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月白を撥ね退けたステファンさん

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 月白がこの店にやってきてから数日後、勇者選出の件が新聞に載っていた。
 勇者なんて全然ピンと来ていなかったけれど、こうして新聞に載ったりすると月白が言っていた話は嘘じゃなかったんだなぁとしみじみ思う。

 選出された勇者とやらはまず旅の道具を揃えて竜の谷に向かい、そこから魔族の国へと進むらしい。
 そして、その旅の道具をそろえる店がルーチェに決まったそうだ。
 ま、私には関係ないけど。
 さらに勇者のお供に三人の英雄のうち一人が選出されるらしいってことも書いてあるけれど、ステファンさんは水面下でクビにされているので月白か紅緋のどちらかが選ばれるのだろう。
 ま、ステファンさんにも関係ないでしょ。

「にゃーーん」

 朝ごはんを食べ終えたらしいダイダイが、私の元へと駆け寄ってくる。
 私は軽い朝ごはんを食べた後、ソファで新聞を読んでいたわけだが、ダイダイは私の手元の新聞に構うことなく膝の上に飛び乗ってきた。
 そしてゴロゴロと喉を鳴らしながら、両前足で私の太ももをもみもみし始める。
 スーパー甘えん坊タイムが始まったのだ。
 一心不乱にもみもみしているダイダイちゃんの頭や背中をゆっくりとなでる。

「ンー」

 至福の時である。
 そんな至福の時を過ごしていると、ステファンさんが出勤してきた。

「おはようございます」

「おはようございます、ステファンさん。新聞読んだ?」

「あぁ、読んだ。勇者の件、本当だったんだなぁ」

 ステファンさんもあんまり信じていなかったらしい。
 さてはあの月白という男、信用がないな?
 と、内心月白に対して小さな嘲笑を零していると、ステファンさんの視線がダイダイのほうへと向いた。

「甘えてるのか……」

「うん。さっきからずっと揉まれてる」

 私がそう答えると、ステファンさんはしばしダイダイをぼんやりと見てため息を零す。

「羨ましい」

「羨ましい?」

「……俺も、たまには揉まれてみたいなと」

 そう呟いたステファンさんの視線が、今度は窓のほうへと向いた。
 その視線を追いかけて窓のほうを見ると、そこにはすでにカーテンによじ登ってスタンバイしているアイやアオたちが居た。
 ……まぁ、ステファンさんは遊んでくれる人として認識されてるから、甘えられることはほとんどないもんね。
 始まってしまったカーテン昇降運動を見ながら、私は渇いた笑いを零したのだった。

『揉みたいのかと思ったら揉まれたいほうでしたか』

「ぷふっ」

 モニカがするりとやってきてとんでもないことを言うものだから、私は噴き出してしまった。

「イリスさん?」

 きょとんとしたステファンさんがこちらを見ながら首を傾げている。
 そりゃそうだモニカの声が聞こえないステファンさんにしてみれば私が突然噴き出したように見えるわけだから。

「そうだステファンさん、今夜の夕飯は何が食べたい?」

 都合が悪い時は話を逸らすのが一番だ。

「俺が決めてもいいの?」

「食べたいものがあるのなら」

 食べたいものがないのなら今日は買い出しには行かずあるもので適当に作るのだが。

「じゃあ、またあのハンバーグシチューが食べたい」

「わかった」

 ハンバーグシチューの材料なら揃ってるから結局買い出しには行かなくて良さそうだ。
 しかし、アランの分は必要だろうか?

「アランは、来るのかな?」

 勇者が道具を揃える店としてルーチェが新聞に載ったわけだし、忙しいかもしれないな。

「なんで?」

「来るならアランの分も作らなきゃならないけど、忙しくて来れないかもしれないじゃない?」

 私は床に放り投げる形になっていた新聞を指さした。

「あぁ、なるほど。まぁ忙しくなるだろうけど」

「そうよねぇ。作るか作らないか、悩むなぁ」

「……俺、二人分くらいなら余裕で食えるけど」

「……じゃあ、作るか」

 ステファンさんはスーパー食いしん坊だったようだ。
 そうこうしているうちに、スーパー甘えん坊タイムだったダイダイの気が済んだらしい。
 満足気にフンと鼻を鳴らして私の肩によじ登り始めたから。

 そんなこんなで開店したわけだが、午前中はお客さんもそれほど多くなく、休憩中のヴェロニカさんが猫たちと戯れる姿を微笑ましく眺めたりしてとても穏やかだった。
 しかし午後、一転して慌ただしくなった。
 なぜなら一人の男と多くの女たちがなだれ込むようにやってきたから。

「数日ぶりだねイリスちゃん」

 一人の男とは、月白だった。
 そして多くの女たちとは、それに釣られてやってきた野次馬半分ミーハー半分といったところか。

「あぁ、はい。……何名様ですか?」

 結構な人数なので全員は入らないのだが。
 と思っていると、きょとんとした月白がくるりと周囲を見渡す。

「一人だよ」

 いやこれだけ引き連れといて全員連れじゃなかったのかよ。マジかお前。

「……それでは、こちらへどうぞ」

 ちらりとステファンさんに視線を送る。
 すると、ステファンさんは私が言いたかったことを理解したのか、強く頷いてくれた。
 女性への接客は嫌がる彼だが、接客以外となると話は別。
 あの女たちの中に客が居れば接客となるけれど、大半の奴らは猫でも食べ物でもなく月白目当てでそこに居る。
 そういう邪な奴は、ステファンさんが一睨みすればそそくさと逃げていくだろう。
 さあ、ステファンさんの睨みに耐えて月白とアフタヌーンティーを楽しめる権利をゲットするのははたして何名居るでしょう?

「イリスさん」

「はいはい」

「皆帰っていった」

 まさかの0名!
 マジか、それはそれでステファンさんが可哀想なことになってしまった!
 と思っていると、月白がけらけらと笑いだした。

「いやぁ、俺みたいに女の子に好かれ過ぎるのも困るけど、君みたいに女の子に嫌われ過ぎるのも困りものだね」

 なんて言いながら。
 最低だなお前マジで!

「ステファンさんは嫌われてなんかないですよ。怖がられてるだけで。それで? 注文は?」

 注文の聞き方が死ぬほど雑になったけれど、許してほしい。
 というか追い出さなかったんだから褒められてもいいくらいだと思う。

「怖がられてるだけぇ?」

「はい。お隣のお姉さんも常連の学生さんたちも逃げていったりしませんし」

 むしろ最近じゃ普通に絡まれてたりするしな、ステファンさん。

「へぇ。まぁ、言われてみればイリスちゃんと働いてるわけだし、イリスちゃんも紺碧のこと嫌ってないんだ?」

「そうですね」

 むしろお前の五億倍いい男だと思ってるしな、ステファンさんのこと。

「お姫様たちに嫌われて追い出されたくらいだからこの世の全女の子たちに嫌われる星のもとに生まれたんだと思ってたよ」

 けらけらと笑い続ける月白に、いい加減キレそうだったのだが、当のステファンさんが冷ややかな目で月白を見るだけでなんとも言わないのでキレづらい。

「お前が、紺碧がクビにさえならなければなぁ……」

 ステファンさんからの反論がなく興ざめしたのか、月白の顔から笑顔が消えた。

「俺たち、今猛烈に揉めてるんだよ」

 月白がテーブルに肘をついて、ため息を零しながら言う。

「揉めてる?」

 私は首を傾げる。

「そう。勇者選出の件でね。勇者のお供に英雄のうちの一人を付けるってことが決まったんだけど俺も紅緋も行きたくないんだよ」

「行きたくないって……。でも勇者のお供って名誉ある事みたいな書かれ方してませんでしたっけ?」

 新聞に、そんなことが書いてあった気がする。
 途中でダイダイが来て読みそびれたけど。

「名誉なんて三人の英雄のうちの一人になった時に貰ったもんで充分だよ。俺はそれよりもあのぬるい王宮の中でぬるい仕事をしていたい」

 重ね重ね最低だなお前マジで!

「俺がクビになっていなければ、問答無用で押し付けられていたんだろうな」

 ステファンさんが呟いた。
 その呟きを聞いた月白はうんうんと大きく頷いている。

「それでさ、紺碧がクビになったって事実は表沙汰にされてないわけだしお前が行っても問題ないんじゃないかと思ってな」

 呆れて物も言えない、とはこういう時に使う言葉なんだろうなってくらい見事に言葉を失ってしまった。

「お前にこんな可愛い店は似合わないし、勇者のお供として名誉も手に入れられるし一石二鳥だろう? ってことで決まりだな。いやぁ、お前がこの店に居るって知れてラッキーだったわ」

「ちょっと待ちなさいよ。ステファンさんのことクビにしたのはアンタたちでしょ? それを自分の都合だけで勝手に呼び戻して何事もなかったように出来るとでも思ってるの?」

 私の反論に驚いたらしい月白は目を丸くしていたけれど、すぐにへらへらとした薄気味悪い笑顔に戻っていた。

「アイツをクビにしたのは俺じゃないよ。姫たちだ」

「理不尽な理由でクビにされそうなのを黙って見てたアンタたちだって同罪じゃないの」

「同罪とは人聞きの悪い。まぁいいけど。関係者でもなんでもない君が出る幕ではないよイリスちゃん」

「ステファンさんはうちの大切な従業員なんだから私だって関係者よ。ステファンさんは渡さないから」

「さっきみたいに客を減らしたのに大切な従業員? アイツさえいなければ今頃ここは満席だったじゃないか」

「さっき減ったのは客じゃなくアンタ見たさに集まったただの野次馬でしょ」

 声を荒らげると猫たちが驚いてしまうから、頑張って耐えているけれど、許されることなら怒鳴ってしまいたいくらいだった。
 しかし、膨れ上がる一方だった苛立ちを、ステファンさんが「まあまあ」と言って宥めてくれる。

「表沙汰になっていないとはいえ俺は正式にクビになったんだから、お前らがなんと言おうと俺が行く義理はない」

「俺たちが言えばお前のクビなんか覆る」

「お前たちと仲のいい宰相あたりになんとかしてもらおうと思ってるんだろうが、俺のクビは王が直々に言い渡してきたものだからな。そう簡単には覆らない」

「お、は?」

 月白の顔から薄気味悪い笑顔が消え、焦りが滲み始めた。

「まぁ、お前たちが王に直談判出来たのなら、そして王が俺のクビを覆すようなら諦めて俺が行こう」

「そ、れは……」

 この様子なら、ステファンさんを奪われることはなさそうだな。
 安心した私は、苛立ちを一気に萎ませて笑顔を浮かべる余裕も出てきたくらいだ。

「ところでご注文は? 滞在時間を選んでもらえるんですけど、三十秒でいいですか?」

「もう、帰るからいい」

 三十秒に対するツッコミはなしですか?

「気を付けて帰れよ月白。あぁそれから魔族の中には魔法が通用しない奴もいるらしいから、そっちにも気を付けろよ」

 クビになってなければなぁ、物理攻撃が得意な俺が適任だったかもしれないのになぁというステファンさんの言葉は、よろよろと帰っていく月白の耳には届かなかったことだろう。

「そんなこと言って大丈夫なの?」

「まぁ、大丈夫だろう」

 呑気な様子のステファンさんに若干の不安を覚えるが、ステファンさんが大丈夫だというのなら大丈夫なのだろう。

「アイツらは姫のお気に入りだし、手を出すか出さないかの瀬戸際みたいな対応をしているからなぁ、彼女たちの父親である王にはあまり良く思われていないんだ」

 まさかチャラ男があだになるとは。
 まぁ、身から出た錆ってやつか。

「でも話に出てた宰相? そっちに話がいってなんやかんや、とかそういう心配はないの?」

「宰相は一番美しい姫を息子の嫁にするために奮闘中なので王に意見することは滅多にない」

 大丈夫?
 なんかステファンさんが大丈夫? とかそういう話じゃなく、この国の王宮内大丈夫?
 今のところ頭お花畑みたいな人しか見受けられないんだけど?
 そんな頭お花畑たちが勇者選出して魔族に喧嘩売ろうとしてるって……この国大丈夫じゃないじゃん……!
 勇者が魔族との戦いに敗れて大戦争になる可能性も視野に入れておいたほうがよくない?
 そう思った私は早急に猫たち全員を運び出すためのキャリーバッグを用意しようと決意したのだった。




 
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