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最終章 冠山城の戦いと備中高松城攻め
2.近づく戦火(桃太郎になった父達)
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久之助が、早島城の城主になってから毛利家と織田家との戦況は日々変化した。
1578年10月、播磨国で行われていた三木合戦で羽柴軍(織田家)に加わっていた荒木村重が織田家を離反、信長に反旗を翻した。
秀吉は、村重と旧知の中である黒田官兵衛を、村重の居城有岡城へ行かせ村重を翻意するように説得させたが、説得は失敗、官兵衛は拘束され土牢に監禁されたのであった。
荒木村重の離反をした毛利は、村上水軍に600隻で木津川口を襲撃させる。
織田家は、九鬼嘉隆を大将に九鬼水軍で向かい討つ。
第二次木津川口の戦いが始まったのである。第一次木津川口の戦いは、毛利の圧勝であったが、第二次木津川口の戦いは、織田方が製造した大型鉄鋼船の火力による攻撃の威力が発揮され、村上水軍は最終的に退却を決断、毛利は織田から奪っていた制海権を手放す結果になったのであった。
1579年、越後の上杉謙信が、打倒織田家を掲げ上洛を準備している中、病死する。
同年9月、有岡城にて籠城していた荒木村重も、織田信長に敗れ、城から逃走。城に残った彼の妻子をはじめ一族は皆殺しにされる。
有岡城に幽閉されていた黒田官兵衛は、有岡落城の際、自分の家来である栗山利安の活躍により救出される。
1年半の狭い牢獄での監禁生活により、黒田官兵衛は片足が不自由になっており、死線を越え生き残った彼の顔には自信家の甘さが抜け、監禁される前とは別人になっていた。
同年には、懸念していた宇喜多直家が毛利を離反し織田方へ寝返る。
1580年織田へ寝返った宇喜田家の所領へ、毛利軍小早川隆景が1万5千を率いて備前辛川へ攻め込むが、宇喜多忠家、戸川達安らに阻まれ、辛川崩れと呼ばれるほどのまさかの大敗を喫した。
同年、織田方から毛利へ寝返っていた別所長治の三木城が1年10ヶ月の籠城の結果落城。城主の一族の切腹を条件に城兵の命は助けられた。
また、大阪で織田と戦っていた石山本願時が毛利からの補給を断たれた事が大きく影響し、戦線を維持できなくなり、信長と講和する。
石山本願寺が織田と講和した事により、毛利がたよりにしていた連合による信長包囲網は崩れたのであった。
1581年、因幡国鳥取城が餓死者が出る籠城戦の末に陥落し、毛利方の城主・吉川経家が自害している
時間が経過する毎に、毛利は徐々に劣勢になっていた。それに伴い戦いの舞台は、備前の国から備中の国へと変わりつつあったのである。
織田の中国方面軍の指揮をとる羽柴秀吉は、播磨国姫路城へ居城とし、いよいよ本格的に備中の国へ調略を仕掛けようとしていたのである。
戦況が劣勢の毛利軍は、備中の国と備前の国の国境にある7つの城を最後の防衛線として各城の補強作業を命じたのであった。
その為、松島城・庭瀬城・日幡城・加茂城・高松城・冠山城・宮路山城を併せて後世の人々は、境目七城、若しくは備中七城と呼ぶことになる。
小早川隆景は、総ての備中の国人達を、境目七城へそれぞれ配置する決断をした。
早島城城主竹井将監こと久之助は、高松城の隣の城、冠山城へ配属される命を受けたのであった。
小早川隆景からの書状が届き、冠山城への配属を知った久之助はちょうど元主君、清水宗治へ手紙を書いていた。
手紙の内容は、仕事の内容ではなく、宗治をはじめとする清水家の人々の体を心配する挨拶から始まり、自分の近況を知らせる手紙であった。
久之助が清水家を離れてから、約3年半、手紙のやり取りは月1度行われていた。両家は、まるで親戚の様な関係になっていた。
『久之助様、食事の用意が出来ました。』と久之助の妻美津が夫の部屋に呼びにきた。その両手には、その年生まれたばかりの久之助の娘が抱かれていた。
『おお、桃姫も呼びに来てくれたか。』と久之助は、愛する娘をみようと妻美津に近づき、目を細める。
未だ、言葉を話せない娘であったが、利発そうな目を久之助に向ける。
『ちち、ちち。』と、美津の後ろから息子彦丸が顔を出す。
『なんじゃ、彦丸もおったのかぁ。隠れておったな、コイツめ。』と久之助は、三歳の愛息を抱きあげ、その頬に自分の顔をつける。』
『よし、さあ、一緒にご飯を食べるぞ!!。』と、彦丸を抱いたまま廊下へ出て、先導し食事が用意してある部屋へ向かった。
一家団欒の食事の後、一息ついて、久之助は妻美津へ冠山城への駐在の為、3日後に早島城を出る事を伝えた。
『美津殿、暫く城を留守にするが、子供達の事、城の事を宜しく頼む!敵軍を倒し、夏、遅くとも収穫前には帰ってこれると思う。』と笑顔でいう久之助。
『冠山城ですか・・・、それ程遠い場所では、ございませぬな、承知致しました。子供達と美味しい物を作って待っておりますね。』
『そうですわ、今日も戦勝の前祝で、美味しい物を作りますね。貴方の好物を・・。何がいいかしら??。』と、美津も又笑顔で答える。
今日の夕食を何にしようか考える素振りをしながら、食器を運び廊下を出る美津。廊下に出た時の、彼女の顔は笑顔から直ぐに不安な顔つきに変わる。
不安を飲み込む様に、唾をのみ、気持ちを切り替える様に調理場へ食器を持っていく。
久之助は、美津が廊下へ出ていくと、桃姫と彦丸に話しかける。
『父は、少しの間、鬼退治に行ってくるぞ。父の留守の間、かか様の言いつけを守りいい子にしておれよ。そうすれば、父はお主らにお土産を持って帰ってくるからな。』
子供達に言い聞かせている時の久之助は、優しい父の顔であった。
3日後、久之助は信頼する家来達を連れて冠山城を後にする。
幼子であった彦丸の脳裏にも残るほど出発する久之助達の姿は凛々しく勇ましかった。
それは、正に鬼退治に出る桃太郎の様であった。
家族の応援を背中に、男達は決戦の場に向かったのである。
冠山城の戦いの1ヶ月前、桜が開き始めた頃の出来事であった。
1578年10月、播磨国で行われていた三木合戦で羽柴軍(織田家)に加わっていた荒木村重が織田家を離反、信長に反旗を翻した。
秀吉は、村重と旧知の中である黒田官兵衛を、村重の居城有岡城へ行かせ村重を翻意するように説得させたが、説得は失敗、官兵衛は拘束され土牢に監禁されたのであった。
荒木村重の離反をした毛利は、村上水軍に600隻で木津川口を襲撃させる。
織田家は、九鬼嘉隆を大将に九鬼水軍で向かい討つ。
第二次木津川口の戦いが始まったのである。第一次木津川口の戦いは、毛利の圧勝であったが、第二次木津川口の戦いは、織田方が製造した大型鉄鋼船の火力による攻撃の威力が発揮され、村上水軍は最終的に退却を決断、毛利は織田から奪っていた制海権を手放す結果になったのであった。
1579年、越後の上杉謙信が、打倒織田家を掲げ上洛を準備している中、病死する。
同年9月、有岡城にて籠城していた荒木村重も、織田信長に敗れ、城から逃走。城に残った彼の妻子をはじめ一族は皆殺しにされる。
有岡城に幽閉されていた黒田官兵衛は、有岡落城の際、自分の家来である栗山利安の活躍により救出される。
1年半の狭い牢獄での監禁生活により、黒田官兵衛は片足が不自由になっており、死線を越え生き残った彼の顔には自信家の甘さが抜け、監禁される前とは別人になっていた。
同年には、懸念していた宇喜多直家が毛利を離反し織田方へ寝返る。
1580年織田へ寝返った宇喜田家の所領へ、毛利軍小早川隆景が1万5千を率いて備前辛川へ攻め込むが、宇喜多忠家、戸川達安らに阻まれ、辛川崩れと呼ばれるほどのまさかの大敗を喫した。
同年、織田方から毛利へ寝返っていた別所長治の三木城が1年10ヶ月の籠城の結果落城。城主の一族の切腹を条件に城兵の命は助けられた。
また、大阪で織田と戦っていた石山本願時が毛利からの補給を断たれた事が大きく影響し、戦線を維持できなくなり、信長と講和する。
石山本願寺が織田と講和した事により、毛利がたよりにしていた連合による信長包囲網は崩れたのであった。
1581年、因幡国鳥取城が餓死者が出る籠城戦の末に陥落し、毛利方の城主・吉川経家が自害している
時間が経過する毎に、毛利は徐々に劣勢になっていた。それに伴い戦いの舞台は、備前の国から備中の国へと変わりつつあったのである。
織田の中国方面軍の指揮をとる羽柴秀吉は、播磨国姫路城へ居城とし、いよいよ本格的に備中の国へ調略を仕掛けようとしていたのである。
戦況が劣勢の毛利軍は、備中の国と備前の国の国境にある7つの城を最後の防衛線として各城の補強作業を命じたのであった。
その為、松島城・庭瀬城・日幡城・加茂城・高松城・冠山城・宮路山城を併せて後世の人々は、境目七城、若しくは備中七城と呼ぶことになる。
小早川隆景は、総ての備中の国人達を、境目七城へそれぞれ配置する決断をした。
早島城城主竹井将監こと久之助は、高松城の隣の城、冠山城へ配属される命を受けたのであった。
小早川隆景からの書状が届き、冠山城への配属を知った久之助はちょうど元主君、清水宗治へ手紙を書いていた。
手紙の内容は、仕事の内容ではなく、宗治をはじめとする清水家の人々の体を心配する挨拶から始まり、自分の近況を知らせる手紙であった。
久之助が清水家を離れてから、約3年半、手紙のやり取りは月1度行われていた。両家は、まるで親戚の様な関係になっていた。
『久之助様、食事の用意が出来ました。』と久之助の妻美津が夫の部屋に呼びにきた。その両手には、その年生まれたばかりの久之助の娘が抱かれていた。
『おお、桃姫も呼びに来てくれたか。』と久之助は、愛する娘をみようと妻美津に近づき、目を細める。
未だ、言葉を話せない娘であったが、利発そうな目を久之助に向ける。
『ちち、ちち。』と、美津の後ろから息子彦丸が顔を出す。
『なんじゃ、彦丸もおったのかぁ。隠れておったな、コイツめ。』と久之助は、三歳の愛息を抱きあげ、その頬に自分の顔をつける。』
『よし、さあ、一緒にご飯を食べるぞ!!。』と、彦丸を抱いたまま廊下へ出て、先導し食事が用意してある部屋へ向かった。
一家団欒の食事の後、一息ついて、久之助は妻美津へ冠山城への駐在の為、3日後に早島城を出る事を伝えた。
『美津殿、暫く城を留守にするが、子供達の事、城の事を宜しく頼む!敵軍を倒し、夏、遅くとも収穫前には帰ってこれると思う。』と笑顔でいう久之助。
『冠山城ですか・・・、それ程遠い場所では、ございませぬな、承知致しました。子供達と美味しい物を作って待っておりますね。』
『そうですわ、今日も戦勝の前祝で、美味しい物を作りますね。貴方の好物を・・。何がいいかしら??。』と、美津も又笑顔で答える。
今日の夕食を何にしようか考える素振りをしながら、食器を運び廊下を出る美津。廊下に出た時の、彼女の顔は笑顔から直ぐに不安な顔つきに変わる。
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久之助は、美津が廊下へ出ていくと、桃姫と彦丸に話しかける。
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子供達に言い聞かせている時の久之助は、優しい父の顔であった。
3日後、久之助は信頼する家来達を連れて冠山城を後にする。
幼子であった彦丸の脳裏にも残るほど出発する久之助達の姿は凛々しく勇ましかった。
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