恋だけがそれを知っている

羽田宇佐

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白と黒

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 かき氷みたいな雪山には、シロップのような甘さは欠片もなかった。結果だけ言えば、午前も午後も地獄で、地獄は今も継続中だ。
 筋肉痛とスキーをセットにしていはいけないということだけを学んだ私は、自動販売機をにらみ付けている。

「晶、怒んないでって。ジュース、好きなの選んでいいから」

 意図せず、お揃いのようになったパーカーを着た鈴が笑いを含んだ声で言う。

「いらない。自分で買う」

 財布からお金を取り出そうと視線を手元に落とすと、カチャリという音が聞こえてくる。

「もうお金入れた。選んで」
「鈴が買えば。私は後から買うから」

 ボタンを赤く染めて早く選べと催促してくる自動販売機を鈴に譲ろうとしたけれど、「奢るから」と付け足されて手首を持たれる。彼女に操り人形みたいに動かされた手が、赤いボタンの前をふらふらと彷徨う。

「晶が選ばないなら、私が選ぶよ?」

 そう言って、鈴が私の人差し指をぴんっと立てた。そして、おしるこのボタンを押そうとするから、思わずアイスティーを選ぶ。次の瞬間、ペットボトルがガランッと勢いよく出てきて、私はそれを取り出した。
 手にした冷えたペットボトルを鈴に押しつけようとしたけれど、思いとどまる。代わりに百円玉と十円玉を自動販売機に入れると、即座に返却レバーが下げられて硬貨が戻ってきてしまう。

「いらないから」

 鈴が短く言って、戻ってきた百円玉と十円玉を私に握らせる。結局、私たちはアイスティーを一本持って、自動販売機から離れた場所に置かれたソファーを陣取ることにした。

「ごめんね?」
「…………」

 空いたスペースを埋めるくたびれかけたソファーに座った私は、隣から聞こえてきた反省しているとは思えない軽い口調の言葉に無言を返す。ついでに、黙ったままペットボトルの蓋を空けて口を付けた。

「ちょっとからかったくらいで、そんなに怒らなくてもいいでしょ」
「怒るよ」

 時間をさかのぼること、三十分ほど前。前日以上にお風呂場で鈴にからかわれて機嫌を損ねた私は、彼女を置いて部屋を出た。そう、鈴を置いて。でも、置いてきたはずの鈴は、私の後を追いかけてきていて今に至る。

「じゃあ、面白い反応しなかったら良いのに」

 赤くなったり、慌てたり。そういう反応が面白いものに見えるなんて心外だ。彼女を楽しませようとしたわけでも、からかわれるためにしたわけでもない。そもそも、自分の意思でどうにかできるものでもない。

「無理」

 短く答えて、アイスティーをもう一口飲む。

「なんで?」
「……鈴のこと、好きだからでしょ」

 自動販売機の回りには何人か生徒がいて、私は彼女にだけ聞こえるように小さな声で伝える。すると、耳元で囁くように鈴が言った。

「私も晶のこと、好きだよ」

 鼓膜を揺らすその声が酷くくすぐったくて、体温が少し上がる。
 今も、彼女が私のことを好きだとは思えない。
 好きだと言ったから好きだと返されただけのことで、二人だけの約束が果たされた。ただそれだけのことだと思う。それでも、返される言葉に喜ぶ自分がいる。馬鹿みたいだと思うけれど、鈴から好きだと言われるのは心地が良かった。

「晶。それ、一口ちょうだい」

 近かった距離が少し離れて、催促するように手が伸ばされる。
 彼女が要求しているものは飲みかけのペットボトルで、頭の中に間接キスだなんて言葉が浮かぶ。おかげで、私はペットボトルを渡すことを躊躇う。

「晶?」
「あ、うん」

 たいしたことじゃないし、どうということもないことだ。
 ケーキを食べさせてもらったこともあるし、それと類似した行為だと思う。けれど、回し飲みをしたことはない。なんだか変に意識してしまって、私はペットボトルを持ったまま、固まる。
 気にするから気になるのだと、一度動きを止めた手を動かそうとするけれど、それは容易いことじゃなかった。

 不自然に強ばった私に向けて不審そうな視線を投げてくる鈴に、何か言わなければと考える。私は頭の中でふわふわと漂う言葉を捕まえようとしたけれど、突然、甲高い音が鳴り響いて固まっていた体がびくりと動く。
 それはスマートフォンの呼び出し音で、すぐ側から聞こえてきていた。私のスマートフォンは鞄の中に入れっぱなしで部屋に置いてきているから、音を鳴らしているのは鈴のものだとしか考えられない。

「鳴ってる」

 ソファーの上、スマートフォンを取り出そうともしない鈴に告げる。

「うん」
「出ないの?」
「うん」

 必要以上に短い答えに、嫌な予感がする。
 パーカーのポケットの中から聞こえてくる呼び出し音は、止まらない。鈴を呼び続ける。

「――先輩?」

 呟くように尋ねると、鈴が小さく頷いた。二人の関係を考えれば当たり前のことかもしれないけれど、鈴の電話番号を知っている先輩にも、スマートフォンを確認することもなく答えられる鈴にも胸がちくりと痛む。

「出れば?」
「出ない」
「気を遣ってるんだ?」

 鳴り続ける呼び出し音を聞きながら鈴を見ると、不機嫌そうに目が細められていた。指先は髪をくるくると巻いたり、ほどいたりしている。

「私だって気くらい遣う」
「出てもいいのに。話しにくいなら、先に戻ってる」
「出なくていいの」

 鈴が言い切って、それが合図だったかのように呼び出し音が途切れる。
 私は、手にしていたペットボトルからアイスティーを胃の中に流し込む。ソファーの斜め前、窓からは夜のゲレンデが見える。そこには、炭みたいに真っ黒な闇と照明に煌めく雪山が四角く切り取られていた。
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