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激戦

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 その頃、汜水関も、孫堅、馬騰、陶謙らの奮戦で陥落し、連合軍は燃えさかる洛陽に到達した。

 連合軍の兵士たちは、消火のために走り回った。

 曹操は劫火の中で、滅びゆく洛陽を銀の瞳に映していた。

(洛陽が、燃えていく……)

 曹操の胸中に、膨大な感情が溢れた。光武帝が、洛陽を王都と定めてより、二百年。

 その二百年の歴史が、董卓という魔王によって地上から消え去ろうとしている。 

 曹操の胸中に、激情が溢れた。身体が小刻みに震え、唇を噛みしめる。

「董卓め!」

 曹操は叫んだ。馬首をめぐらして袁紹のもとに駆ける。

 袁紹は、兵士たちに命じて、消火活動をしていた。曹操は袁紹に馬をよせた。

「連合軍・盟主袁紹殿。今こそ董卓を討つべき時だ。即座に追撃の号令を発せられ給え!」

 曹操の懇請に袁紹は端正な顔をわずかに歪めた。

「卿の言うことも一理ある。だが今は、この大火をしずめることが、肝要ではないか?」

 曹操は心中で舌打ちした。

(相変わらず、ここぞという時に決断力のない男だ)

 幼い頃から、袁紹は決断力に乏しい所があった。大人になっても、まったく変わっていない。

「本初」

 曹操は袁紹に身を寄せて、鋭く小さな声を発した。

「今、董卓を討ては、天下はお前のものだぞ」

 曹操の言葉に袁紹は碧眼を見開いた。そして数瞬、沈思すると、やがて顔を輝かせた。

「よくぞ、言ってくれた。お前の友誼は忘れぬぞ」

 袁紹は連合軍に追撃を号令した。

  諸侯たちの中で戦意ある、孫堅、公孫瓚、馬騰、陶謙、鮑信、孔融が、追撃に賛同して軍を動かした。残りの諸侯は戦意に乏しく、洛陽に残ることを選択した。

 袁紹、孫堅、公孫瓚、馬騰、陶謙、鮑信、孔融の軍勢が、董卓軍めざして、西方に猛進していく。

 曹操は自軍の編制を命じた。

 夏侯惇が馬をよせて、曹操に呟いた。

「孟徳。よかったのか? 袁紹が董卓を討てば、本当に天下は袁紹のものとなるぞ?」

 夏侯惇の問いに、曹操は苦笑を浮かべた。

「ああ、そうなるな」

 袁紹が董卓を討ち取れば、袁紹は蓋世の英雄となる。そして董卓のかわりに、相国、もしくは丞相となって天下の実権を掌握するだろう。

 曹操が、天下の覇者となることだけを考えるならば、袁紹に董卓の追撃を進言するべきではなかった。

 もし袁紹が、連合軍・盟主という立場にありながら、このまま、むざむざと董卓を逃がせば、袁紹は董卓に闘わずして負けた男として世間に喧伝され、その権威は失墜する。

 だが、董卓と闘って勇戦すれば、勝っても負けても、袁紹の武名は上がるだろう。袁紹は名門の権勢とともに、義心の闘将という名誉まで身に纏うことになる。

 曹操は、袁紹を強大化させる道をお膳立てしてしまった形となった。

(だが、それでいい)

 と、曹操は考えていた。自身の利益のみを考え、義心を棄てる男に覇王となる資格はない。

(大義とともに進むのが、曹操孟徳の道だ)

 曹操は馬首をめぐらして、麾下六千の兵士にむきあった。

「我らも董卓を追撃するぞ。董卓を生きて長安に行かせるな!」

 曹操軍六千騎が疾走した。曹操は先頭に立って、馬を飛ばした。いつの間にか、脳が澄み、心が熱く燃えていた。悪くない。俺は今、大義とともに走っている。





 二日後の早暁。冬にしては不気味なほどに強い陽光が、原野をおおっていた。

 袁紹、曹操、孫堅、公孫瓚、馬騰、陶謙、鮑信、孔融の連合軍十五万余が、董卓軍の殿軍を捕捉した。

 道はひらけ、大軍が展開できるだけの広闊な原野が広がっている。

 董卓軍の殿軍は、総司令官として李儒。副司令官に董卓の実弟・董旻(とうびん)。

 その下に呂布、張繍、趙岑、胡軫が参陣していた。

 董卓軍の殿軍は十二万余。殿軍の常法どおり、最精鋭部隊が投入され、連合軍の追撃部隊を待ち構えていた。

 曹操の銀の瞳に、整然と隊列を組む董卓軍が映し込まれた。

  董卓軍の先頭。中央に呂布がいた。赤兎馬に乗り、方天戟をかまえて、こちらに突撃してくる。

 曹操の全身に戦慄が走り抜けた。

 曹操は剣を抜き放ち、咆吼した。恐怖を打ち消すための咆吼だった。

 麾下六千騎が、咆吼し、やがて連合軍の全兵士が雄叫びをあげた。

 呂布ひきいる董卓軍の先鋒と連合軍が激突した。

  怒号と刃鳴りが、天地を鳴動させた。

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