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植え込みから飛び出てきた馬

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 勇者と魔女がやってきた翌日、お店の周囲がざわついていた。
 何をざわついているのかと思えば、最近選出されたらしい勇者がこの近辺に来たと噂が立ったかららしい。
 勇者を見てみたかっただとか、まだ近くにいるかもだとか、そんな感じで。
 月白や紅緋が来るとか来ないとかそんな話になったときも思ったが、この辺の人たちはわりとミーハーである。
 しかし噂の勇者さんは皆が騒ぐほど派手ではなかったけどな。
 普通のナチュラル好青年って感じで、まぁいい男ではあるんだけど月白や紅緋に比べてギラギラしてなくてインパクトに欠けるっていうか。
 昨日だってどっちかっていうと魔女のインパクトのほうが強かったし。
 というのも、勇者は明るい茶髪に緑色の瞳というこの世界ではわりとどこにでもいるような出で立ちで、魔女は鮮やかな金髪に青い瞳という絵に描いたような金髪碧眼美女(巨乳)だった。
 どちらが人の目を引くかと言われれば十人中九人は魔女と答えるんじゃないかなと。

「んにゃー」

「ダイダイちゃん」

「んにゃん」

「かわいいねダイダイちゃん」

「にゃーー」

「お返事できるダイダイちゃん最高に天才」

「にゃーん」

 開店準備を進めながら、肩の上にいるダイダイに話しかけるのが最近の日課になりつつある。
 お返事がかわいいからという理由が主だが、黙っていると耳のあたりに頭突きをされたりするから。
 いやまぁ頭突きも頭突きでスーパーかわいいのだけれども耳のあたりなのでぞわぞわする時があるんだよな。

「おはようございます」

「あ、おはようございまーす」

「ンー」

 ダイダイちゃんといちゃいちゃしていたら、ステファンさんがやってきた。

「皆朝ごはんだよー」

 というわけで、ステファンさんが見守る中、猫たちは朝ごはんを食べ始めた。
 そしてその隙に、私は買い出しへと出かけるのだった。


『お腹空いたよぉ!』

「あぁこら! 暴れるな!」

 えーっと今日買うものは、とりあえず特売のお野菜と、猫たち用のお魚か。
 あ、あと茶葉が切れかけてたからそれも忘れずに買わなきゃいけない。
 と、そんなことを考えながら市場へと急ぐ。
 道中でなんだか不思議な声を聞いた気がするし、いつもと違う騒がしさを感じた気もしたけれど、私は何も考えずに歩き続ける。
 余計なことを考えていたら、絶対に何かを買い忘れるから。
 最近は少しずつお客さんも増えてきたし、野菜だけでも買い出しじゃなくどこかの八百屋さんと契約して仕入れさせてもらったほうが割安になるかもしれないなぁ。
 ただ仕入れとなると配達してもらわなければならなくて、業務用の配達転送機を用意しなければならない。
 配達転送機を買うくらいならいっそ店の裏庭に畑を作って自家栽培をしたほうが安上がりな気もしている。
 私が畑を耕すのに便利な魔法も植物を育てるのに便利な魔法も収穫に便利な魔法も使えるのだから。
 まぁ、今まではその魔法が使えることをそれとなく隠していたのだけれど、昨日うっかり使っちゃったからな。
 なぜ隠していたのかと言えば、あの手の魔法が田舎特有のものだと知ったから。
 田舎から出てきて気付いたのだが、都会の人たちは畑仕事をしない。
 だから畑仕事に必要な魔法なんか習わない。
 というわけで、あの魔法が使えるということは「私は田舎者ですよ」と言っているのとほぼ同じだということなのである。
 田舎者を丸出しにするのが恥ずかしくて、あとステファンさんに改めて田舎者だと思われるのがちょっぴり嫌で隠していたわけだけど……でもステファンさんのピンチは助けなきゃと思ったら身体が勝手に動いてしまった。
 ステファンさんが、私が魔法を使えることだけに驚いて田舎者だとか言わないでいてくれたのは正直ありがたかった。

「お姉ちゃん、今日は葉物野菜が安いよ!」

「おー、本当だ!」

 ほうれん草がお安いようなので、今日の日替わりメニューと夕飯はほうれん草のクリームパスタにしよう。

「たくさん買ってくれたし、おまけも付けとくよ!」

「わーいおじさんありがとうございます!」

 配達じゃなく買い出しにくるとこういうラッキーもあるんだよなぁ、なんて思いながらおじさんから受け取った袋の中を覗く。
 おじさんが付けてくれたおまけは大きなリンゴが三つだった。
 これはこれは。このまま食べてもおいしそうだしアップルパイにしてもおいしそうだ。
 アップルパイにするならパイ生地をこねこねしなきゃいけないし今日は無理かなぁ。

『お腹空いたよぉぉ!』

 アップルパイに思いを馳せ、うきうき気分の帰り道、またしても不思議な声が聞こえた。
 たしか買い物前にも同じような声で同じようなセリフを聞いたのでこの声の主は私が買い物をしている間ずっとお腹を空かせていたことになるのだが、なんで誰も何も食べさせてあげていないのだろう?

『おぉぉお腹空いたあぁぁ』

 よくよく聞いてみればこの声は人間の声じゃなく動物の声じゃないか。
 動物虐待か?

『いい匂い!』

「ひぇ」

 どこから声がしているんだろうと思ってきょろきょろしながら角を曲がると、植え込みの隙間から、にゅ、と大きな頭が現れた。
 驚いて仰け反りながらその頭をよく見てみれば、それは馬の頭だった。
 馬が、植え込みを突き破って私が抱えていた買い物袋に頭突きをかましていたのだ。

「こらー! やめなさい! すまないねお嬢さん!」

 馬の飼い主らしき人が飛び出してきた。
 ちなみに彼は植え込みを突き破らず、門のほうからやってきた。

「いえ、別にいいんですけど……もしかして、これかな?」

 必死に買い物袋の匂いを嗅ぐ馬に、さっきおじさんからもらったリンゴを見せる。

『いい匂い!』

 これみたいだな。

「この子、リンゴ好きなんですか?」

 飼い主らしき人に声をかけるも、彼はきょとんとしながら首を傾げる。

「リンゴなんか食べさせたこともないが……」

「見た感じ、とても好きそうですよ?」

 手に持ったリンゴをゆらゆらと動かしてみれば、馬の顔もゆらゆらと同じように動いている。
 なぜならこの馬がリンゴをガン見しているから。

『ちょうだい?』

 かわいいな。

「しかし、この子は餌を食べないんだ」

「食べない?」

 リンゴめっちゃ欲しいアピールしてるのに?

『あれはまずい』

 なるほど。
 まずい餌を与えられているから食べないだけなんだな。

「最高級の餌を与えているはずなのに……」

『でもまずい』

 見事なすれ違いが起きとる。

「まぁ、とりあえずお食べ」

 最高級の餌を食べないとしょんぼりしている飼い主は放っておいて、馬の口元にリンゴを差し出す。

『いいの?』

 いいよ! と言いたいところだが、あまり不用意に話しかけたりすると"神の使い"の声が聞けるとバレかねないので相槌を我慢して静かに馬が食べるのを待つ……。

『食べちゃうよ?』

「はよ食え」

 我慢出来んかった。
 まぁ返事をしたわけじゃないし「食え」って言って押し付けただけだから大丈夫だろう。
 もしゃもしゃと嬉しそうにリンゴを食べる馬を見ながらそう思う。

「食べるじゃないですか」

「ほ、本当だ! 食べている!」

 よし、飼い主も私の行動に疑問を持った様子も見受けられないし大丈夫だろう。うん、大丈夫だ。

『おいしい! ありがとう!』

 お腹が空いていたのだろう。
 あの大きなリンゴが一瞬でなくなってしまった。

「そうか、お前はリンゴが好きだったのか。じゃあ今から最高級のリンゴを買ってくるよ」

 やたら最高級にこだわるな、この人。

「同じものじゃなくていいんですか? このリンゴは別に最高級って感じではなかったんですけど」

「いやいやいやこいつは勇者様に献上する鉱馬なんだ! 最高級のものを食べさせてやらなければ!」

 どういう理屈?

「いや最高級の餌とやらは食べなかったんですよね? っていうか餌の値段なんかどうでもいいでしょ。私がここを通らずリンゴをあげなかったらこの子は飢え死にしてたと思うんですけど」

「ぐ……、いや、しかし」

「勇者に献上した直後に飢え死になんかしたらとんでもない失態でしょうね。まぁ私の馬じゃないし関係ないですけども」

『まだいい匂いする』

 まだ持ってるからな。

『ちょうだい?』

 馬はそう言いながら私にすり寄ってきた。
 かわいいなお前。
 そんなかわいい君にはもう一つリンゴをあげよう。

「あの暴れ馬が、人間にすり寄っている……」

「暴れ馬って。腹が減ってただけでは?」

『食べちゃうよ?』

「はよ食え」

 なんで毎回確認してから食うんだよ。かわいいな、おい。

「腹が減っていたのならなぜ餌を食べなかったんだ……!」

「動物も普通に好き嫌いしますからね」

「え……でも、最高級」

「動物は値段なんか見ませんし」

 頭に虫でも湧いてるのかなこの人。

「草食動物なら高級な餌より新鮮な野菜のほうが喜ぶんじゃないですか? まぁ、草食動物飼ったことないから知りませんけど」

「君は、なにか動物を飼っているのか?」

「猫です」

「その猫も好き嫌いを」

「しますね。母猫は魚派ですが子猫たちは肉派です」

 そう答えれば、馬の飼い主は「そうか、動物にも好き嫌いが」と呟いている。
 詳しく聞いてみれば、彼は普段から動物を飼っているわけではないらしい。
 ただの金持ちで、勇者の役に立ちたい一心で……とは言っているが、おそらく勇者を踏み台にして名声を得るためにこの馬を他国から"仕入れた"ようだ。
 ちなみにこの馬は鉱馬といって額に宝石のようなものが生えている希少な馬、なんだそうだ。
 言われてみれば、確かに額に宝石がくっついている。

「綺麗ね。カンテラオパールみたい」

『取れたらあげる』

 取れるんだ。

『生え変わるから』

 生え変わるんだ。

「その宝石は定期的に生え変わるんだ。だからそれを取って売れば金になる」

 金のことしか考えてないなこの人。

「高価な馬だし生え変わるたびに金になるし、という理由で献上することが決まったんだ。仕入れる際に飼育員を連れてくる話もあったんだがそれを断った……」

 飼育員を雇う資金をケチったわけだな。
 彼の話に一切の興味を失ってしまった私は適当に相槌を打ちながら馬の鼻先をなでる。
 つやつやといい毛並みをしているようだ。まぁ胴体は植え込みの向こう側にあるのでよく見えないけれど。

「知らない国に連れてこられて、飢え死にさせられそうになって、可哀想だったね」

『……うん』

「よーしよしよし」

 鼻先や首元をもしゃもしゃとなで回すと、馬は嬉しそうにぶるると鼻を鳴らす。

『君はとても優しい人』

 そりゃどうもー! という気持ちでもしゃもしゃする。

『僕、君のこと好き!』

「よーーしよしよしよし!」

 しばしいちゃいちゃしていると、飼い主……とは言えなそうな男が口を開く。

「君、名前は?」

「イリスです」

「その、こいつを勇者様に献上するまでの間、ここでこいつの飼育をしてくれないか?」

「それは難しいですね。私も仕事がありますので」

「今君が貰っている給金の五倍出そう。だから」

「私、カフェ経営してるので、給金とかそういう問題じゃないです」

 なめてんのかてめぇという気持ちが止まらない。

「じゃあ……それじゃあ」

「何言われたって大体のことは無理ですよ。そんなこと考えてる暇があるなら本で調べるなりなんなりしてきちんと飼育してあげてください」

 命は金で買えないんだからな。

『僕、こいつのこと好きじゃない』

 信頼も金では買えないんだからな!

「……毎日ではないですが、この先の市場に買い出しに来ますし様子見くらいなら出来ますけど」

「それでもいい! それだけでも助かる! よろしく頼む」

 別にこの男を助けたいわけではない。
 この子があんまりにも可哀想だから手助けしてやるだけだ。

「勇者様にも君からの手助けがあったことはきちんと説明しよう」

「あ、それは結構です」

「は!?」

 勇者には二度と関わりたくないのでむしろ内密にお願いしたいくらいである。

「じゃあ私は帰りますね。仕込みもありますので」

「え、あ、あぁ」

「じゃあ、またね」

『またねイリス!』

 かわいいなぁ。勇者にはもったいないんじゃないかなぁ?
 なんて思いながら、私はもう一度馬の鼻先をなでて、帰路を急いだ。

 店に帰り着くと、猫たちが一目散に走り寄ってきた。
 そして私の全身をすんすんすんすんと嗅ぎ散らかす。
 おそらく、馬の匂いが付いているのだろう。

『知らない匂いがします』

「帰り道で馬に遭遇してね」

『馬ですか』

 モニカがぐいぐいくる。

『浮気ですか』

『浮気ですね?』

 サリーとボニーもぐいぐいくる。

「浮気じゃない……浮気じゃないよ……」

 いや、確かにかわいいなとは思ったけれども!

「……何してるの?」

 きょとんとしたステファンさんに問われる。

「う、浮気を疑われてる……!」

「浮気!?」

 相手は馬だけど!
 今後あの子が勇者のところに行くまでの間何度か様子見に行くことになるはずなのだが、その度にこんな騒ぎになるのだろうか?
 それはそれで困る……けど、こうして全力で囲まれるのも、それはそれで悪くないな、なんて思ったりして。

「イ、イリスさんが……浮気……!」

 そんなステファンさんの声がしたほうを見ると、悲し気な顔をしたステファンさんとダイダイが仲良く並んでいた。
 いや、そんなショック受けなくても……!




 
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