半蔵門の守護者

裏耕記

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二人 其の六

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階段からはドタドタという人の足音が頻繁に鳴り響く。
賑やかな足音を聞きながら、修二郎は飯をき込んでいた。

普段の修二郎を知る人物であれば、不思議に思うことだろう。
普段の彼は、端坐し、黙々と食事を取る。
その所作は、一種の武芸のように洗礼されていて、美しい。
それが本田修二郎という男の食事風景。

しかし、ここにいる男は本田修二郎ではない。
今は、播州浪人の池田宗次郎と名乗っている。
夜な夜な百人町の本田屋敷を抜け出すと、彼は池田宗次郎となるのだ。
それもこれも、用心棒として働くための方便。

伊賀忍者としての修練を積んだ彼からすると、変装術というものは、ごく当たり前のものであって、人を欺くことは容易である。
不自然のない程度に播州訛を挟み、長年の浪人暮らしを表すように、所作や振る舞いはやや粗暴で表情に険がある。
見た目も綺麗好きな当人が着ないであろうヨレヨレの着流し。
髷はどう見ても素人仕事でほつれ毛が多くて、なんとも見窄みすぼらしい。

1本差にしている刀だけは、残念ながらそのままで通用した。
塗りの剥げた鞘に、流行りに反した分厚い刀身。田舎者丸出しのそれである。

とまあ、このようななりで、宗次郎(修二郎)は内藤新宿の旅籠『大野屋』に転がり込んだ。
最近は、そのような浪人者を遠ざけていた主の金吾郎が、躊躇いもなく受け入れたことに、使用人たちは訝しがっていたが、金吾郎の「町で暴漢から救ってもらった恩人だ」という説明を聞いて、一部を除いて納得した。

残る一部は、金吾郎の嫁と郁である。
長年連れ添った嫁には、夫の変節に疑問を持たれるし、郁は修二郎として出会ったばかりな上に、この大野屋を紹介してもらった経緯がある。

いくら変装していても、これから長い時間過ごすのであれば、いずれ露見する。
それならば、浪人者の応対も郁に任せてしまって、他の使用人との接点を減らせば、要らぬ心配も減る。
ということで、郁はかつての修二郎、今は宗次郎と名乗る男のお世話係となった。

しかし、郁からすると宗次郎は手のかからない男だった。
酒は飲まず、飯に文句を付けない。
お櫃のままの飯と菜を階段脇の物置部屋に差し入れれば、勝手に食っている。

暇を見て、白湯の入った湯呑みと入れ替えに行けば、後はやることはない。
平穏な数日のうちに、郁は宗次郎という男が本性で、修二郎と名乗っていたのが偽りだったのではないかと思うようになっていた。





平穏な日々は唐突に終わる。

夜闇は、内藤新宿の街を包み込み、そろそろ暮れ六つになろうかという頃。
泊まり客以外の遊び客は、とっくに各々の住まいへと帰っている時分。
居残る泊り客は、すっかり酒が入り、懇ろになった女と床に入っている時間帯だった。

内藤新宿の旅籠である大野屋でも、必然と静かな夜となるはずだった。
そこにガシャンと静寂を破る音。
重ねて女の悲鳴とバタバタとした足音が入り混じる。

一回の帳場で帳付をしていた大野屋の主 金吾郎は、二階からした音の方に視線を向けた後、すぐに目的の場所に向かう。
階段は登らず、その脇へと流れると、目的の小部屋を目指した。

しかし、金吾郎が小部屋の入口に辿り着く前に、部屋の中から用心棒の池田宗次郎が出てきた。
宗次郎の準備は万端。襷掛けをし、腰には無骨な刀が差されている。

「お願い申し上げます」

雇い主である金吾郎は、丁寧な言葉を小さく呟く。
用心棒の宗次郎は、目礼で答え、音もなく階段を駆け上がった。


宗次郎が階段を上がりきると、すぐ目の前の廊下には、大野屋の使用人が見えた。
使用人は障子を開け放った座敷に向かって声を荒げていた。

「その汚え手を離しやがれ! 薄汚い浪人野郎が! 女を傷つけやがったたら、ただじゃ置かねえぞ!」

大野屋の二階座敷は、街道に沿って座敷を配しているので、各座敷から街道を眺められる。
旅籠の作りからして、廊下は裏手に当たる。
廊下の奥に行けば行くほどに上等の座敷となる。

つまり階段を上がってすぐの部屋は、最下等な座敷となるので、素性のよろしくない者が多い。
実際に、興奮して女を抱えている浪人者は、宗次郎に輪をかけてうらぶれていた。
それに加え、赤黒く変貌した顔は、過剰な酒精の接種であると見受けられた。

どう見ても、大野屋の敷居を跨いで良い人物ではない。
常連客の連れだったのかもしれず、断りきれなかった可能性もあるが、現在は浪人者と酌をしていた女のみ。

その座敷の外からは、使用人が威勢のよい言葉を投げかけるが、中には踏み込めないようだ。

それもそのはず。蹴り倒された膳からは、食器や徳利が床に散らばり、割れてしまった陶器の破片も少なくない。
何より、浪人の手には抜き身の刀が握られていた。
浪人は、左手で女を抱えつつ、右手で握った刀を女の首筋に当てている。

「これはいかんな」

思わず宗次郎は呟いた。
それはそうだろう。ひどく酔った上に、人を抱えたまま、刀を首に当てるなど体勢に無理がある。
現に刃先はブレて、女の首筋からは幾ばくかの血筋が見える。

「余計なやつは、何処ぞに行っちまえ! これは儂とお加代の話ぞ!」

明らかに用心棒という風体の宗次郎が部屋を覗くと、立てこもる浪人者が吠えた。

「すまんな。拙者は単なる野次馬よ。大きな音がしたので、座敷から抜け出してきたに過ぎぬ」
「嘘を申すな! ヌシは階段から上がってきたであろう! さしずめ店の用心棒といったところか」

「存外、周りが見えているではないか。ならば、このような事をしても、状況は良くならぬ。即時、女を離せ」
「其方は周りが見えておらんようだな! 女が大事なら、使用人ともども、ここから離れよ!」

「某とて、用心棒の身なれば、そのようなことは聞けぬのは分かりきっておるだろう?」
「店に雇われているのであれば、大事な飯盛女を傷つけられる方が困ろうて。どちらが優位か分からぬか?」

浪人者は、そう言うと、ぐいっと女を抱き寄せて、刃をちらつかせる。
そのせいで女の首筋には新たな傷が生まれた。
傷は今までのものよりも深く、流れ出る血量は多い。

このまま問答を続けていても、状況は悪くなる一方。
宗次郎は諦めたように白旗をあげた。

「致し方あるまい。何が望みだ?」
「兎にも角にも、其処から離れて我らを通せ。お加代とは静かな場所で話し合う!」

「そうか。離れれば良いのだな」
「いいや。ヌシの腰の物は此処に置いてゆけ。後ろからバッサリと切られては堪らん」

「この散らかった床にか? 武士の魂をこのような床に置きたくはないのだがな」
「何が武士の魂か! ならば、もっと拵えを整えてやるのだな!」

言われて気が付いたとばかりに、まじまじと腰の刀を眺める宗次郎。
バツの悪そうに口を一文字に結ぶ。

「それはそうだな……。しかし先立つ物がないと、どうにもな」

そう言いながら腰に差した刀を引き抜く。
浪人者の指示通りに宗次郎が、右手に持ち直した刀をゆっくり床に置くと、わずかに空気が弛緩する。

「――ッ!」

その油断を突くように、宗次郎の下げた右手が振り抜かれ、間を置かずに、刀を抜刀するような動作で右手を振り抜く。
すると、淡い行灯の明かりに照らされた猪口は、白い筋を描き、浪人者の右手の甲と額に吸い込まれる。
その結果、「グェッ」というくぐもった声を出した浪人者は、刀と女を離し、散らかった座敷間に倒れ込むのであった。
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