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どこにつながったのか。
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首都臨海副都心エリア
近年新たに科学技術の中枢を担っている巨大学園都市に、その施設はあった。
名称は「先端エネルギー研究所」。
次世代エネルギー開発の拠点だが、その地下深くには巨大な研究施設が存在した。
真空チャンバーを何層にも重ねた巨大装置。直径三十メートル級のドーナツ状の超伝導コイルが幾重にも配置され、内部には金属板がナノメートル精度で対向している。
カシミール効果を極限まで引き出すための装置だ。
主任研究員の篠原 理子は、手元の端末に映る数値を食い入るように見つめていた。
「負のエネルギー密度の値が前回を大きく上回ってる。理論値にかなり近づいたな」
カシミール効果は、量子真空の揺らぎを利用して「負のエネルギー」を得る方法のひとつに過ぎない。
だが、彼女たちは、量子光学とナノ加工技術を組み合わせ、従来とは桁違いのスケールで実験を行っていた。
「この密度であれば、局所的に空間曲率を反転させられる可能性がありますね。ワームホールの入り口を一瞬でも拝めるかもしれないですね」
助手の高橋は装置を映す複数のモニターに目を走らせながら答える。
「あぁ。今回こそ成功させよう。ここからはAIのサポートはセーフティ以外はカット。私の方でマニュアル操作するからログは押さえて」
篠原はうなずき、端末のキーボードを叩きながら無数のコンソールを素早く上下していく。
「大丈夫です。全て実験開始から残してますのでお願いします」
目の前で起きている状況を一瞬でも漏らすわけにはいかない。
******************
次第に臨界値に達すると、コイル群が低い唸りを上げ始めた。
真空チャンバー内部に配置されたセンサーが、常識外れの数値を吐き出す。
「……空間曲率が負方向に振れている……」
次の瞬間、チャンバーの中央に黒い球状の揺らぎが現れた。
表面は水面のように波打ち、内部に光が吸い込まれていく。
その瞬間、待機していたマイクロプローブが球体に滑り込むように吸い込まれ、黒い球体も音もなく消え去った。
「プローブ、内部に進入……」
モニターの数値が乱れ、通信リンクは突如として途絶えた。
研究室には沈黙が走り、センサー群のステータスランプが次々と「オフライン」に切り替わっていく。
高橋が息を呑んだ。
「……完全にプローブの痕跡が消えました。センサーにも通信網にも反応ありません」
篠原は小さくうなずいた。
「転送先がどこであれ、こちらから検出できるものは残っていない。だが確かにワームホールは形成されていた。実験は成功だ!」
実験ルームは歓声で沸いた。
******************
実験が終わり、管制用デスクで篠原はとっておきの「ご褒美コーヒー」を口にした。
「うまいなぁ。成功した後だけに更に美味い」
満足げにトレードマークのお団子頭をユラユラさせて満足げな顔をしている。
「過去の実験で開くこともなかったワームホールが、局所的に生成された負のエネルギー密度が――理論上のエキゾチックマターに相当する効果――によって一時的にスロートが保持されたと考えられるな」
篠原はそう結論づけた。
「安定時間は一秒に満たなかったけれど、空間曲率の反発的な偏りがスロートを崩壊から免れさせた。この規模で人為的に観測できたのは前例がないはず」
高橋は慎重に問い返した。
「もし、出力を数桁増やせれば……人類の跳躍も可能、という理解で正しいでしょうか?」
篠原は短い沈黙ののちに答えた。
「この先の実験で証明できるだろう。ただし、出口がどこに繋がるかの予測は現段階では不可能。プロープが何処かに辿り着いていればいいが、喉に詰まらせただけかもしれないからな。だから有人実験はまだまだ先きだな」
「検証と計算の日々ですねぇ」
「そうだな。ま、ようやく一歩進めたんだ。喜ぼうではないか!」
楽天的な篠原を囲んでいた所員達も満更では無い。
「ですね!あ~所内はアルコール禁止なのがツライ!」
高橋の一言で誰かが「じゃ、お祝いしましょう~いつのもとこで!」と声を上げた事で、全員が珍しく帰宅の準備を始めた。
「あ、理子、身分証忘れちゃダメよ~また未成年と思われるからね!」
副主任で学生時代からの友人の柴田はからかう。
「うっさい!馴染みの店だから大丈夫だってば!」
ムキ―、と怒っても身長がそれほど高くなく、未成年に見られがちな篠原が怒っても怖くない。
「やっばり『成長のリソースを全て頭脳に振り切った女』は怒っても可愛い」
柴田は頭を撫でる。
柴田は海外からもモデルとしてスカウトされる程の容姿体型で「天から二物以上与えられた女」として学園都市でも有名だ。
「撫でるなー!おまえの査定はマイナス確定!そして今日の飲みは柴田のおごり!」
「職権振りかざすのは違法でーす。じゃ、理子の片付け手伝って上げるから早く行こう」
「……しょうがないなぁ。デスクの上、どうにかしろって掃除のおばちゃんに怒られたから手伝って」
シュタッと椅子から飛び降りると柴田の手を引いて自席の片付けを手伝わせた。
「……チョろ」
「何か言った?」
「何も~って、机の上、いつの間にかお菓子と書類で山になってんじゃん!」
「僕が毎朝片づけているんですけどね。実験の日は準備でそれどころではないんで。じゃ、お先でー……グエッ!」
白衣を脱いで居酒屋に向かおうとしていた高橋は柴田に首根っこを掴まれた。
「……高橋、手伝え」
三十分遅れで済んだのは高橋のおかげだ。
******************
数週間後、改良された装置で実験が再開される。
今回は、少し大き目な探査機を用意した。
高感度カメラと環境センサー、そして諸々の通信装置が詰め込めるだけ搭載されていた。
「カウント開始。三、二、一」
空間の歪みとともに再び黒い球状の揺らぎが現れる。
探査機がゆっくりと球体の内部へ進入する。
「よし、今回も成功!」
篠原はガッツポーズをする。
「位置情報は取れてる?」
研究員を総動員して位置情報を探る。
「位置情報不明……え?……ですが映像信号が来ます!……は?」
モニターに映し出されたのは、見たことも無い光景だった。
――紫色に霞む大気、そして二つの月が浮かぶ異質な夜空。
映像は一瞬でモニターはすぐに真っ暗になった。
実験室は長い時間、凍りついたように沈黙した。
「……どこ?」
篠原は低く呟いた。
「あれはなんの映像だったんだ?どこだったんだ?座標データは?環境データは?」
「すべての数字がオーバーフローしてます……ラグなしで映像が送られてきたのに……」
「こちら側には物質も気体も届いていないようです」
「相互通過は出来ていないか。それは残念だが……高橋君。念のため、チャンバー内の確認に向かおう!」
「はい!これはテンション上がりますね~あれはどこかの惑星なのか異世界なのか♪」
篠原と高橋はウキウキのまま、最下層の実験上へ向かった。
それを見守っていた柴田は呟く。
「……実験は成功したけど、その引き換えにとんでもなく危険な扉を開いてしまったのでは……」
その後の解析でも何も分からなかった。ただ「現段階」での実験は成功、とのみ記録は残された。
実験結果は一部の関係者のみに公表され、再現性と何より安全性が確認できるまで公にする事なく、秘匿される事となった。
******************
篠原は研究所でひとり、冷却を終えて沈黙する巨大なドーナツ状のコイルを見つめた。
「次の段階は……穴の出口をどう作り出すか……だな」
彼女の声は、誰にも届かずに暗闇に吸い込まれていった。
近年新たに科学技術の中枢を担っている巨大学園都市に、その施設はあった。
名称は「先端エネルギー研究所」。
次世代エネルギー開発の拠点だが、その地下深くには巨大な研究施設が存在した。
真空チャンバーを何層にも重ねた巨大装置。直径三十メートル級のドーナツ状の超伝導コイルが幾重にも配置され、内部には金属板がナノメートル精度で対向している。
カシミール効果を極限まで引き出すための装置だ。
主任研究員の篠原 理子は、手元の端末に映る数値を食い入るように見つめていた。
「負のエネルギー密度の値が前回を大きく上回ってる。理論値にかなり近づいたな」
カシミール効果は、量子真空の揺らぎを利用して「負のエネルギー」を得る方法のひとつに過ぎない。
だが、彼女たちは、量子光学とナノ加工技術を組み合わせ、従来とは桁違いのスケールで実験を行っていた。
「この密度であれば、局所的に空間曲率を反転させられる可能性がありますね。ワームホールの入り口を一瞬でも拝めるかもしれないですね」
助手の高橋は装置を映す複数のモニターに目を走らせながら答える。
「あぁ。今回こそ成功させよう。ここからはAIのサポートはセーフティ以外はカット。私の方でマニュアル操作するからログは押さえて」
篠原はうなずき、端末のキーボードを叩きながら無数のコンソールを素早く上下していく。
「大丈夫です。全て実験開始から残してますのでお願いします」
目の前で起きている状況を一瞬でも漏らすわけにはいかない。
******************
次第に臨界値に達すると、コイル群が低い唸りを上げ始めた。
真空チャンバー内部に配置されたセンサーが、常識外れの数値を吐き出す。
「……空間曲率が負方向に振れている……」
次の瞬間、チャンバーの中央に黒い球状の揺らぎが現れた。
表面は水面のように波打ち、内部に光が吸い込まれていく。
その瞬間、待機していたマイクロプローブが球体に滑り込むように吸い込まれ、黒い球体も音もなく消え去った。
「プローブ、内部に進入……」
モニターの数値が乱れ、通信リンクは突如として途絶えた。
研究室には沈黙が走り、センサー群のステータスランプが次々と「オフライン」に切り替わっていく。
高橋が息を呑んだ。
「……完全にプローブの痕跡が消えました。センサーにも通信網にも反応ありません」
篠原は小さくうなずいた。
「転送先がどこであれ、こちらから検出できるものは残っていない。だが確かにワームホールは形成されていた。実験は成功だ!」
実験ルームは歓声で沸いた。
******************
実験が終わり、管制用デスクで篠原はとっておきの「ご褒美コーヒー」を口にした。
「うまいなぁ。成功した後だけに更に美味い」
満足げにトレードマークのお団子頭をユラユラさせて満足げな顔をしている。
「過去の実験で開くこともなかったワームホールが、局所的に生成された負のエネルギー密度が――理論上のエキゾチックマターに相当する効果――によって一時的にスロートが保持されたと考えられるな」
篠原はそう結論づけた。
「安定時間は一秒に満たなかったけれど、空間曲率の反発的な偏りがスロートを崩壊から免れさせた。この規模で人為的に観測できたのは前例がないはず」
高橋は慎重に問い返した。
「もし、出力を数桁増やせれば……人類の跳躍も可能、という理解で正しいでしょうか?」
篠原は短い沈黙ののちに答えた。
「この先の実験で証明できるだろう。ただし、出口がどこに繋がるかの予測は現段階では不可能。プロープが何処かに辿り着いていればいいが、喉に詰まらせただけかもしれないからな。だから有人実験はまだまだ先きだな」
「検証と計算の日々ですねぇ」
「そうだな。ま、ようやく一歩進めたんだ。喜ぼうではないか!」
楽天的な篠原を囲んでいた所員達も満更では無い。
「ですね!あ~所内はアルコール禁止なのがツライ!」
高橋の一言で誰かが「じゃ、お祝いしましょう~いつのもとこで!」と声を上げた事で、全員が珍しく帰宅の準備を始めた。
「あ、理子、身分証忘れちゃダメよ~また未成年と思われるからね!」
副主任で学生時代からの友人の柴田はからかう。
「うっさい!馴染みの店だから大丈夫だってば!」
ムキ―、と怒っても身長がそれほど高くなく、未成年に見られがちな篠原が怒っても怖くない。
「やっばり『成長のリソースを全て頭脳に振り切った女』は怒っても可愛い」
柴田は頭を撫でる。
柴田は海外からもモデルとしてスカウトされる程の容姿体型で「天から二物以上与えられた女」として学園都市でも有名だ。
「撫でるなー!おまえの査定はマイナス確定!そして今日の飲みは柴田のおごり!」
「職権振りかざすのは違法でーす。じゃ、理子の片付け手伝って上げるから早く行こう」
「……しょうがないなぁ。デスクの上、どうにかしろって掃除のおばちゃんに怒られたから手伝って」
シュタッと椅子から飛び降りると柴田の手を引いて自席の片付けを手伝わせた。
「……チョろ」
「何か言った?」
「何も~って、机の上、いつの間にかお菓子と書類で山になってんじゃん!」
「僕が毎朝片づけているんですけどね。実験の日は準備でそれどころではないんで。じゃ、お先でー……グエッ!」
白衣を脱いで居酒屋に向かおうとしていた高橋は柴田に首根っこを掴まれた。
「……高橋、手伝え」
三十分遅れで済んだのは高橋のおかげだ。
******************
数週間後、改良された装置で実験が再開される。
今回は、少し大き目な探査機を用意した。
高感度カメラと環境センサー、そして諸々の通信装置が詰め込めるだけ搭載されていた。
「カウント開始。三、二、一」
空間の歪みとともに再び黒い球状の揺らぎが現れる。
探査機がゆっくりと球体の内部へ進入する。
「よし、今回も成功!」
篠原はガッツポーズをする。
「位置情報は取れてる?」
研究員を総動員して位置情報を探る。
「位置情報不明……え?……ですが映像信号が来ます!……は?」
モニターに映し出されたのは、見たことも無い光景だった。
――紫色に霞む大気、そして二つの月が浮かぶ異質な夜空。
映像は一瞬でモニターはすぐに真っ暗になった。
実験室は長い時間、凍りついたように沈黙した。
「……どこ?」
篠原は低く呟いた。
「あれはなんの映像だったんだ?どこだったんだ?座標データは?環境データは?」
「すべての数字がオーバーフローしてます……ラグなしで映像が送られてきたのに……」
「こちら側には物質も気体も届いていないようです」
「相互通過は出来ていないか。それは残念だが……高橋君。念のため、チャンバー内の確認に向かおう!」
「はい!これはテンション上がりますね~あれはどこかの惑星なのか異世界なのか♪」
篠原と高橋はウキウキのまま、最下層の実験上へ向かった。
それを見守っていた柴田は呟く。
「……実験は成功したけど、その引き換えにとんでもなく危険な扉を開いてしまったのでは……」
その後の解析でも何も分からなかった。ただ「現段階」での実験は成功、とのみ記録は残された。
実験結果は一部の関係者のみに公表され、再現性と何より安全性が確認できるまで公にする事なく、秘匿される事となった。
******************
篠原は研究所でひとり、冷却を終えて沈黙する巨大なドーナツ状のコイルを見つめた。
「次の段階は……穴の出口をどう作り出すか……だな」
彼女の声は、誰にも届かずに暗闇に吸い込まれていった。
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