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曹操孟徳

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(言わなきゃ良かった! なんでこんなことに!)

 紫音は、闇夜の中を進みながら思った。前には劉備と関羽、隣には張飛がいる。そして後方には義勇軍の中でも、最精鋭の導士三十人が黄巾賊の陣地を目指していた。決死隊である。

 全員、気配を消し、闇夜に紛れ、なるべく足音を立てないように徒歩で陣地にむかっている。

(マンガの作戦だぞ? 現実に実行してうまくいくのか? 失敗したら、僕のせいか? 僕のせいですよね?)

 紫音は心中で絶叫した。今更、中止はできない。全員が決死の覚悟を決めている。あ、ゴメン、やっぱ止めよ? なんて言えない!

  紫音が震えていると、隣にいる張飛が、紫音に顔を近づた。鼻先がふれるような距離。張飛の吐息が頬にかかる。

「心配するな、紫音。お前の作戦はすげェぜ。きっと成功する。それに今夜は月がねぇ。見つかる心配はねえさ。きっと神様が俺達を応援してくれてんだ」

 張飛が、紫音に片目をつぶって見せた。

「あ、うん……」

(もうダメだ。やるしかない)

 紫音は覚悟を決めた。忍び足で陣地に肉薄していく。幸い、黄巾賊の哨戒網にかからず、陣地まで辿り着けた。

 木の柵を全員でよじのぼり、陣地の内部に侵入する。黄匪たちは全員油断して眠っていた。

 劉備が、片手をあげて合図した。全員が火矢を放ち、天幕に撃ち込んだ。続けて、配下の義勇兵が銅鑼と 戦鼓を打ち鳴らした。

「官軍の奇襲だ! 皆殺しにされるぞ! 逃げろ!」 

 張飛の大音声が、黄巾賊の陣地に響きわたった。陣地に動揺がひろがり、黄匪たちが、どよめく。

 劉備が宝剣・蒼天を握りしめ、紫音も右手に黒曜、左手に銀霊を抜きはなった。

  劉備が蒼天で、黄匪を袈裟懸けに斬った。紫音も黒曜で黄匪を斬り、銀霊で黄匪を突き殺す。

 関羽と張飛が、怒号をはっして、賊兵たちに襲いかかった。

 関羽の青龍刀が一閃するたびに、五、六人の人間が吹き飛ばされて、鮮血とともに宙に舞う。

 張飛の蛇矛が、雷撃のような速さでうなり、十人の黄匪が一瞬で斬り殺される。

 突如の奇襲に黄巾賊は、恐慌をきたして、同士討ちをはじめた。陣地の各処で火の手があがる。兵舎が燃え上がり、軍糧が焼き払われる。

「紫音、すげェぞ、お前の作戦は大当たりだ!」 

 張飛が、紫音の背中を叩いた。紫音は、内心で安堵の溜息をもらした。 すでに黄
巾賊は混乱の極みにある。これならば勝てる。

 その時、馬蹄が轟き、統率のとれた五千騎の軍団があらわれた。

 その軍団の先頭に一人の男がいた。

 劉備四姉弟は、その男に視線を奪われた。

 美しい男だった。年齢は二十才前後。白金色の髪に、氷のように光る銀色の瞳。長身で均整のとれた肉体に優美な鎧をまとっている。

「おい! てめえェは、官軍か? 黄匪か? どっちだ!」

 張飛が蛇矛を握りしめて、前に出た。

「我らは、洛陽より派遣された五千騎の官軍である」

 銀色の瞳の男は、静かに答えた。男の顔には面白がるような笑みが浮かんでいる。

「これは失礼しました」

 劉備が、進み出て一礼した。

「私は、涿県楼桑村出身の劉備、字を玄徳と申します。義勇軍五百騎をひきいて、義戦に参加しております」

「そうか。私は、曹操、字を孟徳という。官軍五千騎をひきいる騎都尉だ」
 紫音の黒瞳に衝撃がはしった。

(曹操孟徳!)

 乱世の奸雄。漢王朝の簒奪者。魏の太祖。そして、劉備玄徳の宿命のライバル!

 紫音の心臓が早鐘をうった。身体に電流のような痺れが走る。

(こんな場所で会うとは……。こんな戦場のただ中で……) 

 紫音が、無意識に両手にもった黒曜と、銀霊を握りしめて前に進んだ。

(ここでもし、僕が曹操孟徳を斬れば……)

「そちらの御仁は?」

 曹操の銀色の瞳が、紫音を射貫いた。鋭い眼光にうたれて、紫音の動きが止まる。

「これは我が義弟、劉燈紫音と申します」

 劉備が紫音をさりげなく、かばうように前に出た。

「若いながら頼もしい武者ぶりだ。両刀に全身黒衣の鎧姿。戦場によく映える」

 曹操は笑みを浮かべた。思わず引き込まれそうな笑みだ。

「これより我らは、敵の残党を掃討する。いずれまた会おう。劉備玄徳、劉燈紫音!」

 曹操は馬首をめぐらせた。五千騎の軍団が一糸乱れぬ隊列で動き出す。見事な軍だった。

「紫音、どうして?」

 劉備は、義弟を心配した面持ちで見た。

 紫音はうつむいた。曹操に殺気をむけたことを姉に知られ、羞恥で頬を硬くする。

「……つい、戦場で殺気だってしまって……。ごめん、姉さん……」
「そっかぁ。戦場は怖いもんね」

 銀髪の少女は、紫音の言葉を疑いもなく信じた。紫音の手を優しく握る。紫音の心が罪悪感で痛んだ。しかし、同時に強い思いが胸をよぎっる。

(歴史を変え損ねた……)

  それが、良いのか悪いのかさえも紫音には分からない。討ちもらした曹操孟徳は、すでに戦場の奥に消え去っていた。

 ふいに、銅鑼と戦鼓の大音声が響いた。                  

 皇甫嵩将軍ひきいる官軍七万が、突撃してきたのだ。

 黄巾賊の首魁・張梁は全軍に防戦を命じたが、指揮系統が破壊され、黄巾軍はなすすべくもなく、討ち取られた。 

 黄巾賊の陣地すべてで火炎が爆ぜ、闇夜を赤く染めた。

 翌朝、黄巾賊の死体が大地をおおい、三万余の賊徒が降伏した。

 黄巾賊の死者は七万余。その死体の中には、首領である張梁の死骸もあった。

 穎川の黄巾賊は、一夜にして壊滅した。



  戦の後、劉備玄徳に皇甫嵩将軍から、一通の書状が届いた。

  今より広宗(こうそう)に行き、彼の地にいる黄巾賊を討て、との通達だった。お礼の言葉一つ書いてなかった。

「ふざけんじゃねえ! 俺達が官軍を勝利に導いたんだぞ!」

 張飛が、またもわめき散らした。

「いずれ、私たちの功績が認められる日がくるわ。それに広宗では、盧植先生が官軍の総指揮をとっておられるらしいの。必ず私たちを歓待してくれる。酒も肉もでるわよ」

  劉備が、張飛をなだめた。すぐさま軍旅を整えて出立した。

                                

 広宗におもむく途上。劉備たちは、官軍の伝令部隊が黄巾賊五百騎に襲撃されるのを目撃した。劉備四姉弟が黄巾賊を蹴散らすと、官軍の将校が篤く礼を述べた。

 劉備は、当然のことをしたまでです、と答えた。

「ところで広宗の盧植先生……いや、盧植将軍は、お元気ですか?」

 劉備が尋ねると、官軍の将校の顔色がかわった。

「どうかなさいましたか?」

  黄金の瞳の少女が、わずかに首をかしげる。将校は唇を噛み、悔しげな表情を浮かべた。

「その……盧植将軍は、罪人として洛陽に護送されました……。朝廷から派遣された役人に賄賂を渡さなかったために、無実の罪を着せられたのです」

  劉備と紫音は愕然とした。官軍の将校によれば、このことは公然の秘密だそうだ。官軍の将校が立ち去った後、劉備たちは馬をよせた。

「劉備様、広宗にいくのは止めた方がよいと思います」

 関羽が劉備に進言した。

「関姉の言うとおりだぜ。そんな所、行ってやる義理はねえ」

  張飛の言葉に紫音も、賛同した。下手をすれば、自分たちまで冤罪をかけられ、罪人にされかねない。

 しかし、劉備は首をふった。

「私たちは、安民楽土のために立ち上がったのよ。ここで、引き返せば信義にもとるわ」

  劉備は全軍に進発を命じた。


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