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第六章 簒奪編
第102話 突然の別れ
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ミレーヌは、一年以上、シリルとほぼ毎日夜を共にする生活が続いていた。シリルは、当初はぎこちなかったが、次第に、献身的に姉のためを思って日々異なる行動をとるようになる。その姿にミレーヌは、愛情とは異なる、いわば子犬を愛でるような温かな感情を抱くようになっていた。彼女自身は自覚がなかったが、執務中でもシリルの仕草などを思い出して思わず笑みがこぼれることもあった。
ある日の午後。ミレーヌが執務室でいつものように書類を眺め、対王国戦の最終的な戦略思考を巡らせていると、ドアが激しく叩かれた。
「どうしたの?」
銀髪の公爵令嬢が顔を上げると、筆頭書記官のレベッカが、血の気の失せた顔で飛び込んできた。
「大変です! シ、シリル様が……」
「落ち着きなさい、レベッカ。貴女らしくないじゃない」
「お亡くなりになりました」
「な……亡くなった?」
ミレーヌの思考が一瞬停止した。彼女の頭の中は、今朝見たシリルの無垢な顔つきで埋め尽くされる。
(今日の朝まで、ベッドで幸せそうに寝ていたではないか。どういうこと?)
レベッカに連れられて、ミレーヌは医務室へと向かった。医務室に入ると、薬草の煎じた匂いと、冷たい空気が彼女を包む。ベッドには、シリルが横たわっていた。その顔は、まるで生きているかのように穏やかだが、ひどく蒼白だった。
「シリル様は、乗馬の最中に、落馬し、首の骨を折られてしまいました。駆け付けた時にはもうすでに……」
ミレーヌが訊ねるよりも早く、医師がシリルを診た経緯を説明した。その医師の説明を無視してミレーヌはシリルの元へ向かい、顔をなでる。誰もが、ミレーヌの愛しむような所作を初めて見て、内心驚愕したが、皆、表情にあらわさなかった。すると、弟の遺体を撫でながら彼女は顔を向けずに言い放った。
「二人にだけにして」
レベッカや医師たちは、一様に二人に一礼して、医務室を退室した。
ミレーヌは、シリルの顔をなでながら、とめどなく涙を流す。嗚咽することなく、単に涙を流す。そしてシリルとの夜を思い出した。
――初めてシリルを抱きしめた夜の、震える小さな体。毎晩、自分に縋るように甘えてきた温もり。そして、純粋な愛と信頼に満ちた、あの恍惚とした瞳。
彼女は、自身でも自覚していなかったが、ミレーヌ、いや前世の幅下香織として歩んできた過酷な人生の中で、シリルは損得勘定を超えた、無償の愛着を抱ける唯一の存在となっていた。その唯一の存在が、あまりにも理不尽な事故で消えてしまった。
どれほど時がたったのだろうか。涙が枯れた彼女は、医務室の外の窓を見上げた。
(この世界は、私の存在を否定したうえに、私にとって必要なものまで奪い去るのか。やはりこの世界は破壊しつくす。絶対に)
彼女は立ち上がり、濡れた目元をハンカチで拭った。そして、医務室をあとにした。レベッカなどが心配そうに見つめる中、彼女は静かに告げた。
「葬儀の手配は任せたわ」
「承知いたしました」
「あと、レベッカ、今日から私が公爵。わかったわね」
ミレーヌは、感情を切り捨てるかのようにそう言い放つと、レベッカの返答を待たずに自室に戻った。その背中は、いつにもまして誰も近づくことができない氷の洞窟のような冷気を放っていた。
ある日の午後。ミレーヌが執務室でいつものように書類を眺め、対王国戦の最終的な戦略思考を巡らせていると、ドアが激しく叩かれた。
「どうしたの?」
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「二人にだけにして」
レベッカや医師たちは、一様に二人に一礼して、医務室を退室した。
ミレーヌは、シリルの顔をなでながら、とめどなく涙を流す。嗚咽することなく、単に涙を流す。そしてシリルとの夜を思い出した。
――初めてシリルを抱きしめた夜の、震える小さな体。毎晩、自分に縋るように甘えてきた温もり。そして、純粋な愛と信頼に満ちた、あの恍惚とした瞳。
彼女は、自身でも自覚していなかったが、ミレーヌ、いや前世の幅下香織として歩んできた過酷な人生の中で、シリルは損得勘定を超えた、無償の愛着を抱ける唯一の存在となっていた。その唯一の存在が、あまりにも理不尽な事故で消えてしまった。
どれほど時がたったのだろうか。涙が枯れた彼女は、医務室の外の窓を見上げた。
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「葬儀の手配は任せたわ」
「承知いたしました」
「あと、レベッカ、今日から私が公爵。わかったわね」
ミレーヌは、感情を切り捨てるかのようにそう言い放つと、レベッカの返答を待たずに自室に戻った。その背中は、いつにもまして誰も近づくことができない氷の洞窟のような冷気を放っていた。
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