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第三章 謀略編
第37話 筆頭書記官と騎士団長
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ミレーヌの誕生日を祝った日から二週間後、朝日の赤さが抜け白い光が差し込む公爵家筆頭書記官の執務室。そこで、レベッカが政務に勤しんでいた。
すると、ノックの音が響く。レベッカは特に気にする様子もなく書類を無心に見続けた。「失礼します」の声とともに、一年前に登用された書記官のカインが書類を持って入室した。彼は商人出身の二十六歳の気の弱そうな青年だが、ラウールの推挙により書記官の末席に名を連ねた。
「レベッカ様、よろしいでしょうか?」
「そこに置いといて」
カインの問いかけに対しても、書類には目を離さないレベッカ。寸時すら惜しむかのように。しかし、何か気が付いたのかカインに指示を出す。
「あ、カイン。代わりに、右の書類は家令様にお届けして」
「え? こちらの書類は昨日お帰りになった後にお届けしたものですが……」
「もう見ました。それと、この書類、数字間違ってるから。カイン、ちゃんと見ましたか?」
「あ、申し訳ありません」
半年前からミレーヌの命令で当主が判断すべき内容は口頭ではなく、書類で判断を仰ぐことが厳命された。書類の体裁は統一化されたが、書類による上伸に未だに慣れぬものが多いのが現状だ。
「私が気がついたからいいようなものよ。お嬢様なら今頃クビになるかもしれないわ。しっかりして」
「はい、以後気をつけます」
恐縮しながら書類を持って退室したカインの代わりに騎士団長のジャックが入室した。
「ああ、レベッカ。ちょっと相談があるんだ」
「ジャック様、お呼び頂ければうかがいましたのに」
ジャックの声を聞くやいなや、すぐに書類から目を離して答えるレベッカ。
「いや、忙しいのに呼びつけるのも悪いと思ってな」
執務机に座ったレベッカの前にあるソファーに座ったジャックは、顎鬚を触りながら語り掛けた。
「あと、様はもう止めてくれ。君はお嬢様の懐刀だ。私如き武人には遠く及ばない存在だよ」
「いえいえ、お嬢様もジャック様を信頼していらっしゃいますよ」
「そうだといいんだがね。おっとこれはお嬢様には言わないでくれ」
ジャックがめずらしく茶目っ気を出す。二人はミレーヌが公爵家当主になる前からの部下であり、武と文を支える股肱の臣といえる存在。お互いに気心も十分わかっている。
「ところで、新型銃の生産はどうなったんだ? 数が揃えば今までの戦い方を変えることができると思ってな」
「ようやく生産がはじまったばかりです。職人もまだ戸惑いが多いみたいで、昨日も、サミールが愚痴を言いに来ました」
先週、新型銃の大量生産のため職人の作業所を突貫工事で完成させたが、肝心の職人がミレーヌの指示した分業制に戸惑いの声を上げており、それを仲裁するサミールは、ミレーヌを憚ってか、レベッカに愚痴を言いにくるのが日課となっていた。
「サミールは、君に惚れてるのかもしれないよ」
ジャックが楽しげに言うと、レベッカは呆れたような表情でペンを机に置いた。恋愛沙汰には全く関心がなく、ひたすら政務に打ち込む彼女らしい反応だった。
「冗談はやめてください」
「すまん、すまん。家令殿に言っても『それは本当に大変ですね』しか言わないから、サミールも張り合いがないのだろう」
「それでジャック様、もしかして戦が近いのですか?」
とレベッカがジャックに問う。すると、ジャックは首を横に振った。
「いや、なんとなくきな臭い動きしてる貴族がいてね。知ってるだろ? ワトー侯爵だよ。マティスの実家さ。釈放しろと執拗に要求してきて部下も辟易してるんだ」
マティスはジャックの前任の騎士団長であり、ミレーヌの両親である公爵家夫妻の死亡と同時に、公金横領等の罪で投獄されている。ミレーヌは、ワトー公爵家と決定的な対立を回避するという政治的な理由により、死罪を免じ、今に至る。
「それだけなら、特に問題なさそうですが……」
「ワトー侯爵の嫡男、マティスの兄だが、カリクステという奴が曲者なんだ。以前領境の住民が揉めた時に、仲裁に入ったんだけど、相手方にカリクステが出てきてな。野心を秘めた知恵者という感じだったな」
「お嬢様の相手になると?」
「いや、及びもしないだろう。しかし、マティスの釈放を狙って、何かしらの策をしかけてくるかもしれないと思ってな」
ジャックの言葉にすこし思案したレベッカは、彼に提案した。
「ジャック様、お嬢様に報告した方がよろしいのではないでしょうか?」
ミレーヌは常日頃些細な事を報告するように厳命している。些細な火種が、やがて大きな火事になりかねないということなのだろうとレベッカは理解していた。
「単なるカンだから確証はまったくないぞ」
「しかし、そういう些細な情報は、すぐにお伝えた方がいいと思います」
「ふーむ……確かにな。筆頭書記官も同席してくれないか? 君がいてくれると心強いからな」
書類の山を見るレベッカは少し逡巡する。彼女の表情を察したジャックは言った。
「あ、君は忙しいか。じゃあ私一人で行くか」
「いえ、ジャック様、ご同行させてください」
目を広げたジャックは思わず口にする。
「いいのか?」
「同席しなくても、呼ばれると思いますし」
「悪いな、助かるよ」
ジャックが立ち上がり、レベッカにほほ笑む。するとレベッカは彼に告げる。
「では、これは貸しということで、ジャック様、いえジャック」
レベッカの突然の呼び捨てに、ジャックは目を丸くした。しかし、自分のお願いを聞いてくれた同僚に向かって微笑みながら答える。
「ああ、助かるよ。筆頭書記官殿がご同行いたけるなら、安い貸しだよ」
こうして、二人は執務室を出て肩を並べてミレーヌの元へ向かった。
すると、ノックの音が響く。レベッカは特に気にする様子もなく書類を無心に見続けた。「失礼します」の声とともに、一年前に登用された書記官のカインが書類を持って入室した。彼は商人出身の二十六歳の気の弱そうな青年だが、ラウールの推挙により書記官の末席に名を連ねた。
「レベッカ様、よろしいでしょうか?」
「そこに置いといて」
カインの問いかけに対しても、書類には目を離さないレベッカ。寸時すら惜しむかのように。しかし、何か気が付いたのかカインに指示を出す。
「あ、カイン。代わりに、右の書類は家令様にお届けして」
「え? こちらの書類は昨日お帰りになった後にお届けしたものですが……」
「もう見ました。それと、この書類、数字間違ってるから。カイン、ちゃんと見ましたか?」
「あ、申し訳ありません」
半年前からミレーヌの命令で当主が判断すべき内容は口頭ではなく、書類で判断を仰ぐことが厳命された。書類の体裁は統一化されたが、書類による上伸に未だに慣れぬものが多いのが現状だ。
「私が気がついたからいいようなものよ。お嬢様なら今頃クビになるかもしれないわ。しっかりして」
「はい、以後気をつけます」
恐縮しながら書類を持って退室したカインの代わりに騎士団長のジャックが入室した。
「ああ、レベッカ。ちょっと相談があるんだ」
「ジャック様、お呼び頂ければうかがいましたのに」
ジャックの声を聞くやいなや、すぐに書類から目を離して答えるレベッカ。
「いや、忙しいのに呼びつけるのも悪いと思ってな」
執務机に座ったレベッカの前にあるソファーに座ったジャックは、顎鬚を触りながら語り掛けた。
「あと、様はもう止めてくれ。君はお嬢様の懐刀だ。私如き武人には遠く及ばない存在だよ」
「いえいえ、お嬢様もジャック様を信頼していらっしゃいますよ」
「そうだといいんだがね。おっとこれはお嬢様には言わないでくれ」
ジャックがめずらしく茶目っ気を出す。二人はミレーヌが公爵家当主になる前からの部下であり、武と文を支える股肱の臣といえる存在。お互いに気心も十分わかっている。
「ところで、新型銃の生産はどうなったんだ? 数が揃えば今までの戦い方を変えることができると思ってな」
「ようやく生産がはじまったばかりです。職人もまだ戸惑いが多いみたいで、昨日も、サミールが愚痴を言いに来ました」
先週、新型銃の大量生産のため職人の作業所を突貫工事で完成させたが、肝心の職人がミレーヌの指示した分業制に戸惑いの声を上げており、それを仲裁するサミールは、ミレーヌを憚ってか、レベッカに愚痴を言いにくるのが日課となっていた。
「サミールは、君に惚れてるのかもしれないよ」
ジャックが楽しげに言うと、レベッカは呆れたような表情でペンを机に置いた。恋愛沙汰には全く関心がなく、ひたすら政務に打ち込む彼女らしい反応だった。
「冗談はやめてください」
「すまん、すまん。家令殿に言っても『それは本当に大変ですね』しか言わないから、サミールも張り合いがないのだろう」
「それでジャック様、もしかして戦が近いのですか?」
とレベッカがジャックに問う。すると、ジャックは首を横に振った。
「いや、なんとなくきな臭い動きしてる貴族がいてね。知ってるだろ? ワトー侯爵だよ。マティスの実家さ。釈放しろと執拗に要求してきて部下も辟易してるんだ」
マティスはジャックの前任の騎士団長であり、ミレーヌの両親である公爵家夫妻の死亡と同時に、公金横領等の罪で投獄されている。ミレーヌは、ワトー公爵家と決定的な対立を回避するという政治的な理由により、死罪を免じ、今に至る。
「それだけなら、特に問題なさそうですが……」
「ワトー侯爵の嫡男、マティスの兄だが、カリクステという奴が曲者なんだ。以前領境の住民が揉めた時に、仲裁に入ったんだけど、相手方にカリクステが出てきてな。野心を秘めた知恵者という感じだったな」
「お嬢様の相手になると?」
「いや、及びもしないだろう。しかし、マティスの釈放を狙って、何かしらの策をしかけてくるかもしれないと思ってな」
ジャックの言葉にすこし思案したレベッカは、彼に提案した。
「ジャック様、お嬢様に報告した方がよろしいのではないでしょうか?」
ミレーヌは常日頃些細な事を報告するように厳命している。些細な火種が、やがて大きな火事になりかねないということなのだろうとレベッカは理解していた。
「単なるカンだから確証はまったくないぞ」
「しかし、そういう些細な情報は、すぐにお伝えた方がいいと思います」
「ふーむ……確かにな。筆頭書記官も同席してくれないか? 君がいてくれると心強いからな」
書類の山を見るレベッカは少し逡巡する。彼女の表情を察したジャックは言った。
「あ、君は忙しいか。じゃあ私一人で行くか」
「いえ、ジャック様、ご同行させてください」
目を広げたジャックは思わず口にする。
「いいのか?」
「同席しなくても、呼ばれると思いますし」
「悪いな、助かるよ」
ジャックが立ち上がり、レベッカにほほ笑む。するとレベッカは彼に告げる。
「では、これは貸しということで、ジャック様、いえジャック」
レベッカの突然の呼び捨てに、ジャックは目を丸くした。しかし、自分のお願いを聞いてくれた同僚に向かって微笑みながら答える。
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