたちがやりたかったこと……やっと、形になり始めたんだね」
会場は地域のホール。大きくはないけれど、温かな空間。
壇上に立った真奈美の前には、10代から70代までの女性たち、そして少数の男性の姿もあった。
「今日は、“答え”を持ってきたわけじゃありません。
ただ、皆さんと“違和感”を見つめる時間にしたいんです」
質問タイムに、小さな手が上がった。制服姿の女子高校生。
「私、将来“声を上げたら煙たがられる女”になるのが怖いです。でも……どうしたら、自分の信念を守れますか?」
真奈美は答えるのに少し間を置いた。
会場の空気が、彼女の言葉を待っていた。
「ひとりで信じ続けるのは、確かに難しい。だけど、今ここにいる私たちが、証明してる。
あなたが声を上げたとき、必ずどこかに“聞いてる人”はいる。
そして、あなたの声がまた、誰かの勇気になる」
女子高生は小さく頷き、涙ぐんでいた。
隣の席の女性が、そっと手を握った。
こうして、小さな“希望”が、会場の中で繋がっていった。
れんかが『虚像のフェミニズム』を書き終えてから、数週間が経った。
ドルフィンメモリには、あの夜の音声がいくつも保存されたままだ。
読み返すでもなく、れんかは時々その“音”を聞くだけで、物語の中に帰っていけた。
ある日、大学のロビーに貼られた小さなポスターが、れんかの目に留まった。
> 第19回「灯の賞」受賞作発表
~ 女性読者による推薦型文学賞 ~
受賞作:『虚像のフェミニズム』恋花 著
副題:「未来はまだ変えられる」
選評:
“私たちの叫びを、私たち自身の言葉で紡いでくれた。
書いたのは一人でも、あれは、私たちみんなの声だった”
「……えっ?」
思わず立ち止まり、ポスターをじっと見つめる。
あの作品が、誰かの手に渡っていたことさえ、信じられなかった。
—
数日後、れんかの元に届いたのは、小さな会場での授賞式の招待状だった。
テレビカメラは来ない。新聞記者も来ない。
だけど――そこにいたのは、目の奥に「覚悟」を宿した女性たち。
若い学生も、ベビーカーを押す母親も、スーツ姿の年配女性もいた。
誰もが、小さな拍手を送ってくれた。
「ありがとう」
ある女性がれんかにそっと言った。
「あなたの物語で、私は自分の過去を思い出せた」
その夜、ドルフィンメモリに、れんかはひとつだけ録音した。
「声は、きっと消えない。
たとえ、テレビが流さなくても、誰かが笑って否定しても。
私たちは、ここにいる。
声を上げて、生きている」
小さなイルカの目が、優しく光った。
> 記録完了。未来のために、保存しました。
それから数ヶ月後。
れんかの家に暮らしていた理佳は、同居者たちとともに、ある研究に没頭していた。
それは、人工子宮の開発。
女性たちが抱える「妊娠・出産」という生物的負担を軽減し、選択肢を広げるための研究だった。
彼女たちは何年もかけて試作を繰り返し、ついに試験段階に達する。
成功が報道されると、瞬く間に注目が集まった。
> 「これは、全ての女性が“選ぶ権利”を持つための一歩です。
そして、私がこの研究を始めたのは、かつて私に場所と時間を与えてくれた、恋花さんという人の存在があったからです。」
理佳は、そう記者会見で語った。
「彼女の言葉が、私の背中を押したんです。表には出ないかもしれないけれど、私は、ずっと感謝しています」
こうして、れんかの名はふたたび人々の間で語られ始める。
表に出ることはなくとも、その存在が多くの変化の“根”になっていたことが、静かに、確かに知られていった。
ある夕暮れの大学構内。
研究棟の裏庭にあるベンチで、れんかと理佳は並んで座っていた。
空には淡いオレンジが広がり、セミの鳴き声が響いている。
静けさの中、理佳がぽつりと口を開いた。
「……最近、どこへ行っても恋花の名前を耳にするよ」
れんかは少し驚いた顔で、理佳の方を見る。
「大学での活動、小説の発表、フェミニズムの研究会……。
どの場でも、みんな“恋花がきっかけだった”って話してるの。
同じ国に住む女性で、恋花の名前を知らない人なんて、もういないんじゃない?」
れんかは照れくさそうに目を伏せて笑った。
「そうかな……あんまり実感ないけどね」
理佳は真剣な顔で、れんかの方を向いた。
「恋花のおかげで、私は色んな発明ができたし、社会に貢献できたって思ってるよ」
「ううん、それは理佳が頑張ったからだよ。
生理をなくす研究の最中に人工子宮っていう革新的なアイデアを生み出して、
そのあとも、女性特有の病気、遺伝子由来の発達障害を防ぐ研究……
本当に幅広い分野で功績を残した。
今、たくさんの女性たちが、理佳に感謝してる」
「ありがとう。でもね、私はその全部に、恋花の存在があったからできたって思ってる」
れんかは少し黙ってから、ゆっくりと言った。
「理佳こそすごいよ。
でも……私も、小説でジェンダーのことを書いて、
活動家や研究者たちから共感をもらえたのは嬉しかったな。
独自の宗教も、信じてくれる人がいて、
少しずつでも、誰かの心を救えた気がする」
「うん。恋花は、社会に“問い”を投げた。
私は“答え”をつくっていった。
……なんか、そういうふうにも思えるよ」
れんかは笑って、空を見上げた。
「ありがとう。まだまだ、私が思い描く理想には遠いけどね。
でも、本当に……私たちの出会いって、不思議な運命だよね。
あなたに出会えて、本当に良かった」
理佳も笑ってうなずく。
「ううん、こちらこそだよ。
恋花に出会わなければ、私は今の私じゃなかった。
研究も発明も、あんなに頑張れなかった。
全部、あなたに出会えたおかげ。
……これから先、何かあれば、いつでも協力するから。何でも言ってね」
「ありがとう、理佳」
ふたりの間に、穏やかな沈黙が流れる。
空は少しずつ、夕闇に溶けていった。
春の光が差し込む午後、恋花の部屋には卒業を控えた同居者たちが集まっていた。
笑い声と、少しの寂しさが入り混じる時間。
優和がぽつりと言う。
「……れんか、本当にありがとう。
私、最初は奨学金の返済で心がすり減ってて。
あのとき一緒に住ませてくれなかったら、今みたいにちゃんと卒業できてたか分からない」
恋花はゆっくり笑った。
「助けたなんて思ってないよ。あなたが真面目に生きてたから、私はちょっと手を貸しただけ」
えみも続けるように言う。
「私も。バイトのしすぎで倒れたときに、れんかが“もう頑張らなくていいよ”って言ってくれて……
あの時の言葉、今でも忘れられない」
れんかは二人を見つめながら、いつものように静かに言った。
「私がやってることは、ただ“居場所”をつくってるだけ。
社会がつくらないなら、私がつくる。そう決めたから」
卒業式を終えた後、二人は荷物をまとめて、恋花の家を出ていく。
玄関先で、優和が涙をこらえながら言った。
「ここは私の人生を変えた場所だったよ。いつか私も、誰かの居場所になれる人になりたい」
えみも頷いた。
「これから、いろんな人に“れんかっていう人がいた”って伝えていくね。……ありがとう」
同居人がいなくなってしばらくしても、恋花の家は静まり返ることはなかった。
「恋花さん……って、この家に住めるんですか?」
「はい。でも条件がある。“女の子で、お金に困ってること”。それだけよ」
れんかの元にはまた、新たに行き場のない若い女性たちがやってくる。
誰もが名前だけは知っていた。「れんかの家に行けば、助かるかもしれない」と。
---
そして‥
れんかは、卒業しても活動を止めなかった。
稼いだ印税、講演料、小説の収入──
それらを使って、全国の女性支援の拠点を作っていく。
名前のない少女たちを救い、住まいと心を取り戻させた。
彼女の小説は、いまや**“新しい神話”**と呼ばれていた。
男性を中心としない
女性が女性として生きられる
生殖も、労働も、心の在り方も、すべて自由に選べる
抑圧でも自己犠牲でもない、“女性のあり方”を描く世界
そんな物語を、彼女は一つ一つ紡いでいった。
---
> 「私は、女性のために生きると決めた。
一人で戦ってる女の子は、いつでも来ていいよ。
家がなくても、名前がなくても、生きづらさしかなくても。
ここには、あなたを受け入れる場所があるって、私が証明してみせるから」
社会は、まだ変わっていなかった。
私が大学で小さな運動を始め、
女の子たちの声に耳を傾け、
生きづらさを抱えた女性たちを救い、
小説でジェンダーの問題を問い、
女性のための神話を描き続けて――
それでも、社会は男たちが作った土台の上に乗ったままだった。
---
ニュースを開けば、
「女性は感情的すぎる」
「出産をして初めて一人前」
「男性より稼げないのは努力不足」
そんな言葉が、いまだに“普通”の顔をして並んでいた。
法制度も、働き方も、税制も、文化も――
どこまで行っても、男性基準。
私たちは、その“外”で生きることを強いられていた。
---
💭それでも私は、あきらめなかった。
この5年間、私はできる限りのことをしてきた。
居場所を求める女性たちを支援し
小説という手段で社会の無関心を突きつけ
女性だけによる神話、世界観、倫理を構築してきた
私は、本気で変えたいと思っていた。
でも、変わらなかった。
だから、私は決めた。
---
物語の外側へ出る。
制度の中に入る。
この社会そのものの仕組みに手をかける。
---
私がこれまで築いてきた信頼は、
ただの“知名度”ではなかった。
私の家にいた数えきれない女の子たち
小説を読んで泣いた読者たち
理佳の研究を通して、希望を見出した多くの女性たち
教団の中で癒された心たち
彼女たちが、私を「代表」として認めてくれた。
---
そして、立ち上がる。
選挙が告知されると、
私の出馬はたちまちニュースとなった。
> “若き女性活動家が政界進出”
“恋花、ついに政治の場へ”
“女性のための政治、始まるか”
街頭演説には、かつて救われた少女たち、
現役の女子学生たち、
母親たちが集まった。
私の声は、彼女たちの叫びでもあった。
> 「もう、“誰かが変えてくれる”のを待っていられない。
私たちが、変える。ここから、私たちの時代を始めましょう。」
---
🌺そして、選挙の結果は――
圧倒的勝利。
女性票の大多数を集め、
若者票の支持を得て、
かつて“空気”だった存在が、ついに表舞台に立った。
---
ここからが、私たちの戦い。
制度を、法を、常識を、文化を、
ひとつずつ、書き換えていく。
私は、まだ終わっていない。
ようやく、“スタートライン”に立っただけだ。
大学を卒業してから、幾年の月日が流れた。
れんかは今、この国の頂点に立っている。
史上初の女性首相。かつて、小さな一軒家で幾人もの女の子たちと暮らしていた彼女は、
今や国家という大きな家の主となっていた。
選挙での勝利はあまりにも圧倒的だった。
――国中の女性たちが、れんかの名を知っていた。
彼女の小説に救われ、宗教に癒され、思想に共鳴し、生活に助けられていた。
れんかの元には、大学時代の仲間たちが再び集まっていた。
法律に精通したあんなは、首相補佐官として法整備を指揮した。
労働、婚姻、出産、性暴力――すべての制度が「女性の目線」から見直されていった。
メディア業界へ進んだかつての友人たちは、
かつて無意識に蔓延っていた男性優位の言説を静かに消していった。
テレビ、新聞、ネット、すべての媒体が、今や女性たち自身の声を映し出す鏡となった。
「ただ、正しいものを見えるようにするだけよ」
かつてそう語った友人の言葉を、れんかは今でも覚えている。
研究者となった理佳は、医療政策において中心的な役割を果たしていた。
人工子宮に始まり、女性特有の疾患、遺伝子レベルの病気まで。
彼女の成果はすべて、れんかの描く社会の一部となって機能していた。
優和やえみも、行政や現場で支援の仕事に就き、
生活に困っている女性たちの声を、常にれんかへ届けていた。
れんかは、首相になってもなお、
自らの給与や財産を投じて、女性たちの暮らしを支え続けた。
家を失った女性には住まいを与え、
逃げ場をなくした少女には保護を、
夢を追いたい若者には学びの場を用意した。
「私がしていることは、政治ではないの。
ただ、“手を差し伸べたい”と思ってるだけ」
れんかはそう言って、笑った。
──ある日の夜。
官邸の自室に戻ったれんかは、
全国から届いた手紙を静かに読みはじめた。
「あなたのおかげで、生きていていいと思えました」
「私は、私のままでいられる社会を初めて見ました」
「恋花さん、ありがとう。私は今日、初めて“自由”を感じました」
震えるような筆跡、涙でにじんだ紙、幼い文字。
それらの全てが、れんかの胸を静かに満たしていく。
「……まだ、理想には遠いけれど」
そうつぶやいた声は、あたたかく、そして静かだった。
窓の外には、星が瞬いていた。
その光のように、れんかの手は、これからも
一人ひとりの女性たちへと伸び続けていく。
恋花がこの国の首相になってから、社会は静かに、しかし確実に形を変えていった。
かつて当然とされていた“男社会”の構造が、ゆっくりと解体されていく。
議会ではクオータ制が導入され、政治の場には常に同数の女性と男性が並ぶようになった。
それだけではない。
恋花は首相職についても新たな原則を打ち出した。
「首相は、男女が交互に務めること」
この国のトップが、性別によって偏ることがないように。
それは、象徴的な制度だったが、多くの人の心を動かした。
「国は誰のものでもない。
誰もが、等しく代表される社会にしたいのです」
恋花が、そう語った記者会見の日。
その言葉は、かつて声を奪われてきた女性たちの心に、深く染み渡った。
同時に、彼女は“生き方の自由”にも手を伸ばした。
家族の形は変わっていった。
結婚を前提としない共同生活、
恋愛をともなわないパートナーシップ、
同性同士の子育て、
さらには女性は女の子を、男性は男の子を育てるというスタイルも、
当たり前のように広がっていった。
LGB(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル)は当然の存在として社会に根付き、
T(トランスジェンダー)についても、女性や男性の権利を侵害しない形での自由が保障された。
性別や恋愛、家族に縛られない時代。
それは、恋花が目指した「誰もが無理をせずに生きられる社会」だった。
もちろん、戸惑いもあった。
急速な変化に困惑する人々もいた。
けれど、同時に、多くの人が笑顔を浮かべていた。
――何より、女性たちが。
かつて沈黙を強いられていた無数の声が、
この国の制度の中に、文化の中に、空気の中に、ようやく刻まれていった。
やがて、恋花は任期を終える。
国中の女性たちが、その退任を惜しんだ。
各地で自然発生的に感謝集会が開かれ、
街頭では、彼女の功績をたたえる言葉が飛び交った。
「あなたがいたから、私たちは変われた」
「あなたがいてくれて、よかった」
恋花はただ、静かに微笑んだ。
彼女の胸には、あの日々が残っていた。
大学の一軒家での暮らし、
同居していた優和、えみ、そして、理佳――
共に歩いた仲間たちの笑い声が、今も心に響いている。
「私は、女の子たちのために生きると決めた。
だからこれからも、“戦う”ことをやめない」
彼女はそう言って、新しい歩みを始める。
政治家ではなくなっても、恋花は“れんか”だった。
その生き方そのものが、多くの女性たちにとっての光となり続けていた。
お母さんが言っていた。
「悪いことなんて、一切書かなくていいのよ。あなたの思う“理想”を、物語にすればいいの。」
それは最初、ただの“夢”だった。
けれど、私はその夢を、創作の中ではなく、現実の世界で形にすることができた。
首相を務めた数年間。
多くの女性たちの人生に光が差し、希望が芽吹いていった。
政治家を引退したあとも、私は活動をやめなかった。
苦しむ声を見つけては耳を傾け、助けを求める手があれば必ず握った。
届くのは、全国からの感謝のレター。
「ありがとう」――それだけで私は何度でも立ち上がれた。
変わらず、私は女性を救い続けた。
お金がなくても、時間がなくても、それが“私の生きる意味”だったから。
ふと背後から、ぽん、と肩を軽く叩かれる。
「君は……すごいね‥。」
振り向けば、空希がいた。
懐かしい声。優しい目。あの頃と同じように、まっすぐにこちらを見ている。
「あ、空希……いたんだ」
そう言って私は、自然と笑った。
---
私はこれからも、
現実という世界に、“理想の物語”を描き続ける。
この私が描く物語では、
もう誰ひとりとして、
涙を流す人なんて作らせない。
みんなが笑っていられる世界を。
誰も取りこぼさない、柔らかな未来を。
私はそれを信じて、
今日も、私という物語を生きていく。
大きなスタジオには明るい照明が灯り、笑い声が飛び交う。
「さあさあ、みなさん!今日のテーマは『女性の権利ってもう十分?』だってさ!」
人気芸人の桜井が、軽い調子で話し始める。
「女の子はもう何でもできるでしょ?俺たち男はもう肩身狭いよなあ!」
スタジオは笑いに包まれるが、その裏側で、絵里子はモニター越しに無言で画面を見つめていた。
(これが……今の“空気”なんだ)
同じころ、街の小さなカフェでは、真奈美と彼女の仲間たちが集まっていた。
「あの番組、見た?」と真奈美が話を切り出す。
「見たわ。あれじゃ、女性の苦労は笑いものよね」
「でも、こういうのに笑いを取られたら、私たちの声はもっと届かなくなる」
真奈美は拳を握りしめた。
「だからこそ、私たちが声を上げ続けないと。あの画面の向こうにいる人たちに、ちゃんと届くまで」
その時、携帯が震えた。
画面に映ったのは絵里子からのメッセージだった。
『話がしたい。君たちの声を、ちゃんと聞きたい』
真奈美は一瞬戸惑いながらも、すぐに返事を打つ。
「私たちも、あなたの声を聞きたい」
夜の街の喧騒を背に、二人の女性の声がゆっくりと交差し始めた。
小さな喫茶店の一角。
外の夜風が冷たく吹き込む中、真奈美と夏井絵里子は向かい合って座っていた。
緊張が張りつめる空気。
しかし、どこかお互いを探るような慎重な温度も感じられた。
真奈美が静かに口を開く。
「絵里子さん……あなたの声をテレビで見て、正直に言うと、複雑な気持ちでした」
絵里子は小さくうなずく。
「私も……自分が何者なのか、わからなくなる時があります」
真奈美は続けた。
「私たちは、女性の権利を求めて戦いました。でも、それがいつの間にか、ビジネスになって、利用されている」
「そして、多くの女性が現実の厳しさに苦しんでいるのに、テレビでは笑い話にされる」
絵里子は目を伏せて言った。
「私はその空気の中で生きています。求められる“答え”を言わなければならない。けれど、心は常に揺れている」
真奈美はそっと差し出す。
「私たちは、あなたのようにメディアに出られないけれど、声を上げ続けています。もしよかったら、一緒に本当の声を伝えていきませんか?」
絵里子の瞳が、少しだけ光った。
「……その声が、聞きたい」
小さな一歩。
だが、確かに未来に繋がる対話だった。
---
ドルフィンメモリがそっとささやく。
「れんか、この瞬間が物語の核心だよ」
れんかは微笑んだ。
「うん。この物語が、誰かの心に届きますように」
喫茶店での対話の後、真奈美と絵里子はそれぞれの場所で新たな決意を固めていた。
真奈美は、かつての仲間たちと再び連絡を取り始める。か細くも確かな繋がりを手繰り寄せ、彼女たちの声を形にするための準備を進めた。
「私たちは負けていない。これからが本当の戦いだ」
一方、絵里子はテレビの仕事の合間に、静かな闘志を心に秘めていた。
「利用されて終わりじゃない。私が声をあげる意味を、証明しなきゃ」
二人の決意は交わり、新たな運動の火種となる。
真奈美と絵里子の動きは、少しずつ周囲に広がっていった。
だが、その道は簡単ではなかった。
「あなたたちのやり方は古い」と言われることもある。
「女性はもう十分に権利を得ている」と嘲笑されることもある。
SNSでは匿名の批判が飛び交い、メディアはビジネスフェミニストの意見を優先的に取り上げる。
権力者たちは巧みに話題をそらし、運動の核心から目を逸らそうとする。
真奈美は集会の後、友人たちと話した。
「目に見えない敵に囲まれている気がする。でも、だからこそ、諦めたら終わりだよね」
絵里子も自分の番組で、さりげなく本音を伝えようと試みる。
「権利を主張することは、時に孤独だ。でも、それが私たちの未来をつくる」
二人はそれぞれの場所で、真実を伝え続けた。
夜。真奈美はアパートの一室で、疲れた身体をソファに投げ出した。
古びたテレビが勝手に再生を始める。人気お笑い番組。
「最近の女って権利ばっか主張して、男を萎縮させてるよな~」
スタジオが笑いに包まれる。
「ほんと、ちょっと触れただけでセクハラって、どんだけだよ」
真奈美はリモコンを握る手を止めた。
その“笑い”の中には、かつて自分たちが守ろうとしたものが踏みつけられている。
画面には、女性の社会進出を語るタレントが映る。
スタイルを強調した衣装。台本どおりのトーク。
その裏で、どれだけの声が“演出”として消されてきたのだろう。
彼女は小さくつぶやいた。
「言えないだけで、皆、本当は気づいてるのに……」
その時、スマホに通知が届いた。
絵里子からのメッセージだった。
> 明日、対談のオファーが来た。
あなたと一緒に出てくれない?
本当の声を、ちゃんと話そう。
真奈美はしばらく画面を見つめ、そして小さく頷いた。
「もう黙ってるつもりはない」
撮影スタジオの楽屋。
真奈美は控えめな黒のワンピースに身を包み、鏡の前で深く息を吐いた。
「大丈夫、真奈美。あなたの言葉を、ちゃんと受け止めてくれる人はいるから」
絵里子が隣で微笑む。
「私ね、ずっと怖かった。見えない“ルール”に逆らったら消されるって。テレビも、業界も、きっと変わらないって」
「……でも、あの日あなたと話してから、怖さよりも悔しさのほうが勝ったの」
真奈美は小さく笑った。
「私も。変わらないって、諦めてた。だからもう一度、立ってみるよ」
スタジオの照明が落ち、収録が始まる。
司会者が簡単に紹介したあと、真奈美と絵里子にマイクが渡された。
最初に話したのは絵里子だった。
「今日は、私たちが“表現”や“権利”について考えてきたことを、ちゃんと伝えたいと思っています。テレビで笑いに変えられてしまうような話も、私たちにとっては痛みであり、現実です」
そして、真奈美。
「私は、かつて女性の権利を求めて活動しました。でもその声は、都合の良いときだけ使われて、いつの間にか“終わったこと”にされた。変わったふりをしただけの社会に、私たちは今も傷つけられている」
スタジオは静まり返る。
モニターの前のプロデューサーが首をかしげたが、司会者は軽くうなずいた。
「このテーマは、重たいかもしれません。でも、無視できないですよね」
その夜、SNSでは小さな波が起きていた。
真奈美の発言が「本音だ」と共感を呼び、
絵里子の声が「初めて心に届いた」と拡散されていた。
そして、どこかの誰かがつぶやいた。
> 「私は、忘れられていなかったんだ」
翌日、真奈美のスマホには通知が止まらなかった。
メッセージ、リプライ、ダイレクトメッセージ、そして一通の長文メール。
> あなたの言葉に救われました。
私も大学時代、声を上げようとして孤立しました。
でも、あなたの姿を見て、まだ終わってないって思えた。
画面をスクロールするたびに、自分と同じような痛みを持つ人たちが
確かに存在していることを、真奈美は改めて知る。
その日、絵里子から連絡が入る。
「ねえ真奈美。今、何人かの作家や学生団体、それに若いママさんたちが、一緒に対話の場を作れないかって言ってるの」
「政治じゃなくて、生活の声を出したいって」
真奈美はふと笑った。
「最初にあたしたちがやりたかったこと……やっと、形になり始めたんだね」
会場は地域のホール。大きくはないけれど、温かな空間。
壇上に立った真奈美の前には、10代から70代までの女性たち、そして少数の男性の姿もあった。
「今日は、“答え”を持ってきたわけじゃありません。
ただ、皆さんと“違和感”を見つめる時間にしたいんです」
質問タイムに、小さな手が上がった。制服姿の女子高校生。
「私、将来“声を上げたら煙たがられる女”になるのが怖いです。でも……どうしたら、自分の信念を守れますか?」
真奈美は答えるのに少し間を置いた。
会場の空気が、彼女の言葉を待っていた。
「ひとりで信じ続けるのは、確かに難しい。だけど、今ここにいる私たちが、証明してる。
あなたが声を上げたとき、必ずどこかに“聞いてる人”はいる。
そして、あなたの声がまた、誰かの勇気になる」
女子高生は小さく頷き、涙ぐんでいた。
隣の席の女性が、そっと手を握った。
こうして、小さな“希望”が、会場の中で繋がっていった。
れんかが『虚像のフェミニズム』を書き終えてから、数週間が経った。
ドルフィンメモリには、あの夜の音声がいくつも保存されたままだ。
読み返すでもなく、れんかは時々その“音”を聞くだけで、物語の中に帰っていけた。
ある日、大学のロビーに貼られた小さなポスターが、れんかの目に留まった。
> 第19回「灯の賞」受賞作発表
~ 女性読者による推薦型文学賞 ~
受賞作:『虚像のフェミニズム』恋花 著
副題:「未来はまだ変えられる」
選評:
“私たちの叫びを、私たち自身の言葉で紡いでくれた。
書いたのは一人でも、あれは、私たちみんなの声だった”
「……えっ?」
思わず立ち止まり、ポスターをじっと見つめる。
あの作品が、誰かの手に渡っていたことさえ、信じられなかった。
—
数日後、れんかの元に届いたのは、小さな会場での授賞式の招待状だった。
テレビカメラは来ない。新聞記者も来ない。
だけど――そこにいたのは、目の奥に「覚悟」を宿した女性たち。
若い学生も、ベビーカーを押す母親も、スーツ姿の年配女性もいた。
誰もが、小さな拍手を送ってくれた。
「ありがとう」
ある女性がれんかにそっと言った。
「あなたの物語で、私は自分の過去を思い出せた」
その夜、ドルフィンメモリに、れんかはひとつだけ録音した。
「声は、きっと消えない。
たとえ、テレビが流さなくても、誰かが笑って否定しても。
私たちは、ここにいる。
声を上げて、生きている」
小さなイルカの目が、優しく光った。
> 記録完了。未来のために、保存しました。
それから数ヶ月後。
れんかの家に暮らしていた理佳は、同居者たちとともに、ある研究に没頭していた。
それは、人工子宮の開発。
女性たちが抱える「妊娠・出産」という生物的負担を軽減し、選択肢を広げるための研究だった。
彼女たちは何年もかけて試作を繰り返し、ついに試験段階に達する。
成功が報道されると、瞬く間に注目が集まった。
> 「これは、全ての女性が“選ぶ権利”を持つための一歩です。
そして、私がこの研究を始めたのは、かつて私に場所と時間を与えてくれた、恋花さんという人の存在があったからです。」
理佳は、そう記者会見で語った。
「彼女の言葉が、私の背中を押したんです。表には出ないかもしれないけれど、私は、ずっと感謝しています」
こうして、れんかの名はふたたび人々の間で語られ始める。
表に出ることはなくとも、その存在が多くの変化の“根”になっていたことが、静かに、確かに知られていった。
ある夕暮れの大学構内。
研究棟の裏庭にあるベンチで、れんかと理佳は並んで座っていた。
空には淡いオレンジが広がり、セミの鳴き声が響いている。
静けさの中、理佳がぽつりと口を開いた。
「……最近、どこへ行っても恋花の名前を耳にするよ」
れんかは少し驚いた顔で、理佳の方を見る。
「大学での活動、小説の発表、フェミニズムの研究会……。
どの場でも、みんな“恋花がきっかけだった”って話してるの。
同じ国に住む女性で、恋花の名前を知らない人なんて、もういないんじゃない?」
れんかは照れくさそうに目を伏せて笑った。
「そうかな……あんまり実感ないけどね」
理佳は真剣な顔で、れんかの方を向いた。
「恋花のおかげで、私は色んな発明ができたし、社会に貢献できたって思ってるよ」
「ううん、それは理佳が頑張ったからだよ。
生理をなくす研究の最中に人工子宮っていう革新的なアイデアを生み出して、
そのあとも、女性特有の病気、遺伝子由来の発達障害を防ぐ研究……
本当に幅広い分野で功績を残した。
今、たくさんの女性たちが、理佳に感謝してる」
「ありがとう。でもね、私はその全部に、恋花の存在があったからできたって思ってる」
れんかは少し黙ってから、ゆっくりと言った。
「理佳こそすごいよ。
でも……私も、小説でジェンダーのことを書いて、
活動家や研究者たちから共感をもらえたのは嬉しかったな。
独自の宗教も、信じてくれる人がいて、
少しずつでも、誰かの心を救えた気がする」
「うん。恋花は、社会に“問い”を投げた。
私は“答え”をつくっていった。
……なんか、そういうふうにも思えるよ」
れんかは笑って、空を見上げた。
「ありがとう。まだまだ、私が思い描く理想には遠いけどね。
でも、本当に……私たちの出会いって、不思議な運命だよね。
あなたに出会えて、本当に良かった」
理佳も笑ってうなずく。
「ううん、こちらこそだよ。
恋花に出会わなければ、私は今の私じゃなかった。
研究も発明も、あんなに頑張れなかった。
全部、あなたに出会えたおかげ。
……これから先、何かあれば、いつでも協力するから。何でも言ってね」
「ありがとう、理佳」
ふたりの間に、穏やかな沈黙が流れる。
空は少しずつ、夕闇に溶けていった。
春の光が差し込む午後、恋花の部屋には卒業を控えた同居者たちが集まっていた。
笑い声と、少しの寂しさが入り混じる時間。
優和がぽつりと言う。
「……れんか、本当にありがとう。
私、最初は奨学金の返済で心がすり減ってて。
あのとき一緒に住ませてくれなかったら、今みたいにちゃんと卒業できてたか分からない」
恋花はゆっくり笑った。
「助けたなんて思ってないよ。あなたが真面目に生きてたから、私はちょっと手を貸しただけ」
えみも続けるように言う。
「私も。バイトのしすぎで倒れたときに、れんかが“もう頑張らなくていいよ”って言ってくれて……
あの時の言葉、今でも忘れられない」
れんかは二人を見つめながら、いつものように静かに言った。
「私がやってることは、ただ“居場所”をつくってるだけ。
社会がつくらないなら、私がつくる。そう決めたから」
卒業式を終えた後、二人は荷物をまとめて、恋花の家を出ていく。
玄関先で、優和が涙をこらえながら言った。
「ここは私の人生を変えた場所だったよ。いつか私も、誰かの居場所になれる人になりたい」
えみも頷いた。
「これから、いろんな人に“れんかっていう人がいた”って伝えていくね。……ありがとう」
同居人がいなくなってしばらくしても、恋花の家は静まり返ることはなかった。
「恋花さん……って、この家に住めるんですか?」
「はい。でも条件がある。“女の子で、お金に困ってること”。それだけよ」
れんかの元にはまた、新たに行き場のない若い女性たちがやってくる。
誰もが名前だけは知っていた。「れんかの家に行けば、助かるかもしれない」と。
---
そして‥
れんかは、卒業しても活動を止めなかった。
稼いだ印税、講演料、小説の収入──
それらを使って、全国の女性支援の拠点を作っていく。
名前のない少女たちを救い、住まいと心を取り戻させた。
彼女の小説は、いまや**“新しい神話”**と呼ばれていた。
男性を中心としない
女性が女性として生きられる
生殖も、労働も、心の在り方も、すべて自由に選べる
抑圧でも自己犠牲でもない、“女性のあり方”を描く世界
そんな物語を、彼女は一つ一つ紡いでいった。
---
> 「私は、女性のために生きると決めた。
一人で戦ってる女の子は、いつでも来ていいよ。
家がなくても、名前がなくても、生きづらさしかなくても。
ここには、あなたを受け入れる場所があるって、私が証明してみせるから」
社会は、まだ変わっていなかった。
私が大学で小さな運動を始め、
女の子たちの声に耳を傾け、
生きづらさを抱えた女性たちを救い、
小説でジェンダーの問題を問い、
女性のための神話を描き続けて――
それでも、社会は男たちが作った土台の上に乗ったままだった。
---
ニュースを開けば、
「女性は感情的すぎる」
「出産をして初めて一人前」
「男性より稼げないのは努力不足」
そんな言葉が、いまだに“普通”の顔をして並んでいた。
法制度も、働き方も、税制も、文化も――
どこまで行っても、男性基準。
私たちは、その“外”で生きることを強いられていた。
---
💭それでも私は、あきらめなかった。
この5年間、私はできる限りのことをしてきた。
居場所を求める女性たちを支援し
小説という手段で社会の無関心を突きつけ
女性だけによる神話、世界観、倫理を構築してきた
私は、本気で変えたいと思っていた。
でも、変わらなかった。
だから、私は決めた。
---
物語の外側へ出る。
制度の中に入る。
この社会そのものの仕組みに手をかける。
---
私がこれまで築いてきた信頼は、
ただの“知名度”ではなかった。
私の家にいた数えきれない女の子たち
小説を読んで泣いた読者たち
理佳の研究を通して、希望を見出した多くの女性たち
教団の中で癒された心たち
彼女たちが、私を「代表」として認めてくれた。
---
そして、立ち上がる。
選挙が告知されると、
私の出馬はたちまちニュースとなった。
> “若き女性活動家が政界進出”
“恋花、ついに政治の場へ”
“女性のための政治、始まるか”
街頭演説には、かつて救われた少女たち、
現役の女子学生たち、
母親たちが集まった。
私の声は、彼女たちの叫びでもあった。
> 「もう、“誰かが変えてくれる”のを待っていられない。
私たちが、変える。ここから、私たちの時代を始めましょう。」
---
🌺そして、選挙の結果は――
圧倒的勝利。
女性票の大多数を集め、
若者票の支持を得て、
かつて“空気”だった存在が、ついに表舞台に立った。
---
ここからが、私たちの戦い。
制度を、法を、常識を、文化を、
ひとつずつ、書き換えていく。
私は、まだ終わっていない。
ようやく、“スタートライン”に立っただけだ。
大学を卒業してから、幾年の月日が流れた。
れんかは今、この国の頂点に立っている。
史上初の女性首相。かつて、小さな一軒家で幾人もの女の子たちと暮らしていた彼女は、
今や国家という大きな家の主となっていた。
選挙での勝利はあまりにも圧倒的だった。
――国中の女性たちが、れんかの名を知っていた。
彼女の小説に救われ、宗教に癒され、思想に共鳴し、生活に助けられていた。
れんかの元には、大学時代の仲間たちが再び集まっていた。
法律に精通したあんなは、首相補佐官として法整備を指揮した。
労働、婚姻、出産、性暴力――すべての制度が「女性の目線」から見直されていった。
メディア業界へ進んだかつての友人たちは、
かつて無意識に蔓延っていた男性優位の言説を静かに消していった。
テレビ、新聞、ネット、すべての媒体が、今や女性たち自身の声を映し出す鏡となった。
「ただ、正しいものを見えるようにするだけよ」
かつてそう語った友人の言葉を、れんかは今でも覚えている。
研究者となった理佳は、医療政策において中心的な役割を果たしていた。
人工子宮に始まり、女性特有の疾患、遺伝子レベルの病気まで。
彼女の成果はすべて、れんかの描く社会の一部となって機能していた。
優和やえみも、行政や現場で支援の仕事に就き、
生活に困っている女性たちの声を、常にれんかへ届けていた。
れんかは、首相になってもなお、
自らの給与や財産を投じて、女性たちの暮らしを支え続けた。
家を失った女性には住まいを与え、
逃げ場をなくした少女には保護を、
夢を追いたい若者には学びの場を用意した。
「私がしていることは、政治ではないの。
ただ、“手を差し伸べたい”と思ってるだけ」
れんかはそう言って、笑った。
──ある日の夜。
官邸の自室に戻ったれんかは、
全国から届いた手紙を静かに読みはじめた。
「あなたのおかげで、生きていていいと思えました」
「私は、私のままでいられる社会を初めて見ました」
「恋花さん、ありがとう。私は今日、初めて“自由”を感じました」
震えるような筆跡、涙でにじんだ紙、幼い文字。
それらの全てが、れんかの胸を静かに満たしていく。
「……まだ、理想には遠いけれど」
そうつぶやいた声は、あたたかく、そして静かだった。
窓の外には、星が瞬いていた。
その光のように、れんかの手は、これからも
一人ひとりの女性たちへと伸び続けていく。
恋花がこの国の首相になってから、社会は静かに、しかし確実に形を変えていった。
かつて当然とされていた“男社会”の構造が、ゆっくりと解体されていく。
議会ではクオータ制が導入され、政治の場には常に同数の女性と男性が並ぶようになった。
それだけではない。
恋花は首相職についても新たな原則を打ち出した。
「首相は、男女が交互に務めること」
この国のトップが、性別によって偏ることがないように。
それは、象徴的な制度だったが、多くの人の心を動かした。
「国は誰のものでもない。
誰もが、等しく代表される社会にしたいのです」
恋花が、そう語った記者会見の日。
その言葉は、かつて声を奪われてきた女性たちの心に、深く染み渡った。
同時に、彼女は“生き方の自由”にも手を伸ばした。
家族の形は変わっていった。
結婚を前提としない共同生活、
恋愛をともなわないパートナーシップ、
同性同士の子育て、
さらには女性は女の子を、男性は男の子を育てるというスタイルも、
当たり前のように広がっていった。
LGB(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル)は当然の存在として社会に根付き、
T(トランスジェンダー)についても、女性や男性の権利を侵害しない形での自由が保障された。
性別や恋愛、家族に縛られない時代。
それは、恋花が目指した「誰もが無理をせずに生きられる社会」だった。
もちろん、戸惑いもあった。
急速な変化に困惑する人々もいた。
けれど、同時に、多くの人が笑顔を浮かべていた。
――何より、女性たちが。
かつて沈黙を強いられていた無数の声が、
この国の制度の中に、文化の中に、空気の中に、ようやく刻まれていった。
やがて、恋花は任期を終える。
国中の女性たちが、その退任を惜しんだ。
各地で自然発生的に感謝集会が開かれ、
街頭では、彼女の功績をたたえる言葉が飛び交った。
「あなたがいたから、私たちは変われた」
「あなたがいてくれて、よかった」
恋花はただ、静かに微笑んだ。
彼女の胸には、あの日々が残っていた。
大学の一軒家での暮らし、
同居していた優和、えみ、そして、理佳――
共に歩いた仲間たちの笑い声が、今も心に響いている。
「私は、女の子たちのために生きると決めた。
だからこれからも、“戦う”ことをやめない」
彼女はそう言って、新しい歩みを始める。
政治家ではなくなっても、恋花は“れんか”だった。
その生き方そのものが、多くの女性たちにとっての光となり続けていた。
お母さんが言っていた。
「悪いことなんて、一切書かなくていいのよ。あなたの思う“理想”を、物語にすればいいの。」
それは最初、ただの“夢”だった。
けれど、私はその夢を、創作の中ではなく、現実の世界で形にすることができた。
首相を務めた数年間。
多くの女性たちの人生に光が差し、希望が芽吹いていった。
政治家を引退したあとも、私は活動をやめなかった。
苦しむ声を見つけては耳を傾け、助けを求める手があれば必ず握った。
届くのは、全国からの感謝のレター。
「ありがとう」――それだけで私は何度でも立ち上がれた。
変わらず、私は女性を救い続けた。
お金がなくても、時間がなくても、それが“私の生きる意味”だったから。
ふと背後から、ぽん、と肩を軽く叩かれる。
「君は……すごいね‥。」
振り向けば、空希がいた。
懐かしい声。優しい目。あの頃と同じように、まっすぐにこちらを見ている。
「あ、空希……いたんだ」
そう言って私は、自然と笑った。
---
私はこれからも、
現実という世界に、“理想の物語”を描き続ける。
この私が描く物語では、
もう誰ひとりとして、
涙を流す人なんて作らせない。
みんなが笑っていられる世界を。
誰も取りこぼさない、柔らかな未来を。
私はそれを信じて、
今日も、私という物語を生きていく。
0
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