超神曼陀羅REBOOT

石動天明

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第六章 その名は蛟

第十四節 こんな屑より強い奴がいる

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 治郎の脳裏に浮かんでいたのは、明石雅人と桃城達也との戦いだった。又、自分の身体を吹き飛ばした蛟や紀田勝義の事だった。

「こん、な、屑より、強い……奴が、いる……俺、は、強く、な、る……もっと、強く、なる……」
「ほぉ……」
「お前は、やくざ、だろ……強い奴、を、知っている、んだろう……そいつ、ら、を、殺す。殺せる、だけ、強く、なる……だから、お前の、組に、俺を……い、れ、ろ」
「何だと、この、小僧!」

 小川は治郎の胸倉を掴んだ。
 治郎は右の掌底を打ち上げて、小川の顎を下から叩いた。

 紀田に加えた攻撃は蹴りだった。蹴りには、一般的に手による攻撃よりも二倍から三倍の威力があるとされている。それを差し引いても、紀田と比べると綿のように軽い顎だった。

「桃城達也のような用心棒と戦い、強くなりたいから、儂の池田組に入れろ、という事か。ふふん、面白いな……」
「く、組長……!? 何を、考えているんです……」

 小川が、意識を保てる程度にふらつき、立ち上がろうとしては転びながら、訊いた。

「小川、お前は見ておらんかったのか。この小僧の蹴りが、少しでもあの紀田勝義をたじろがせたのを。こ奴は磨けば光る……そうは思わんか」
「な……」
「良いじゃろう、小僧、お主を儂の許へ迎え入れ、育ててやろう。お主が望むように、強い用心棒たちと立ち会わせてやろう。だが、その代わりに儂の為に働いて貰おうか。小僧、お主の名は?」
「治郎……」
「治郎、お主はこれから儂の用心棒じゃ。それで良いな。お主の望む通り、お主を強くしてやる」

 そうして治郎は、池田組に迎え入れられる事となったのだ。





 それから三年が経った――
 蛟が、その成長を実感する程に、治郎は確実に強くなっていた。

「強くなったのですね……暗黒プロレスで、鍛えられましたか」

 暗黒プロレス――

 暴対法によって、正面切っての暴力団同士の抗争が見られなくなって久しい。

 しかし彼らは連綿と、その力によって他者を従えさせて来た文化を受け継ぎ、裏社会では常に何らかの策謀によって暴力を行使して来た。

 その一つが暗黒プロレスだ。

 二つの組織の中で、話し合いや金銭では解決出来ない問題に直面した時、それぞれの組織から代表者を選び、戦わせる。その勝敗によって、問題を解決するというものだ。

 テレビ中継などの入る格闘技イベントでは見る事の出来ない、過激なファイトが行なわれる。

 ルールの縛りが、素手であるという以外には殆どない、最悪の場合、死者も出る可能性がある戦いである。

 そして、そのようなものを好む富裕層の人間を観客として招き、会費や入場料を取り、勝敗に賭けさせて金を取り、代表選手が敗けた側にも一定の利益が出るようにしていた。

 池田組に迎え入れられた治郎は、池田組の暗黒プロレスの選手として選ばれ、幾度となく死線を潜り抜けて来た。

 その際に披露した華麗な足技が、サバンナで蛇を蹴り殺す猛禽を連想させる事から、付いたあだ名が“蛇喰い”である。

 治郎は元より得意であった超至近距離からの蹴りに加え、股関節の柔軟性を活かした多彩な蹴り技を開発し、体格や技術で勝る多くの相手からノックアウトを勝ち取ったのだ。

「そ、そうじゃ! 治郎、この儂がくれてやった恩を、忘れたのかァ……」

 池田享憲が搾り出すように、しゃがれた声で言った。

 治郎はその姿を横目で見た。治郎にさえ分かるくらい、疲弊し、衰えている。三年前の炯々とした様子からは想像も出来ないくらいだ。

 だが治郎は、池田享憲を哀れむような事はしなかった。治郎にとって池田享憲、池田組は、自分が強くなる為の踏み台以上の何ものでもない。池田享憲も亦、自身が裏社会で成り上がる道具として治郎を利用したのであり、それ以外の感情を持っている訳がなかった。

「昔よりは楽しめそうですね」

 蛟は治郎を品定めするように眺めながら言う。

「ただ、今は貴方と遊んでいる時ではありませんので……」

 治郎が飛び出した。
 前に出した左足で、蛟の頭部を狙った蹴りを繰り出す。

 ガードしようと手を持ち上げたのを見計らって、膝を翻し、腋の下に爪先をねじ込んだ。
 回し蹴りの軌道で前蹴りのように中足を叩き付ける、三日月蹴りだ。

 この足首を左手で押さえられると、その反動を利用したように再度足が唸り、内回し蹴りの軌跡が蛟の顎を襲った。

 顔を逸らす蛟。

 鶴足立ちになった治郎は、今度は蛟の右足に足刀を打ち下ろす。

 蛟が右足を引いて避けると、スイッチしざまに右足を繰り出した。蛟が地面に残した右脚の膝に向かって、踵を蹴り出してゆく。

 蛟は右足で地面を蹴り、下水道の天井まで跳ね上がった。

 如何に天井が低いと言っても、片足だけのジャンプで天井まで跳び、しかも蜘蛛のように張り付くなどという芸当が、咄嗟に可能なものであろうか。

 長い髪の毛先を地上に向け、蛟は赤い唇をV字に吊り上げた。

 治郎の注意が蛟に向かっている間に、池田が舟に戻った。
 蛟は天井から、舟に飛び乗った。

 揺れる小舟の上に立ちながら、蛟が舟を停めていた紐を断ち切った。下水に押し流されて、小舟が海へ向かって進んでゆく。

 治郎が追おうとした。

 蛟がぱちん、と指を鳴らすと、小舟と治郎との間に水が盛り上がり、壁を作り出した。どのような仕組みとなっているのか、下水の壁は更に蠢いて、その身を削るようにして水の塊を吐き出した。

 治郎が身を躱すと、それまで背にしていた壁に激突した下水の球は、異臭を放って霧散した。

 蛟と池田享憲を乗せた小舟は、治郎では追い付かない距離まで進んでいた。
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