短編集

みなせ

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短編

ふこうのてんこもり~護衛騎士のものがたり~

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―――侍女、だよな?


 初めて彼女を見た時、そう思った俺は悪くないと思う。

 その日、俺は王太子の友人兼護衛として、王太子主催のお茶会に出席していた。
 王太子主催のお茶会は、お茶会と言う名のお見合いなのは公然の秘密だ。
 国内の十四歳から十六歳の子爵以上の女子が集められた今日のお茶会も、今年十五歳になった王太子の婚約者を選ぶため行われている。
 主役の王太子は、俺の斜め前で、色とりどりのドレスを着た少女たちを相手に、愛想のいい笑顔を絶やさず一人一人丁寧な対応をしている。

よくやるよな……

 侍従が名前を言い、名を呼ばれた少女が挨拶をする。
 ただそれだけのことだが、皆自分をアピールするため長い口上を述べるのだ。
 練習はしてくるのだろうが、緊張と興奮でつっかえるため一人終わるのに通常時の倍の時間がかかっている。
 強すぎる香水と媚びた態度の少女たちに、幼いころから王族として厳しい教育を受けているとはいえ、よく長い時間耐えられるなと、俺は感心しながら王太子を見ていた。

 どのくらいの少女の相手をしたころだろう。
 皆同じような流行りのドレスや髪形で、誰が誰だか分からなくなってきたころ、その姉妹は現れた。
 どちらも美しいという形容詞が似合う姿形だったが、一人は他の令嬢たちと遜色ない流行のドレスと髪型、もう一人は侍女が着るようなワンピースに軽く整えただけの髪型という、よく親が許したよなと言う風体の少女だった。
 思わず、侍女は立ち入り禁止ですよと言いそうになった時、侍従が確かに二人の少女の名前を読み上げた。
 スススと侍女にしか見えない少女が先に進み出て、優雅で美しい動作で頭を下げる。
 王太子の息を飲む音が聞こえ、俺は一瞬そちらに意識をとられてしまった。

「……でございます。本日はお招きありがとうございます。今日のよき日に素晴らしい出会いがありますことを心からお祈り申し上げます」

 涼やかな優しい声に慌てて少女を見ると、すでに挨拶は終わったらしい。
 頭を下げたまま後ずさり、代わりに妹が進み出てくる。


―――――王太子に気を取られて、彼女の名前を聞き逃してしまった。


 彼女の妹と名乗った少女は、見かけの通り他の令嬢たちと変わらなかった。
 いや、他の令嬢たちよりもひどくて、マナーがまったくなっていなかった。まるで庶民のようなその態度に、王太子の顔が引きつった。
 珍しいその顔を、俺は思わず二度見してしまった。
 お茶会が終わった後、王太子とともに見た彼女たちの身上書には、姉が正妻、妹が後妻の子と記載があったので、そう言うことなのだろうと頷きあった。





 お茶会から数日後、王太子は侍女姿の彼女を婚約者に選んだ。






 王太子は彼女と二人だけのお茶会を開いた。
 彼女に会うのが楽しみだったらしく、少しでも二人の距離が縮まればいいと、最初は毎回とても楽しみにしていた。
 だが回を重ねるうち、その表情が曇り初め、次第に会う時間は短くなり、学園へ通うようになると顔合わせすら無くなってしまった。

「何かあったのですか? あんなに楽しみにしていたのに」
「いや、特に何もない。ただ、私が彼女に期待しすぎただけだ。彼女には何もないのだ……本当に何も」

 彼女は美しく、貞淑で勤勉で―――王妃になるには知性も必要だろうが、それも申し分なさそうだった。
 それ以上、王太子は何を望むのか。
 女性と深く付き合ったことがない俺には、王太子の言っている意味が分からなかった。





 学園に入学するにあたり、俺はこの国の騎士団長でもある父に、彼女の護衛をするよう命じられた。
 自分は王太子の護衛をすると思っていたので、嫌だと言ったが、彼女の護衛をすることが正騎士になるための試験であると言われ飲むしかなかった。
 何故彼女に護衛が必要なのかと聞くと、護衛というより見張りなのだと言う。

 王太子が学園に入ると、何故か婚約者以外の女生徒に夢中になるそうだ。一時の遊びならいいが、急に自分の婚約者が女生徒に嫌がらせをしたと思いこみ、婚約者を卒業式で断罪してしまうほどだと言う。
 そんなアホな話があるのかと思ったが、今の陛下も王太子の時分、学園でそう言った騒ぎを起こしかけたのだと、王妃も父も口をそろえた。

 この国では政争を避けることを理由に、王子は一人と決められている。
 醜聞から王太子と婚約者を守るため、婚約者に護衛騎士と言う名の見張りを付けることと言う法律があるのだと言う。
 俺は、陛下の立会いの下、王太子と精霊契約による主従関係を結んだ。
 王太子は本当の理由を聞かされていないらしく、おおげさだと笑っていたが、これで俺と王太子の間では嘘やごまかしが出来なくなった。






 俺はこの時、まさか王太子が恋だの愛だの言うとは、微塵も思っていなかった。






 学園生活が始まり、俺は彼女と引き合わされた。
 直しを入れていないシンプルな制服をスッキリと着こなし、感情がこもらない笑顔を張り付けた彼女は、相変わらず美しかった。

 俺は言われた通り、彼女の後ろを朝から晩までついて歩く。
 王太子妃教育の時とトイレ以外はいつも一緒だ。
 俺から話しかけることは出来ないから、会話は、ない。
 最初は俺を見下しているのかと思ったが、朝と夜の挨拶はしてくれていたし、話しかけられることはなかったが、俺が側にいるとひどく緊張しているのが伝わってきた。
 俺には姉と妹がいる。彼女も俺にとっては慣れたものだが、妹しかいない彼女には親しくない男が側にいるのは苦痛なのかもしれないと考え、見守る以外の行動は控えた。

 王太子の方はと言うと、俺が知らない間に、両脇に女を侍らせるようになっていた。
 右側には、彼女の妹が。
 そして左側には、最近編入した隣国の王女が。
 王太子は、それはもうとろけるような笑顔を二人に向け、まるで周りは見えないようだった。
 俺がそれとなく一体どう言うことかと尋ねると、

「私は彼女たちのおかげで、【真実の愛】を見つけられそうなのだ」

 と、今まで見たことも無い笑顔を見せた。
 精霊契約が発動し、王太子が本当にそう思っていることがダイレクトに伝わってきて、俺は足元から這い上がってくる寒気と鳥肌に震えた。
 彼女はどう思うのだろうと思っていると、ある日王太子たちと食堂で鉢合わせした。
 彼女はしばし彼らを観察してから、隣国の王女のことを近くにいた生徒に聞くと、さも面白そうに微笑んで、

「あれが両手に花って言うのね」

 と誰に聞かせるでもなくつぶやいた。
 俺は、彼女の花が咲くような笑顔に呆けてしまった。



 時がたち、卒業式がやってきた。
 王太子の左右にはおそろいの“王太子の色”のドレスを纏った、彼女の妹と隣国の王女がいた。
 制服姿の彼女の前までやってくると、王太子が焦点の定まらない目のまま何かを語り出した。

「君は義妹と王女をいじめていたそうじゃないか。そんな人と結婚は出来ない。だから君との婚約は……」

 俺は王太子がそこまで言った時、父の言葉を思い出した。

 あぁ、これが断罪か。

 そう思うと同時に、俺は彼女の前に出ていた。

「殿下、失礼ですが、ご婚約者様にそのような時間はございません。ご婚約者様が無実であることは、朝から晩までご一緒していた、私が証明いたします」

 俺が言うと同時に、精霊契約が発動し、俺が見ていた彼女の様子が王太子へと送られたのが分かった。

「……そう、か」

 王太子が少しの間の後、まるで今目覚めたてのようなけだるさで、そう答えた。
 精霊契約によって戻ってきた王太子の感情は、ひどく悲しいものだった。







 騒ぎにならなかったおかげで、彼女が正妃、彼女の妹が第一側妃、王女は国に帰ることになった。
 俺は彼女の護衛騎士の任を解かれ、王太子との精霊契約も解除し、父と陛下の推薦をもって正騎士となり、彼女の妹の護衛として新しい任に着いた。
 俺は王太子か彼女の護衛になりたいと言ったが、それはどちらも王太子によって却下された。

 そして、彼女と王太子の結婚式の日がやってきた。
 その日の俺は、一番下っ端の騎士として、夜明け前から王宮に付属した大聖堂の警備にあたっていた。
 大聖堂のバージンロードを歩く白いドレス姿の彼女を想像すると、何故かあの花が咲き誇るような笑顔を思い出して、胸が熱くなった。
 彼女のために良い結婚式を、と思いながら、不審者が隠れていないか、不審物はないかと職務に没頭していた。
 その時、突然、地面が揺れた。
 何事だと騎士団は慌てたが、すぐに伝令があり皆王宮に召集された。

 そこで聞いたのは、神殿が、聖女の召喚に成功した、と言うことだった。

 昔から、この国には魔物が出ることがあった。
 神殿は魔物を一掃するため、昔から聖女召喚の儀式を行っていたと言う。
 何故今日なのか、と彼女が神官に聞いていた。
 神官は、誇らしい顔で、「今日はお日柄が良かったのでしょう」と言った。
 彼女は無表情のまま、口をつぐんだ。

 聖女として連れてこられたのは、黒い髪に黒い瞳のかわいらしい少女だった。
 彼女は懐かしそうな目で少女を見て、静かに、諦めたように頭を振った。
 王太子は、白いドレスの彼女の前を通り過ぎ、愛想のいい笑顔を張り付け、聖女へと跪いた。
 あれよあれよという間に、聖女は正妃に、彼女は第一側妃になると決まった。
 そして、彼女の妹は俺を夫にすることを条件に、実家へ帰ることになった。
 俺に断る権利はなかった。







 俺と彼女の妹はすぐに城を出された。
 俺はどうやら彼女の家の婿となるらしかった。
 彼女の妹は三日のうちに妻となり、俺は侯爵家を継ぐための勉強を始めた。
 彼女のことも気になったが、妻となった彼女の妹と過ごすうち、ごく普通に愛するようになっていた。
 それはまるで夢を見るような、まどろむような、自分が自分で無くなるような感じだった。
 王太子と聖女の結婚式も終わり、生活にも慣れたころ、妻が意地悪い顔を見せた。
 甘やかすように愛する俺に、

「お姉さまの側にいられなくて残念だったわね」

 と言ったのだ。
 何のことか分からなかったが、妻の表情は冷たく、その表情から自分がもう用済みなことだけは分かった。

「王宮から出仕の書類が来ているわ。王命だそうだから、行ってちょうだい」
「出仕?」
「騎士として戻ってほしいと書いてあるわ」
「今更、何故? 俺はこの侯爵家を継ぐのだろう?」
「私たちは離婚よ」

 妻は醜悪な表情で俺を見下ろした。
 騎士として戻れと言っても、この半年間執事のムチに耐える以外、訓練らしい訓練もしていない。剣を握ることも無かった。
 俺は出来る限りごねてみたが、結局妻と執事に追い出され、しぶしぶ王宮へ向かった。
 妻の話は本当だったようですぐに王太子と、神官の前に連れて行かれた。

「聖女様とのご結婚、おめでとうございます」

 俺はとりあえずそう頭を下げた。

「あぁ、ありがとう。さっそくだが、彼女を探してほしい」
「それはどう言う意味でしょう?」
「彼女がいなくなった」
「いなくなったとは」
「言葉の通りだ。私と聖女の結婚式の間に城を出たようだ」
「結婚式はもう二ヶ月も前ですよね。出たようだとはどう言うことですか。誰か……」
「誰も見ていない」

 王太子は断言した。
 学園に通っていたころ、彼女は王宮の客室にいた。
 “彼女の結婚式”の一週間ほど前に正妃の部屋へ引っ越ししたが、あの騒ぎで、正妃の部屋でなくなったのかもしれない。だが、王太子の宮にいたならいつでもどこかに護衛がいるはずだ。

「皆、聖女に気を取られていて、彼女のことはなおざりだったらしく、彼女はずっと侍女の部屋にいたらしい」
「らしいらしいって……仮にも王太子の側妃でしょう?」
「違う。書類上はまだ私の正妃だ」
「ならなおさら、何故彼女を誰も見てないのです?」

 空いた口がふさがらない。
 だがよく考えれば、彼女には自分以外の専任の侍女も護衛もいなかった。
 正妃に決まった時も、妻には俺を含む何人かの護衛と侍女もいたが、彼女にいたと言う話を聞いたことも見たこともなかった。

「お前は知らないだろうが、少し前王都に魔物が出た」
「は? 何故です。聖女様がいるならもう魔物は出ない筈でしょう?」

 王太子の言葉に、俺は思わず言い返した。
 彼女の結婚式のあの日、聖女が召喚されたから、彼女は側妃になったんじゃないのか。
 そしてそのせいで俺は彼女の妹と……
 俺の心が、もやもやと何か叫んでいる。
 王太子は、細めた眼で俺を見た。
 精霊契約は解除されたはずなのに、心を読まれたような気がして口を閉じた。
 王太子は、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「……どうやら彼女が聖女だったようなのだ」

 王太子はゆっくりと説明し始めた。
 王太子と聖女の結婚式の後、暫くして王都に魔物が現れた。
 今までも地方では月に何度か魔物の情報はあった。でもそれは王都から離れた場所の話で、王都に出たと言う最後の記録は、十五年ほど前のものだった。
 聖女は世界に一人だけと決まっている。
 聖女がいるのに、魔物が現れるのはおかしいと神殿が調査を始めた。
 聖女の召喚は成功したが、召喚聖女にどんな力があるのかの検証はしていなかった。結果は、現聖女はなんの力も無いただの異世界人だったと言う。

 現在他の国に聖女はいない。

 では、今まで魔物が王都に出なかったのは、何故だと調べ始めた。
 すると、聖女は召喚された異世界人であることが多いが、稀に過去に異世界からやってきた聖女の血をひく一族に先祖がえりとして誕生することがあると言う。
 そしてその異世界人の血をひく一族が、側妃の実家だと神殿の文書から見つかった。
 あわてて神殿は王家にそれを伝え、彼女を呼びにやったがその時にはもう、彼女の姿は城になかった。

「……捜索隊は出さなかったのですか?」
「出すつもりだったが、出せなかった……誰も彼女を覚えていなくて、捜索隊を出せなかったのだ。実は私もあまりよく彼女のことを覚えていない。……お前は彼女の顔を覚えているだろう」

 まるでそれが当然のように尋ねられれば、彼女のあの花が咲くような笑顔を思い出す。

「覚えています。でも何故……」
「それが彼女の望み、だったからです」

 急に神官が声を上げた。

「聖女の力は聖女が望むように発現すると書物にありました。
過去の聖女たちは、皆優しく人々に愛される存在と言われていますが、それはそうなるようこの世界の人々が、聖女を愛し守ったからでもあったようです。
この国の王の妃にすることで、聖女自身がこの国に愛される存在であると認識し、周りの人を守ろうと思うことで聖女の力が働き、国が守られるのだそうです。
彼女は生まれた時から虐げられていました。母に、使用人たちに、そして父、義母、義妹に。聖女の力は、彼女が人を遠ざけることを望み、誰も記憶に残らないよう働いたのです」

 神官がさらに説明するが、頭の悪い俺にはさっぱり意味が分からなかった。
 俺が顔をしかめていると、王太子がフッと笑った。

「簡単に言うと、お前は彼女に側にいることを許された、彼女の顔を覚えている今のところ唯一の人間だと言うことだ。お前なら彼女を探し出せるだろう」

 調査では北に向かったようだ。
 彼女が向かう方向には魔物が出ないから間違いない。
 彼女の無事と、彼女の行き先を確かめ、離婚届にサインをもらってこい。
 出来るなら彼女を連れ帰れ。

 との言葉とともに、王太子は俺を馬車に放り込んだ。
 またも、俺に断る権利は無かった。








 馬車は王都を抜け、途中成果のない聞き込みをしながら進み、やがて国境沿いの村へたどり着いた。
 南は海、北と東は高い山に囲まれた、牧場しかないようなのどかな場所だった。
 村唯一の宿で、俺は彼女を見つけた。王太子から預かった離婚届を渡した。
 彼女は書類に目を通すとすぐに署名した。
 少しはためらうのではと思っていた俺は、自分の中に嬉しいと思う気持ちがあふれたことに驚いていた。

「これから、どうするつもりだ?」
「それは、どう言う意味?」

 彼女は首を傾げる。
 仕事だから、と言うのは嫌だった。

「……単なる興味だ」

 俺は少し考えてそう言った。
 彼女は納得していなさそうな表情で、それでも答えてくれた。

「……そう。……そうねぇ、山を越えて隣国へ行ってみようかと思っているわ」
「山を、越える?」
「えぇ、昔から登山してみたかったの」
「一人で、この山を越えるのか?」
「そうよ。大丈夫よ。村の人に聞いたら上りやすい道があるって」
「……そうか」

 登れるわけがない、と思いながらも俺は頷いた。

「私も聞いていい?」
「あぁ、答えられることなら」
「義妹は元気?」
「……嫌っていたのではないのか?」

 元妻や執事、そして神殿からの報告書を思い出しそう言うと、彼女はまた首を傾げた。

「嫌う? 何で?」
「義妹だろう?」
「? ちょっと良く分からないんだけど?」

 本当に分からないと言う顔をする。

「……少し、調べた。何故、何も言わなかった?」
「言うって、何を?」
「食事、体罰、嫌がらせ……とかだ」

 自分が調べたわけでもないが、さも何でも知っているかのように言葉が出てくる。
 初めて会った日のあの侍女のような服装も、その境遇も、息を殺すように生きるその姿も、まるで子供向けの物語の主人公のようだと俺は思っていた。
 彼女は俺を見つめ、そして寂しそうにほほ笑んだ。

「私は一日一食食べられれば満足よ。どちらでも毎日一食は食べられましたから、満足ですよ」
「それは……」

 違うだろうと言いたかったが、彼女の微笑みがすっきりしたものに変わると、言葉を続けることが出来なかった。

「……そろそろ出立したほうがいいのではないですか? 御者が待っていますよ?」
「あぁ、そうだな」

 俺は彼女の笑顔にぼんやりしたまま馬車に乗り、意識がはっきりしたのは二つの村を過ぎたころだった。



 彼女から離れるとともに、王太子たちが言っていたことを思い出した。
 そして、その意味をようやく理解した。
 俺はどうやら、神官の言っていた聖女の力にやられたのだろう。
 彼女はにっこり笑いながら、俺を追い返したのだ。



 俺はすぐに村へ取って返した。
 宿屋へ飛び込み、彼女を探す。
 宿屋の主人に聞くが、姿形ではやはり覚えていなかった。
 宿帳を持ってこさせると、俺が村を出た日には宿を引き払っていた。

「山を越えると言っていたな」
「何言ってるんですか? 女性があの山を越えるなんて無理ですよ」
「彼女は登りやすい道があると言っていたが……」
「道はありますよ。ですが山越えの道じゃありません。魔物狩り用の中腹までの道です」

 女の足で、それも準備が不十分の山登りなど、道の途中で動けなくなっているはずだと思いながら、俺はすぐに彼女を追った。
 だが、彼女は俺が思うより山登りが得意だったようだ。
 宿の主人が言っていた魔物狩り用の小道が終わっても、彼女の姿を見つけることは出来なかった。
 もしかかしたら山に登らなかったのではないか、魔物に襲われているのではないか、怪我をして動けなくなっているのではないか。
 そう思う気持ちもなかったとは言えないそれでも、不思議と、道なき道を進む自分が向かう場所は、間違っていないと言う奇妙な自信があった。

 道はやがて雪に覆われた。
 運がいいのか、悪いのか。
 彼女の足跡が残っていたおかげて、俺はそこからは迷うことなく彼女の元へ進んでいた。
 そして、とうとう大きな木の下で、もたれかかる彼女の姿を見つけたのだ。

 雪山で急な動きをしてはいけないことを忘れ、俺は彼女へ駆け寄ろうとした。
 だが、何故だろう。
 彼女から後数歩のところで、まるで壁があるように進めなくなった。
 目の前には、幸せそうに瞳を閉じる彼女がいると言うのに!

「おい! 起きろ! 今寝たら死ぬぞ!」

 思い切り叫ぶと、彼女が片目を開けた。

「大丈夫、ちょっと休めば大丈夫」

 彼女がまた目を閉じるのを見て、俺はさらに叫んだ。

「馬鹿! その前に凍え死ぬだろ」
「……殺しに来たんでしょ? このままおいておいてよ。ほっとけば死ぬんだから」
「何言ってるんだ? そんな命令はされていない。書類のサインと、あんたがちゃんと生きているか確かめてこいと言われたんだ。今、死なれたら困る」
「……」
「背負ってやるから、手をよこせ」
「いい」
「無理するな」
「お願いだから、私を置いて行って」
「駄目だ、俺が叱られる」
「それは貴方の都合でしょう? 離婚もしたし、私はもう自由よ?」
「頼むから、俺に触れさせてくれ!!!」
「無理。次はまたもう少し幸せになるから」
「今幸せになってくれ」

 必死だった。
 見えない壁を叩きながら、必死で叫んだ。
 彼女がそこにいるのに!
 そんな俺を、彼女は無碍なく切り捨てる。

「無理」
「頼む」
「無理」
「お前がいないと世界が滅ぶんだ」
「……説明」
「お前がいなくなってすぐ、王都に魔物が現れた」
「はぁ」
「ここら辺は本当は魔物が多いんだ」
「へぇ」
「お前が向かう方向の魔物はいなくなるんだ」
「それで」
「お前が聖女だ」
「ふーん」
「だから、お前を探しに行けと言われた」
「誰に?」
「陛下と、殿下と、神殿と」
「私は帰らないよ」
「頼む」
「嫌」
「頼む、俺を好きだろう?」
「……はぁ?」
「学園にいた時から、俺を好きだろう?」

 何故、そんなことを言ったのだろう?
 自分の口から出た言葉が、自分でも意味が分からなかった。
 彼女もそうだったのだろう。
 急に立ち上がると俺の方へ走り寄り、その勢いのまま俺を蹴り倒した。

「うおっ!」

 不意をつかれた俺は、雪の中へ倒れこんだ。
 彼女がその隙に頂上へ向かったのは分かったが、俺は雪に埋まったせいでもたもたしてしまっていた。

 俺がようやく立ち上がった時、強い強い風が、山側から吹き下ろした。

 左側が山で、右側は崖だった。

 彼女の体が、ふわりと風に乗って………………







 俺の手は、間に合わなかった。











 これが、彼女の願い、だったのだろうか?


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