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第四話 嵐山から嵐山
しおりを挟む「っ!倉橋!今行く!」
晴人君はそう言って、こちらに向かって走ってくる。そんな間にも魔法陣のようなものから発せられた影は、着々と私を覆っていき、ついに私のすべてが覆われた。
私の視界も完全に覆われ、黒く染まっている。
「倉橋っ!……ッ!痛っ!なんだよこれ……」
晴人君の声が聞こえた瞬間、あたりにバチッ、という音が響いた。恐らくだが、晴人君が私を覆っている影に触れたのだろう。
「クソッ!開けろ!開けろよ!」
ガンッ、ガンッ、と晴人君が影を殴っているような音が聞こえる。
……やめて。もうやめて晴人君……。
「もういいの晴人君……。もう、いいの……」
「いいや良くない!何も良くない!」
「いいんだよ……。私が死ねば、全て解決するの……。もう、皆が不幸になることもないの……。だから、もう放おって置いて……」
そう。これでいいんだ。これで皆が不幸になることもなくなるし、晴人君に迷惑をかけることもない。私自身も呪縛から開放されるのだ。何も悪いことはない。
「断る!」
それでもなお、晴人君は私をここから出そうとする。何度も、何度も何度も拳を影に叩き込んでいるようだ。私にはまるで理解ができなかった。晴人君がここまでしなくてもいいのに。私が死ねばすべてが丸く収まるのに。なんで……
「なんで……どうして、ここまで……」
「誓ったんだ……」
晴人君は影を殴りながら、そう呟いた。誰に、何を誓ったのか。そんなこと私は知らない。しかしそれでも、頭の中にある四人の顔が浮かび上がった。
「俺はあいつらに……誓ったんだ。お前を、必ず連れて帰るって……!」
晴人君は依然、影を殴りながら呟いた。晴人君の声は徐々に、徐々に大きくなっていく。それに比例して、晴人君の殴る力も強くなっているようだった。
「俺は……誓った!」
晴人君はそう言うと、影に拳を思いっきり叩きつけた。あたりにバチバチバチッ、いう音が鳴り響く。晴人君には、相当の痛みが流れ込んでいるはずだ。それでも晴人君は、拳を影から放さなかった。
「ぐうううう……!うおああああ!」
晴人くんはそんな雄叫びを上げ、その拳を振り抜き影を完全に壊した。
それと同時に、私の真っ暗だった視界に光が差す。そして晴人君は左手で私の右手を取って、真っ直ぐに走り出した。
「え、あ!お、お待ち下さい!」
後ろから人型の妖の声が聞こえるが、晴人君に妖の声は聞こえない。晴人君がもつのは霊感だけだ。だから晴人君は走ることをやめず、それどころか更に走るスピードを上げた。
「は、晴人君!止まってよ!離してよ!」
「どちらも断る!黙って付いてこい!」
私は何度も晴人君に止まってくれ、離してくれと言い続けるが、晴人君は止まってくれることも、手を離してくれることもなかった。晴人君はそのまま後ろを振り返ることなく走り続けたが、野宮神社の前でようやく体力が切れたのか走るスピードと右手を掴む力が少し弱くなるのを感じた。
私は、晴人君の手を右手から半ば強引に振り解き、野宮神社の前で晴人君と向き合う。
「なんで、来たの?どうして、こんなことしたの?」
「……」
私の問に対して、晴人君は何も答えずにただジッと私を見つめてきた。私はそんな晴人君を前にして、自分の思いがどんどん口から溢れ出てくる。
「私が死ねば、全部良くなるんだよ……?もう誰も、不幸になることもないんだよ……?なのに……なのになんで止めるの!?」
自分の思いが止まらなく、晴人君に向かって口から投げ出されていく。もう止まらない。ここまできたら、もう止めることはできない。私の思いがすべて晴人君に投げ出されていった。
「晴人君にだって散々迷惑をかけてきた!でももう迷惑をかけることもなくなるの!これで……これでいいの!私が死んで、皆が……皆が幸せになれるなら!これでいいの!こうじゃなきゃいけないの!」
私は、自分の思いすべてを晴人君にぶつけた。はぁ、はぁ……と肩で息をしながら、晴人君から返ってくる言葉を待つ。私が言い終わって少し経ってから、晴人君は口を開いた。
「……言いたいことはそれだけか?じゃあ、俺が言いたいことを言わせてもらうぞ。まずはあれか?お前が死んだら皆幸せになれるってか?ええ?……ふざけんじゃねえぞ。俺、前にお前に言ったよな。お前は死神でもなんでもねえ、俺達と同じ人間だってよ」
……忘れるわけがない。その言葉は、私が救われた言葉だ。……でも、私が不幸を呼んでしまうことに変わりはなかったのだ。皆が幸せになれるのは、事実だろう。
「お前は死神じゃないから、悲しむやつがいるんだよ。お前が死ぬと、悲しむやつが。俺だって、お前に死んでほしくない」
「っ!……でも、私はそんな悲しんでくれる人すら不幸にしてしまう。晴人君だって、私のせいで不幸になってしまうかもしれないんだよ……?だから、私は……」
「俺は自分が不幸になるより、お前が死ぬ方が嫌だ。たとえ、どれだけ不幸を運んでくる人間だとしても、お前が死んで世界が救われるとしても、絶対に死なせない」
「な、なんで……」
なぜ、そこまで言えるのか。私には全く分からなかった。晴人君は少し下を向き深呼吸をしてから、私を真っ直ぐに見つめ、口を開いた。
「……お前が、大切な人だからだ。お前が……好きだからだ」
「……え?」
……一瞬、晴人君が何を言ったのか、理解できなかった。晴人君はそんな私に理解する間を与えないかのように、私に抱きついてくる。私は晴人君を拒もうとした。突き放そうとした。でも、できなかった。私の両腕が、徐々に晴人君の背中に回されていく。
「……私も、死にたくない……!」
「……ああ」
「私もまだ、生きていたい……!」
「ああ」
気づけば、私の目から涙が流れ出ていた。止まらない。この涙は、私がどれだけ止めようと思っても止まることはないだろう。私は晴人君の胸に顔を埋め、泣きながら訴える。
「生きていていいの……?私みたいな人が、生きてていいの……?」
「俺は、お前が生きていないと嫌だ。生きていてもらわないと困る」
「じゃあ……私も、晴人君を好きでいていい……?」
「ああ。もちろ……え?」
「……好き。私は、晴人君のことが好き。ずっと前から好き。ずっと、ずっと一緒にいたい」
「く、倉橋……」
「明って、呼んで……」
「……明」
「晴人君……」
……私と晴人君の顔が少しずつ近づいていく。そしてその距離はゼロになり、私と晴人君はキスをしていた。どちらからしたのかは分からない。だが、そんなことはどうでもいいことだ。数秒たった後、私と晴人君は唇を離し見つめ合う。
……生きたい。この感情が晴人君とキスをしたことによって、私の心の奥底から溢れ出てきた。どうすれば周りに不幸を呼ぶことなく、生きることができるだろうか。……私から妖達に運気を分け与えることができるなら――
「……おめでとうございます」
「っ!」
不意に、私の背後からパチパチと手を叩く音と、声が聞こえた。慌てて晴人君から離れて振り返ると、そこには人型の妖が立っていた。
「ど、どこから見て……」
「それはまあ……はい。少し前から、ですね」
……うわああああ!恥ずかしい!恥ずかしい!まさか、見られてたなんて!恥ずかしすぎる!
私は顔を真っ赤に染めて俯く。私は今の顔を誰にも見せたくない。本当に恥ずかし過ぎてどうにかなりそう……!
「……そこに妖がいるのか?」
私が真っ赤に染まっていた顔を直してから、晴人君が私に問いかけてきた。私は顔を上げて、晴人君の問に答える。
「う、うん。喋る人型の妖がね」
「……そうか。なら改めて言っておく。倉橋を、明を死なせるつもりはねえぞ」
「いえ。その件ならご安心ください。もう我々が彼女の運気をすべて奪う必要はなくなりましたので」
「え?ど、どういうことですか?」
妖の言葉を真に受ければ、私はもう死ななくていいということだ。一体何があって、急に死ななくて良くなったのだろう。私には、にわかには信じがたい言葉だった。
「本当に驚きました。まさか壁を壊すのではなく、壁に扉をつくってしまうとは……」
「えっと……つまり……」
「つまりあなたは、運気を任意で我々に分け与えることが可能になりました。あなたに寄ってくる我々に運気を分け与えてくだされば、もうあなたの周りでの不幸はなくなることでしょう」
「じゃあ……私はもう、皆を不幸にすることはないんですね……?私は、生きていていいんですね……?」
「……はい。……では、私はこのあたりで。またいずれお会いしましょう」
人型の妖はそう言うと、私と晴人君の前から姿を消した。私は人型の妖を見送ってから、晴人君の方に向き直る。
「……妖、なんて言ってたんだ?」
「……もう死ななくていいって。もう周りの人を不幸にすることもないって」
「……そうか。良かった……」
そう言って晴人君は、安堵のため息を吐いた。それと同時に、私のスカートのポケットに入っているスマホがブーッ、ブーッとマナーモード特有の音を鳴らした。私はスカートのポケットからスマホを取り出し、画面を見る。そこに書かれてあった名前は、私の数少ない友達の名前だった。私は通話ボタンを押して、電話に出る。
「……もしもし?」
『あー!!やっと繋がったー!!』
『明さん!!あなた大丈夫!?』
『明!!あんた今まで何してたのよ!?超心配したんだからね!?』
電話に出ると私の三人の友達が一斉に喋りかけてきた。どうやら向こうは部屋でスピーカーモードにして電話しているようだ。
「ご、ごめん……。でも、もう大丈夫だよ」
『……そこに一条君いるー?』
「……うん。いるよ。また、助けてもらちゃった」
『そう……。私達との約束、ちゃんと守ってくれたのね……』
『……詳しいことは後で聞くわ。その時は洗いざらい吐いてもらうからね。まずはちゃんと帰ってきなさい』
『先生にはごまかしといてあげるからさー』
『でも朝食までには帰ってくることね。ごまかしが効かなくなるから』
「うん。分かった。ありがとう皆」
『じゃあね。待ってるから』
そう言って私の友達は電話を切った。スマホをスカートのポケットに直し、また晴人君の方を向く。
「……な?悲しんでくれるやつ、いただろ?」
「……うん。そうだね」
今の私は、とてもいい笑顔をしているだろう。あんなに心配してくれるのが、とても嬉しかった。本当にいい友達を持ったものだ。私は本当に幸運な人間だと、改めて思う。
「っ!眩しっ!」
「あっ、日の出だね」
東から、太陽が昇ってくる。その太陽が、私と晴人君を明るく照らした。
「日の出ってことは……急がなきゃやべえかもな」
「あはは。そうだね。歩いてだと朝食までに帰れないかも」
「はあ……。仕方ない。走るぞ。明」
晴人君はそう言うと、私に手を差し伸べてきた。私を嵐山から連れ出してくれた、左手を。
「……うん!晴人君!」
私は差し出された晴人君の左手を右手で取り、太陽の明るい光に照らされながらこれ以上のない笑顔を浮かべて、友達が待つ宿に帰るため晴人君と一緒に嵐山の野宮神社から駆け出した。
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