賢妃様の今日もいい日

月雪美玲

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賢妃様の今日もいい日

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 夫であった先帝が身罷って三年。

 都の中心地から離れた郊外の一等地で小さな茶会が催されていた。
 愛らしい十月桜と茶梅の咲くそこは先帝の第三皇子である皇弟も別邸の一つだ。現在そこで暮らしているのは第三皇子の生母であり、先帝の賢妃であった女性だ。涼やかであるが優しげな美貌の持ち主であり、性格も温柔である四十路の人物である。

菫葉きんようお久しぶりね」

 本日の茶会の唯一の来客、先帝の淑妃であり、第七皇子の生母でもある賢妃の友人は笑顔で口を開いた。なお、菫葉、というのは賢妃の名である。

「そんなに久しぶりではないわよ。半月前に会ったじゃない」

「久しぶりよ。貴女、ろくにお友達がいないでしょう?私と会っていなかった期間、どうせ息子夫妻くらいにしか会ってなかったでしょうね」

 事実を言い当てられ、「はいはい、そうね」と賢妃は降参した。賢妃は性格こそ良いが、引っ込み思案であり、後宮に十数年居たにも関わらず、友人は片手で数えるほどしかいない。友人たちもそれぞれの暮らしがあるので、賢妃は(使用人を除けば)いつも一人だ。

 女官が菊花茶と麻蓉包を運んできたので、お喋りは飲み食いをしながらになった。淑妃は菊花茶を飲み干すと、ふぅ、と一息つき、ぽつりと呟いた。

「朝廷は荒れていると聞くけれど、ここは平和ねぇ」

「当然でしょう。私達は権力争いから距離を置いてきたもの。正確には息子達が政治との関わりが薄いから平和に暮らせるのよ。私は息子に野心がなかったおかげ、貴女は第七皇子殿下に野心と健康な身体がなかったお陰よ」

 第七皇子は病弱である。そのため、幼少の頃から皇位につく見込みがなかった。

「私は昔こそ…、息子を妊娠している時は少し野心を持ってしまったわ。中立派出身の皇子はあなたの子だけだったから。貴女には野心がなかったし、この子が男ならば鳳冠は私のものかもしれないって。まぁ、皇后の座は魅力的だったけど、重荷すぎるわ。そういえば貴女も第三皇子殿下も野心を抱いたことはなかったわね」

 賢妃も息子も鳳冠皇后の座にも玉座にも興味を持たなかった。
…否、賢妃は息子に『玉座に興味を持たせない』ように仕向けたのだ。息子が自分の望む未来を作ってくれるように。



 賢妃が入宮したのは今から二十年近く前、十九の時だ。当時、後宮は皇貴妃派と恵妃派が激しく争っていた。気弱な皇帝、─今は亡き先帝は頼りない人物であり、二人の妃を諌めることができなかった。当時、皇貴妃は病で体調が優れず、恵妃も懐妊中であった故に、普段より二人の妃はおとなしかった。皇帝はこれ以上争いの規模を大きくしないよう、空位の妃の座を中立派出身の令嬢で埋め尽くすことに決めたのだ。
 賢妃もその一人であり、それを聞いたのは兄の口からだった。

「ごめんな、菫葉」

 そう、本を読んでいるときに囁かれた。

「何のお話でしょう、兄様?」

「主上からの勅命だ。我が家から妃を出せ、と。私たち兄弟には他に女性がいないから、君が嫁ぐことに…。すまない…」

 兄は涙をうっすら浮かべて謝り続けた。そんな兄の背中を撫でる賢妃は困惑していた。

(私が、天子様に嫁ぐの…?)

 賢妃はまさか自分が妃になるとは思っていなかった。幼少期から本好きな内気な子供で、未婚で生涯を終えるかものだと思っていた。家族はそんな自分を尊重し、祖父は異国の書物を大量に買い与えてくれたし、両親は勉学のために高名な教師をつけてくれた。そして、そのまま家族達と共に平穏にこの家で生きて行くのだと思っていた。

 平穏を望んだ賢妃だが、その願いは最初、届かなかった。各派閥の筆頭である二人の妃が動けなかったため、菫葉は少し先に嫁いできた淑妃と共に、皇帝に頻繁に通われるようになったのだ。ただ、中立派の妃というだけで。

 それだけでなかった。程なくして、賢妃は身籠ってしまったのだ。もし、普通の男に嫁いだならばそんなことを考えもしなかっただろうに、菫葉は子供が女の子であるよう祈った。皇貴妃や恵妃がいつ調子を取り戻そうと、男ならば賢妃と子供に身の危険が及ぶ。女であれば皇位を継ぐことがないため、狙われることはほぼない。

 しかし、生まれていたのは、中立派出身の皇子を世継ぎにしたい皇帝にとっては喜ばしいことに。平穏を望む賢妃にとっては喜ばしくないことに。

『元気な男の子』

 であった。それもとんでもなく愛らしい子であった。賢妃は男だったから、と失望することはなかった。

(私が、この子と自分を守り抜かねばいけないのだわ…。そして、昔望んだように平穏な暮らしができるようにこの子を育てなくては…)

 息子を産んだその日から、賢妃は宮に引きこもった。皇帝の訪は「気分が悪いから」、と拒否した。そして、自分の使用人以外を宮に出入りさせないようになった。息子を危険から守るためだ。

 幸いだったのが、息子が素直な子であったことだ。皇位を継ぐ必要がない、と賢妃が言えば自分が興味を示した道に勝手に進んでいった。そして、養育係は皇帝でなく、賢妃が自身で決めた。息子に皇位に着くことをそそのかす者を近づけぬため。
 また、皇帝の苦労を度々教えた。それにより、息子は完全に皇位を避けるようになった。

 そして、道楽皇子として育ち、下級貴族の娘を正室にした息子が帝位を継ぐ道は完全になくなった。中立派出身の息子を皇帝にしよう、と考える皇帝の野望も完全に潰えた。


 息子は、本人は知らないだろうが賢妃の野望通りに動いてくれたのだ。おかげで、賢妃は今、幼いころから望んだ普通の平穏を手に入れることができたのだ。


「で、菫葉。どうして二人はそうだったの?」

「そうね…」

 ただ、『私』が平穏を望んだから。
賢妃は今日を「いい日」だと思って過ごせているのだ。
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