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第八章 青春の終わりと始まり
第十三節 密 売 人
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船が泊まっている。
船体に大きな花をあしらったフェリーである。
発航まで一時間を切っている。半分くらいの人間は、もう乗船手続きを済ませたのではないだろうか。
発着場から車で五分程の広場に、六〇メートルくらいの建造物がある。
水門マリンタワーである。
建築法的には三階建てに当たるが、一階から二階までの一二層は吹き抜けになっており、層数としては一五層の建物である。
一階エントランスは、水門市の歴史が簡単に学べるギャラリーとなっている。
二階は、軽食コーナーと土産物店が一緒になっている。
三階は全面ガラスの展望台である。水門港を一望する事が出来た。
その展望台に、男が一人、いた。
女のように美しい男だ。
黒い髪を肩まで垂らしており、ガラスから射し込む夕陽で眼鏡を光らせていた。
唇が赤く、吊り上げられている。
何処から調達したものであるのか、紺色のチャイナシャツに、白い中華風のサルエルパンツを穿いている。靴が新品のスニーカーであるのが、どうにも格好が付かない。
学校の迎えの帰りに、駄々をこねて港までやって来た小学生くらいの子供が、興味深そうに男――蛟を眺めていた。
母親が、蛟の纏う妙に剣呑な雰囲気から子供を守るべく、肩を抱いて距離を置く。
蛟は残念そうな顔をして、ちろりと赤い舌を出した。
その舌が、やたらに長い。やろうと思えば、自分の鼻の孔に突っ込んでしまう事が出来そうだった。
池田享憲は一緒ではない。池田組の屋敷から連れ出した彼を逃がす為に、謀略を張り巡らせているのだ。
蛇のように陰湿な策略である。
先程の親子が、地上に戻るべくエレベータの前で待っている。母親は、蛟を警戒しているようだった。
漸くエレベータが開いたかと思うと、数人の若者たちがぞろぞろと乗り込んで来た。母親は卒倒しそうな顔になりながら、子供と一緒にエレベータに乗り込んだ。
蛟はガラスに映った若者たちを数えた。
男が五人。
女が二人。
「あんたが、池田組の?」
男の内の一人が、蛟の背中に声を掛けた。ポケットに両手を突っ込んだ、頭の左右にくっきりと反り込みを入れた少年である。
「そうですが」
「くれよ」
振り向いた蛟の前に、反り込みの男が右手を差し出した。
蛟は眼鏡を僅かに持ち上げると、薄い笑みをへばりつかせたまま、
「ポケットから手を出しなさい」
と、言った。
「は?」
「両手をポケットから出しなさいと言っているのです。礼儀を知らない人ですね」
「んだとぉ?」
少年は、差し出していた右手を、蛟の指示とは反対にポケットに戻してしまうと、代わりに顔をぐっと突き出して迫った。
少年の鼻息で、蛟の眼鏡が曇ってしまいそうだ。
「こっちは忙しい中、てめぇがどうしてもってなメール寄越すもんだから、わざわざ来てやったんだろうが。寧ろ、てめぇの方から頭ァ下げてブツを渡すのが筋ってもんじゃねぇか」
少年の言い分に、蛟は浅く溜め息を吐くと、緩く握った右手を少年の顔の前まで持ち上げた。
僅かに上体を反らさせる少年だったが、蛟の手にあったアンプルを見て眼を輝かせた。
「“アンリミテッド”……」
「本当かよ?」
「マジで貰えるのか!?」
後ろの少年少女たちが、色めきだった。
蛟は、少年の肩の向こうに眼をやって、
「ええ、差し上げますとも」
と、笑った。
「くれ!」
眼の前の少年が、唾さえ飛ばして言う。
刹那、蛟の右手が鋭く動き、アンプルを少年の左眼に突き立てていた。
「ぎゃーっ!」
少年は、アンプルによって抉られた左眼を、顔ごと両掌で覆ってその場に倒れ、転げ回った。蛟はアンプルを汚した血を舌で拭い取ると、眼鏡を外して一同を睥睨した。
若者たちは、まさに蛇に睨まれた蛙となり、指一本まともに動かせなくなってしまった。
「約束通り、こちらは皆さんに差し上げます。お代は結構……とは言いません。皆さんがこれの対価に相応しいと思った値段でお売りしましょう。お金でなくとも構いませんが……それもなかなか難しいでしょうが。ただ……彼のような無様を晒したくなければ、私に対する態度を何とか考えた方が良いと思いますよ」
蛟はチャイナシャツの前を開き、服の内側に縫い付けていた幾つかのポケットに、無数のアンプルが吊り下げられているのを見せた。
「お、俺……」
一人の少年が、前に出る。
一丁前に着古した革ジャンなどを羽織っているが、サイズが大き過ぎてだらしない。
その革ジャンのポケットから、くしゃくしゃになったお札と小銭を取り出して、蛟に手渡した。
「お、お願いします! “アンリミテッド”を、俺に売って下さい!」
「よろしいでしょう」
蛟は金を受け取って床に落とすと、代わりにアンプルを手渡した。
船体に大きな花をあしらったフェリーである。
発航まで一時間を切っている。半分くらいの人間は、もう乗船手続きを済ませたのではないだろうか。
発着場から車で五分程の広場に、六〇メートルくらいの建造物がある。
水門マリンタワーである。
建築法的には三階建てに当たるが、一階から二階までの一二層は吹き抜けになっており、層数としては一五層の建物である。
一階エントランスは、水門市の歴史が簡単に学べるギャラリーとなっている。
二階は、軽食コーナーと土産物店が一緒になっている。
三階は全面ガラスの展望台である。水門港を一望する事が出来た。
その展望台に、男が一人、いた。
女のように美しい男だ。
黒い髪を肩まで垂らしており、ガラスから射し込む夕陽で眼鏡を光らせていた。
唇が赤く、吊り上げられている。
何処から調達したものであるのか、紺色のチャイナシャツに、白い中華風のサルエルパンツを穿いている。靴が新品のスニーカーであるのが、どうにも格好が付かない。
学校の迎えの帰りに、駄々をこねて港までやって来た小学生くらいの子供が、興味深そうに男――蛟を眺めていた。
母親が、蛟の纏う妙に剣呑な雰囲気から子供を守るべく、肩を抱いて距離を置く。
蛟は残念そうな顔をして、ちろりと赤い舌を出した。
その舌が、やたらに長い。やろうと思えば、自分の鼻の孔に突っ込んでしまう事が出来そうだった。
池田享憲は一緒ではない。池田組の屋敷から連れ出した彼を逃がす為に、謀略を張り巡らせているのだ。
蛇のように陰湿な策略である。
先程の親子が、地上に戻るべくエレベータの前で待っている。母親は、蛟を警戒しているようだった。
漸くエレベータが開いたかと思うと、数人の若者たちがぞろぞろと乗り込んで来た。母親は卒倒しそうな顔になりながら、子供と一緒にエレベータに乗り込んだ。
蛟はガラスに映った若者たちを数えた。
男が五人。
女が二人。
「あんたが、池田組の?」
男の内の一人が、蛟の背中に声を掛けた。ポケットに両手を突っ込んだ、頭の左右にくっきりと反り込みを入れた少年である。
「そうですが」
「くれよ」
振り向いた蛟の前に、反り込みの男が右手を差し出した。
蛟は眼鏡を僅かに持ち上げると、薄い笑みをへばりつかせたまま、
「ポケットから手を出しなさい」
と、言った。
「は?」
「両手をポケットから出しなさいと言っているのです。礼儀を知らない人ですね」
「んだとぉ?」
少年は、差し出していた右手を、蛟の指示とは反対にポケットに戻してしまうと、代わりに顔をぐっと突き出して迫った。
少年の鼻息で、蛟の眼鏡が曇ってしまいそうだ。
「こっちは忙しい中、てめぇがどうしてもってなメール寄越すもんだから、わざわざ来てやったんだろうが。寧ろ、てめぇの方から頭ァ下げてブツを渡すのが筋ってもんじゃねぇか」
少年の言い分に、蛟は浅く溜め息を吐くと、緩く握った右手を少年の顔の前まで持ち上げた。
僅かに上体を反らさせる少年だったが、蛟の手にあったアンプルを見て眼を輝かせた。
「“アンリミテッド”……」
「本当かよ?」
「マジで貰えるのか!?」
後ろの少年少女たちが、色めきだった。
蛟は、少年の肩の向こうに眼をやって、
「ええ、差し上げますとも」
と、笑った。
「くれ!」
眼の前の少年が、唾さえ飛ばして言う。
刹那、蛟の右手が鋭く動き、アンプルを少年の左眼に突き立てていた。
「ぎゃーっ!」
少年は、アンプルによって抉られた左眼を、顔ごと両掌で覆ってその場に倒れ、転げ回った。蛟はアンプルを汚した血を舌で拭い取ると、眼鏡を外して一同を睥睨した。
若者たちは、まさに蛇に睨まれた蛙となり、指一本まともに動かせなくなってしまった。
「約束通り、こちらは皆さんに差し上げます。お代は結構……とは言いません。皆さんがこれの対価に相応しいと思った値段でお売りしましょう。お金でなくとも構いませんが……それもなかなか難しいでしょうが。ただ……彼のような無様を晒したくなければ、私に対する態度を何とか考えた方が良いと思いますよ」
蛟はチャイナシャツの前を開き、服の内側に縫い付けていた幾つかのポケットに、無数のアンプルが吊り下げられているのを見せた。
「お、俺……」
一人の少年が、前に出る。
一丁前に着古した革ジャンなどを羽織っているが、サイズが大き過ぎてだらしない。
その革ジャンのポケットから、くしゃくしゃになったお札と小銭を取り出して、蛟に手渡した。
「お、お願いします! “アンリミテッド”を、俺に売って下さい!」
「よろしいでしょう」
蛟は金を受け取って床に落とすと、代わりにアンプルを手渡した。
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