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【プロローグ】朝支度

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柔らかい秋の日差しがカーテン越しに降り注ぐ。

「んーーー。眩しいなぁ。もう朝やん……。もうすっかり冷えてきたねぇ。」

もうちょっと……。と思っていると
にゃぁ。と鳴かれて顔を舐められる。

「くすぐったいわぁ。」

しゃーないなぁ。と呟きながら
ベットから起き上がりカーテンを開ける。
にゃあ。と鳴くその子の名前はノワルと言う。

「せやな。朝ごはんやんね?」

台所に向かいねこまんまを用意する。

「美味しいかい?」

にゃー。と気の抜けた返事が聞こえたところでお茶を淹れる。

今日は静岡の緑茶。

昨日はイギリスから夫が持って
帰ってきてくれた紅茶。

家には国内外様々なお茶が所狭しと
並んでおり、気分で飲み分けている。

フミは洋風の家に住んでいた。

丘の上にあるフミの家は眺めが良く、
毎日船が行き交う神戸港を見下ろしながら
ベランダでお茶を啜る。

何してんやろな、今頃あん人。
仕事人間やさかい、色々してるんやろうな。

まあ、人のコト言えんのやけどなあ。

昨日も夜中の2時まで仕事をしており、
起きたのは朝の6時だ。

睡眠時間は実に4時間。

フミにとってはまだましな方である。

子どもたちがいなくなって余生を謳歌するつもりだったのに
なんだかんだ仕事が楽しく、のめり込んでしまう。

来年の6月には一時帰国やんね?と結婚式の時の写真に話しかける。

平和なゆっくりとした時間を過ごしたあとに
メイクを始めた。

美しくある事は女のステータスだ。

最近巷で出てきた乳バンドも先日買ったので試してみる。
これはいい。ラインがきれいに出てくる。

お気に入りの自分で作った黒のドレスに
身を包み、白のクロッシュを被って香水をシュッと一吹き。

「そんじゃ、ちょいと出掛けてくるかねえ」

ご飯を食べ終えた猫はフミのベットでくうくう言いながら寝ており、
声をかける。

「ほな、出かけてくるで」

本当に出かけるのか?とこちらを見つめ返してくるその目は反則だ。
こちらがいたたまれない気持ちになる。

「お店は17時までだから18時までには帰ってくるさかい、いい子で待ちなはれ。それとも、店におる?」

そうすると今まで手を舐めていた猫はその舌を止めて地面の上へひょいっと降りて途端にタイツにすり寄り始める。

こいつ、やはり言葉がわかる。

「いい子にしているんやで?」

家から出てしばらく猫を抱えて丘の上から町のほうまで歩く。
町のほうまで出てくると、さすがは港町、とても人で栄えている。

「今日もごった返しますなあ。景気がええんはいいことや。」

なあ?と猫に話しかけながら歩いていると涙目の女の子が道を歩いているのを見かける。

「誰かと思えば朝子ちゃんかいな。なんやえらい顔してはるわあ。これ、絶対港に行くで。あん子、昔からそうやから。あんた、お店で待てる?」

にゃあ。と返事をした猫はこちらをじっと 見つめる。チクリと胸が痛むが仕方ない。

お店に着いてから軽く掃除と
開店準備を済ますと猫を猫ソファに置く。

「二時間したら戻るさかい、ええ子にしとってな?」

にゃあと鳴く黒猫に舐められてまた外に出た。

港に着くと春の初めの冷たい風と
暖かな日差しがフミを出迎えた。

ええ景色やなぁ。とボソリと呟き、
あたりを見回すと港に腰掛ける小さな身体を見つけた。

そして遠目から見守りながらゆっくりと
朝子に近づく。

朝子がすくっと立ち上がったところを見計らって声をかけた。

「朝子ちゃん。おはよう。なしたんそないな怖い顔して。お母ちゃんと喧嘩でもしたんかいな」

「フミさん!?なんで!?
そないなこと……!ありゃせんですよ!」

「なんや、図星かいな。まだ女学校までは時間あるやろ?なら喫茶店でモーニングでも食べへん?いくらでも付き合ったるよ。」

解せない。という顔をしている
朝子を嗜めながら行きつけの喫茶店に一緒に入った。

「えーっとー!パンとコーヒーと、あとカスタプリン!」

元気な声が店内に響き渡る。

「私はモーニングセットと紅茶で」

周りからクスクスという声が聴こえてくるが朝子は気にしていないようだった。

「急に元気にならはるなぁ」

「美味しいもの食べないとやってられへん!」

「はいはい。で、どないしたん?」

朝子は進路について悩み、親と口論になったことを打ち明けてくれた。

うんうん。と朝子の話を聴きながら若いってええねぇ。と過去に思いを馳せる。

「せや、フミさんは私くらいの時どないだったん?」

ともぐもぐ口を動かしながら朝子から不意打ちの質問が来る。

「私もほんまにこうなるなんて思ってへんかったよ?」

「ほんまに?」

「せやなぁ。また機会があれば、話さんでもないかなぁ。でもそろそろ時間やない?」

「ほんまや!遅刻してまうわ!フミさん帰りにお金渡すわ!ほんまにすまん!ほなあとで!」

「はいはい、気をつけて行くんやでー!」


やれやれ。とため息を吐き朝子を見送るフミ。

「嵐みたいな子やなぁ……。なんて人のこと言えたもんやないもんな。女学校時代か……。みんな元気にしてるやろか?」

暖かくなってきた春の始め。

ゆっくりと紅茶を啜り外を見ながら過去に思いを馳せるフミであった。
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