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ぼんやりと考えていた

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 そういえば、ここはどこなんだろう? そんなことを思いながらぼんやりと天井を眺めている。
 本来なら寝ている暇などない。勉強をしなければならないのだから。
 勉強だけではない。実習だってあるしバイトだって手伝いだってある。やらなければならないことだらけだ。
 それなのに俺は、どこだか知らない場所で寝転がっている。それだけじゃなく、認めたくはないが、なんか身体が縮んでいる。
 俺の身に、いったい何が起こっているというのだろう。
 ただの夢なのでは、と何度も頬を抓るけれど、ただただ痛いだけだし己の手の小ささを実感して少し怖くなるだけだった。
 俺の手がこんなに小さいわけがない。二十歳目前の男の手がこんなに小さくていいわけがない。調理師を目指す男の手がこんなに綺麗なわけが……器用な奴なら綺麗な手のまま調理師になれるか。多分。知らんけど。

 ……俺はあんまり器用やないからな。

 脳内でぽつりと零す。
 そもそも調理師を目指そうと思った小さなキッカケは、中学生の時、友人から「簡単なレシピ」といって教えてもらったグラタンを盛大に失敗したこと。
 そしてその後、失敗したと言った瞬間アイツは「あの簡単なレシピでどうやって失敗するの?」と言ってのけたのだ。あの瞬間のアイツの人をなんとなーく小ばかにしたような顔とその言葉が妙に引っかかったのがキッカケだ。俺は悔しかったのだ。
 それから中学を卒業し、農業高校に進学した後一年制の専門学校に入学、そのまま調理師になるつもりが尊敬する先生に管理栄養士の資格があったほうが将来安定すると言われて大学に行くための勉強をしていた。
 その間カフェでバイトをしたり先生の知り合いの店で手伝いをしながら調理技術を教えてもらったりしていたので、中学時代からは比べ物にならないほど色んなものが作れるようになった。
 とはいえ、何故だかまだグラタンだけは上手く作れないのだけど。
 作れるには作れるけど、なんか美味しくない。アイツに作ってもらったグラタンはあんなに美味しかったのに、同じレシピで作ったはずのものが、なんか美味しくない。腹立たしい。
 中学卒業後、連絡を取ることすらしなくなり、今では何故だか顔も名前もはっきりと思い出せなくなった奴なのに、腹立たしさだけは消えない。

 そんな時、部屋の外から物音が聞こえた。
 その音に続くように「おかえりなさい」という声も聞こえたので、さっきの物音は玄関が開く音だったのかもしれない。
 静かに耳を澄ましていると、いくつか声が聞こえてくる。
 男性の声、女性の声、子どもの声……人数は大体四人くらいか?
 女性の声と子どもの声には聞き覚えがある。子どものほうは俺を拾ってくれた子で、女性のほうはその母親だ。
 ということは、男性は父親か。あともう一人いる気がするけれど。

「それで? テオが、子どもを?」

「そうなんだ。弟として迎え入れてもいいでしょ?」

 俺を助けてくれた子どもの名はテオというらしい。
 しかしそんなに平然と俺を迎え入れていいのか。海に漂着していた得体の知れない子ども(仮)だというのに。それどころかそもそもこの家確実に貧乏やんけ。知らんけど。

「うーん」

 父親と思われる男性も渋っているようだ。まぁ当然だろう。食い扶持を増やせるような家でもなさそうだし。
 もしもこの子どもの身体のまま外に放り出されたらどうしよう、と思っていると、男性の「どう思う?」という声が聞こえる。
 そしてその声に応えたのは女性、推定母親だった。

「その……あの子、髪と瞳の色が」

「髪は真っ赤だよ! あとね、瞳の色は伝説の聖女様みたいな色をしてたと思う!」

 なんて? 誰だって?

「テオは伝説の聖女様の絵本が好きだからな……」

「嘘じゃないよ?」

「まぁ、父さんが自分の目で確認しよう」

 そんな声が聞こえたと思ったら、ドアががちゃりと開く音がした。
 そして俺を助けてくれた少年、推定テオとその両親、さらにもう一人の男性が雪崩れ込んでくる。
 父親と謎の男性は、俺の容姿を見て絶句している。
 俺の髪の色と瞳の色がなんか知らんがヤバいらしい。どれだけヤバいかは分からない。なぜなら鏡がないから。

「君は、どこから来たのかな?」

 と、テオの父親が言う。
 するとテオがすかさず俺と父親の間に入る。

「この子ね、お話出来ないみたい」

 テオの言葉に、テオの父親は俺、テオ、テオの母親の順に顔を見回す。

「言葉が出ないみたいなんです。言ってることはなんとなく理解してるみたいだけれど」

「言葉は僕が教えてあげるんだ!」

 テオは張り切っているが、俺としてはいやいやこの家にもう一人食い扶持を増やすなんて無理だろうという気持ちが大きい。

「分かった。言葉はテオに任せよう」

 なんでやねん。
 脳内でそっとツッコミを入れている間に話はとんとん拍子で進んでいき、結局俺はこの家で育てられることになったのだった。


 ・・・・・・


 それからおそらく数ヵ月。俺はなんとか言葉を習得した。そして色々と発見をした。
 この家があるのは島の片隅であること。海、山、川、湖、沼などの自然に囲まれた、なんとも長閑でいい場所だった。
 それとこの家族、ただの貧乏一家ではなく貧乏貴族だった。
 日本生まれ日本育ちの俺には貴族というものがよく分からない。分からないのだが、そんなに貧乏になるものなのか? と思わずにはいられないレベルの貧乏だった。
 ただテオの両親の人柄がいいためか領民たちがあれこれ協力してくれてなんとかやっていけているらしい。
 まだまだ他にもいろいろとあるのだが結構な大発見だったのは、俺がここで初めて食わされた無味無臭のアレの正体がマジで玄米だったことだ。
 何をどうやったらあんな意味不明の茶色いどろっとした物体になるのかが気になってテオの母親に聞いてみたところ「米を粉々にして煮る」とだけ教えてくれた。そうはならんやろ。
 あれを食った時点でなんとなく理解したけれど、この家に料理が出来る人間はいない。
 というかろくな食材もないし、ろくなレシピもないような気がする。

「ロベルトどこに行くの?」

 そうそう、名前のなかった俺にテオが名前を付けてくれたのだ。その名もロベルト。ちょっと前までは赤松和朋という名だったはずなのに突然のロベルトである。掠りもしてへん。

「魚釣り」

 俺がそう答えると、テオは怪訝そうな顔をする。なぜならテオは魚が嫌いらしい。

「子どもだけで魚釣りは危ないよ。せめてバートランド兄さんがいるときじゃないと」

 ……まぁ、言われてみればこの小さな体で万が一デカい魚を釣り上げてしまったら、力負けしてしまうかもしれない。
 食材がないなら集めに行けばいいと思ったのだけど。
 ちなみにバートランド兄さんとは、テオの父親との初対面時にいた謎の男性である。
 彼も俺と同じようにテオに拾われたらしい。そしてその時も俺の時と同じように「兄さんがほしかった」と言っていたそうだ。
 しかし一つだけ俺と決定的に違うところがある。彼は俺と違って働いている。
 俺もただのごく潰しになりたくはないので一緒に働かせてほしいと申し出たのだが、子どもは働かなくていいと言われてしまった。
 その代わり勉強をしなさい、とも。
 だから今の俺の仕事はテオに言葉を教わること。それともう一つ、バートランド兄さんに魔法の使い方を教わること。
 そう、なんとこの世界、魔法がある。日本でもなければ地球でもないのだ。信じられないことに。
 俺は魔法なんか知らないし使えないだろうと思っていたのだが、案外そうでもなかった。
 原理や理屈は分からないけれど、普通に使えたのだ。
 魔法が使える人間は減少傾向にあるらしく、きちんと使えればどこかで役に立つかもしれないということであれこれ練習させられている。
 現時点では炎の魔法が得意だと判明したところで、指先にライター程度の火を灯してみたりその辺のゴミを燃やしてみたり、火力調整は息をするように出来ていた。

「ロベルト? 魚釣りに行くのになんで籠なんか持ってるの?」

「魚釣りは諦めて山に遊びに行く」

「やった! 山なら大丈夫だ」

「やった、て。魚食べんでええのが嬉しいんとちゃう?」

 俺がそう言うと、テオはあからさまに俺から目を逸らした。
 そして小さな声でぽそりと呟く。

「ロベルト、なんか変に訛ってるけど僕の教え方が悪かったのかな……」

 と。
 なんで訛ってるのかは俺にも分からないが、体の奥底にまで染みついた関西弁が滲み出てしまっているのかもしれない。知らんけど。




 
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