愛と剣の物語~深紅の公爵令嬢と最強の近衛騎士の再興譚

かずまさこうき

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第3話 血路の逃走

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 深緑の髪の騎士に手を引かれ、私たちは王宮の裏通路を駆けていた。背後で響く剣戟の音と怒号は、次第に遠ざかる。
 慣れない暗闇の中、足元に転がる瓦礫や、壁に飛び散った血痕が、先ほどの惨劇の生々しさを物語っている。王宮の内部は、まるで生き物のように蠢く闇の迷宮と化していた。私の純白のドレスは、泥と埃、そして血で穢されていた。

「どこへ行くのですか……?」

 息も絶え絶えに私が尋ねると、彼は振り返らずに答えた。

「秘密通路がこの先にあります。急ぎましょう」

 彼の声は、混乱の中でどこか冷静で、私を現実へと引き戻す。しかし、その冷静さが、かえって私の心を不安で満たした。

 このまま、私たちはどこへ向かうのだろう。
 この悪夢は、いつ終わるのだろう。

 狭い通路を抜けた先に、わずかな光が見えた。そこは、普段は使用人たちが食料や物資を運び込むための、王宮の裏口だった。
 扉の隙間から漏れる風が、凍てつくように冷たい。彼が素早く鍵を回し、扉を押し開ける。扉の外には王宮内の裏庭園が広がっており、すでに夜の闇に包まれていた。しかし、その闇を、王宮から燃え上がる炎が赤く染め上げている。
 裏庭園の中にも断続的に悲鳴や怒号が響き渡り、遠くで馬のいななきが聞こえる。祝祭の喧騒は、どこにもない。そこは、たった数時間前まで歓喜に満ちていた王宮ではなく、地獄絵図だった。

「王太子妃がいたぞ! あそこだ!」

 私たちの背後から、追手の声が聞こえた。振り返った先には、大公の兵士と思われる者たちが、複数の近衛兵と共にこちらへ向かう。

「多いな」

 その騎士が呟き、私を庇うように一歩前に出る。彼の剣が鞘から抜き放たれると、冷たい夜の光を反射して煌めいた。
 すると、彼に付き従っていた二人の近衛兵が、示し合わせたように、無言で敵へと向かっていく。彼らの後ろ姿には、死を恐れる様子は微塵もなかった。

「ネディム! コルネイユ!」

 彼は戸惑いながら彼らの名を叫ぶ。

「副隊長は、王太子妃殿下と一緒に脱出を!」

 私達を振り返ったネディムが叫び、そして敵に躊躇なく突進した。コルネイユと共に見事な連携で敵兵の足止めにかかる。
 副隊長と呼ばれた騎士は、驚いた様子で彼らの方に目を向けた。その青緑の瞳に、僅かな躊躇と、そして深い苦悩が潜んでいるように見える。だが、ネディムたちの言葉が、彼の背中を押した。

「この場は我々で抑えます! 早く! お逃げください!」

 彼らの決死の覚悟を見たとき、私の胸にどうしようもない感情が込み上げてきた。彼らは、夫を失った王太子妃のために、自らの命を投げ出そうとしている。彼らの犠牲の上に、私の命が繋がれている事実が、私の心に鉛のように重くのしかかった。

「すまん......」

 騎士が小さく呟き、私を再び力強く引いた。
 
 私たちは、二人の決死の覚悟によって稼いだ時間を使い、裏庭園の奥に位置する東屋の方へ向かう。そこには、地下に続く階段があった。彼は私の手を引きながら躊躇することなく階段を下りた。
 そして、降りたあとに、何の変哲も無い場所で、彼は立ち止まった。彼は、その壁石に指を這わせ、見慣れぬ文様が刻まれた箇所を強く押す。
 すると、壁の奥から微かな歯車の軋む音が聞こえ、目の前の壁がゆっくりと内側へ沈み込み、やがて背後から響く重低音と共に横へと滑るように開いた。
 そして、薄暗い通路が私たちの目の前に現れる。先を見ると、まばらに開口部があり、月光が差し込んでいた。

「秘密通路です。さ、早く」

 私たちは秘密通路を使い、王宮から脱出し、王都の裏通りへと逃げ込んだ。

 今まで私を追い立てていた剣戟の音はほとんど届かない。
 石畳の道には、慌ただしく逃げ惑った人々の落とし物や、散らばった屋台の残骸、そして、一部で暴徒化した兵士や民衆によって破壊された商店の品々が散乱し、街が異常事態にあることを告げていた。
 祝祭の喧騒は、今は遠い過去の幻となり、聞こえるのは、悲鳴、怒号、そして馬のいななきだけ。街全体が、巨大な獣の断末魔を上げていた。私の耳には、遠くから響く王宮の鐘の音が、鎮魂歌のように響き渡る。

「あなたは……一体、誰なのですか?」

 息を弾ませながら、ようやく絞り出した私の声に、その騎士は立ち止まる。振り返った彼の顔は、薄暗い街灯の下でも、依然として無表情だった。その表情からは、一切の感情を読み取ることができない。

「近衛騎士団第三部隊副隊長、クロイツ・ペルシエと申します」

 簡潔な名乗りに、私はかすかに目を見張った。

 クロイツ・ペルシエ。

 どこかで聞いたことがある名前。確か、父の書斎で、今は亡きローレン兄さまが話していたような……。

 いや、今はそんなことを考えている場合ではない。目の前の、この現実の方がはるかに重い。

「あなたは近衛騎士なのですね……。では、どうして、このようなことが……?」

 混乱の極地にいる私は、彼に問いかけるが、遠目を見て、気配を察したのか、彼はその問いをさえぎるように、ただ私の手を強く握り、再び走り出した。
 彼の視線は、常に周囲を警戒している。私たちの行く先にはまだ危険が満ちているのだろう。

「追手のようです。急ぎましょう」

 背後から、複数の足音と、金属の擦れる音が近づいてくる。その音は、王宮から私たちを追う兵士たちのもの。執拗な追手は、私たちを獲物と定めた獣そのものだ。
 クロイツは、王都の複雑な路地を縦横無尽に駆け抜け、時に跳び、時に身をかがめて、追手の視線をかわす。
 彼は驚くほど王都の地理に詳しい。まるで街が彼の身体の一部であるかのように動く。私も必死で彼の後を追う。彼の背中だけが、私の進むべき方向を示していた。
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