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やがて夕食の時間になり、セーレが広間に行こうと言い出した。


「だれが食事の用意をするの?」
「ミカエルだ」
「執事はひとりしかいないんでしょう?準備、大変じゃない」


脳内で、古めかしい映画に出てくる、上品で優しそうな白髪の老いた執事を思い浮かべる。


「執事はひとりしかいないけど、食事をとるのも僕とミカエルしかいないんだから、そんなに大変じゃないんだ」
「そうだ、私まだミカエルさんにきちんと挨拶もしてないのに、夕食の用意なんてしていただけないんじゃないかしら」
「僕がもう伝えておいたよ。今日から新しいメイドが城にくるから夕食は三人分よろしくって」
「私はメイドなの?」
「メイドという名の僕の遊び相手だよ。家のことは今まで通り、ミカエルが全部やってくれるから心配しなくて大丈夫」


話を聞いていると信じられない気持ちになってきた。セーレは全面的にミカエルという執事を信用し、甘え切っているようだが、こんな広い城と子供をたったひとりで世話するというのは、どう考えても大変なことだ。
でもセーレがけろりとしているので、深く突っ込むのはやめておいた。


「突き当たりのドアの向こうが、広間だ」
「なんか、いいにおいがする」
「ミカエルは料理上手なんだ。おいしい夕食を用意してくれているのさ」


そう言うと待ちきれないとでもいうように、ドアまでの最後の数メートルをセーレは無邪気に走った。ノブに手をかけると、重そうなドアを押し開け、中に入るように促す。


恐る恐る足を踏み入れるとそこは、三人だけで食事をするにはもったいないくらいの広間で、高級そうな長いテーブルにはおいしそうな料理が並べられていた。


「坊ちゃん、いつもより遅かったですね」


声がする方に顔を向けると、壁側に姿勢のいいひとりの男が立っていた。その姿を見とめた私は途端に緊張してしまったが、セーレは馴れ馴れしく彼の名前を呼んだ。


「ミカエル、この子がルナだ」


ミカエルと呼ばれた執事は、金髪のカールした髪の毛を揺らして、ゆっくりと私を見た。灰色の瞳は静かな水面のようで、そこからはなんの感情も読み取れない。
映画に出てくる老人の執事を想像していた私は、その目線に耐えかねて俯いた。恥ずかしくなったのだ。ミカエルは20代後半から30代前半というくらいだろうか、想像していたよりとても若く、そして、美しい見た目をしていた。


「あの、はじめまして。私、鈴木、瑠奈です」
「……スズキ?」


初めてセーレに会ったときと同じように、ミカエルは呟いてわずかに眉根を寄せる。夢の中の世界には、どうやら苗字という概念が存在しないらしい。


「あ、いえ、私がルナです。今日からどうぞよろしくお願いします」


一息に言い切ると頭を下げた。
ミカエルの落ち着いた声が耳に届く。


「……私はこの家の執事で、セーレ坊ちゃんのお世話をさせていただいているミカエルという者です」


迷惑がられているのではないかとドキドキしていたが、その声を聞いてほっとした。歓迎されているふうではないものの、嫌な響きも感じられなかったからだ。


魔王の城の住人が、三人になった瞬間だった。
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