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熊のアカツキ
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*** トンボメガネ ***
二つ山を越えた奥山に、胸の月模様が赤く染まり、アカツキと呼ばれている凶暴な月の輪熊がいるそうです。だから店主はコパンに、奥山の方へは絶対に行かないようにと言い聞かせていました。アカツキは人間を見れば襲うと、猟師たちの間でも噂になっていました。けれど、熊にしてみれば銃を持っている人間の方が怖いのだと、店主は思っています。それでもコパンには、近寄らない方が安全だからと釘を刺しておいたのでした。
そのアカツキがどういう訳か、今おめがね屋に来ていました。店主はそっとコパンを奥の部屋に下がらせて、一人で相手をすることにしました。
「ようこそおめがね屋へ。どんなメガネをご希望でしょうか。当店はどんなメガネでも、あなたにピッタリのメガネをお作りいたします」
よく見ると、アカツキはかなり年老いていました。彼の噂がいつ始まったのか知りませんが、伝説的に語られていることからも、年を取っていて不思議はありません。体にはいくつもの戦いの傷痕があり、特に左目あたりの大きな傷は視力を無くすのに十分なものです。彼は低くかすれた声で言いました。
「オレは見ての通り、左目が見えない。別に人間と戦いたくはないが、鉄砲を持った人間がオレを倒すため、次々とやって来る。それで傷ついて片目になったが、片目じゃあ逃げるにも難儀するのさ。だから左目を補って、遠くも良く見えるメガネが欲しい」
彼はここが安全と感じたようで、疲れたからと椅子に座りました。店主は、難しい注文だと思いました。もう少し希望を聞かないと作れないようです。それでまず、なぜ彼がこの店を知ったのか聞いてみました。
「二日ほど前かな、タカに追われたカラスがオレの山まで逃げて来た。そいつはオレの寝ている洞穴に飛びこんできて、タカがいなくなるまで隠れていた。カラスは暗闇にまぎれたら、わからないからね。で、タカがいなくなって明るいところへ出たそいつを見ると、メガネを掛けているじゃないか。オレはすぐに聞いてみた。だれもいない洞穴だと思っていたカラスは、オレが急に声をかけたんでビックリして、入り口に頭をぶつけてな。フフッ」
間違いなくそのカラスはクローだと店主は思いました。美味しい物が食べられるようになっても、タカに追われるドジは変わらないようです。
「オレはカラスは食わないから心配するなと言って、メガネのことを聞いた。なんでも、おいしい食べ物を見つけてくれるメガネだと言うじゃないか。それで、どんなメガネでも作ってくれるこの店を知ったのさ。オレはもう若くないから、動きも鈍くなってきた。そのうえ左が見えないから、さらに不便だ。オレは山奥でおだやかに、静かに暮らしたい。だから危ないものには近づきたくないのさ。左も見えて、遠くが良く見えりゃあ、危ないものも早く見つけられるじゃないか。できれば、人間が近づいてきたらわかるメガネを、作って欲しいんだけどな」
店主はニコリとして言いました。
「ホッホッホッ、なるほどわかりました。でも私は医者ではありませんので、あなたの左目を見えるようにすることはできません。ただし見えない目でも感じることはできます。右目で遠くが見えることと合わせれば、ご希望にピッタリのメガネになるでしょう」
どうやらメガネのイメージが浮かんだようで、いつもの口ぐせと共に、ニコニコしながらメガネを作り始めました。
「当店はメガネ屋ではございません。おめがね屋です。どんなご注文にもお応えいたします」
パンダネを作るとき、店主は集中します。エプロンのポケットに手を入れて、メガネのできあがりを想像しながらメガネ粉をこねます。お客の希望が入ったパンダネは、毎回似ているようで違うのです。できたパンダネをアカツキに見せながら、店主は続けました。
「このパンダネをオーブンに入れたら三分お待ちください。あなたのおめがねにかなった、ピッタリのメガネのできあがりです」
できあがったメガネは、レンズがハチの巣みたいな形をしていました。トンボの目のようで、掛けると一瞬クラッとしました。でもそれに慣れると、左は見えないはずなのにちゃんと見えています。右目の視野が広くなっていることと、左側で感じているものが形になって、両目で見たものと同じように合成されているのです。だから違和感はありません。顔をグルグルさせて見回しても自然に見えました。それに遠くも良く見えます。
「これはいい。これなら遠くの人間もすぐに見つけられそうだ」
そう言ってアカツキは山奥へ帰って行きました。メガネのおかげで、もう猟師とはち合わせることはないでしょう。これからは静かに暮らせるはずです。
奥からコパンが出てきました。
「あれ、あのお客さんからお金はもらわなかったの」
コパンは店主も怖かったのかなと思いましたが、違うようです。
「ホッホッホッ。そう、病人とお年寄りからはお金を取れないよ。彼は体だけじゃなく、心も傷ついていたからね。それに、もう…」
店主は何か言いかけましたが、疲れたからとロッキングチェアに座り、寝てしまいました。
冬が近づき、冬眠に備える季節になりました。メガネのおかげでアカツキは、ずうっと穏やかな日々を過ごしています。危険が近づくとメガネが教えてくれる気がして、避けることができました。それにつれて彼の気もちも、穏やかに変わっていきました。強くなければ生きていけないと思っていたことがウソのようで、自分も自然の中では木の葉と同じくらい小さなものだと感じることもありました。それもメガネのせいか、この頃は山を見ても、川を見ても、星を見ても、風にそよぐ木々を見ても、ホロリと涙の出ることがありました。
その翌年の春、アカツキは冬眠から目覚めることはありませんでした。そしてそれからは、凶暴な熊が現れたという話も、聞かなくなりました。
二つ山を越えた奥山に、胸の月模様が赤く染まり、アカツキと呼ばれている凶暴な月の輪熊がいるそうです。だから店主はコパンに、奥山の方へは絶対に行かないようにと言い聞かせていました。アカツキは人間を見れば襲うと、猟師たちの間でも噂になっていました。けれど、熊にしてみれば銃を持っている人間の方が怖いのだと、店主は思っています。それでもコパンには、近寄らない方が安全だからと釘を刺しておいたのでした。
そのアカツキがどういう訳か、今おめがね屋に来ていました。店主はそっとコパンを奥の部屋に下がらせて、一人で相手をすることにしました。
「ようこそおめがね屋へ。どんなメガネをご希望でしょうか。当店はどんなメガネでも、あなたにピッタリのメガネをお作りいたします」
よく見ると、アカツキはかなり年老いていました。彼の噂がいつ始まったのか知りませんが、伝説的に語られていることからも、年を取っていて不思議はありません。体にはいくつもの戦いの傷痕があり、特に左目あたりの大きな傷は視力を無くすのに十分なものです。彼は低くかすれた声で言いました。
「オレは見ての通り、左目が見えない。別に人間と戦いたくはないが、鉄砲を持った人間がオレを倒すため、次々とやって来る。それで傷ついて片目になったが、片目じゃあ逃げるにも難儀するのさ。だから左目を補って、遠くも良く見えるメガネが欲しい」
彼はここが安全と感じたようで、疲れたからと椅子に座りました。店主は、難しい注文だと思いました。もう少し希望を聞かないと作れないようです。それでまず、なぜ彼がこの店を知ったのか聞いてみました。
「二日ほど前かな、タカに追われたカラスがオレの山まで逃げて来た。そいつはオレの寝ている洞穴に飛びこんできて、タカがいなくなるまで隠れていた。カラスは暗闇にまぎれたら、わからないからね。で、タカがいなくなって明るいところへ出たそいつを見ると、メガネを掛けているじゃないか。オレはすぐに聞いてみた。だれもいない洞穴だと思っていたカラスは、オレが急に声をかけたんでビックリして、入り口に頭をぶつけてな。フフッ」
間違いなくそのカラスはクローだと店主は思いました。美味しい物が食べられるようになっても、タカに追われるドジは変わらないようです。
「オレはカラスは食わないから心配するなと言って、メガネのことを聞いた。なんでも、おいしい食べ物を見つけてくれるメガネだと言うじゃないか。それで、どんなメガネでも作ってくれるこの店を知ったのさ。オレはもう若くないから、動きも鈍くなってきた。そのうえ左が見えないから、さらに不便だ。オレは山奥でおだやかに、静かに暮らしたい。だから危ないものには近づきたくないのさ。左も見えて、遠くが良く見えりゃあ、危ないものも早く見つけられるじゃないか。できれば、人間が近づいてきたらわかるメガネを、作って欲しいんだけどな」
店主はニコリとして言いました。
「ホッホッホッ、なるほどわかりました。でも私は医者ではありませんので、あなたの左目を見えるようにすることはできません。ただし見えない目でも感じることはできます。右目で遠くが見えることと合わせれば、ご希望にピッタリのメガネになるでしょう」
どうやらメガネのイメージが浮かんだようで、いつもの口ぐせと共に、ニコニコしながらメガネを作り始めました。
「当店はメガネ屋ではございません。おめがね屋です。どんなご注文にもお応えいたします」
パンダネを作るとき、店主は集中します。エプロンのポケットに手を入れて、メガネのできあがりを想像しながらメガネ粉をこねます。お客の希望が入ったパンダネは、毎回似ているようで違うのです。できたパンダネをアカツキに見せながら、店主は続けました。
「このパンダネをオーブンに入れたら三分お待ちください。あなたのおめがねにかなった、ピッタリのメガネのできあがりです」
できあがったメガネは、レンズがハチの巣みたいな形をしていました。トンボの目のようで、掛けると一瞬クラッとしました。でもそれに慣れると、左は見えないはずなのにちゃんと見えています。右目の視野が広くなっていることと、左側で感じているものが形になって、両目で見たものと同じように合成されているのです。だから違和感はありません。顔をグルグルさせて見回しても自然に見えました。それに遠くも良く見えます。
「これはいい。これなら遠くの人間もすぐに見つけられそうだ」
そう言ってアカツキは山奥へ帰って行きました。メガネのおかげで、もう猟師とはち合わせることはないでしょう。これからは静かに暮らせるはずです。
奥からコパンが出てきました。
「あれ、あのお客さんからお金はもらわなかったの」
コパンは店主も怖かったのかなと思いましたが、違うようです。
「ホッホッホッ。そう、病人とお年寄りからはお金を取れないよ。彼は体だけじゃなく、心も傷ついていたからね。それに、もう…」
店主は何か言いかけましたが、疲れたからとロッキングチェアに座り、寝てしまいました。
冬が近づき、冬眠に備える季節になりました。メガネのおかげでアカツキは、ずうっと穏やかな日々を過ごしています。危険が近づくとメガネが教えてくれる気がして、避けることができました。それにつれて彼の気もちも、穏やかに変わっていきました。強くなければ生きていけないと思っていたことがウソのようで、自分も自然の中では木の葉と同じくらい小さなものだと感じることもありました。それもメガネのせいか、この頃は山を見ても、川を見ても、星を見ても、風にそよぐ木々を見ても、ホロリと涙の出ることがありました。
その翌年の春、アカツキは冬眠から目覚めることはありませんでした。そしてそれからは、凶暴な熊が現れたという話も、聞かなくなりました。
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