『短篇小説』は硝子細工のように(短編集)

泗水 眞刀(シスイ マコト)

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第3話 白い道

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 わたしは沈んだ気持ちのまま、目の前の白い道を歩いてゆく。
 すると百メートルほど先に、幼稚園児くらいの少年が立っていた。
 近づくと少年は嬉しそうに微笑んだ。

「ボク、こんな所でなにをしてるの? どこから来たの?」
 そう訊くわたしに、少年は困ったような顔で答えた。

「わかんない」
「わかんないって、キミ迷子なの」
「多分そんなものかな」
 大人びた言葉で返す。

 大きな目をした、可愛らしい顔つきの少年である。
 三つ下の弟によく似ていた。

「そっか、困ったね。実はお姉さんもどこへいけばいいのか分かんないんだ、キミとおなじ迷子なの」
「大人なのに迷子? へんなの」
 笑っている。

「大人だって迷子になるんだよ、だってこんな道初めてなんだもん」
「ふーん。じゃ一緒だね、ボクたち」
「そうね」
 人見知りをしないこの子を見てると、逢ったばかりなのになんだかよく知っているように思えるから不思議だ。


「キミ名前はなんて言うの」
 少年は少し頭を捻りながら、満面の笑みを浮かべた。
「海斗、ボクは海斗だよ」
 言いながら、自慢げに胸を張る。

「へーえ、海斗くんか。いい名前だね、お姉さんも大好きだよ」
「へへへ」
 褒めると気恥ずかしそうに、それでもとても嬉しそうに笑顔を見せる。
 海斗っていうのは、わたしの好きなアニメの主人公の名前だった。
 もし息子が生まれたら、海斗にしようなんて考えていたくらいだった。

「じゃあ、お姉さんと一緒に行く? 一本道だもん、一緒に行くしかないけどね」
「いいの? ボク一緒に歩いていいの――」
 真剣な眼差しを向けられ、わたしは一瞬ドキリとした。

「当たり前じゃない、さあ一緒にいこ」
「やったー」
 海斗は心から嬉しそうに小躍りし、わたしの手を握った。

 その手が触れた刹那、身体の底から熱いなにかが湧き出てきたような気がした。
 わたしも、その小さな手を思いっきり握り返す。

 わたしたちは白い一本道を、並んで手を繋ぎながら歩いた。


「ねえ、海斗くんは幼稚園?」
「ううん、行ってみたいけど無理なんだ」
 悲しそうに首を横に振る。

「そっか、でもその分お母さんと遊べるじゃない。どんな遊びが好きなの」
 また海斗の眉が曇る。
「いいから、言ってごらんよ」
 もじもじしている海斗に、もう一度訊く。

「あのね、しりとりがしてみたい」
 上目遣いに答えた。
「しりとりかいいよ、じゃあお姉さんから言うね。でんしゃの
「や? ヤンバルクイナの
 意表を衝いた言葉が飛び出し、わたしは思わず笑いそうになる。

 先日テレビの動物番組で、ヤンバルクイナを見たばかりだったのだ。
 まさかこんな小さな子が、そんな名前を知ってるとは思いもしなかった。

「あっ、海斗くんもこの前のテレビ見てた?」
「うん、なんとなくそんな言葉が遠くから聞こえたの」
 そのまましりとり遊びを続けながら、わたしの頭の中にモヤモヤとした違和感が生じ始めていた。

 この子の答えはさっきから、すべてわたしが最近経験したこと、興味のある事ばかりなのである。


「ねえ、海斗くんのお母さんってどんな人」
 わたしは訊いてみた。

「すっごく優しいよ、綺麗で誰よりもボクを愛してくれるの。ボクもお母さんが大好きなんだ、いっぱい抱っこしてもらいたいな」
「抱っこしてもらったことないの」
 思わず訊き返す。
「まだね――」
「自分の子どもを抱かないなんて、酷いお母さんね」
 思わず感情が口にでてしまう。

「そうじゃないんだ、お母さんの悪口言わないで。まだボクが小さいから無理なんだ、でもいつも一緒にいてくれてる」
「綺麗って言ってたけど、お母さんって誰に似てるの。背は高い? 太ってる、痩せてる」
 矢継ぎ早に質問する。

「わかんないよ、まだ顔を見たことないから。でもさっきわかったよ、すごく可愛い顔をしてた。思った通り優しい顔だった」
「――――」
 わたしはもうなにも言葉を出せなくなっていた。


「ボクもう帰らなきゃ」
 突然海斗がぼそりと言った。

「帰るってどこに、ほかに道なんかないよ。お姉さんと一緒に行こう」
「ほんとはボク、まだ道を歩けないんだ。でも特別にここに来させてもらったの」
「誰に?」
「わかんないけど、きっといい人だよ」
「どこに帰るの?」
「知らないとこ、もうすぐボクはいなくなっちゃうんだ。だから最後に会ってみたいってお願いしたら、ここに連れてきてくれたの」
 わたしは心が震え出すのを感じていた。

「ねえ、またどこかで会える?」
「多分もう会えない、ボクからは会いに来れないんだ」
 悲しそうにわたしを見詰める海斗に、いままで経験したことのないなにかを感じた。

「いくつも道はあるんだって。でもいまのボクには道は繋がってない、歩き出す前に消えちゃうんだ」
「そんなことない、頑張ればきっとどうにかなるよ。またきっと会えるよ」
 わたしは海斗の身体をぎゅっと抱きしめていた。

「その道はね、お姉ちゃんが自分が決めるんだよ。ボクはなにも出来ない」
 海斗が泣きじゃくっているのがわかる。

「ねえ、最後にひとつだけお願いがあるんだ」
 小さな唇が、躊躇いながらそう囁く。
「なに、言ってみて」
 わたしは応える。

「一回だけ、お母さんって呼んでもいい」
「もちろん」
 そう言うわたしに、海斗がしがみつき胸に顔をうずめた。

「お母さん、ぎゅってして」
 力の限りわたしは小さな身体を抱きしめた。

 確かに腕にも、胸にも海斗の身体の感触があった。
 次の瞬間、そのすべては幻のように消え去っていた。

〝大好きだよ、お母さん〟

 頭の中に海斗の声が響き、目の前にはおなじ白い道が延びていた。

 わたしは心の中が空っぽになったようなとてつもない寂しさを感じ、そのまま倒れ込んでしまった。
 やがて意識が遠のき、眠りに落ちていた。



「結城さん、結城希美さん。三番へお入りください」
 遠くで自分の名前が呼ばれるのが聞こえた。
 夢うつつ状態で、自分がどこでなにをしているのかわからない。

「おい、呼ばれたぞ」
 身体を揺すられ、わたしは浅い眠りから目覚めた。
 どうやらうたた寝をしていたらしい。
 周りを見回すと、ここが病院であることがわかった。

「頑張って行ってこい、俺たちの将来のためだ」
 そう声を掛けているのは、同棲をしている晴彦だった。
 バイト先で知り合い、半年前からおなじ部屋で暮らしている。
 少々頼りないが、優しい男の子だった。

「結城希美さん、いらっしゃいませんか」
 今度はスピーカーではなく、実際の看護師の声がする。

「は、はい、います」
 わたしは手を上げ立ち上がった。

「結城希美さんですね、三番の診察室へお入りください。その後ですぐに処置に移ります」
 事務的な看護師の言葉に促され、わたしは歩を進める

「安心して、すぐに終わるわ。十五分くらいよ、緊張しないで危険はない」
 そっと看護師が声を掛けてくる。

 その日わたしは中絶手術を受けるために、病院へ来ていたのだった。
 お互いに二十歳のわたしと晴彦は話し合った結果、子どもを堕ろすことにしたのだ。

 振り返るとそこには、少し不安そうな顔で笑っている恋人の顔があった。
 目の前には③と書かれた扉へと続く通路。
 わたしが自分で決めた道だった。
「――――」
 わたしは無言のまま病室へと入った。



 七ヶ月後、わたしはおなじ病院のベッドの上にいた。

 窓際のベッドの横には両親の顔がある。
 そして反対側には優しく笑う、晴彦の顔があった。

 結局わたしは、あの日中絶をすることはなかった。
 その場で出産することを伝え、翌日には役所で妊娠手帳を発給してもらっていた。

 その決断により、晴彦とは別れる覚悟をしていた。
 しかし意に反して〝なら俺も覚悟を決める、結婚しよう〟そう言ってくれた。
 猛烈な就活の末、二月後には晴彦は正社員として働き出した。
 一度切迫流産の危機があったが、なんとか乗り切り今日の出産へと辿り着いた。


「お母さん、赤ちゃんですよ」
 看護師が小猿のようにしわくちゃな生き物を連れてきた。

 わたしはその顔を見てすぐに思った。
「ねえ、雄馬の顔に似てない」
「あらそうね、そういえば似てる」
 母が同意する。

 雄馬というのは、わたしの三つ下の弟だ。
 ここにも顔を出している。

「似てねえよ、俺こんなサル顔じゃねえし」
 照れたように否定する。

「やっと逢えたね、お母さんでちゅよ」
 赤ちゃんの顔が笑ったように見える。

「よかった、無事に生まれて本当によかった」
 わが子を見ながら、晴彦が泣いている。

〝やさしいお父さんでよかったね〟
 わたしは心の中で呟く。

「名前はなんにするかな、よかったら俺に決めさせてもらえんだろうか」
 晴彦のお義父さんが遠慮がちに言う。
 それを義母さんがたしなめている。

「海斗、この子の名前は絶対に海斗よ」
 わたしはそう宣言する。
 いくつもある道の中から、こうして出逢えた。


〝また逢えたね、海斗。ずっと逢いたかった〟
〝あなたの道はこれから始まるんだよ、頑張っていこうね〟

 わたしは倖せに包まれながら、横で笑っている赤ちゃんにそう伝えた。



                     おわり

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