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序 章  業火転生變(一) 新免武蔵

3 詩篇天魔・異界転生 一(鹿賀・武蔵)『鹿賀・武蔵 転生』②

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 武蔵は石垣を必死に昇っていた、すでに三分の二あたりまで来ている。
 大小様々な岩や石が紙一重の距離で、自分の身体を掠めて行く。

 そんな危険な状態でありながら、彼の脳裏にはひとりの男の姿があった。
 その姿は神々しいまでに輝き、まさに剣の神の現姿のようだ。

〝あんときゃ済まなかったな、巌流の爺さんよ。あんたが強すぎたからいけねえんだぜ、まともに立ち合えば俺は斬られちまったもの〟
 彼は素直にそう謝った。

 彼は決められた時刻よりかなり早くから『舟島』へ到着していた、しかも門弟を伴ってである。
 事もあろうかその門弟たちに、落とし穴を掘らせた。

 やがて藩の立会人も到着し、その瞬間が始まるのを待っている。
 刻限通りにただのひとりで現れた巌流を武蔵は意味もなく罵り、言葉巧みに罠を仕掛けた位置にまで誘い込む。
 しかし巌流は、そんな武蔵の雑言に動じもしない。

〝あんたは実に見事だった、俺の挑発にも乗らず泰然自若としてただ立っていた。だけど俺の工夫はまんまとあんたの足を掬わせたんだ〟
 巌流は自慢の〝備前長船大般若長光〟を背には負わず、左手に鞘ごと持っていた。

 実に見事なまでの自然体だ、殺気さえ身体からは消えている。
 これぞ剣の極意だと、武蔵は息を呑む。

 身体を後退させた武蔵に対し、巌流が一歩を踏み出した。
 そこには砂を踏みしめる感触はなかった、すすっと足が滑る。
 落とし穴に嵌まりまではしなかったが、体勢は小さく崩れた。

〝俺はその瞬間のみに、持てる全神経を集中させていた。一撃で打てなければ、後はない。恐かったよ、正直言ってそれでも勝てるとは思えないくらいに恐かった〟

 しかし身体が勝手に動く、見事に跳躍し巌流との間合いを縮めた。
 武蔵は渾身の一撃を、足を取られよろけた巌流の脳天へ振り下ろす。
 櫂を削った、長く重たい木剣だ。

〝あの木剣を使いこなせるのは、この世に俺しかいなかっただろう。頭に喰らえば即座に頭蓋を叩き割れる、生涯で最高の一振りだった〟
 しかし紙一重で巌流はそれをよけた、しかし流れた木剣は彼の右肩を痛打する。
 鎖骨を粉々に砕いた手応えがあった。

 その衝撃に片膝立ちになった巌流が、呆然と立っている武蔵を睨んだ。
「その程度の男か、武蔵」
 巌流は嗤っていた、目には蔑みとも哀しみとも取れる光が浮かんでいた。

「なんとでも言え、あんたの負けだ」
 武蔵が呟く。

 次の瞬間隠れていた門弟たちが手はず通りに躍り込み、利き手の使えなくなった巌流を寄って集って打ち据え絶命させた。
 巌流・佐々木小次郎、いまの日の本にあって最高の剣士は鞘から刀を抜くこともなくこの世を去った。


 小倉城下はあり得るはずのない報に、色めき立った。
「巌流・佐々木小次郎、舟島にて新免武蔵に敗れ一命を落とす」

 誰がこの結果を予想し得ただろうか、それを内心期待していた者たちでさえ信じられない心地だったろう。
 敗れるはずのない者が敗れた、その衝撃は人々の間を駆け巡った。

「いったい武蔵という男の技量は、如何ほどまでに凄いのか。これで天下一の兵法家は、新免武蔵となった。あと倒すは将軍家指南、柳生新陰流のみ」
 事実を知らぬ者たちの口によって、武蔵勝利の噂は瞬く間に諸国へと喧伝された。

 されど将軍家のお家流たる柳生宗矩は、武蔵を一切無視した。
 彼はすでに一剣客ではなかった、公儀の大目付たる役職に就く幕閣を担う大名であったのだ。

 どこの馬の骨とも分からぬ乞食同然の牢人など、係わる意味さえありはしなかった。
 すでに剣一本でのし上がれる、戦国は終わっていた。

 荒々しい武芸を嗜むよりも、穏やかな文事政治に長けたものが出世をして行く時代になったのだ。
 剣の腕がいくら立とうが、それはもはや無用の長物であった。

 それが証拠に天下一の武芸者としての剣名こそ上がったものの、かれは未だに仕官することもなくこの歳になるまで諸国を漂っている。

「畜生、この歳になってもあの時のことが頭から離れねえ。こんな事なら尋常に立会い、斬られて死んどきゃよかった。いまさらながら後悔するとは、あん時きゃ思ってもいなかった。俺は剣に生きる人間として、最悪のことをしちまった。本当に悪いことをした、済まなかったな小次郎の爺さん」
 武蔵は心からそう懺悔していた。

 石垣の頂上が見え始めた。
 いまでは石を投げ下ろす百姓の、必死な表情までが確認できた。
 その中のひとりと目が合った。
 すすけた顔の百姓の唇が、奇妙な形に歪められ大きな岩が真上から転がり落ちるのが見て取れた。

〝いまがその時だ、死んでもっと強くなれ〟

 頭の中で声がした。

 柄にもなくしおらしい言葉を発した直後、武蔵は大きな衝撃を受け石垣から弾き飛ばされ宙に舞った。
 その時はすでに意識はなかった、大岩が彼を直撃したのだ。

 まともにそれを喰らった武蔵の顔面は、瞬時にして潰れていた。
 なにかを考える時間などない、一瞬の出来事である。

 戦国末期に生まれた、無頼の野生児はここにその波瀾万丈の生涯を終えた。
 岩に当たっての即死という、なんとも剣豪としてあり得ベからざる間抜けな死に様だった。

 宙を舞い大地に叩きつけられた武蔵に、その大岩がのしかかった。
 頭部を砕かれた上に、身体まで岩に押し潰された武蔵は、臓器を撒き散らした姿を衆目に晒してている。

 見るに堪えない有り様だった。
 みな駆け寄るどころか声さえ出せずに、その悲惨な姿を遠巻きに見るばかりだった。

 最強の名を求め続けた男は、ほかの雑兵同様に襤褸切れのように絶命した。

 その直後石垣を登り切り城内へと達した鍋島藩の兵が、石を落としている百姓たちを散々に斬り伏せてゆく。
 こうなれば寄せ手は勢いに乗り、次々と石垣に取り付き始め瞬く間に一揆方は劣勢となる。

 三月もの間籠城し続けた一揆勢には、その猛攻に対抗しうる戦力は残っていなかった。
 二月二十八日と決定された総攻撃だったが、軍令違反を敢えて侵した鍋島藩の組織だった抜け駆けにより一日早まった。
 それまで手を拱いていたとは言え十二万の大軍である、一度動き出せば堰を切った堤と同じで止めることは出来ない。
 一日前倒しで、総攻撃は敢行された。
 十二万もの幕府軍によって、三万七千人の一揆に加わったものは、一日にしてを除いて皆殺しにされた。

 このどさくさで武蔵の死など、見向きもされずに忘れ去られた。
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