21 / 25
第3話 白い道
3
しおりを挟むわたしは沈んだ気持ちのまま、目の前の白い道を歩いてゆく。
すると百メートルほど先に、幼稚園児くらいの少年が立っていた。
近づくと少年は嬉しそうに微笑んだ。
「ボク、こんな所でなにをしてるの? どこから来たの?」
そう訊くわたしに、少年は困ったような顔で答えた。
「わかんない」
「わかんないって、キミ迷子なの」
「多分そんなものかな」
大人びた言葉で返す。
大きな目をした、可愛らしい顔つきの少年である。
三つ下の弟によく似ていた。
「そっか、困ったね。実はお姉さんもどこへいけばいいのか分かんないんだ、キミとおなじ迷子なの」
「大人なのに迷子? へんなの」
笑っている。
「大人だって迷子になるんだよ、だってこんな道初めてなんだもん」
「ふーん。じゃ一緒だね、ボクたち」
「そうね」
人見知りをしないこの子を見てると、逢ったばかりなのになんだかよく知っているように思えるから不思議だ。
「キミ名前はなんて言うの」
少年は少し頭を捻りながら、満面の笑みを浮かべた。
「海斗、ボクは海斗だよ」
言いながら、自慢げに胸を張る。
「へーえ、海斗くんか。いい名前だね、お姉さんも大好きだよ」
「へへへ」
褒めると気恥ずかしそうに、それでもとても嬉しそうに笑顔を見せる。
海斗っていうのは、わたしの好きなアニメの主人公の名前だった。
もし息子が生まれたら、海斗にしようなんて考えていたくらいだった。
「じゃあ、お姉さんと一緒に行く? 一本道だもん、一緒に行くしかないけどね」
「いいの? ボク一緒に歩いていいの――」
真剣な眼差しを向けられ、わたしは一瞬ドキリとした。
「当たり前じゃない、さあ一緒にいこ」
「やったー」
海斗は心から嬉しそうに小躍りし、わたしの手を握った。
その手が触れた刹那、身体の底から熱いなにかが湧き出てきたような気がした。
わたしも、その小さな手を思いっきり握り返す。
わたしたちは白い一本道を、並んで手を繋ぎながら歩いた。
「ねえ、海斗くんは幼稚園?」
「ううん、行ってみたいけど無理なんだ」
悲しそうに首を横に振る。
「そっか、でもその分お母さんと遊べるじゃない。どんな遊びが好きなの」
また海斗の眉が曇る。
「いいから、言ってごらんよ」
もじもじしている海斗に、もう一度訊く。
「あのね、しりとりがしてみたい」
上目遣いに答えた。
「しりとりかいいよ、じゃあお姉さんから言うね。でんしゃのや」
「や? ヤンバルクイナのな」
意表を衝いた言葉が飛び出し、わたしは思わず笑いそうになる。
先日テレビの動物番組で、ヤンバルクイナを見たばかりだったのだ。
まさかこんな小さな子が、そんな名前を知ってるとは思いもしなかった。
「あっ、海斗くんもこの前のテレビ見てた?」
「うん、なんとなくそんな言葉が遠くから聞こえたの」
そのまましりとり遊びを続けながら、わたしの頭の中にモヤモヤとした違和感が生じ始めていた。
この子の答えはさっきから、すべてわたしが最近経験したこと、興味のある事ばかりなのである。
「ねえ、海斗くんのお母さんってどんな人」
わたしは訊いてみた。
「すっごく優しいよ、綺麗で誰よりもボクを愛してくれるの。ボクもお母さんが大好きなんだ、いっぱい抱っこしてもらいたいな」
「抱っこしてもらったことないの」
思わず訊き返す。
「まだね――」
「自分の子どもを抱かないなんて、酷いお母さんね」
思わず感情が口にでてしまう。
「そうじゃないんだ、お母さんの悪口言わないで。まだボクが小さいから無理なんだ、でもいつも一緒にいてくれてる」
「綺麗って言ってたけど、お母さんって誰に似てるの。背は高い? 太ってる、痩せてる」
矢継ぎ早に質問する。
「わかんないよ、まだ顔を見たことないから。でもさっきわかったよ、すごく可愛い顔をしてた。思った通り優しい顔だった」
「――――」
わたしはもうなにも言葉を出せなくなっていた。
「ボクもう帰らなきゃ」
突然海斗がぼそりと言った。
「帰るってどこに、ほかに道なんかないよ。お姉さんと一緒に行こう」
「ほんとはボク、まだ道を歩けないんだ。でも特別にここに来させてもらったの」
「誰に?」
「わかんないけど、きっといい人だよ」
「どこに帰るの?」
「知らないとこ、もうすぐボクはいなくなっちゃうんだ。だから最後に会ってみたいってお願いしたら、ここに連れてきてくれたの」
わたしは心が震え出すのを感じていた。
「ねえ、またどこかで会える?」
「多分もう会えない、ボクからは会いに来れないんだ」
悲しそうにわたしを見詰める海斗に、いままで経験したことのないなにかを感じた。
「いくつも道はあるんだって。でもいまのボクには道は繋がってない、歩き出す前に消えちゃうんだ」
「そんなことない、頑張ればきっとどうにかなるよ。またきっと会えるよ」
わたしは海斗の身体をぎゅっと抱きしめていた。
「その道はね、お姉ちゃんが自分が決めるんだよ。ボクはなにも出来ない」
海斗が泣きじゃくっているのがわかる。
「ねえ、最後にひとつだけお願いがあるんだ」
小さな唇が、躊躇いながらそう囁く。
「なに、言ってみて」
わたしは応える。
「一回だけ、お母さんって呼んでもいい」
「もちろん」
そう言うわたしに、海斗がしがみつき胸に顔をうずめた。
「お母さん、ぎゅってして」
力の限りわたしは小さな身体を抱きしめた。
確かに腕にも、胸にも海斗の身体の感触があった。
次の瞬間、そのすべては幻のように消え去っていた。
〝大好きだよ、お母さん〟
頭の中に海斗の声が響き、目の前にはおなじ白い道が延びていた。
わたしは心の中が空っぽになったようなとてつもない寂しさを感じ、そのまま倒れ込んでしまった。
やがて意識が遠のき、眠りに落ちていた。
「結城さん、結城希美さん。三番へお入りください」
遠くで自分の名前が呼ばれるのが聞こえた。
夢うつつ状態で、自分がどこでなにをしているのかわからない。
「おい、呼ばれたぞ」
身体を揺すられ、わたしは浅い眠りから目覚めた。
どうやらうたた寝をしていたらしい。
周りを見回すと、ここが病院であることがわかった。
「頑張って行ってこい、俺たちの将来のためだ」
そう声を掛けているのは、同棲をしている晴彦だった。
バイト先で知り合い、半年前からおなじ部屋で暮らしている。
少々頼りないが、優しい男の子だった。
「結城希美さん、いらっしゃいませんか」
今度はスピーカーではなく、実際の看護師の声がする。
「は、はい、います」
わたしは手を上げ立ち上がった。
「結城希美さんですね、三番の診察室へお入りください。その後ですぐに処置に移ります」
事務的な看護師の言葉に促され、わたしは歩を進める
。
「安心して、すぐに終わるわ。十五分くらいよ、緊張しないで危険はない」
そっと看護師が声を掛けてくる。
その日わたしは中絶手術を受けるために、病院へ来ていたのだった。
お互いに二十歳のわたしと晴彦は話し合った結果、子どもを堕ろすことにしたのだ。
振り返るとそこには、少し不安そうな顔で笑っている恋人の顔があった。
目の前には③と書かれた扉へと続く通路。
わたしが自分で決めた道だった。
「――――」
わたしは無言のまま病室へと入った。
七ヶ月後、わたしはおなじ病院のベッドの上にいた。
窓際のベッドの横には両親の顔がある。
そして反対側には優しく笑う、晴彦の顔があった。
結局わたしは、あの日中絶をすることはなかった。
その場で出産することを伝え、翌日には役所で妊娠手帳を発給してもらっていた。
その決断により、晴彦とは別れる覚悟をしていた。
しかし意に反して〝なら俺も覚悟を決める、結婚しよう〟そう言ってくれた。
猛烈な就活の末、二月後には晴彦は正社員として働き出した。
一度切迫流産の危機があったが、なんとか乗り切り今日の出産へと辿り着いた。
「お母さん、赤ちゃんですよ」
看護師が小猿のようにしわくちゃな生き物を連れてきた。
わたしはその顔を見てすぐに思った。
「ねえ、雄馬の顔に似てない」
「あらそうね、そういえば似てる」
母が同意する。
雄馬というのは、わたしの三つ下の弟だ。
ここにも顔を出している。
「似てねえよ、俺こんなサル顔じゃねえし」
照れたように否定する。
「やっと逢えたね、お母さんでちゅよ」
赤ちゃんの顔が笑ったように見える。
「よかった、無事に生まれて本当によかった」
わが子を見ながら、晴彦が泣いている。
〝やさしいお父さんでよかったね〟
わたしは心の中で呟く。
「名前はなんにするかな、よかったら俺に決めさせてもらえんだろうか」
晴彦のお義父さんが遠慮がちに言う。
それを義母さんがたしなめている。
「海斗、この子の名前は絶対に海斗よ」
わたしはそう宣言する。
いくつもある道の中から、こうして出逢えた。
〝また逢えたね、海斗。ずっと逢いたかった〟
〝あなたの道はこれから始まるんだよ、頑張っていこうね〟
わたしは倖せに包まれながら、横で笑っている赤ちゃんにそう伝えた。
おわり
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。
「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる