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突然重大発表をしたサリー

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「竜の巣?」

「谷です。竜の谷」

 私はキッチンでお茶を淹れながら、彼はテーブルでそれを待ちながら会話を続けている。

「谷。で、その竜の谷とやらは、危険なんですか?」

 私がそう尋ねると、彼は竜についての説明を始めた。
 どうやら私が知らないだけで、この世界には本当に竜が居るらしい。架空の生き物でなく。竜なんて見たことないなと零せば、今のところ確認されている竜は五匹しかいないので見たことないほうが当たり前とのことだった。

「この国に居るのは火竜です」

「強そう」

 この世界は五大王国と呼ばれる大国が五つ存在していて、この国はその中の一つである。
 そしてその五つの大国にはそれぞれ、火、水、地、雷、氷を司る竜が住んでいる。
 我が国に住んでいるという火竜は隣国との国境付近にある谷に住んでいて、そこが竜の谷と呼ばれている、らしい。
 その谷の近くには魔物と人間との間に生まれたという魔族が住んでいて、その辺り一帯は我が国と隣国と魔族との三竦み状態で危険ではあるものの均衡を保っている……んだとか。

「その話、全然知らなかったんですが私が無知なだけですか?」

「いえ、ここは谷から遠いのでよほど大きな動きさえなければこの話は回ってこないでしょう」

 なるほどな。

「あ、お茶どうぞ」

「ありがとうございます」

「要するに、その竜の谷とやらはとても危険な場所なんですね」

 私がそう言うと、彼はこくりと頷いた。
 いつ戦争が起きてもおかしくない場所であり、しかもヤバそうな魔族だとか竜だとかが居るのだから、そりゃあ危険だろう。
 神の使いと話せるからという理由で私のような一般人が連れていかれたら瞬殺されるやつだ。きっと。

「竜の谷に送られて帰ってきたものはいないと聞いています」

 瞬殺されたやつじゃん。きっと。

「神の使いと話せるからって、なぜそんなところに送られてしまうんですか?」

「竜が神の使いだからです」

「ってことは私はそこに行ったら竜と会話できるんですか!?」

 行きたくはないが、会話が出来ると考えると少しだけテンションが上がってしまった。

「……出来ると思います」

 そう答えた彼は、浮かない顔をしていた。どうやらテンションを上げている場合ではなかったようだ。

「俺の母は、神の使いと話せる人でした。それが王宮のものに知られて竜の谷に連れていかれ、そのまま帰ってくることはありませんでした」

 ガチでテンション上げてる場合じゃなかった。申し訳ねぇ。

「そう、だったんですね」

 申し訳なくなりながら相槌を打っていた時のこと。私は見逃さなかった。キジトラ猫のモニカが彼の膝の上に飛び乗ったことを。
 今その人すげぇ深刻そうな話をしているんだけどなぁと思いつつ、話の腰を折るのも気が引けるので見なかったことにする。
 しばらくすると彼の膝の上からゴロゴロと猫の喉が鳴る音が聞こえ始めた。一応聞こえなかったことにする。

「母の子なのだから俺も神の使いの声が聞けるのではないかと疑われ、王宮の騎士団に入れられたんです。まだ子どもだった俺から母親を奪った罪滅ぼしだの体格と剣の腕を見込んでだのと言われていましたが、今考えてみれば監視するためだった」

 なかなかにヘビーな話である。
 小さな子どもを抱えた母であろうと神の使いの声が聞けるものは竜の谷へ連れていかれるし、たとえ幼かろうとその女が産んだ子であれば遺伝しているかもしれないという理由で監視されるという話なのだから。

「じゃああなたは騎士団の方なんですね」

「いえ、今はもう」

 違うんだ。

「俺は結界を掻い潜って侵入してきた魔物を倒していたらいつの間にか上司よりも戦果をあげてしまい全身に嫉妬を浴びながら、一応この国の英雄になりました」

「へぇ」

「それで王宮勤めになったものの姫君たちにこの顔が怖いと怯えられて出戻りを命じられました」

「えぇ?」

「しかし嫉妬に狂った上司がいるところに戻ったところで俺の居場所があるわけもなく、すでに神の使いの声が聞けないことも確定していたので監視の必要もないし、と、退団することになりました」

「いや可哀想が過ぎない?」

 変な女の嫉妬で店を追い出された私が一番悲劇のヒロインだわとか思ってたけど私の上を行ってるね、この人。
 悪いことをした記憶はないんですけど、と苦笑しているが、聞いた限りでは悪いことをしたとかしないとかでなく周囲の人間にぶんぶん振り回されただけである。いや可哀想。
 もはやなんと声をかけていいのかも分からないくらい可哀想。
 しかし黙り続けるのもそれはそれで気まずいので何か話題はないだろうかと思っていたところで、彼の膝の上に居たモニカと目が合った。

『いい人です!』

「……うん。そうだね」

 頭上でとてもヘビーな話が語られているのだが、彼女にそんなことは関係なかったようだ。
 そして大きな手で撫でられるのがよほど気持ちよかったのだろう。満足そうに目を細めている。

「なんと?」

「いい人です、って言ってます」

 モニカの言葉をそのまま告げると、彼はふわりと嬉しそうに微笑む。

「聞き苦しい話を長々としてしまってすみません」

「いえいえお気になさらず。しかし全体的に穏やかな口調で話してましたが、あなたは怒ってないんですか?」

「何に対してですか?」

「うーん、まずは王宮? お母さんを連れていかれて監視までされて」

 そう言うと、彼は少しだけ笑った。

「騎士団に入った当初は確かに腹を立てていました。でも今はもう気にしていません。嫉妬に狂った上司に対しては多少イラついていましたが、結局のところ騎士団に戻らなくていいのなら別にどうでもいいとさえ思っています」

 目元は険しいけど、心はどちらかというと穏やかな人なのでは?

「まぁ面倒なところと縁が切れたと思えば……結果良ければすべて良し的な感じ……なんですかね?」

「そんなところです。……いや、今は俺のことなんかよりもあなたのことです」

「私?」

「ですから、この猫たちと会話が出来ることが誰かに知られたら竜の谷に強制連行されるんです」

「そっか。そうですよね。そうだった。あの……内緒にしててもらえますか?」

「もちろんです!」

 彼は力強く頷いてくれた。

「よかったー。ところで、自己紹介がまだでしたよね。私、イリスです。イリス・フェルディーン。元は雑貨屋ルーチェの副社長兼デザイナーでした」

 彼が私の自己紹介を聞いたところで、何かに気付いたように「ああ」と零す。
 ルーチェの名を聞いたことがあったのだろう。

「あの不思議で便利な雑貨がたくさんある雑貨屋ですね。副社長だったのに、辞めてしまったんですか?」

「まぁ、はい。クビです。社長が結婚するとかで、相手の女が私がそこで働いてるのが気に入らないみたいなこと言い出して追い出されて」

「そんなおかしな理由で、クビに……?」

 よかったーおかしいと思ったの私だけじゃなくて。

「クビに。まぁその女、貴族の令嬢らしくて庶民の私が反論するわけにもいかなかったのでおとなしく辞めてここに来ました」

「……あなたも、他人に振り回されたんですね。似てますね、俺たち」

「……あはは」

 あなたほどではないです。

「俺はステファン・フレドホルム。さっきも言った通り先日まで騎士団に居ました。今は元同僚の友人が経営している宿に身を置いて家と職を探しているところです」

「最近無職になったあたりも似てますね」

 そう言ってへらりと笑って見せれば、彼も軽く笑う。

「イリスさんは、ここで新しいことを始めるんですよね?」

「一応そのつもりです。ただ、何をするか決める前に猫ちゃんの居場所が決まってしまったのでどうしたもんかと悩んでて……」

 呟くようにそう言っていてふと思ったが、猫を膝の上に乗せてお茶を飲む人間という構図を、私は前世で見たことがある。

「確かに、立派なタワーもありますし、猫たちも気持ちよさそうに寛いでいますね」

「そうなんですよねぇ。あ、そうだステファンさん、あ、ステファンさんって呼んでも大丈夫ですか?」

「どうぞ。俺も勝手にイリスさんと呼びましたが、大丈夫でしたか?」

「問題ありませんよ。それでステファンさん、猫ちゃんにおやつあげてみませんか?」

「おやつ?」

「ちょっと待っててくださいね」

 私はキッチンに向かい、簡単な調理を始めた。
 私が調理をしている間、ステファンさんがモニカに「猫もお菓子を食べるのかな?」と問いかけているし、モニカも『食べません!』と律儀に答えている。彼には聞こえていないけれど。
 そんなやりとりを微笑ましく眺めながら、おやつの準備を進める。
 といっても鶏ささみを茹でるだけなのだが。
 茹でた鶏ささみを冷まして、ステファンさんのもとへと持っていく。

「これが猫ちゃんのおやつです」

「……肉ですか?」

「はい。茹でた鶏肉です。小さく裂いて皆にあげてみてください」

 私がそう言っている間に、ステファンさんの膝の上に居たモニカが目を輝かせているし、キャットタワーに居たサリーもボニーも彼の足元までせまってきていた。匂いか気配につられてやってきたようだ。

「お、おぉ!」

 最初の一つをモニカに食べさせたところで、サリーもボニーも彼の膝の上に乗っていた。

『おいしいです!』

『私にもください』

『モニカだけずるいです』

 彼には聞こえていないだろうけど、今めちゃくちゃ騒がしい。

「順番、順番にあげるから」

 猫にもみくちゃにされる怖い顔の大男……。

「ふふ」

「イリスさん、笑ってないで助けて」

「大丈夫大丈夫。可愛いでしょ?」

「可愛いですが!」

 そうだ。私はこの光景を前世で見たことがある。
 猫を膝にのせてお茶を飲んだり、猫におやつをあげたり、猫に癒される。

「私、ここで猫カフェを開こうかな」

 そう呟くと、ステファンさんと三匹の猫が揃えたように首を傾げる。

「猫を眺めながらお茶やお菓子を楽しんだり、猫におやつをあげたり出来るカフェです」

 私の言葉を聞いたサリーが、ふと口を開く。

『私たちにもお仕事があるのですか?』

「うん。皆も従業員になるんだけど、嫌かな?」

『嫌じゃないです!』

 三匹とも、お仕事お仕事! と楽しそうにしているので皆賛成なのだろう。

「……俺は心配です」

 予想外の場所から反対意見が飛んできた。

「イリスさんと猫たちが人目に触れるとなると、あなたが神の使いの声を聞ける人であるということが露見してしまうのでは?」

「うーん」

 確かに一理あるけれども。

「ただ、猫カフェは楽しそうだと思います」

「ですよねぇ」

「可愛いですし」

 ステファンさんは笑いながら猫たちに鶏ささみを提供している。
 そんなステファンさんを見ながら、黒猫のボニーがにゅ、と背筋を伸ばして言った。

『この人に協力してもらいましょう!』

 と。

「どういうこと?」

『この人も一緒にお仕事をすればいいのです。イリスさんが一人で私たちに話しかけると怪しいですが、人が一人いれば人同士が話しているだけですからサリーそれは私のおやつです!』

 しゃべってる間におやつを横取りされたようだ。
 しかしボニーの言う通りではないだろうか。
 私が一人でしゃべっていると怪しいが、誰かが居れば多少怪しくとも誤魔化せる。
 ただ色んな人に私が神の使いと話すことが出来ると教えるわけにはいかない。
 これはステファンさんを巻き込むしかないのでは?

「あの、ステファンさん」

「はい」

「ここで一緒に働いてもらえませんか?」

 私は今ボニーが言ったこととそれを聞いて自分が考えたことを彼に説明する。

「た、確かに誤魔化せるでしょうが」

「ステファンさんが嫌なら諦めますが」

「嫌ではないです。嫌ではないのですが、俺でいいのでしょうか?」

「どういう意味ですか?」

「俺はこの顔ですし、客商売は向いてないと思うのですが」

 そうだった姫君に顔が怖いっつってクビにされた人だった。

「いや、確かにこう、目元は厳ついしちょっと怖い印象を与えがちみたいですが、猫たちはいい人だって言ってるし大丈夫、じゃないですか?」

「大丈夫、なんでしょうか……」

 この男、自信を完全に喪失している。
 どう説得するべきかと考えていると、サリーがおずおずと口を開いた。

『あの、イリスさん』

「ん?」

『お仕事は今すぐ始めるのですか?』

「なんで?」

『私たち、もうすぐ子どもが生まれるので、生まれてからでもいいですか?』

 私は一瞬返す言葉を失った。
 いや、初めて見たときからなんとなく思っていたのだ。この猫たち顔面に比べて体がデカくないか、と。
 でも私は猫の世話をするのが初めてであり猫について詳しく知らなかった。
 こんなもんなのかなとも思っていた。
 でも、全然こんなもんじゃなく、単に皆妊婦だったのだ。
 もうすぐ生まれるということは、ここに来る前から妊婦だったのだろう。
 妊婦なのに山を二つも越えてきたのかと思うともっといたわってあげなければと思う。
 ただ。ただ一つだけ言わせてほしい。

「それ、早く言って!?」




 
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