鍵の海で踊る兎

裏耕記

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第三章 夏の記憶

30th Mov. 水着とサマーランド

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 八王子駅からサマーランドまではバス一本で行ける。
 出発時間を調べておいて、お昼ご飯を食べながら調整した。

 バスで揺られること三十分ほど。久しぶりに訪れたサマーランドは、記憶よりも大きくて、それだけでワクワクしてくる。夏休みということもあって、平日だけれども同年代の学生が多い気がする。

 事前に購入していたチケットで入場して更衣室へ。
 こういう時、男は簡単で服を脱いで海パンを履くだけ。むしろスマホを防水ケースに入れたり、小銭を用意する方が時間が掛かる。

 中野と着替えを済ませ待ち合わせ場所に向かい、ベンチに腰掛ける。
 更衣室から出たところは室内プールエリアが広がっていて、ムワッとした湿気と水の音、それと楽しそうな歓声がになっていて独特の雰囲気を感じた。

「色々心配かけちまって悪かったな。結果がはっきりするまで、伝えられることも無くてな」

 中野はスターバックスで終わった話をもう一度繰り返す。
 よっぽど気にしていたらしい。僕にしてみれば、付き合うことになったと聞いて合点がいったという程度だったので、そこまで気に病む必要はないと思うんだけど。

「いいよ。何となくだけど分かる気がするし。今にして思えば、終業式辺りは緊張していたんじゃない? 変な雰囲気だったし」
「情けないことにな。互いに意識しちまってて普段通りに話すことも出来なくなってたんだよ」

「あの時も笑って大丈夫って言ってたけどね」
「あの時は、上手くいくかもはっきりしてなかったからさ。実際、俺も不安で仕方なくて、顔が引きつってないかってことばかり考えてたよ」

 中野は普段から飄々としていて何でも出来る人だと思っていた。
 人当たりは柔らかく、友達も多い。それでいて、教室で小説を読んでいる時もある。
 彼は自分の時間や、やりたいことをやりたいようにする強さを持っていると思う。

 それなのに不安で仕方なかったという。
 中野でそうなら、僕は耐えられなかったかもしれない。

「頑張ったんだね。凄い勇気が必要だっただろうし」
「ああ、頑張った。人生で一番頑張ったかもしれねぇ」

「そういうの良いね」
「野田だって頑張ってるじゃないか。ピアノをさ」

「うーん、そうなのかな。実はね、伏見さんが弾いていたピアノを僕も弾いてみたんだ。伏見さんに見てもらって。散々な出来で恥ずかしいくらいだった。まだまだ全然だったよ」

 今、思い返しても恥ずかしい出来だったよな。
 普段ならもっと弾けるのに。それが悔しくもあって、無性にピアノが弾きたくなる。

「ピアノ始めて三か月くらいか……。変わったよな、野田」
「そうなのかな? 良く分かんないや。多少、腕前は上がったと思いたいけど」

「そういうことじゃなくてさ。前の野田なら、人前でピアノを弾くなんて絶対しないタイプだったろ?」
「それはそうかも。でも、いずれ発表会に出るってことを考えたら、ここで弾くべきだって思ったんだよ」

「それが変わったってことなんじゃねえの。良い変化だと思うぜ、俺は。それに伏見さんとの関係も上手くいっているみたいだしな」
「伏見さんと? 確かに前よりは仲良くなってはいるけど……。中野と神田さんのような感じじゃないよ?」

「そうか? 千代経由で聞いてるぞ? 最近は二人で勉強してご飯食べたりしてるんだろ? 今日だって早めに来て二人でいたみたいだし」
「そう言われるとそうだね。こんな風に仲良くなった女子はいなかったし、良く分からないな。間違いなく伏見さんのことを尊敬はしているんだけど」

「今はそれでも良いのかもしれないな。おっ、来たみたいだぞ」

 中野の言葉に僕は更衣室の方へ目を向けた。
 彼女のために花道があるかのように、人波が書き割られ、ランウェイが始まる。
 彼女の後ろには、もう一人の良く知る人物がピッタリとくっついているのが気になった。

「お待たせ」

 すらりとした手足。色白の肌。
 黒い水着が彼女の肌の白さを際立たせていて、余計に目立つ。
 髪を結い上げていて、普段と違う印象を感じさせる。
 近くを歩く男の人たちの視線を一身に浴びているが、彼女は気にも留めていない。

「いや、大丈夫だよ」
「大丈夫でおしまい? 他にも言うことあるんじゃない?」

「水着似合ってる。肌も白くて綺麗だし、髪形も可愛いよ。それに――」
「――っ! 言い過ぎ! もう良いから!」

 自分で求めていながら、恥ずかしそうに顔をそらす神田さん。それでも耳が赤いのは隠せていない。
 彼女は照れ隠しなのか、自分の後ろに隠れる伏見さんを前に出そうと悪戦苦闘している。

「紬はいつまで私の後ろにいるの! ずっと隠れているつもり⁈」
「だって~。恥ずかしいんだもん」

 神田さんの後ろに隠れる小さな身体が見え隠れしていたのは気が付いていた。
 チラリと見える白い水着。二の腕は日焼け跡が見える。これは僕と定期的にしている図書館での勉強会のせいかもしれない。

「それはお昼食べ過ぎるからでしょうが! あれだけ食べればお腹がポッコリして当然でしょ!」
「だって~。トンカツだよ? ご飯とキャベツと全部でトンカツ定食なんだよ?」

 そういうことね。
 水着が恥ずかしいのではなく、ご飯食べた後でお腹が膨れているのが恥ずかしいらしい。そういえば神田さんはご飯減らしていたし、カツの量も少なかったような気がする。

 対して伏見さんだけど、確か彼女は……。

「別にそれは良いけど、あんたご飯大盛り頼んでなかった?」
「学生は大盛り無料なの! そんなこと言われたらお願いしますって言うしかないじゃん!」

「はいはい。ちゃんと断れる人になりましょうね~」

 軽く流された伏見さんは、神田さんに押し出されるように前に出た。
 そうなると当然、僕も中野も彼女が視界に入るわけで……。

「あ、あんまり見ないで欲しいな。恥ずかしいから」

 そう言われて思わず目を逸らす。何かいけないことをしてしまったみたいで顔が熱い。中野は神田さんと笑い合っているというのに。

「紬は色気より食い気っていうか、瞬間的に食い気が勝っちゃうのよね」
「そう言ってやるなよ。ゆっくりで良いこともあるんじゃねえの?」

「あら、それは自分の拙速を後悔しているのかしら?」
「兵は拙速を尊ぶってね。時と場合によるのさ」

「早すぎるのも考えものよ?」
「なんか意味深だな……」
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