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不動の荷車(全14話)

12.実行

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 まだ昼間の熱が籠る文月の夜。
 月明かりだけが頼りの夜道に大八車を担ぎ上げた侍たち。
 都合八人。一台四人ずつ、計二台を運んでいる。

 手慣れたように息を合わせて運ぶと、そっと町木戸の出口を塞ぐように置いた。
 そして、そのうちの一人の男が抑えた声で指示を出す。

「これで予定していた道を塞げました。あとは手筈通りに火をつけるだけです。皆の者、頼みましたよ」

 他の侍たちは、黙って頷き、自分の持ち場へと駆け去っていった。
 残るは、指示を出した侍のみ。

 その侍は、他の者と違い、悠然と歩き去っていった。


 ※


 捨て鐘が三つ。
 そして時の鐘が八つ。
 澄み渡る夏の夜空に鐘の音が響く。

「頃合いだな。儂が火付けの先駆けよ。吉宗、見ておれよ」

 街に潜んでいた熊髭の侍は、遠くから聞こえてくる時の鐘を聞き、行動に移る。

「動くなよ。火種をこっちへ寄越せ」

 ヌッと闇から出てきた男は、今まさに火をつけようとした熊髭の首元に苦無を突きつけた。
 腰の帯を掴まれ、前にも後ろにも動けない。

 黒に見紛う濃紺の忍び装束に身を包んだ男。
 以前、日向が家出屋の本拠である花月屋に忍び込んだ時と同じ格好である。
 よくよく見れば、日向よりも手甲や脚絆など備えがしっかりしているようだ。

「だ、誰だ? お前は」

 喉に冷たい鉄の刃が食い込んでいるにもかかわらず、熊髭の侍は問い質す。
 問われた影のような男は、締め上げた男の質問に答える事はない。

「それより、わかっているのか? 火付けは重罪だぞ?」
「知らんでか! お主いつ俺の後ろに立ったのだ!」

「最初からここにいたさ」
「嘘だ! ここに来た時には誰もいなかったはずだ」

「お前のような素人に気が付かれたら、我らはお役御免だからな」
「我ら?」

 そう、彼らは御庭番衆。日向や日葵のように、のんびり暮らしている訳でもなく、お役目として日々忍び働きをしている現役最強の忍び集団である。

 日向より事情を聴かされた、父で宮地家の当主である宮地 六右衛門ろくえもんは、事態の重さを理解し、御庭番衆の頭領である薮田定八に報告をした。
 昨日の事である。

 そして頭領の指示のもと、昨夜のうちに御庭番衆総出で隠された油桶を見つけ出し、全ての場所を監視していたのだ。

「どこの藩士だ?」
「俺はどこの藩士でもない。浪人だ」

「……良いのか。その身形。どう見ても、どこぞの藩士であろうに。藩に所属していれば、町方(江戸の警察組織)も介入できないんだぞ。そうすればお前の命は助かる可能性もある。まあ藩主に御咎めがあるだろうがな」
「なおさら言えるわけがなかろうが! 何より我らは命を惜しまん!」

 熊髭の侍は、首に食い込む苦無を物ともせず、頭を思いっきり後ろに倒し、まだ見ぬ敵に反撃を試みる。
 その躊躇いのなさと思い切りの良さは、武を担う書院番組頭だけのことはある。

 首に苦無があるとはいえ、後ろは帯を掴まれているだけ。
 上半身は比較的自由に動ける。
 
 しかし、御庭番衆の忍びが、そのような反撃を受けることはなかった。
 身体を半身にして熊髭の反撃を避けると、そのまま帯を後ろに引き、足を払い、勢いそのままに地面へと叩きつけた。

 まるで熊髭が自ら後ろに倒れ込んだような動きだった。
 倒れる速度を見れば、そのような事はないのだが、御庭番衆の動きがそう思わせるほど素早かった。

 さすがに苦無を持つ手は首から離れていたが、苦無を握った拳で悶える熊髭の喉を打擲する。
 
「ぐぇぇ」

 容赦の無い一撃で熊髭の意思とは関係なく、上半身が起き上がる。

「……そうだな。だが――その答えだけで十分だ」

 御庭番衆の男は、腕を熊髭の首に回し、締め上げ、気を失わせると肩に担いで、音もなく移動を始めた。
 向かった先は町方の奉行所がある方角ではなく、神保町の御庭番衆が拝領した屋敷の方角だった。





 同時刻。
 神田の街の南東。伝馬町にほど近い。
 放火犯の計画では、最後に火をつける場所。

 あっちへウロウロ、こっちへウロウロ。
 怪しい動きを繰り返す侍。
 時の鐘が鳴り始めると、ビクっと肩をすくめ立ち竦んでいた。

 呼吸でいくつも数えない程度、そのままの体勢だったが、意を決したように一目散に歩き出した。

 町家の間の細い路地に入ると、暗がりでしゃがみ込む。
 ゴソゴソと何かやっているようだ。

 そこへ、いつ現れたのやら人気のない深夜の街に見合わない若い女の声がした。

「やめませんか? そんな事しても、江戸の人たちが困るだけです」

 鐘の音を聞いた時より、大きくビクっと体を震わせると、恐る恐る振り返る侍。

「お、お前は……俺たちの油を奪った女か? なんでこんな所にいる!?」

 月明かりに照らされた顔を見た侍は、声の主に心当たりがあった。
 昨日、尾行して所在まで確認した宮地日向であった。

 同様にしっかりと顔を知っていた若い侍を日向は今夜も尾行していたのだ。

 昨夜、計画を聞きだした日向は、父に報告をした後の動きを理解していた。
 これほどの重大な計画を阻止するには、御庭番衆の出動は避けられない。

 だから、それに自分も同行させてほしいと依頼したのだった。
 頭領である薮田定八は、一瞬渋ったものの、計画を察知したのも日向であるし、何より犯人の顔や声を聴いたのは彼女だけだ。

 積極的にお役目に関わろうとするのは、何か考えもあるのだろうと判断したのかもしれない。
 日向の願いは許可された。

 もちろん、油の場所を見張っている御庭番衆は別にいる。
 日向の行動に関わらず、放火を阻止するためにである。

「自分の意見を通すために他人を犠牲にするなんて間違ってますよ。吉宗様が嫌いだからって、こんな事しちゃダメです」
「お前のような小娘に何が分かる! これが侍の生き様よ!」

 若い侍は腰の刀を引き付け、いつでも抜けるように肩に力を籠める。
 しかし、力を込めるばかりで鯉口(刀の安全装置)を切るわけでもない。
 そのままでは、力を込めても刀を抜くことができない。
 
 それをしっかりと見て取った日向は、何の威圧にもなっていないとばかりに変わらず自然体で話しかけた。
 いや、自然体なのは立ち姿だけ。むしろ声は悲しみを帯びている。

「もっと楽しい生き方だってあるじゃないですか」
「今さら、そのような生き方なんてできるか!」

「いつからだって、やろうと思えばできますよ。お侍さんはお若いのですから」
「もう後戻りできるはずもなし! 何より侍とは主命を果たすものだ!」

「お侍を辞めれば、そんな主命を果たす必要もないですよ」
「武士たるものが町民などになれるはずもない! どうやって生きてゆけというのだ」

「気持ちさえあれば、何とでもなりますよ。捨て子で親を知らない子だって、人の役に立って懸命に生きてます。大変でしょうけど、ちゃんと自分の足で立ってますよ。子供にも出来るのですから、貴方にだって出来るはずです。単なる気持ちの問題じゃないですか」
「うるさい! これが我の! 侍としての生き方だ!」

 若い侍は日向の言葉の表層すら受け入れず自論に固執する。

「……。そんなのが侍の生き方なんですか……。寂しい生き方ですね……。私の知ってるお侍様は、人を幸せにするために、日々心を砕いていますよ」

 そう言うと、日向は若い侍の返事も聞かず、背を向けて歩き去っていった。

「なんだったんだ。くそっ! まだ火の手は上がっていないが、バレた以上はもうやるしかない!」

 刀を引き寄せた手を放し、懐をまさぐり出す若い侍。
 何故か、グウッと苦しそうな声を出して前のめりに倒れ込む。

「……やらせる訳が無かろう」

 闇に潜んでいた御庭番衆が若侍を当て落としていた。
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