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第2章

2-8 行くべき場所へ

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 陸地を離れ、皆で船の厨房へ向かおうと船縁を離れた甲板上で、マエストーソがはっと息をつめて言った。
「皆、止まってください」
 チャーリーが目を丸くするより先にハールーンが言う。
『おいらの同業……じゃねえな。誰だ!』
 アリアを後ろ手に庇って剣の鞘を前方に向けるマエストーソを見て、反射的にケイが扇を開いて狼の姿を取り、一息ついてスミスが『杖』を構える。船室の棟の影から声がした。
「私とて物盗り風情と同じにされては困る。噂の『夏盗人の船』、一度来てこうして見たかっただけのこと。伝令という名誉ある役目を仰せ使って来た者だ」
 チャーリーが囁く。
「……火薬の臭いだ。仕掛けに使うような大規模なやつと違って、もっと小さい……こないだの、銃かもしれない」
「成程、サン・カリストにはないものです。小型のものはトーリスにしかないと聞いてますよ」
「つまり、先日の船団にいらっしゃった狙撃手はあなたですか。トーリスの方なら話は早い。……私は極悪非道の大罪人ですので3つ数えるうちに出て来てください。でないと、命の保証は致しかねます」
 いつもと変わらぬ口調のようでいて、少しばかりの険がこもっている。
 思わずアリアがマエストーソを見上げると、いつになく厳しい顔で前方を睨みつけていた。
「成程、それが『剣』の鞘か……」
 船室棟の影から一人の男が現れる。歳の頃は40代頃だろうか。細い貌にトーリスならではの長い髭を撫でつけて、腰から銃を下げた男が、胸に手を当てて慇懃無礼な礼をする。
「……前置きは結構です。伝令殿。……ここに宝物が4つあることは明白です。あの国はそれを確認し、かつ私達を『待つ』ことにしたのでしょう」
「話が早くて助かる。まさにその通り。全部持って来て貰わないと困る、とのことだ」
「………手土産にしては随分なものを請求なさっているようですが」
 伝令、と名乗った男が目を細めると、マエストーソをじっと見てからゆっくりと言った。
「我が主曰く、歓待の準備を整えて待っている、とのこと」
「………トーリス王、ですか。それとも」
 伝令が口元に笑みを浮かべる。
「そこは客人次第だろう」
 そしてその場の全員を値踏みする目で眺める。
「名前をお聞きしても宜しいですか」
「ダトーだ。マエストーソ・カーネリアン、お前のような優しい青年が、私の名前を使う日が来ないように、祈っておいてやろう」
「………」
「だが、世の中には知り合いが多ければ多い程うまくいく仕事も数多ある。医師や弁護士はもちろん、王侯貴族や冒険者、伝令と名乗る胡乱な男や、時には暗殺者も」
 銃を腰のベルトに差し戻し、ダトーはマエストーソを見、そしてアリアを見て真顔で言う。
「そしてクリスタグレインの姫よ。貴女は自分の国を誇ってもいい。お前の国には私のような『影』がいないからな。クリスタグレイン王も最近は公務に復帰したと聞いた。生き甲斐が出来たのだろう。羨ましいことだ」
 そして、ひとつ小さな溜息を付き、深いフードをかぶり直し、続ける。
「……トーリスの国王陛下にはそれがない。妻もなければ子もいない。己の築いた国以外、何もない。そんな王の寿命も尽きかけている。ゆえに、『生き甲斐があった頃に』戻ろうとしている。何でも願いを叶えるならば、それも可能だと吹き込んだ者がいる。それが誰だか、貴殿ならよく知っていよう、『エスト・コルネリア』船長?」
「………何てことを」
 複雑な表情でマエストーソが天を仰いで呻く。
「そこに『鏡』を持った若い姫を手に入れれば5つのうち2つは入手できる。残りも手に入れて、全盛期の頃に戻れば」
「セリスレッドの宰相と謀って、『槍』を手に入れようとした。………けれど、あなたの主の真意は、そこではない」
「……もちろん」
「私達が行けば、全部揃うかもしれない。全部、奪われるかもしれない」
「そうだ。エスト・コルネリア船長、まだそう呼べるうちに、そう呼ばせて貰おう。すべては船長殿の裁量次第」
「…………」
「いや、勇気次第かな。冒険者の道を選んだ者には、そういうべきか」
 そして、かぶり直したフードの奥の瞳で、じっとマエストーソを見つめてから言った。
「だが、船長殿。貴殿には、『置き忘れ』がある。わかっていよう」
「ええ」
 マエストーソを見つめる視線が、剣の鞘に落ちる。剣の鞘を見つめて、ダトーが息を吐き、厳しい視線をほんの僅か緩めて、複雑な顔で言った。
「………運命は、善き者に味方するのだ、と私の父は言っていた。そして、善き者で在ろうと、耐え忍ぶ必要がある、とも。時には牢で、冷たい宮殿の音楽室の片隅で、そして空飛ぶ船の上で、たった一人で、十年以上も。……私は、貴殿の父君を知らないが、貴殿の父君もそう言ったと聞き及んでいる。船の舵を取る者には、裁量と勇気、そして運命を味方につける必要があるのだと。それでは、また、どこかで」
 そんな男が背負っていたグライダーの翼が広がり、ふわりと男が宙に浮く。思わず追おうとしたチャーリーを目で押し留めて、マエストーソが口の中で呟く。
「裁量と、勇気、そして、運命……父が、そう言ったと……」
 スミスが、立ち尽くすマエストーソに言った。
「エスト・コルネリア船長、いや、マエストーソ・カーネリアンと呼ぶべきですかね。あなたは永らく一人で生きてきた。けれど、決してひとりでは超えられない嵐が、この先には待っているのでしょう。今言った、その三つがなければできない、何かが」
「………」
 チャーリーが言う。
「トーリスへ行くんだろ? サーカス団は入国できなかったけど、俺の親父みたいに、入り込めた奴だっている」
「久方ぶりに、雪を見てみたくなったのう」
 ケイも言う。
「ですが……皆を危険な目には」
 一瞬の逡巡を拭い去るように、アリアが口を挟む。
「ここに来て野暮はなしよ。宮殿に行くんでしょ? 最悪、私がいれば何とかなる可能性だってあるわけよね」
 アリアが言う。
「だって、あなたが来てくれなかったら私、鏡を持ったままトーリス国にお嫁入りしてたってことじゃない。だとしたらマエストーソ、トーリスのお妃様になってた私のところに、鏡を奪いに来ることになったはずよ」
 そうなったらどうなってたのだろう。アリアがこのを見つめて、言った。
「それって、丸で駆け落ちじゃない」
 マエストーソの蒼い瞳が珍しく、揺れる。
「アリア、あなたは」
 その動揺に気付かないまま、腕組みをしてアリアが続ける。
「まあ、そうね、これでも孤児院に15年いたもの。そういうの、ちょっとだけわかってるつもりよ。だって、そりゃあいきなりお姫様になって、いきなり結婚させられて、今度はいきなりよく知らない国王のお妃様になって、そんな時にいきなりこの船の皆がやってきたら、私、皆と一緒に行く方を選ぶにきまってるわ」
 動揺してたはずの目元と口元に、今度は思わず笑いのようなものが浮かぶ。言葉を返しそびれるマエストーソに、アリアは言った。
「……だから、私達って多分どっちにしろ、いつか出会うはずだったのよ。もしかするとおじいさまも、それをわかってたんじゃないかしら」
「賢明な方です。感謝しないと」
 小さく、逞しい運命共同体。この15歳の少女はなんと眩しいのだろう。掌の中で守るべき娘ではなく、もっと別の何かなのかもしれない。
 きっと、自分の航路とこの少女の航路は、同じところを差している。否、あの日王宮で出会った日よりも、本当はずっと前から、差していたのかもしれない。
「トーリスへ、舵を切ります」
 皆の前で、ゆっくりと、青年船長が告げた。
「私は、行きます。何がそこで待ち受けていようとも」
 チャーリーが呟く。
「宝物が、揃うのか……」
 マエストーソが静かに言った。
「………叶えたい願い、ではなく、絶対に叶えてはならない願いを阻止する為です。けれど」
 冒険者なのに無私無欲な青年の目に、少し違う煌めきが灯る。
「望みを多くは持たずに生きてきたのに」
 年下の『航海士見習い』に海図や天気図の読み方や操船技術を教える楽しさ、年上の腹心の友の作る料理と愉しいひととき、異国の少年が奏でる弦の美しい音色、そして、自分より一回りも年下な闊達な少女の明るい眼差し、布の上を迷いなくミシンが走る心地良さ。
「永遠に、とは言いません。永遠を望むのは、とても危険なこと。宝物を集める過程で、私の願いはほぼ叶っています。だから、ひとつだけ」
 外すことが出来ない眼帯に、指先で触れる。
「………私は、私が行くべき場所に、行きます」



「婚儀の日程だが、どうも気にかかることが多くてな」
 神殿長の顔が曇る。今年は婚礼にはふさわしくない暦の運びなのだろうか。オラトールは長に聞く。
「気にかかることとは?」
 神殿長が、目線を傍らに投げる。神殿内の中央にある、祭祀用の小さな湖の水面が、風もないのに揺れて渦を巻いている。この湖の下には清めた水を並々と湛えた貯水槽のような巨大な湖があるはずである。
「貯水槽は」
「異常はないとのこと。ゆえに……見通せぬほどの『何か』が起きるのかも知れぬ。オラトール。姫様はどうしている」
「この度の婚儀の相手のこと、かの王子の考え方には大いに感服するところあり、と申しております。うまく、運ぶはず」
「隣国の王子は素晴らしい御仁。この儂も幼い頃より知っておる。姫と共に歩まれるのに相応しい若者じゃ。おぬしが憂慮することもないぞ」
 このオラトールをお付きの護衛として、まだ幼かった姫君の元へ派遣して、もう何年経っただろうか。身辺警護から城下町の見回り、そして城壁の外の魔物の討伐まで、忙しい日々の合間に、生まれ育った神殿へ戻ってくる。
「私もそう見立てましたゆえ、エスタート殿を宮殿へ案内した次第。………姫の婚儀が決まりましたらば、自分はこの神殿に居を戻そうと」
 かつては若く美しい姫君に群がる有象無象の頼りない求婚者どもを自ら叩き出す役目も仰せつかっていたらしいオラトールが、言った。
「そうか。寂しいかね?」
「いいえ」
「神のおわす神殿で嘘はいかんな。修行が足りぬぞ」
 真面目くさった顔をしてみせながら、神殿長がこの大きな男の背中をぽんぽんと撫でて、笑う。
「今宵はおぬしに一番いい酒を出してやろう。湖は濁ったが、月はまだ美しいゆえにな」



 得も言われぬほど美味で、それでいて少しばかりほろ苦い味が口の中に広がった気がして、スミスは寝台から起き上がる。早起きは得意だったが、それは聖職者ならではの朝のお祈りのためというよりも、得意なパンを焼き上げるためのものだった。
「今のは………」
 自分とは縁遠い感情のはずなのに、夢の中にいた誰かが静かに口に運んでいた酒の味は、なんとなく理解ができる様な気がした。
(………思慕、というやつですかね)
 寂しさ、諦念、そして、誰かに対する、言葉にしがたい尽きせぬ想い。何故牧師である自分がそんな夢を見るのだろう。思わず大きく息を吐く。
「まあ僕はただの寂しい独身男ですし、世間様に言わせれば『怪力無双の不良牧師』ですし………」
 『船に乗ったコックは誰よりも強くなければならぬ』というサン・カリストに伝わる由来不明な諺は、既に自分の座右の銘でもある。
 もはや無二の親友でもある船長、日々成長していくチャーリー、少しづつだが確実に美しくなっていくアリア、そんな彼らと共に日々の暮らしをマイペースに愉しむケイ。大家族の長兄になった気分である。彼らと最後に向かうのは、親友である船長とは因縁深い国トーリスである。
 その因縁の全てを聞かされているわけではなかったが、言えない事情も彼は彼なりにこの半年以上の旅でうっすらと察してはいた。
(僕の想像より、おそらくはもっと大きいものなのでしょうけど)
 寝台の脇に立てかけている『杖』に、ふと指先で触れる。
「………何かに祈りたいのに、何に祈っていいのやらわからないのも、不思議なものです」
 この船に来てから、すなわちこの『杖』を手に入れてから、時折不思議な夢を見る。
 水平線から太陽が静かに登り、カーテンの隙間から青く赤い光がうっすらと差し込む。
 パンを焼くのにちょうどいい頃合いだが、いつもと違い、彼は少しの間、アリアの手によって新調されたばかりのカーテンを開ける手を止めて、静かに目を閉じる。
「………それではオラトール、良い夢を」
 そして、服を手早く着替え、旅の間にすっかり伸びてきた淡い栗色の髪を耳の後ろで適当に結ってから、大きな杖を部屋に残し、静かに部屋の扉を閉めた。
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