カナタ

高みき

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カナタ

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 新聞を広げると、案の定、殺人事件の記事が載っていた。
 刑務所を出所したての40代の男が、刃物で刺されて殺されたという事件だ。
 
 読み進めていくうちに、鮮明によみがえってくる記憶。
「お前、死んだはずじゃ……」
 あいつの驚いたような顔が、思い出される。

 ふっ、と力なく笑って、僕、田中彼方は、静かに目を閉じた。


 あいつのことが呼び水となって、次々とよみがえる記憶。

 半年ほど前のこと。丁度、僕を可愛がってくれていた母が他界して。

 僕は何のために生まれたのか。
 何のために生きるのか。
 生きる意味を見つけられなくて、毎日毎日悩んで苦しんで。

 母のもとに行きたいと、何度願ったことだろう。
 38で僕を生み、シングルマザーとして必死に僕を育ててきた母。
 過労のせいで、54の若さで死んでしまった母。
 そんな母に、また会いたい。
 
 ずっとそう考えていた。

 今だってまだ、生きる意味を見つけられない。


 そうだ、すべてはあのときに始まったのだ。

 母の遺品を整理していたとき。
 あのとき写真を見つけなければ。
 あのとき母の日記を見つけなければ。
 僕はこんなに苦しむこともなかったのに。

 何も知らなければ、今も、幸せでいられたのに。
そんなことを思いながら、僕は先ほどの新聞記事を、ビリビリと破く。
 
 細かい新聞の山が机にできたのを見たあと、僕は引き出しから、もう一枚の新聞記事を取り出した。
 「17歳少年刺殺。犯人は20代男性」
 そんな見出しが踊っている。
 今から十何年も前に、田中奏汰という少年が、通り魔にあって殺された事件だ。

 その新聞を、さっきと同じように、ビリビリと破いた。
 机の上の山が、とても高く、大きくなった。

 またもや思い出される記憶。

 「お、お前は、誰だ?」
 あいつの声が、記憶とは思えないほどリアルに、はっきりと耳にこだまする。

 「僕?お前が殺した男だよ。タナカカナタ。知ってるだろ?」
 「お前、死んだはずじゃ……」
 「僕は生まれ変わったんだ。お母さんが、死んだ僕の体から、新しい僕を生んでくれたんだ」
 自分でも驚くほど冷徹な声だった。
 
 そのあと、僕はあいつに刃を向けたんだ。
 「待てよ。俺はまだ死にたくないんだ」
 あいつがそう言ったのを、たしかに、覚えている。
 そしてその後、僕がどう言ったのかも、覚えている。

 「お前のせいで、僕がどれだけ苦しんだと思ってるの? 死にたくないのなら、僕みたいに、また生まれればいいじゃんか。僕の苦しみを、お前も味わえよ! 田中彼方の苦しみを、お前も味わえよ!」
 
 僕は、たしかに、そう言った。
 そう言ったとき、あいつはもうすでに、息絶えていた。


 ビリビリに破いた新聞紙を、窓の外に吹き飛ばす。
 たくさんの紙片は風に舞って、四方八方に飛び散り、すぐに見えなくなった。

 最後の一枚を見届けた後、僕は母が残した写真を取り出した。
 写真の中には、今の僕より少し大人びた、もう一人の僕が写っている。

 そして僕は、そのもう一人の僕に向かって、笑いかけた。
 
 写真の中の「僕」の笑顔が、少し歪んだような、気がした。
 


 
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